人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜

「これは一体……」



 私は、手の中にある柔らかい物体から、目が離せなかった。なんとなくモニュモニュと、手触りの良いそれで手遊びをする。

 王都から帰宅したアイザックが、翌朝、いつもの挨拶と共に渡してくれたお土産。白い、柔らかな綿が沢山詰まったぬいぐるみ。

 ただ、私はこのモチーフが分からなかった。



 基本的な造詣は馬……だと思う。しかし、柔らかに微笑んでいるその馬の額から一本の長い角が生えており、さらに、背中には一対の羽が生えている。



「ユニコーンですよ、ガーネット様」

「ユニ、コーン……?」



 アイザックが教えてくれたその名にも、私は聞き馴染みが無い。

 聞き返した私に、アイザックがほんの少しだけ瞠目する。きっと、私がユニコーンすら知らないとは想像だにしていなかったのだろう。

 

 私はこれまで、一切の娯楽を与えられなかった。私に割ける無駄なお金は無いと、両親は何度も言っていたから、その仕打ちも、私は受け入れていた。



 だから、物語、空想、架空のお話などに、触れたことも無い。



 私が目を伏せたのを見て、アイザックはそれでも微笑みながら、自身のプレゼントにさらに説明を加えてくれる。



「そう。ユニコーンと言います。伝説の生物で、神聖な身の女性しか、その背に乗ることは許さないそうです。だから、ガーネット様にぴったりだと思って」



 神聖な身。



 アイザックは、私にそんな印象を抱いているのだろうか。だとしたら滑稽で、申し訳ない。



 ただ空っぽなだけなのに。

 神どころか、その下位の存在である、人間ですらない人形だというのに。



「……ええ」



 私はいつもの通り、ただ形式だけの返事をする。

 が、アイザックは、今日はそれだけでは下がらなかった。 



「ねえガーネット様。この子の背に乗って、空を飛ぶところを想像してみてください。きっと、楽しい気分になれるはずです」



 唐突に、そんなことを口にする。



「ぬいぐるみではありません。その楽しい気分が、わたくしのお土産なのですよ」



 アイザックは、にこにことして言った。



 私は、彼の笑顔が苦手だ。

 その笑みには、否を唱えられない。



「……ええ」

 

 私は仕方なく瞼を閉じて、考えてみる。



 美しい、立派な白馬。だがそのたてがみや尾は虹色に輝き、一本角は宙をまっすぐに穿っている。

 私は一礼し、見事な羽に触れないように、その背に跨る。



 彼は、ばさりと羽根を一振りし、跳んだ。そのまま、私と共に、空を駆ける。



 自室から見たことがある、真っ青な空。その中を私とユニコーンは、どこまでもどこまでも飛んでいく。



 私を縛るものは、何もない。私は、自由。  

 この子とだったら、色んな場所に行けるのだ。



 ──ああ、それはなんて。

 幸せなことなのかしら。



 だが現実は、そうではない。

 ユニコーンは伝説にしか生きていないし、私はこの屋敷の外へは出られない。



 私は、目を開けた。



 そして、驚く。



 アイザックがこれまで見たことがない程、唖然としていたからだ。



 どうしたのだろう。



 だが、そんなことを気軽に尋ねる間柄ではない。私は、 



「ありがとうございます」

 

 と、感謝の気持ちだけ端的に告げた。

 アイザックも、ええ、と部屋を後にする。



 私は、ユニコーンのぬいぐるみを、いつまでもいつまでも、抱き締めていた。 







 アイザックは、部屋を出てすぐにへたり込んだ。



 特に深い意味もなく、ユニコーンのぬいぐるみを選んだ。特に深い意味もなく、空を飛ぶ想像を強いた。



 それなのに。



 先ほど見たものが、信じられなかった。



 「なんだあの顔……」

 

 ガーネットが見せた微笑を、再び脳裏に思い浮かべる。



 ほんの少しら赤らんだ頬。緩やかに弧を描く唇。夢見るような、安心した表情。



 とても、とても美しかった。



 もっと、もっと笑って欲しい。笑顔にしたい。

 そしてそれは、俺の前にだけ見せてほしい。



 そんな気持ちすら、湧き起こる。



 だが、とアイザックは首を横に振った。



 俺は、ただのクロム王の犬で、ただのスパイで、ただ彼女を貶めるだけの立場なのだと、今一度考え直す。



 それ以上の想いを、持ってはならない。持つべきでは、ないのだ。

 

 アイザックは、笑顔を無理に作って、一口だけ飲まれた白湯を捨てるべく、歩き出した。







 その晩、ローザン辺境伯爵の家は、燃え上がった。

 火を放たれたのだ。