「よくもまあ、そんな名をつけたな。お菊をこのような姿にしたのはお前たちだろう」
「うちの不出来な娘が申し訳ありません!」
「お父様!?」
「きつく叱っておきます。どうか、どうかご容赦ください」
ただ謝るしかない伯父を見て、祖母が生きていた頃にへこへこしていた姿を思い出した。
この人は、謝れば許されてきたのだろう。私はどんなに謝っても許してもらえなかったのに。
あかぎれで荒れた指先で、胸元をそっと抑える。
伯父と牡丹がどんな目にあおうと、私の知ったことではない。そう切り捨てることができたら、どんなに楽だろうか。でも、それはこの柳屋を失うということ。
ぱたぱたと涙がこぼれてきた。
「賀之助さん……伯父を許してあげてください」
「お菊?」
「こんな人でも、柳屋の主なんです。ここは祖母が守った店で、たくさんの奉公人がいて、だから……」
私が頼んだくらいで賀之助さんの気持ちを変えられるのか。
不安を抱きながらも、ここで伯父たちを見捨てたら、私も伯父と変わらない非道な人間に落ちるような気がした。だから、繰り返し「お願いします」と乞うしかなかった。
賀之助さんの口から深い溜息が零れた。
「菩薩でもなければ、非道なあんたを許したりはしないだろう。……可愛い菩薩の頼みとあれば、聞かないわけにはいかないが」
淡々と告げられる言葉を、伯父はどんな思いで聞いているのだろう。畳に額をこすりつけたまま、その肩を震わせている。
「支度金は軽く見積もって千両。柳屋さん、用意できるのかい?」
さらりと流れでた言葉に、思わず「千両!?」と声を上げたのは、私だけでなかった。同じように叫んだ伯父と牡丹も、目がこぼれんばかりの顔をこちらに向けている。
「婚礼の家具に衣装は当然だが、養子縁組にも持参金が必要だ。可愛い姪の幸せを買えるんだ、安いもんだろう? まあ、用意できないっていうなら、俺が立て替えてやらんこともないが」
脂汗をかく伯父に冷ややかな視線を向けた賀之助さんは、私を抱え直すと「返答は明日、聞かせてもらおう」といい、踵を返した。
立ち去る座敷から牡丹の金切り声が聞こえてきたけど、賀之助さんは気にも留めなかった。
薬の匂いが染み付いた暗く沈んだ柳屋を出て、すっかり日の沈んだ通りに出る。
暗い夜道、いくら人通りが少なくなったとはいえ、密着したままなことに気恥ずかしさが拭えない。それに、ほんのりと漂ってくる白檀の香りが、胸の奥をざわめかせる。
だけど、賀之助さんは周囲の視線を気にもせず、ただ黙々と歩いた。
なにも語らずに辿り着いたのは、夜になっても華やいだ賑わいを見せる錦町だった。その一角にある八雲堂の脇木戸をくぐると、内玄関を照らす温かな提灯の明かりが迎えてくれた。
賀之助さんが戸を引くと、ひと際大きくガタガタと引き戸が鳴る。すると、静寂に包まれていた内玄関の向こうから足音が聞こえてきた。
「賀之助さん、戻ったのかい。柳屋さんとちゃんと話しを──お菊ちゃん!?」
手燭をかかげて現れた賀之助さんの母、おみつさんが私を見て目を丸くした。
「すまないがお菊を頼む」
「頼むって……お菊ちゃん、素足じゃないか。まずは、お上がり」
さあと促されるも、汚れた足で上がることを躊躇ってしまう。
「気にせず上がれ」
「でも……」
「おっかさん、まずはお菊を風呂に入れて、なにか食わせてやってくれ」
「それは構わないけどね。柳屋さんでなにがあったんだい。まさか、喧嘩を吹っかけてやしないよね?」
おみつさんに促されるようにして板の間へ上がると、木戸が再びガタンッと鳴った。
「どこに行くんだい?」
「……今夜は久世様と会う約束をしている。お菊、まずは休め。話はまた明日だ」
短い沈黙はなにを意味したのか。
おみつさんが「ちょっとお待ち!」と引き留めるのを聞かず、賀之助さんは戸を閉めて出ていってしまった。
「まったくあの子には困ったもんだ。やっと嫁を迎える覚悟をしたかと思えば、変わらず久世様のお屋敷通いとはね……」
おみつさんの言葉に、胸の奥がざわめいた。
久世様──初めて耳にする名だけど、どなたなのだろう。おみつさんの口ぶりからすると、ずいぶん親しくされているようだけど。
「お菊ちゃん、まずは湯で温まっとくれ。いろいろ大変だったろうけど、もう心配ないからね」
差し出された温かな手を握り、閉ざされた戸を振り返った。
どうして私を助け出してくれたのか、私なんかのために千両も出す気になったのか、聞きたいことは山ほどあった。だけど、当の賀之助さんはそこにいない。
胸に忍ばせている酒饅頭を探るよう、そっと胸元のに手を寄せた。
「うちの不出来な娘が申し訳ありません!」
「お父様!?」
「きつく叱っておきます。どうか、どうかご容赦ください」
ただ謝るしかない伯父を見て、祖母が生きていた頃にへこへこしていた姿を思い出した。
この人は、謝れば許されてきたのだろう。私はどんなに謝っても許してもらえなかったのに。
あかぎれで荒れた指先で、胸元をそっと抑える。
伯父と牡丹がどんな目にあおうと、私の知ったことではない。そう切り捨てることができたら、どんなに楽だろうか。でも、それはこの柳屋を失うということ。
ぱたぱたと涙がこぼれてきた。
「賀之助さん……伯父を許してあげてください」
「お菊?」
「こんな人でも、柳屋の主なんです。ここは祖母が守った店で、たくさんの奉公人がいて、だから……」
私が頼んだくらいで賀之助さんの気持ちを変えられるのか。
不安を抱きながらも、ここで伯父たちを見捨てたら、私も伯父と変わらない非道な人間に落ちるような気がした。だから、繰り返し「お願いします」と乞うしかなかった。
賀之助さんの口から深い溜息が零れた。
「菩薩でもなければ、非道なあんたを許したりはしないだろう。……可愛い菩薩の頼みとあれば、聞かないわけにはいかないが」
淡々と告げられる言葉を、伯父はどんな思いで聞いているのだろう。畳に額をこすりつけたまま、その肩を震わせている。
「支度金は軽く見積もって千両。柳屋さん、用意できるのかい?」
さらりと流れでた言葉に、思わず「千両!?」と声を上げたのは、私だけでなかった。同じように叫んだ伯父と牡丹も、目がこぼれんばかりの顔をこちらに向けている。
「婚礼の家具に衣装は当然だが、養子縁組にも持参金が必要だ。可愛い姪の幸せを買えるんだ、安いもんだろう? まあ、用意できないっていうなら、俺が立て替えてやらんこともないが」
脂汗をかく伯父に冷ややかな視線を向けた賀之助さんは、私を抱え直すと「返答は明日、聞かせてもらおう」といい、踵を返した。
立ち去る座敷から牡丹の金切り声が聞こえてきたけど、賀之助さんは気にも留めなかった。
薬の匂いが染み付いた暗く沈んだ柳屋を出て、すっかり日の沈んだ通りに出る。
暗い夜道、いくら人通りが少なくなったとはいえ、密着したままなことに気恥ずかしさが拭えない。それに、ほんのりと漂ってくる白檀の香りが、胸の奥をざわめかせる。
だけど、賀之助さんは周囲の視線を気にもせず、ただ黙々と歩いた。
なにも語らずに辿り着いたのは、夜になっても華やいだ賑わいを見せる錦町だった。その一角にある八雲堂の脇木戸をくぐると、内玄関を照らす温かな提灯の明かりが迎えてくれた。
賀之助さんが戸を引くと、ひと際大きくガタガタと引き戸が鳴る。すると、静寂に包まれていた内玄関の向こうから足音が聞こえてきた。
「賀之助さん、戻ったのかい。柳屋さんとちゃんと話しを──お菊ちゃん!?」
手燭をかかげて現れた賀之助さんの母、おみつさんが私を見て目を丸くした。
「すまないがお菊を頼む」
「頼むって……お菊ちゃん、素足じゃないか。まずは、お上がり」
さあと促されるも、汚れた足で上がることを躊躇ってしまう。
「気にせず上がれ」
「でも……」
「おっかさん、まずはお菊を風呂に入れて、なにか食わせてやってくれ」
「それは構わないけどね。柳屋さんでなにがあったんだい。まさか、喧嘩を吹っかけてやしないよね?」
おみつさんに促されるようにして板の間へ上がると、木戸が再びガタンッと鳴った。
「どこに行くんだい?」
「……今夜は久世様と会う約束をしている。お菊、まずは休め。話はまた明日だ」
短い沈黙はなにを意味したのか。
おみつさんが「ちょっとお待ち!」と引き留めるのを聞かず、賀之助さんは戸を閉めて出ていってしまった。
「まったくあの子には困ったもんだ。やっと嫁を迎える覚悟をしたかと思えば、変わらず久世様のお屋敷通いとはね……」
おみつさんの言葉に、胸の奥がざわめいた。
久世様──初めて耳にする名だけど、どなたなのだろう。おみつさんの口ぶりからすると、ずいぶん親しくされているようだけど。
「お菊ちゃん、まずは湯で温まっとくれ。いろいろ大変だったろうけど、もう心配ないからね」
差し出された温かな手を握り、閉ざされた戸を振り返った。
どうして私を助け出してくれたのか、私なんかのために千両も出す気になったのか、聞きたいことは山ほどあった。だけど、当の賀之助さんはそこにいない。
胸に忍ばせている酒饅頭を探るよう、そっと胸元のに手を寄せた。


