人形姫は、猟犬の溺愛に瞳を潤ませる〜心を失った令嬢は秘密を抱えた執事に甘やかされて愛を知る〜

「……舞踏会?」

 

 私はアイザックの唐突な発案に、困惑した。

 踊れないことはない。一応、貴族として最低限の知識だということで、父親からその教育は受けさせてもらえていた。



 だが、実際に外へ出て参加するのは初めてだ。上手く踊れるとは到底考えられない。それこそ、アイザックの顔に泥を塗ることになる。アイザックが外で何をしているのかは知らないが、身なりや振る舞いからして相当な地位の持ち主であることは、十分に推測できる。



 何もしてあげられないのに、さらに彼の評価を貶めるなど。



 熟考し、表情を曇らす私に、しかしアイザックは笑いかけた。



「何も心配なさらなくて大丈夫ですよ。これを準備しておりますので」



 アイザックがポケットから何かを取り出し、テーブルにことん、とそれを置いた。



 金色に輝く、仮面だった。



 目の周辺のみを隠す小さなものだが、赤い宝石が上品に散りばめられたそれは、ライトを反射してきらきらとした存在感を放っている。



「きれい……。これを、私に?」



 私の感嘆の声に、アイザックははい、と頷く。



「ちなみに、わたくしのはこちらです。色だけ異なる、同じものにしてみました」



 そう言ってアイザックがもう一つ見せてくれたのは、私のものと装飾がほぼ同じ、色が銀の仮面だった。



「ガーネット様と参加したいのは、仮面舞踏会なのですよ。この日だけは、身分も容姿も関係ない。気分転換にふらりと訪れてよい、そういった気楽なものです」



 アイザックが説明を続けてくれた。



 なるほど。確かに、仮面舞踏会ならアイザックの身分もばれないし、仮に私が大失敗をしても、目立つことはない。



「ガーネット様の美しい黒髪がさらに映えるように、ゴールドを選びました。ゴールドは淑やかながら、頂点の高貴さを表します。まるでガーネット様みたいでしょう?」



 にこにこと語るアイザックは、その後、少し照れたように眉を下げた。



「それで、そんな美しいガーネット様と、お揃いの仮面をつけて、一曲だけでも踊れたら、なんて……。だめですか?」



 上目遣いで尋ねてくるアイザック。私はその視線を正面から受け止めてしまい、ぎゅ、と胸が詰まるような感覚に陥った。



 反則だろう、と思った。



 目を逸らして、私は短く答える。



「だめ、じゃない」



 それを聞いて、やった、とアイザックは嬉しそうに笑った。

 が、私も心が弾んでいるのが分かる。



 そこまでお願いされなくても、申し出を受けようと考えていた。



 アイザックが用意してくれた仮面をつけて、彼と外出をする。



 その場面を想像した時に、わくわくする気持ちを抑えられなかったからだ。



「それに、」



 と、アイザックは続ける。



「贈り物は、これだけでは無いのですよ」



 私はその言葉に、首を傾げた。



 





「──────────っっっ」



 私が既に準備を終えたアイザックの前に姿を表すと、アイザックは言葉を失っていた。

 私は途端に不安になって、問いかける。



「やっぱり、似合わないかしら……?」



 アイザックの贈り物は、仮面舞踏会用に新しくしつらえてくれたドレスだった。



 仮面に散らされた宝石同様、赤い布のそれは、ガーネットの黒い目と髪、そして白い肌を繊細に際立たせていた。

 派手さこそ無いものの、人々の視線を釘付けにしてしまいそうな程、可憐なガーネットの姿にアイザックは上手く言葉が出てこなかったのだ。



「い、いえ!いえ!思っていた以上にお似合いです!素敵ですよ、ガーネット様」



 は、と我を取り戻したかのように慌てて感想を述べるアイザックが面白くて、私の緊張は少し和らいだ。



 アイザックも自分がおかしかったことに気がついたのかくすくすと笑う。

 そして、いつも通りの優雅さで、手を差し伸べるのだった。



「さあ、行きましょうか」

  





 ざわざわと、会場中の人々が騒然とする。

 あの御令嬢は誰だ、その傍らの男性は誰だ、と皆が密やかにガーネットとアイザックに注目する中。



 ガーネットは、豪華な舞踏会の場に唖然としていた。



 華美なシャンデリアがいくつもぶら下がり、室内を昼間のごとく明るく照らしている。壁に添えられた花も、用意された料理も、演奏されている音楽も、全てが新鮮で、煌びやかで、ガーネットは目に見える全てに心を奪われっぱなしだった。 



 しかし。



「灼けますね」



 アイザックの囁きに、私はそちらを振り向く。

 銀色の仮面を被ったアイザックが、微笑みつつ私の頬をつついた。



「お姫様は、わたくしよりこの会場にご執心だとみえる」



「そんな、ことは!」



 顔を赤くした私にふふ、と笑みを零したアイザックは、満足気に右手を差し出した。



「さあ、わたくしだけのお姫様。一曲、ご一緒お願い出来ますか?」



 その優美さに見惚れながら、



「ええ」

 

 私は、アイザックの手を取った。







 初めこそ緊張したものの、アイザックが足を踏んでも良いと言ってくれてから、スムーズに踊れるようになった。

 アイザックの優しいリードと音楽に身を任せていると、自分の身体に羽根が生えたように感じる。



 ふと視線を上げると、アイザックの青い瞳がこちらを見つめていた。私もまた、見つめ返す。



 くるり。くるり。

 回る視界の中で、私が目にしているのは、アイザックだけ。それはまた、アイザックも同じで。



 まるで、二人だけの世界だ。

 優しくて、温かくて、素敵なアイザックと、世界で二人きり。

 ああ、それはきっと────。



「アイザック」

「ええ。ガーネット様」

「楽しいわね」

「…………ええ、本当に」



 私はいつの間にか、笑っていた。

 十数年ぶりの笑顔だから、きっと不自然だっただろう。

 だが今は、仮面がそれを隠してくれている。

 これ程、アイザックがくれた仮面に感謝したことは無かった。







 アイザックは、内心で、息を呑んだ。

 楽しいと、ガーネットがそう言ってくれるだけで満足するはずだった予定が、大幅に狂った。



 ただ、ガーネットの存在を隠しつつ、彼女の息抜きになればいい。その程度の軽い気持ちだったのに。



 まさか、満面の笑みを見せてくれるなんて。



 今では、金の仮面の存在が憎い。



 仮面のせいで、ガーネットの笑顔が完全には見えない。



 きっと、さぞ可愛かっただろう。仮面をつけている姿も美しいが、俺はそちらを見たかった。 

 

 アイザックは上の空でええ、と応じながら、己に芽生え始めた強い、強い欲を、無理やり心の奥底に押し込んだ。

 



 

 ガーネットはその晩、高熱を出して倒れた。