「さあ、行きましょう。ガーネット様」
「ええ」
私はアイザックが伸ばしてくれた手を取り、彼が貸し切った馬車に乗り込んだ。
この馬車で国境を越え、隣国、並びに敵国のカーノヴォン連合国へと向かうのだ。
突然手紙を投げ込まれた二日後の今日、私たちはアイザック邸を後にした。
随分と急なのは、気がかりなことが多すぎるからだ。
まず、もう一枚の写真の女性、そして『母親』という文言について。
アイザックの『猟犬』についても驚いたが、こちらのことも、勿論忘れていない。
私は馬車の中で、写真に視線を落とす。
自身によく似た容姿の、年上の女性。
薄い色素の髪や瞳の人々が多いこの大陸で、私のような黒髪は、実は珍しい。
そして、アイザックの『猟犬』が事実だったこともある。故に、写真の女性が母親である可能性を捨てきれない。
いたずらか、とも考えたが、それにしては手が込みすぎている。
危険を冒してわざわざ『猟犬』であるアイザックの写真を撮影し、家にまで接近した。ともすれば、アイザックに始末されてもおかしくはなかったというのに、だ。
私は俄かに緊張し、一度、深く息を吐いた。
すると、アイザックが、
「不安ですか?」
と、眉尻を下げて尋ねてくる。
だが私は、首を横に振った。
「私が、自分の目で確かめたい、と思ったの。本当に、彼女が母親なのか。だとしたらどうして私は、本当の母親と暮らせていないのか、を」
「ですが、その女性がカーノヴォン連合国に居るという確証もないのでしょう?」
それでもアイザックは食い下がる。
物騒だという所に、私を連れていきたくないのだろう。
とはいえ、そこに行かなくてはならない理由も確かにあるのだ。
「ローザン家で、歴史の教育を受けている時に見たわ。カーノヴォン連合国の建物の造りと、彼女の背景は酷似している。それに、」
私はここで一度言葉を切り、そして、一息に告げた。
「いつまでもこうして、アイザックの家で隠れているわけにはいかない」
「………………はい」
しゅん、と黙り込むアイザック。
後ろ髪引かれる思いは私にもあるが、いつまでもアイザックのおんぶにだっこ、というわけにもいかない。
「本当の母親がいれば、向こうで一緒に暮らせるかもしれないし、」
その言葉に、さらに顔を下げるアイザックに私は続ける。
「私には、アイザックがついてるわ」
途端、彼はぱあっと顔を明るくした。
端正な顔立ちがころころと表情を変える様は、見ているこちらの心を軽くしてくれるものなのだと、私は知った。
御者が律する馬車の、穏やかな揺れ。
それに身を任せながら、私はアイザックに問いかける。
「カーノヴォン連合国は、なぜ危険なの?」
「それはですね」
アイザックは瞬時に真面目な表情に戻り、彼の持ちうる情報を教えてくれた。
曰く、そもそもカーノヴォンは、ぎりぎりで独立しているような小国が集まって成立している連合国である。
そのため、各国間の連携が上手く取れていないらしい。カーノヴォン連合国中央に位置するセントラル国で行われる議会の取り決めも守らない国が多いのだとか。
よって、内紛が絶えないばかりか、隣国である我らクロム王国にも手を出してくることがあるらしい。そしてその方法がまた過激で、テロリズムに等しい攻撃であることが多い。
以上のことから、クロム王国はカーノヴォン連合国を危険視している、とのこと。
「なるほど……」
説明を聞いた私は、アイザックが過剰に心配してくれたのにも納得がいった。
確かに、得体のしれない野蛮人が住まう国、という印象を抱いてしまう。
街道沿いの森が深くなったのか、馬車の中が少し暗さを増す。
そういえば、と私はあることに思い至り、アイザックに質問を重ねた。
「これから、どこに行くの?」
先ほどの話からすると、セントラル国だろうか。
しかし、アイザックは首を横に振る。
「まずは、最もクロム王国に近いサイドベルツ侯国に寄ろうと思います。そこで侯爵と話して、この写真の女性に心当たりがないかを伺ってみようかと」
そんな話をしている時だ。
がくん!
体が前方につんのめる。向かいのアイザックがすかさず支えてくれたが、そのアイザックも少しバランスを崩しているようだ。
順調に進んでいた馬車が突然、止まったのだ。
アイザックが小窓から外を観察する。
「御者がいません。ここは……、すでにカーノヴォン連合国の領地ですね」
アイザックが冷静に状況を分析してくれるおかげで、私も取り乱すことがなかった。
そもそも私自身、あまり動揺しない。
しーと、唇に人差し指を当てるアイザックの言うとおり、じっと座面に腰掛け続ける。
だが。
「な、……ぜっ!」
窓からそっと外の様子を窺っていたアイザックが、目を瞠った。
「『猟犬』たちがここに!」
私も息をのむ。
「『猟犬』って、仲間なんじゃ」
「勿論そうです。ですが、ここにこうして現れたということは……!」
アイザックがそう呟いたのと同時に、数十人で小隊を組んだ兵士が、私たちの馬車を取り囲んだ。
彼らはみな一様に、写真で見たアイザックと同じ鎧を身に着けている。
「きっとガーネット様の情報が、どこかから漏れて王の耳に届いたのでしょう。そして、ローザン伯爵家の生き残り許すな、と命が下った」
すっとアイザックの視線が鋭くなった。ぶつぶつと、何かを数えている。
先ほどまでの穏やかな彼は、完全に鳴りを潜めた。
「三十匹……。よし、問題ない」
アイザックはそう呟くと、
「ガーネット様は中にいてくださいね」
と、一瞬だけ微笑み、私の頬に手を触れた。
直後、馬車を飛び出す。
「お前たち、ここから失せろ!!」
アイザックは吠え立て、すらりと白銀に磨かれた剣を鞘から抜く。
そして、自身に向かってきたかつての仲間たちを、容赦なくばさばさと斬り捨てていった。
相手の剣先をミリ単位で避け、無駄のない動きで接敵。首元に一なぎ。まずは一人。
その遺体を片手で敵集団に投げつけ、生じた隙の合間に彼らの腕や足を順に落としていく。二人、三人、四人。
と、アイザックが複数名に掛かりきりになっている間に、馬車に近づく兵士が三人。
だが、無論彼らを見逃すこともなく、
「ガーネット様に近づくな」
アイザックは両手でぶん、と横一文字に剣を揮う。宙を舞う頭。まとめて三人。
見事、というほかなかった。
私がアイザックの『猟犬』たる姿を目にするのは、これで二度目だ。
本当に、同じ人物なのだろうか。
アイザックには、基本的に温かい笑みしか向けられていないから、冷酷な彼の姿が別人のように思える。
そんなことを考えているうちにも、アイザックはみるみる『猟犬』の兵たちを殲滅していく。
敵の数も残り半分を切った。それでも、アイザックの剣戟は全く鈍らない。
だから、アイザックの、勝ち。
そう、私が確信した時だった。
「助けてくれえ!!」
男の悲鳴が聞こえた。
アイザックと同時に、私もそちらに視線を向ける。
そこに見えたのは、一人の『猟犬』に捕まっている、御者の姿だった。
「こいつを殺されたくなければ、大人しく降伏しろ!アイザック!」
彼は意気揚々と喚く。
が、アイザックは怯むこともなかった。目にもとまらぬ速さで御者を捕えている『猟犬』に肉薄する。
1秒にも満たない時間で、彼は卑怯者の命を刈り取った。
「もう大丈夫ですから、下がって!」
アイザックは、震え、うずくまる御者に向かってそう叫び、背を向けた。
しかし。
「────────っ!!」
声も上げず、アイザックは倒れた。
アイザックの背後にいた御者が、にやりと笑っていた。その手には、血の付いた短剣が握られていた。
騙された。
御者は最初から、敵側だったのだ。
『猟犬』が、アイザックを取り囲む。
まるで図鑑で見た、蝶の亡骸に群がる蟻のよう。
そして、私がいる馬車に向かっても、数人が歩いてきていた。



