「おはようございます、ガーネット様。お白湯をお持ち致しました」
朝日も差し込まない、奥まった私の部屋。そこに、アイザックは挨拶をしに来る。それも、毎朝。
「……ええ」
マグカップを受け取り、温かい水を一口だけ飲む。熱くはあるが、舌を火傷しない温度に調節してくれていて、有り難い。
が、慣れない。
私は家族からも、使用人たちからも、無視同然の接し方をされている。それなのに、わざわざ部屋を訪れてくれるなど、あり得ないことだ。
だから、申し訳ないと断るべきか、ありがとうと受け入れるべきか、未だに計りかねている。結果、白湯を一口だけもらって早く帰すという中途半端な対応しか出来ていない。
さらに言うと、朝だけではない。
「ガーネット様、今日は天気が良いですよ。わたくしと散歩に行きませんか?」
「ガーネット様、失礼ですが、顔色が優れないのでは……?体調は如何でしょう。心配です」
「ガーネット様、おやすみなさいませ。温かくして寝て下さいね。良い夢を見れるように祈っております」
こんな調子で、タイミングを見計らっては声を掛けてくるのだ。時には笑顔を見せ、時には気遣う素振りと共に。
それだけでも驚愕に値するのだが、さらに、「私に構う」という浮いた行動をしていても、両親や使用人仲間と上手くやっているのがアイザックの凄いところ。
それは、アイザックの細やかさが、皆に評価されているためだ。
例えば。
井戸から水を運ぼうとしているメイドに、「わたくしが台所までお持ちしますよ」と手助けをする。
仕事量が多い執事に気が付いて、手伝いを進言する。
ティータイムで、母親を楽しませる。などなど。
引退した老執事の代わりとして入ってきたらしいが、その実力は余りあるもので、確実に皆の信頼を得ている。
そして、アイザックが屋敷に来て、三週間が経ったある日のこと。
「ガーネット様!見てください」
自室で椅子に座っている私の元へ、何やら興奮した様子のアイザックが飛び込んできた。勿論ノックした後だ。
頬を紅潮させたアイザックは、目を見開く私の前に、自身の手を差し出す。
そこには、真っ赤なラナンキュラスの花が握られていた。
「つい先ほど、咲いたんです!きっと昼の陽の光をたくさん浴びて、開花したのでしょう。それで、ガーネット様にも見せたくて!」
にこにこと笑うアイザック。一瞬迷ったが、その好意を無下にするのはためらわれて、私は花を受け取る。
幾つもの花弁が折り重なる、豪華な一輪。その美しさに目を奪われていると、
「美しい方には、美しいものが似合うと思ったんです。やはり、お渡しして良かった」
なんて、歯の浮くセリフが聞こえてくる。
が、嬉しそうなアイザックを目にして、私の胸にも温かいものが溢れた。
そう言えば、と思いを巡らす。
誰かから何かを貰ったのは、久しぶりだ。この部屋以降、必要以上の物が、自分のものになった覚えがない。
だからだろう。この熱は、懐かしい。
でも、と私は内心で首を横に振る。この感覚を、思い出してはならない。感情を、取り戻してはいけない。
また消すのが面倒だ。
「……ええ」
私は、アイザックに頷きを一つだけ返し、ラナンキュラスを膝の上に置いた。
それだけでもアイザックは満足そうで、
「花瓶を持ってきますね」
と、軽い足取りで部屋を出て行く。
私は、やっぱり不思議なのだ。
どうしてこんなに良い人が、私に優しくしてくれるのだろう、と。
だが、私は知っている。
アイザックが時々、すごく鋭い目をすることを。
それも特に、仲間との団欒中に、だ。
会話が盛り上がっている程、彼は何かを探るような視線を向けている。
でも、それを知っているのはきっと、私だけだろう。
「今夜の慰労会、楽しみね」
「アイザックが、旦那様と奥様にお願いしてくれたんでしょう?たまには息抜きも兼ねて、使用人同士で意見交換会をしたいって」
「って言っても、ただの宴会だけどな!それにしても、気が利いてるよアイザックは」
ドアの隙間から、使用人達の楽しそうな会話が聞こえる。
そこに加わる、アイザックの温和な声。
「そんな、大したことないですよ、わたくしは。皆様の頑張りを、旦那様方に報告しただけです」
勉強の時間になった為、書斎へと向かっている途中だった。使用人が使う休憩室から、賑やかな談笑が聞こえてきたのだ。
私は通りすがりに、ちらりと部屋の中を窺う。
メイドや執事が、輪になって会話をしていた。そこから数歩離れた所から、アイザックはその様子を微笑んで眺めている。
が、一瞬だけ。ほんの、1秒だけ。
アイザックは、瞳の光を失った。目を細め、唇を引き結んだ、冷たい表情になる。
しかし。
「なあ、アイザックは何の酒が好きだ?」
くるりと、若い執事がアイザックの方を振り返る。途端、笑顔に戻るアイザック。
「んー、そうだなあ……」
答えを悩んで、視線を彷徨わせている途中、私とパチリと目が合った。
ぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべ、
「ガーネット様!」
と、私に手を振る。
私はそれを無視して、目的地へと向かった。
いつも明るい彼が、何故そんな顔をするのか。
気にならないと言えば、嘘になる。だが、私にとってはどうでもよいことだ。
私に出来ることは何もない。そして、彼とこれ以上の関わりを持つこともない。
彼について深く知る必要も、知る機会も、存在し得ないのだから。
彼が以前くれた、ラナンキュラスの花が不意に思い出される。その時の、アイザックの笑顔も。
私の足は、自然と速くなる。拳を強く握り込んでいたことにも、気が付かなかった。



