人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜



「おねえちゃん?大丈夫?」



「ワオン!」



 驚いて、何も言葉を発せない私に、女の子と犬は顔を寄せてくる。

 しかしそこに、敵意は感じられない。

 

 今、頼れるのはこの子供だけだ。



 私は意を決して、彼女を頼ることにした。



「あの……、っ……」



 だが、上手く喋ることができない。



 アイザックが相手なら、かなりスムーズに自分の意思を発せるようにはなった。

 ただそれは、心から信用しているアイザックだからだ。

 

 アイザックではない人に、気持ちを、感情を表にしても良いのだろうか。



 未だに、そんな鎖が心を縛り、喉を強張らせる。



 女の子は黙ったままの私を不思議そうに見つめていたが、不意にぽん、と手を打った。



「おねえちゃん、話せないの?」



 私は少し迷ったが、頷く。

 事実とは異なるが、そういう風に信じていてくれた方が、都合が良さそうだからだ。



 そして私が打算した通り、女の子はさらに質問を重ねてくれる。



「迷子?」



 私は再び頷く。

 これは、事実だ。現在地も、向かうべき場所も分かっていないのだから。



 すると女の子は、ぱあっと顔を輝かせた。

 そして、言う。



「じゃあ、わたしのおうちにおいで!ママに、帰り道を聞いてみようよ」



 彼女は私の手を取り、立ち上がらせた。

 戸惑う私の答えを待たず、歩き出す。

  

「ワンワン!!」



 傍らの白い犬も、しっぽを振って後をついてきた。



 私は断ることができなくなって、ただ、彼女に手を引かれるままだった。







<Side アイザック>



「離せ……っ!!俺はガーネット様を助けに行くんだ!!」



 アイザックは必死に叫び、がむしゃらにもがく。

 それでも動けないのは、複数名の兵士たちに取り押さえられているからだ。



 しかし、兵士といっても黒い鎧を纏ってはいるわけではない。



 見覚えのない赤い制服。それに身を包んだ謎の集団に、知らない王座のような場所で捕えられて、アイザックは焦っていた。



 ここは一体、どこだ。ガーネット様はどこにいらっしゃる?

 まさかあの黒い鎧共の手に……?

 だとしたら早く、早く助け出さないと。



 だというのに、自身はどこかの集団になすすべもなく捕らわれている。



 アイザックは唇を噛みしめた。

 

 と、その時だ。



「威勢が良いものだねえ」



 王座に腰掛ける柔和な老人が、ほっほっと笑った。

 アイザックは彼を噛みつくように睨みつけたが、依然として老人は笑みを崩さない。



 その姿に、少し怯む。 



 只者じゃない。そんな雰囲気を、否応なく感じさせられた。

 玉座にいる以上、王、なのは理解できる。

 ただそれが、どこの、なのかが分からない。

 

 にこにことしたどこかの王は、口角を挙げたまま口を開いた。



「それで、大人しくする気になったかの」



「────黙れ」



 アイザックは手短に答えるが、途端、ぐうっと、圧力をかけられている背中をさらに押され、息が詰まった。



 アイザックは奥歯をぎり、と食いしばる。



 絶対に、すぐにここから逃げだしてやる。



 そんな強い思いを込めて、アイザックは再びどこかの王を睨み上げた。







 遡ること、二時間前。



 がばり、と跳ね起きたアイザックは、まずは自分の両手足を確認した。



 シーツの上に投げ出されたそれらはちゃんと揃っているし、拘束されているわけでもない。



 ふう、と息をついたが、アイザックの内心では忸怩たる思いが渦巻いていた。



 気を失う間際に自分が食らったのは、恐らくスタンガンによる電気ショックだろう。

 スタンガンは、クロム王国の市場にはあまり流通していない。だが、ローザン伯爵の取引明細書にはちらほら見かけたから、カーノヴォン連合国ではある程度出回っている商品なのだろう。

 

 つまり雇った御者は、初めからカーノヴォン連合国に所属するもので、さらに、黒い鎧とグルだったということだ。



 用心しようと思えば出来たことを疎かにしていた自分を呪う。



 ぐっと、手のひらを握りしめ、同時に周囲に、さっと視線を向ける。

 クローゼットも、鏡台も揃っているが、最低限の設備しかない。所謂客人用の部屋だ。

 

 しかし、そこまで確認した時点で、さあっと血の気が引く。



 ────ガーネット様は?

 

 隣にも、備え付けの椅子の上にもいない。



 つまり、自分の傍にはいないのだ。



「ガーネット様!!」



 アイザックは叫びながら、ドアから飛び出す。



 隣、隣、その隣の部屋も開けて回るが、そこに美しい黒髪の姫はいない。



 手足の先が冷たくなっていく。





 まさか、あの黒い鎧たちに攫われてしまったのか?それともこの建物のどこかにいるのか?



 いいや、居てくれ。居てくれた方が、何倍もましだ。



 どうか、ここに居てくれ。今すぐ迎えに行くから。





 ゴミ一つ落ちていない廊下を駆け回りながら、アイザックは胸を搔きむしりたくなるような焦燥感に支配されていた。



 と、向かいから歩いてくるメイドを一人、見つけた。

 アイザックは目もくれず彼女に詰め寄り、怒鳴りつける。



「ガーネット様はどこにいる!?」



「きゃあああああああ!」



 両肩をつかみ、揺さぶってくる不審な男にメイドは渾身の悲鳴を上げた。

 たちまち赤い制服の兵士たちが十何人も、駆けつけてくる。



 自身を取り押さえようとする彼らに、アイザックは身一つで抵抗する。が、剣のように一振りで命を奪いきれない以上、数の暴力に屈してしまう。

 

「離せ、どけええええええ!!」



 胴体に縄をかけ、手首を縛ってくる兵士たちに向かって、なりふり構わずアイザックは怒号を上げる。



「俺は、ガーネット様の元へ行かなければならないんだ────!!」 

 

 しかし、アイザックの呼号は、押し寄せる赤い兵隊たちの雑踏に飲み込まれて、消えていった。