人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜



「くっ……!」



 アイザックは、自身のたった数センチ先に迫った剣の切っ先から、目が離せなかった。

  

 なぜだ。



 アイザックは奥歯を強く噛み締めながら、ガイルとの交戦を思い返す。



 別に、自身がガイルと比べて劣っていた訳では無い。選ばれし猟犬の中でも、自分の剣の腕前は、殊更優秀であるという自負もある。

 彼との経験の差、体格差は勿論あったが、それでも互角の戦いは出来ていたはずだ。



 それなのに、何故。



 ガイルに鋭い視線を送りつつも、アイザックの心の内は、疑念で荒れていた。



 そんなアイザックを見透かしたように、ガイルが呟く。

 

「お前の剣には、芯がない」



「は……」



「技術だけが上滑りして、一撃に重みがない。だから簡単に弾かれる、隙が出来る」



「言わせておけば……!」



 アイザックは、目の前が真っ赤になったような感覚に陥った。

 

 向けられている剣を、自身の剣で振り払う。カキン、と軽い音を立てたそれを、しかし、ガイルは呆気なく鞘にしまった。



「おい!まだ終わってない!!」



 そう、アイザックが反駁した時だった。



「気が逸っているのだろう」



「……っ」

 

 真っ直ぐに、ガイルの黄金色の瞳を向けられて、アイザックは口を噤む。



 ガイルは続けた。



「本来のお前の剣ではないことなど、分かる。しかし今のままでは、お前の大事な人を救うことなど、不可」



「そんなこと百も承知だ!それでも俺は、早くガーネット様を救いたい……!」



 アイザックは、ガイルの言葉に乗せられるまま、本音を吐き出してしまう。名前と、剣技しか知らない相手に。



 だが、ガイルは一度、頷いた。

 まるで、理解している、とでも言うかのようだった。



「順番を違えるな、ということだ。焦っても、得られるものは無い」



 アイザックは、剣を下ろした。



 現状では、この男に敵わない。

 そう判断したからだ。



 アイザックは鞘に剣を納めながら、口を開く。



「……黒い鎧の集団を、見たことがあるか」



 カーノヴォン連合国については、ガイルの方が確実に見識が広いだろう。



 逃れられないのなら、いっそ利用してやる。



 アイザックはそう腹を決め、尋ねた。



「ガーネット様は、彼らに攫われた可能性が高い。今にも酷い目に、遭っているかもしれない。何でもいい。何か、知らないか」



 ガイルは答えた。



「見たこともあるし、戦ったこともある」



「本当か!それは、どこで……!」



 アイザックは食いつくようにさらに問いかける。

 ガイルはその熱を宥めるかの如く、端的に告げた。



「北だ」







〈Side ガーネット〉



「ただいまー!!」



「わん!」



 ガーネットは躊躇しながら、女の子の後に続いて小さな家の中に入った。



 本当に、大丈夫だろうか?



 女の子に言われるがままにここまでついてきたが、ここから先は、彼女のご両親の介入が免れない。



 ガーネットの身体は、緊張で強張る。



「おかえりなさい」



「遅かったな」



 振り返った女の子の父親と母親は、ガーネットの姿に目を丸くする。 



「あのね、おさんぽ行ったらね、おねえちゃんが迷子になってたの!だから、つれてかえってきた!」



「迷子?」



 母親が、困ったように眉を下げた。

 父親も恐る恐る、ガーネットに問う。



「どちら様だい?」



「おねえちゃん、しゃべれないの!」



「あ、あの……」



 女の子のフォローは有難かったが、話せないというのは嘘になる。あの場では女の子への方便になり得たが、もう限界だ。



「ガーネット、です」



 掠れた声で、何とか絞り出す。



 女の子は怒るでもなく、わーい喋ったー、と喜んでいた。

 

 しかし、



「家はどこ?どこから来たの?」



 母親の質問に、ガーネットは再び口を閉ざした。



 ──家。  



 そう聞かれた直後に思い浮かんだのは、アイザックの家。

 クロム王国の城下町から少し離れた所にある、お花やプレゼントでいっぱいの、二人で暮らす家。



 帰りたい。



 今すぐ、あの家に。



 でも、今帰っても、アイザックがそこに居るかは分からない。

 アイザックも私を探していて、しばらく帰ってこないかもしれない。

 もしかしたらもう二度と、一人でクロム王国から出られないかもしれない。



 アイザックに、もう会えないかもしれない。



 どう答えるべきか分からず、黙りこくるガーネットの様子を目にして、女の子の両親は顔を見合わせる。



 すると、



「わすれちゃったんだよ、きっと!だから、おねえちゃんが思い出すまで、ここにいてもらったら!?」



「ワオン!」



 きらきらとした笑顔を浮かべながら提案する女の子に、足元をくるくると走り回る白い犬。



「シジュン……」



 母親は、苦笑いを浮かべた。



 シジュン、と呼ばれた女の子の父親は、しばらく悩んでいたが、



「ひとまず、今日は休みなさい。明日また、ゆっくり話そう」



 そう、優しい笑みを浮かべた。

 母親もそれを聞くと、



「今すぐ客間を準備するわね。ちょっと待ってて」



 ガーネットの肩に手を添えながら、柔らかい口調で言った。



「わーい!やったね、シロ!」



「ワンワン!」



 嬉しそうなシジュンとシロに、温かい彼女の両親。



 知らない土地と環境に、ガーネットは目を白黒させるばかりだった。





 翌朝、ガーネットは客間を出て、リビングへと向かった。叩き出されやしないかと、びくびくしながら扉を開ける。

 しかし、ガーネットを待っていたのは、温かい笑顔だった。



「おはよ!おねえちゃん!」

 

「おはよう、ございます」



 つっかえながら、ガーネットは朝の挨拶をする。

 挨拶は、ローザン伯爵邸でもしていた。そのおかげで、最低限のマナーは守れる。



 だが。



「よく眠れたかい?」



「……ええ」



 それ以上の会話は、怖くて出来ない。

 感情や思いを伝えれば叱られ、嫌われるのではないかと、どうしてもそんな恐怖に縛られる。



 それでも、シジュンの父親や母親は、良かった、と笑みを浮かべた。



 それから簡単な朝食の後、シジュンの父親は、両手を組んで口を開いた。



「さて、昨夜の続きだが……。ガーネットは家が分からないのかい?もしくは、言えない事情がある?」



「……ええ」



「なるほど」



 ガーネットは、ローザン邸に居た時のように、頷きを返すことしか出来ない。



 どれだけアイザックに心を開いているか、そして、そのアイザックがいないと何も出来ないかを、痛感する。



 シジュンの父親は、続けた。



「思い出すまでここにいる、というシジュンの案に対しては、どう思っている?私たちとしては、どちらでも構わないよ」

 

「…………」



 本音出言えば、一刻も早く、アイザックを探しに行きたい。

 しかし、ガーネットにはその方法も、手段も、まるで検討がつかない。

 

 それに、とシジュンの表情を伺う。



 彼女は期待を込めた目と不安げな面持ちで、こちらをじっと見つめている。



 この場は、シジュンないし、シジュンの家族の好意に沿う方が、無難だろう。



 ガーネットは後ろ髪引かれる思いがありながらも、



「……よろしくお願いします」



 と、頭を下げた。





 

「ここがね、私がよくシロと遊ぶばしょ!それでね、あっちがレノおばさんの家でね、」



「ワオン!」



 ガーネットはシジュンと手を繋ぎ、この村を案内してもらっていた。もちろん、シロも同伴である。



 辺りを、じっくりと見渡す。



 雄大な土地のほとんどは何かの畑になっていて、あちこちにいる人たちが、作業をしている。

 シジュンらと同じような、褐色の肌をした子供たちが数人、側を駆けて行った。



 のどかで、落ち着いた土地。



 言ってしまえば、そうなのだが──。



 ガーネットの脳内は、疑問で溢れていた。



 どうしてここは、こんなに発展が遅れているのだろう、と。



 この村はソフチという国にあり、村の入り口近くで私は倒れていたらしい。またソフチは、サイドベルツ伯爵国の西方にあるのだと、今朝、シジュンの父親が教えてくれた。



「どこも、こんな様子なの?」



 堪らず、ガーネットはシジュンに尋ねる。



「こんな?うーん、よくわかんないけど、ソフチはごはんを作るところだって、パパが言ってたよ!」



 シジュンの答えに、ガーネットは自身の中で整理する。



 ソフチは農業国、なのだろう。



 そういう国が、世界にはあるとローザン邸で学んだことがある。ただ、クロム王国はどこも教育や産業化が進んでいるから、実際に農業国がこの世に存在しているとは考えていなかった。



 大きな家や金属で溢れたクロム王国とは違って、純朴で、質素だ。



 随分遠くに来たから、今後もきっと、未知のものに出会うことがあるだろう。 

 

 だかそれを共有できる唯一の相手は、今は居ない。



 遠く、に。



 自身の言葉を反芻して、ガーネットは不意に、胸が疼くような寂しさに襲われた。



  

 それから二日後。



「今日はお買い物に行きますよ」



 シジュンの母親に連れられて、ガーネットはソフチの中でも人気の商店街に来ていた。



 肉や魚、野菜を売る店と、買い物客で賑やかな通りだ。



 ガーネットの白い肌が珍しいのか、道行く人たちが、ジロジロとガーネットに視線を投げかける。



 だがガーネットも、とあるものが気になって仕方が無かった。



「おねえちゃん、何見てるの?」



 手を繋いだシジュンが、不思議そうに見上げてくる。

 そして、ガーネットの見つめる先に目を向け、自信満々に教えてくれた。



「それはね、サフチ国の旗だよ!!」



 ガーネットは思わず、耳と、目を疑った。



 再び、サフチの国旗をまじまじと眺める。



 それでも、何度考えても、分からなかった。







 どうして、クロム王国の国旗が、ソフチの国旗デザインの一部にあるんだろう──?