僕は雪村一颯、高校二年生。
茶色の髪に、真ん丸な目と幼い顔つき。そんな見た目だから高校二年生に見られたことがない。体も華奢だし、内気な性格だ。
とりわけ勉強や運動ができるわけでもない、平々凡々な高校生。
そんな僕が、数奇な体験をするきっかけとなったのは、子猫を見つけたことがきっかけだった。
今思えば、あの子猫との出会いが全ての始まりだった。
あの時、あの子猫を見つけていなければ、僕は今も平凡な毎日を過ごしていたことだろう。
僕の祖母が一人で暮らす家の庭の隅には、古くて立派な蔵がある。
木造の骨組みに厚い土壁を塗り、漆喰で仕上げられている。屋根には重厚な瓦が乗せられており、そのすぐ下の壁には家紋が描かれていた。
数年前に亡くなった祖父には『この蔵には陰間の怨霊が封印されている壺があるから、絶対に近寄ってはいけないよ』と、きつく言われていた。
かげまって、なに?と祖父に聞いたことがあったが、その言葉の意味を詳しく教えてもらえたことはなかった。
しかし幼い頃から『蔵に近寄ってはいけない』と言われてきた僕は、その教えを守り続けたし、これからもその言いつけを守っていくはずだった。
それは、僕が高校二年生に進級する、春休みの時のこと──。
僕は春休みの数日間、祖母の家に泊まりがけで遊びに来ていた。
蔵の近くにある立派な桜の木の蕾が膨らみ、もうすぐ開花する直前。それは起こった。
僕は、縁側で遊んでいる子猫を見つけた。少し前に野良猫が、祖母の家の軒下で何匹か子供を産んだと聞いていた。そしてその子猫たちは、みんな貰い手が見つかったって。
しかし、その子猫は一匹でいて、虫にちょっかいをかけたりしている。
(もしかして別の野良猫の……? いや……まさか、帰ってきちゃったとか?)
心配になってしまった僕は、無意識にその猫を視線で追いかける。するとその子猫は、蔵の中へと入っていってしまった。姿が見えなくなったのだ。
あの蔵は古いから、どこか子猫が入れるくらいの穴があったのかもしれない。
(あんな蔵に入っていって、出てこられなくなったら大変だ)
僕は蔵の近くに駆け寄って、外から「おいで、おいで」と呼んでみる。すると「ミーミー」という子猫の鳴き声が中から聞こえてきた。
(あ、やっぱり……)
嫌な予感は次から次へと的中してしまう。
本当なら蔵に入って子猫を助け出してあげたいところだけれど、祖父から『この蔵には絶対に入ってはいけない』と何度も言われている。
でも、子猫を放っておくことも気が引けるし……。
僕は心の中で葛藤する。
「蔵に入ってみよう」
そして導き出した答えがこれだった。
こんな令和の時代に、『陰間の怨霊』がいるなんて非科学的な話があるはずがない。
だって、人類は月面に降り立ったし、IPS細胞だって発見したのだ。
そんな時代に『陰間の怨霊』なんて……。
僕は心を決めて、蔵の中に入ってみることにした。
(蔵に入っても、壺にさえ触らなければ大丈夫だろう)
そう自分に言い聞かせながら──。
蔵の扉にそっと触れると、冷えた感触が伝わってくる。
「よし」
僕はもう一度気合いを入れなおして、鍵が壊れている蔵の扉をそっと押し開く。
軋む蝶番が、長い沈黙を破るかのように、重々しい音をたてた。観音開きの扉は左右にゆっくり開かれる。
その向こうに広がっていたのは、深い闇と、時間を閉じ込めたような埃の匂いだった。
手入れもされていない蔵の湿った土壁にはカビが点々と浮き、わずかな隙間から差し込む光さえも、不気味な影を長く引き伸ばす。
空気はひんやりと肌を撫で、吐いた息が白く見えるほどだ。
ただそこに『あの壺』があるというだけで、全身の毛穴がざわめくような、得体のしれない気配が満ちていた。
まるで、今まで触れてはいけないとされてきた世界の裏側が、今、目の前に姿を現したかのようだった。
僕はその雰囲気に思わず息を呑む。
「子猫ちゃん、どこにいるの?」
入り口から恐る恐る声をかけると、僕の声が冷たい蔵の中に響きわたる。
奥の方からは「ミーミー」という子猫の声が聞こえてきた。
「こっちにおいで」
何度か声をかけても、子猫は鳴き続けるだけで、出口の方にやってくる気配はない。
(仕方ない。行ってみよう)
僕は唇を噛み締め、蔵の中に一歩、また一歩と足を踏み入れる。
子猫の鳴き声は蔵の一番奥から聞こえてくる。
暗闇の中目を凝らすと、蔵の一番奥に設置されている棚の奥にうっすらと子猫の影が見えた。
(よかった)
僕は棚に手を伸ばし、子猫を呼んだ。
「おいで。一緒に外に行こう」
「ミーミー……」
その瞬間、子猫の影がフッと消える。
「……え?」
子猫の姿は消えたのに、子猫の声は蔵の中に響き渡っている。
(一体どういうことだ……)
僕は恐怖のあまり体が動かなくなってしまう。
僕が恐る恐る鳴き声がする方へ視線を移すと、札がたくさん貼られた壺が視界に飛び込んでくる。すぐ近くだ。手を伸ばせば届く距離にある。
「ミーミー」
猫の鳴き声は、この壺の中から聞こえてくる。
「嘘だろう……」
全身から血の気が一気に引いていく。体が震えて、言葉を発することさえできない。
「ミーミー」
「わぁぁぁぁ‼」
あまりの恐怖に、絶叫と共に急に動いたのが悪かった。その瞬間──。
僕の腕が壺に当たり、グラッと大きく傾いた。
(ヤバイ……!)
咄嗟に壺に手を伸ばしたが、あと少し間に合わず、壺はそのまま床へと落下する。
ガシャンという壺が割れた音が静かな蔵の中に響き渡った。
割れた壺の欠片が床に散乱し、風も吹いていないのに御札がひらひらと宙を舞う。
次の瞬間、壺の破片の間から黒い煙がずるりと這い出てきた。
それは蔵の薄暗い空気を瞬く間に飲み込み、ただの煙ではないと直感させる、冷たく湿った重みを伴っていた。
「な、なんだ、これ……」
僕は腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。
あまりの恐怖に、呼吸をすることさえ忘れてしまいそうだ。激しく高鳴る鼓動が耳元に響き渡った。
煙は形を変えながら、ゆっくりと人型へと凝縮していく。
朧げな輪郭のまま、それは、そこにいるとわかる。少年のようにも見えるが、その瞳の光は、この世のものではない。
僕の心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。皮膚が粟立つ。
それは知らないはずの、でもずっと奥底で感じていた恐怖が、ついに形を持って現れた瞬間だった。
「…………⁉」
体はガタガタと震え、助けを呼ぼうにも声を出すことさえできない。
尻もちをついたまま何とか後退るけれど、影のようなものは、僕に向かって近づいてくる。まるで、真っ黒な水性絵の具が少しずつ広がっていくように。
(殺される!)
咄嗟に目を閉じ、体を縮こませる。そんな僕の頭上から聞こえてきたのは、優しい少年の声だった。
『ねぇ、君大丈夫?』
「…………」
『大丈夫? 息している?』
「わぁぁぁぁ‼」
『え⁉ 何⁉ 急にびっくりした!』
僕のことを心配そうな顔で覗き込んできたのは、自分と同じ年くらいの少年だった。
桜の豪華な刺繡が施された華やかな振袖を着ており、長い髪を頭のてっぺんで綺麗に結わえている。
歳は僕と同じくらいだろうか?
何より僕を驚かせたのは、その少年の顔が僕とそっくりということだ。
少年は真ん丸な瞳を瞬かせ、興味深そうに僕のことを見つめている。
『君が私の封印を解いてくれたの? ありがとう』
「…………」
『なんで黙ってるの? 君、言葉を喋れないの?』
「…………」
『ねぇ、喋ることができるなら何か話してよ』
恐る恐る少年を見つめると、彼の足は地面に着いておらず、体は宙に浮いている。
服装も明らかに昔のものだ。
こいつがきっと、祖父が言っていた『陰間の怨霊』に違いない。僕はそう確信する。
(呪い殺されるかもしれない)
僕の全身から、血の気が引いていくのを感じた。
しばらくの間沈黙が続く。それは、終わりのない沈黙のように僕には感じられた。
お互い見つめ合っていたが、そいつは危害を加えてくるわけではなく、ただ僕を不思議そうに見つめている。
(こいつ、本当に怨霊なのか?)
僕の頭に浮かんでくる疑問。
もしかしたら……怨霊なんて、大袈裟なことを祖父は言ったんじゃないか? 僕はそう思い、恐る恐る声をかけた。
「お、お前は陰間の怨霊じゃないのか?」
『……確かに私は陰間だったけれど、別に怨霊じゃないよ』
「じゃあ、僕を呪い殺すとかもしないんだな?」
『呪い殺す? あははは! そんな物騒なことをするわけないでしょ? 私は怨霊なんかじゃないから安心して』
無邪気に笑う姿を見ていると、本人の言う通り怨霊なんかではない気がしてくる。
その少年はどちらかというと、明るくて元気で、優しいイメージだ。
僕の体から少しずつ力が抜けていくのを感じた。
「僕の名前は雪村一颯。君の名前は何ていうの?」
『私の名前は舞桜。でもこれは陰間をしていた時の名前で、両親から貰った名前は忘れちゃった』
僕が立ち上がり洋服の埃を払っていると、舞桜が少しだけ寂しそうに笑う。
「舞桜は怨霊には見えないけど、じいちゃんはなんで怨霊が閉じ込められているなんて言ったんだろう?」
『うーん……。怨霊ではないけれど、この世に未練を残して死んだことは確かだよ』
「未練?」
『そう。決して結ばれない人と恋に落ちて、一緒に心中したんだ』
「え……そうなんだ……」
『この世に未練を残してしまった私は成仏することができず、あの壺に封印されてしまった、ってわけ』
舞桜はあっけらかんと話すけれど、よく考えてみるととても悲しい話だ。
報われない恋をして、その人と心中をするなんて──。
『でも私は、その人をずっと探しているんだ。どんな形かはわからないけれど、また再会できると思ってる』
「そっか……」
『だからどうしてもあの壺から出たくて、蔵の外から人の気配がしたから、子猫のふりをして君をここに誘い出したんだ。ごめんね、騙すようなことをして』
「い、いや、気にしなくていいよ」
舞桜が申し訳なさそうに肩を竦めるものだから、僕は両手を顔の前で振る。
どう見ても、舞桜は怨霊なんて呼べるような幽霊じゃない。僕ははっきりとそう感じてしまう。
どうにか舞桜を成仏させてやりたい。
僕は心の底から思った。
「舞桜はどうすれば成仏できるの?」
そう問いかけると、舞桜が首を傾げながら考える。
舞桜は仕草に品があって、可愛らしい。そんな舞桜を見ていると、顔がよく似ているものだから、また違う自分を見ているようで恥ずかしくなってきてしまった。
『どうしたら成仏できるんだろう。わからないなぁ』
「じゃあ、手伝いのしようもないね」
『でも、私は成仏できないと困るんだ』
「え? なんで?」
急に慌てた様子を見せる舞桜。このままふわふわと良い霊として生きていくのもいいのではないかと僕は思うのだけれど……。どうやら、そうはいかない理由があるようだ。
『私のように封印が解かれてしまった霊は、成仏できずにある程度時間が経っちゃうと、それこそ、怨霊になってしまうんだよね』
「えっ、大変じゃないか。ある程度の時間って、どれくらいなの?」
『うーん……なんとなく、わかるのは……今は春になったところだよね。じゃあ、桜の花弁が散る頃だと思う』
「じゃあ、そんなに悠長なことをしている時間はないんだね」
『うん。私、怨霊なんかになりたくない……』
舞桜は着物をギュッと掴んだまま俯いてしまう。
僕だって舞桜を成仏させてやりたいと思う。でも、一体どうすればいいのだろうか?
「あ、そうだ」
その時、ある人物の顔が頭を過る。
あの人だったら、舞桜を成仏させることができる方法を知っているかもしれない。
「舞桜がどうすれば成仏できるかわかる人がいるかもしれない」
『本当に?』
「でも、舞桜はこの蔵から出ることはできるの?」
『どうだろう? あの壺に封印されてから、外に出たことがないから』
「そっか。じゃあとりあえず僕についてきて」
『わかった』
僕は舞桜を成仏させてあげるんだ。
そんな思いを込めて、閉ざされた蔵の扉を再び開いたのだった。
◇◆◇◆
『わぁ、眩しい。日差しって、こんなにも眩しかったんだね』
蔵から出た瞬間、舞桜が両手で顔を覆う。
舞桜は僕と一緒に蔵から出ることができた。しかし辺りを散策しようと僕から離れると、凄い力で僕の方に引き寄せられてしまう。どうやら、僕から離れることはできないらしい。
仕方なく、僕の近くを風船のようにフワフワと浮いている。
「そういえば、舞桜って、いつの時代の人なの?」
『時代? えーっと……徳川様が治めていた頃だね』
「徳川……え、っていうことは江戸? もう何百年も前じゃないか?」
『何百年? 私はそんなにもあの壺の中で眠っていたんだ』
舞桜にしてみたら全てが見たことがない物らしく、目を輝かせながら辺りを見渡している。
『一颯、あれは何?』とまるで小さな子どものように目を輝かせながら、問いかけてくる。
それは自動車だったり、自動販売機だったり……。
舞桜の『あれは何?』という質問の連続に、僕は思わず苦笑いしてしまった。
「舞桜、これから行くのは月影柊羽先生っていう小説家のお宅だよ」
『その人は私がどうすれば成仏できるのかを知っているの?』
「わからないけど、月影先生は歴史物やホラー小説も書いているから、もしかしたら知ってるかな?って。しかも月影先生は霊感が強いらしいから、舞桜のことが見えるかもしれないよ」
『そうなんだ。その人が、私が成仏できる方法を知っているといいな』
「そうだね」
微笑む舞桜に僕は頷き返す。
その後も舞桜の『あれは何?』という質問に答えながら、月影先生の家へと向かった。
月影先生のお宅に着いて、まずはインターホンを押してみる。月影先生は僕の父親と同級生で仲がよかったから、このお宅には何度も来たことがある。
でも、連絡もなしに突然訪問してしまい迷惑ではないか? と少しだけ不安だった。
彼は売れっ子の小説家だから、昼夜関係のない生活を送っている。だから、もしかしたら寝ているかもしれない。
全く応答がないものだから「また出直そう」と、祖母の家へと引き返そうとした時、背後から「一颯君」と呼ばれた気がした。僕が振り返ると、スウェットに身を包んだ月影先生が、玄関からひょっこり顔を出している。
(よかった。月影先生に会えて)
僕はホッと胸を撫で下ろす。
「突然お邪魔してすみません」
「いいよ、別に。今は起きてたから。でも、急にどうしたんだい?」
「ちょっと、月影先生に聞きたいことがあって……」
「へぇ、珍しいこともあるもんだ。じゃあ寄ってきな」
「すみません」と僕が頭を下げると、月影先生が僕の頭上を見てふと微笑む。
「お前さんも寄っていきな」
どうやら月影先生には舞桜の姿が見えるらしい。
(何か、手掛かりが見つかるかもしれない)
僕の胸は期待で高まった。
月影先生のお宅は、古い日本家屋だ。
玄関をくぐると、磨き上げられた床がキュッと鳴り、ほのかな木の香りが心を落ち着かせる。縁側からは、手入れの行き届いた小さな庭が見渡せる。
庭にはまだ蕾を多くつけた立派な桜の木が見えた。
「散らかってるけど、どうぞ」
「あ、はい。すみません」
通された和室には、たくさんの本が散乱している。先ほどまで小説を書いていたのだろうか? パソコンから青白い光が放たれていた。
何から話そう……。
僕が頭の中で試行錯誤していると、月影先生がまた僕の頭上を見てにっこり笑った。
月影先生は自分の父親と同じ四十代だけれど、小説家の先生というだけあって貫禄がある。僕はその威厳に満ちた笑みに、背筋が伸びる思いがした。
「もしかして、一颯君が聞きたいことって、隣にいる彼のことだったりする?」
「え? やっぱり月影先生にも舞桜が見えてるんですか?」
「彼、舞桜っていうんだ。ボクは少しだけ霊感があるから、うっすらと舞桜君の姿が見えるよ。君に似た着物を着た少年だ」
「凄い! そうなんです。舞桜は江戸時代に生きていた陰間さんで……」
「陰間? へぇ。舞桜君は陰間をしていたんだ? 可愛い風貌をしているから、これは一つ手合わせをお願いしたいものだね」
「え?」
月影先生は舞桜を眺めながらニコニコしているし、舞桜は舞桜で頬を赤らめながら照れ臭そうに笑っている。
一人だけ会話に入れない僕は、月影先生に尋ねた。
「手合わせって、囲碁とか将棋ですか?」
「あれ? もしかして一颯君、陰間って何をしていた人たちか知らないのかい?」
「はい。じいちゃんには『陰間の怨霊が封印してある壺がある』とだけしか聞いてないので」
僕は、今までの経緯を月影先生に話した。彼は興味深そうに「ふむふむ」と相槌を打ちながら真剣に話を聞いてくれる。
それから、僕の方を見て意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほどね。初心な一颯君には刺激が強い話かもしれないけど、陰間っていうのは体を売ってお金を稼いでいた少年たちのことだよ」
「体を、売る?」
「そう。陰間は江戸時代に陰間茶屋と呼ばれるところで、主に男を相手に性的なサービスをしていた少年たちさ。だから、舞桜君は可愛らしい見た目をしているから、お相手願いたいなって」
「そ、そんな……」
僕は月影先生の言葉に驚愕してしまう。
こんなに可愛らしい見た目をした舞桜が、同性相手にそんなことをしていたなんて……。僕は陰間と呼ばれた人たちは、ただの役者だと思っていたのだ。
(舞桜、そんな経験をしていたんだ)
そんなこと、今でいう売春ではないか……。
そう思うと、心がギュッと締め付けられる。
「それで、ボクに聞きたいことって何かな?」
「あ、えっと……」
舞桜のことを考えていると、突然月影先生に声をかけられ、僕はハッと我に返る。
そうだ、僕は大切なことを月影先生に聞かなくてはならないのだ。
「舞桜が言うには、桜が散るまでに成仏しないと、怨霊になってしまうそうなんです」
「へぇ、怨霊に?」
「はい。だから僕は舞桜をどうにか成仏させてあげたいんです。でも、どうしたらいいかわからなくて……。月影先生なら何かわかるんじゃないかと思って、ここに来ました」
「なるほど。要件はわかったよ」
そう言うと月影先生は、顎に手を当てて目を閉じる。そんな月影先生を「どうにか舞桜を救ってほしい」という願いを込めて見つめた。
しばらくそうして何かを考え込んだ後、月影先生はポツリポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「歴史や心霊について色々研究しているボクの見解だけれど……」
「はい。どうしたらいいでしょうか?」
僕は思わず体を乗り出した。
「大概成仏できない霊っていうのは、この世に未練があることが多いんだ。だから、その未練を晴らしてあげれば、舞桜君は成仏できるんじゃないかな?」
「未練を晴らす?」
「そう。舞桜君に、話を聞いてみるといい。きっと彼には、とても強い未練があると思うんだ」
「なるほど……」
舞桜の未練を晴らす、か……。
僕は確認するかのように、心の中でその言葉を呟く。
「残念ながら、ボクは舞桜君と話すことはできなそうだから。二人できちんと話し合ってごらん?」
「はい、わかりました」
「困ったことがあれば、またここに来ればいいさ」
「ありがとうございます」
僕は月影先生に向かって頭を下げる。
もしかしたら、舞桜を成仏させてあげられることができるかもしれない。そう思うと心が躍る。
一歩前進できたことが、嬉しくて堪らなかった。
◇◆◇◆
僕は舞桜を連れて祖母の家へと帰路につく。
何も言わずに祖母の家を飛び出してしまったから、帰りの遅い僕のことをきっと祖母は心配していることだろう。
祖母の家に向かう途中の橋の上で、舞桜が『わぁ』と溜息交じりの声を出す。
なんだ?と思い舞桜の視線を追えば、太陽が地平線の向こうへと沈んでいく寸前だった。
『夕陽はいつの時代も変わらないんだね』
川面に揺れる光が、まるで心の奥底を映し出すかのように、キラキラと輝いている。
茜色の光が、舞桜の横顔を優しく照らし、その表情は夕陽にも劣らないほど美しく見えた。
「ねぇ、舞桜」
『ん? なに?』
「君の未練ってなんなの?」
『……私が、果たせなかった未練はね……』
僕が夕陽を見つめる舞桜に声をかけると、少しだけ驚いたような顔をしてから笑う。
舞桜の顔が赤く見えるのは、夕陽のせいだけではないだろう。
『私の未練は、共に命を絶った恋人、禅さんと再会すること。それから……』
「それから?」
『もう一度、禅さんと契りを交わすことだよ』
舞桜が着物で口元を抑えて照れ臭そうにクスクスと笑う。そんな姿も可愛らしい。
しかしここで、僕の中で新たな疑問が生まれた。
「じゃあもし、舞桜が禅さんと再会できたら、契りを結べるのかい?」
『ううん。私の体はもうないから、誰かの体を借りて契りを結ぶことになると思う』
「誰かの体って、誰の体を借りるの?」
『うーん、分からない。それに禅さんに会えたとしても、正直私はどうしたらいいのかわからないんだ』
「そっか……」
『でも私は、もう一度禅さんに会いたい。会って契りを結びたい』
そう話す舞桜は今にも泣き出しそうに見えた。
僕は今まで生きてきた中で、本気で誰かを好きになったことがない。だから、舞桜の気持ちの全てをわかってあげることはできないけれど、彼の切ない思いだけは痛いほど伝わってくる。
「禅さんってどういう人だったの?」
『禅さん? 禅さんはね……うふふ。とっても優ししい人だった。それに背も高くて、顔立ちも整っていたよ』
「へぇ」
禅さんのことを話す舞桜はとても幸せそうに見えた。しかし、その笑顔が突然消えてしまう。
『でも、禅さんは有名な呉服店の長男だった。一方私は陰間……。身分の違い過ぎる私たちが、結ばれることなんてなかったけどね』
「舞桜……」
『だから、禅さんが陰間茶屋に会いに来てくれた日は、本当に幸せだった。私は、今でも禅さんが大好きなんだ』
舞桜は僕に向かって笑いかけるけれど、僕にはその笑顔が痛々しく見える。
「そっか。じゃあ、また会えるといいね」
『うん。でも、一颯が禅さんを探すことを手伝ってくれなきゃ。もし手伝ってくれなかったら、一颯を呪ってやるからね』
「え? それ本気で言ってるの?」
『あははは! 嘘に決まってるでしょ』
「なんだよ、それ。でも、もちろん禅さんを探すことは手伝うよ」
『本当? ありがとう』
こんな風に無邪気に笑う舞桜を見ていると、禅さんと無事再会して、成仏をしてほしいと思う。
僕は舞桜と二人で色々な話をしながら、祖母の家へと向かったのだった。



