人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜



「あ、あの……」



「うん?なんだい?」



 翌日、ガーネットは意を決して、レノおばさんの元を訪れた。

 丁度農作業に従事していたレノおばさんは、褐色の顔のしわを深くして、快く応じてくれる。



「お、お聞きしたいことが……!」



 ガーネットは、昨日見た商店街での光景が、どうしても引っかかっていた。

 そしてそれは、後から解決できるものではないような気がしてならなかったのだ。



 だから、他人に話しかけるという恐怖を乗り越えてでも、レノおばさんに近づいた。



「ゆっくりでいいからね」



 表情を強張らせたガーネットを気遣って、レノおばさんは優しく背をさすってくれる。



 彼女の手のぬくもりに、のどにつかえていた氷が溶けた。

 ガーネットは、一息に尋ねる。



「ソフチの国旗には、なぜ、クロム王国のマークが入っているのでしょうか」



 すると、レノおばさんは悲しげに眉を下げた。

 その意味が分からないままに、ガーネットはレノおばさんに促され、二人であぜ道に並んで腰かける。



「それはね────」



 一度、青い空を見上げて、レノおばさんは話し始めた。



「ソフチが、いいや、ソフチだけじゃない。カーノヴォン連合国が、かつてクロム王国の植民地だったからだよ」



「……え?」



 そんな話、一度も聞いたことがない。伯爵邸で歴史の教育を受けていた時も、そんな事実の記載はなかった。



 目を白黒させるガーネットをよそに、レノおばさんは続ける。



「二百年前の戦争、知っているかい?」



「えと、はい」

 

 確か、カーノヴォン連合国の突然の武装蜂起によって始まった戦争だと習ったはずだ。連合国が、自身たちの力を示したいがために身勝手に起こした戦争で、間もなくクロム王国が鎮めたという話だった。



 しかし。



「それは、まだ連合国になる前の植民地国たちの、独立運動だったのさ」



 ガーネットは、レノおばさんの口から語られる彼女らの過去に愕然とした。

 一言も発することができない。



「先祖様たちの勢いはそれは凄かったらしくてね。被害の拡大を恐れたクロム王国からカーノヴォン連合国の成立が認められて、ようやく独立したんだ。それでも、国旗の中にはクロム王国のシンボルを組み込むことを条件とされた。だから今でも、その支配の記憶は消えないのさ」



 そこまで聞いて、ガーネットはある事実に思い至り、はっとした。

 堪らず、疑問を挟む。



「もしかして、ソフチの発展が遅いのって、」



 ガーネットの予想通り、レノおばさんは頷いた。



「そうだね。技術者や資源を植民地時代に散々連れていかれてしまったから、ソフチはなかなか農業国から抜け出せていない。でもそんな国は、カーノヴォン連合国の中には山ほどあるよ」



「その話、知ってるー!」



 シロと遊んでいたはずなのに、いつの間にか側にいたシジュンも、会話に混ざる。



「しょくみんちって、どれい?ってやつだったんだよね。ずっとはたらかされたり、ごはんもらえなかったり。ジンおじさんから聞いた!」



「あの人は話したがりですからね」



 レノおばさんは苦笑いを浮かべた。



 だが、ガーネットにとっては簡単には受け入れられない話だった。



「そんな事実、聞いたことが……」



 これが本当だとすると、ガーネットが学んできたことの真贋があやふやになる。

 何が正しくて、何が間違っているのか、分からなくなる。



 唯一持っている最低限の教養すら、無に帰すかもしれない。



 何もなくなる。



 その事実が怖かった。



 ガーネットの体は、知らぬ間に震えていた。

 そんな彼女の手を、そっとレノおばさんは握る。



「信じるか信じないかは、お前さん次第だよ。でもね」



 一度言葉を切って、そして優しくも悲哀に満ちた瞳でガーネットを見つめ、レノおばさんは言った。



「歴史は、強いもの、勝ったものが好きに出来るんだよ」



 そんな、とガーネットは目の前が真っ暗になった。

 国が、歴史を改ざんするなんて。



 かと言って、レノおばさんやシジュンが嘘をついているとは到底思えない。



 俯くガーネットに、それでもなお、衝撃の事実が伝えられる。



「最近は、またクロム王国からの侵攻の影が見えてきててね……」



 シジュンはシロを、楽しそうに撫でている。

 と、はしゃいだはずみで、こてんと転がったシジュンは、その背をガーネットの膝に預けた。



 レノおばさんは頬に皺を寄せながら、優しくシジュンの頭を撫でて呟いた。



「この子たちの明るい未来を守れるのか、心配なのさ」



「ワン!」



 シロの鳴き声が、周囲の畑に響き渡った。







 

 シジュンの家にお世話になってから、一週間が経とうとしていた。

 

 夕食後の家族のだんらんを、ガーネットは食卓の椅子に座って眺める。

 娘に微笑みを向ける両親。その愛を一心に受けて、めいっぱいの笑顔を返す娘。



 その光景を見ているとガーネットはなぜか、アイザックの姿を思い出した。



 長い年月を共に過ごしたローザン家の両親ではなく、アイザックの、優しさを。



 そして、得られなかった家族愛への羨望ではなく、アイザックへの寂しさが溢れる。





 アイザック。会いたい。



 どこに居るの。私は、どこに行けばいいの。





 と、不意に、くるりとガーネットの方を振り向いたシジュンが、驚くべきことを口にした。



「おねえちゃん、ずっとこの家にいたら?わたしのおねえちゃんになってよ!」



 目を丸くするガーネットに、シジュンの突拍子もない発言をたしなめていた父親は、だが、



「そうだな」



 と、肯定を返した。シジュンの母親も、それに続く。



「自分の家を思い出せなかったり、帰れなかったりするのなら、ここに、ずっと居てもいいのよ」



「そうだよ!」



 にこにこ。にこにこ。

 三人とも、嘘偽りない温かさで、ガーネットを受け入れようとしていた。



 ここには、私がかつて望んだ優しい家族がある。



 それにこの場では、提案に乗ることが、シジュンたちの気分を害さない最善策であるとも理解している。



 だから、頷くべきなのだ。











 でも。



「わ、私にはっ!」



 ガーネットは、いつの間にか立ち上がっていた。

 そして震えながらも、自身の気持ちを精いっぱい声にする。



 大好きなシジュンたちに怒られても、嫌われても良いと思った。



 アイザックに会うために、伝えたいのだ。



「どうしても、会いたい人が、いるのです……!」



 涙が止まらない。



 いざ言葉にすると、寂しくてたまらなくて、早く会いたいという思いばかりが暴走する。



 申し訳ない。でも、自分の気持ちに嘘はつけない。



 様々な感情の波に胸が押しつぶされて、苦しかった。

 

 シジュンたちは口をあんぐりと開けて、突然泣き出したガーネットを見つめていた。

 しかし数分の後、彼女たちは怒り出すどころか、ガーネットを抱きしめた。



 三人と一匹の体温に包まれて、ガーネットの強張った心は再び緩んだ。



 アイザック以外の人に感情を見せても良いのだと、知った。

 

 アイザックへの思いがきっかけで、ガーネットはやっと、人間らしさを取り戻したのだ。



「じゃあ、ねがいまつりに行こ!」



 足元にしがみつくシジュンが、顔を上げて言った。



「カーノヴォン連合国の真ん中にあるセントラル国で、年に一回行われるお祭りなのよ。ランタンに願いを込めて、空に飛ばすの」



「その日はお城で、カーノヴォン連合国全体を挙げての式典があるから、色んな人が来る。その中に、ガーネットの会いたい人も来るかもしれない」



 シジュンの両親も、補足してくれた。

 

 その心遣いが、とても嬉しくて、



「ありがとうございます……!」



 ガーネットは笑って、頷いた。