八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 行燈の火が消えると、あたりは暗闇になる。
 すぐ横で衣擦れの音がした。賀之助さんも横になったのだろう。そっと寝返りを打ち、暗闇の中にその顔を探してみる。すると、薄い掛布団の上で、なにかがもぞもぞと動いた。
 小さく「なー」と鳴き声がする。

 どうやら、私と賀之助さんの間に雪丸が場所を確保したらしい。
 子を授かる前に、猫、それも二又の妖と川の字を作る日がこようとは。考えたらおかしくて、つい小さく笑い声をこぼしてしまった。

「なにか、おかしなことでもあったか?」
「ふふっ……いえね。川の字だなと思って」
「退かすか」

 どこか不快そうな声音がそういえば、布団の上で尻尾がしたんしたんっと揺れる。威嚇するような鳴き声こそ上げないが、やめろとでもいっているのだろう。それがまた、おかしくてたまらない。

「そのままにしてあげてくださいな」
「……雪丸に甘すぎやしないか、お菊?」
「いいじゃないですか。子ができた時の練習になりましょう」

 いいながら、赤子と猫では大きさが違いすぎるけどと思えば、またおかしさが込み上げてくる。それに、雪丸もどういうわけか、不機嫌そうに尻尾をたしんっと私に打ち付けた。

 猫の考えることなどわかりはしないが、人の子ではないとでもも主張されたのだろうか。そう考えたら、なんだか申し訳ない気がしてくる。

 暗闇に慣れてきた目で雪丸の姿を探し、指先をそっと伸ばす。柔らかい毛並みに触れるとすぐに、すりすりと指先に小さな顔がこすりつけられた。
 二人と一匹ですごす夜は、なんて穏やかなんだろう。

 あたたかい毛並みを撫でながら、もう一人じゃないんだなと改めて実感した。

「賀之助さん……私、父の顔を知らないんです。幼い頃は母と二人で布団を並べ、その母が世を去ってからはずっと一人でした」

 祖母が生きていた頃、どうしても寂しくて寝られない日だけ、そっと部屋を訪ねたこともあった。でも、年頃の娘になればそれも恥ずかしくなり、いつしか寂しい一人寝にもなれた。

「祖母が世を去ってからは、一人の夜を寂しいなんていっていられなかった。毎日を生きるのが精いっぱいだったから」

 とつとつと出てくる言葉に、賀之助さんは黙って耳を傾けている。いつしか雪丸の尻尾も鎮まり、座敷に響くのは私の声だけになっていた。

「私は一人で年老いて、一人で死んでいくんだと思ったら、さっさとお迎えが来やしないかって思う時もありました」

 川面に映ったみすぼらしい姿を見ては、何度、身投げを考えただろう。でも、実際はできなかった。
 衣擦れの音がして、布団の中に入った手が温かな指に握られた。

「賀之助さんに命を粗末に扱うなといわれましたよね」
「……ああ、柳屋にお前を迎えにいった日か」
「ええ。あの時だって、身投げをしようとしたわけじゃないんですよ。そんな勇気もなかったし」

 脚気にでもなればいいとか考えながらも、死ぬのは怖かった。眼鏡を外すたびに、私にあの黒い影が忍び寄るんじゃないかと、いつだって怯えていた。
 再び衣擦れの音がして、私に寄り添うよう近づく賀之助さんの気配がした。

「あの日の酒饅頭で、私の心は満たされてしまったんです。安い女ですよね」

 高い反物でも綺麗な簪でもなく、食べたらなくなってしまう一つ五文かそこらの饅頭が、私の冷えた心を温めてくれた。あれがあったから、望みも持てた。
 つい数か月前のことなのに、ずいぶんと遠い昔のようだ。

「安い女なものか。千両かけたのを忘れたのか」
「あ……でも、それに負けないくらい、あの酒饅頭は美味しかったんです」

  大げさかなと呟くと、賀之助さんは小さく笑った。

「お前の命を繋げるなら、なんだって買ってやる」
「じゃあ、また、酒饅頭を食べに連れていって下さい」
「そんなんでいいのか?」
「ふふっ、来年の川開きの花火を見ながら食べるのもいいかなって」
「お安いご用だ」

 口元を緩めた賀之助さんは、不意に私の高枕をひょいっと退かした。そうして、首の後ろに腕を回すと、肩に手をかけて少し強引に抱き寄せる。
 吐息を感じるほどの距離になり、私たちに挟まれた雪丸が驚いた声を上げ、布団から飛び出した。

「賀之助さん、雪丸が」
「放っておけ」

 そうはいっても、また賀之助さんと睨み合いになるのではないか。考えだしたら、足元が気になってしまう。少し身をよじってみるも、雪丸の姿が見当たらなかい。でも、抗議の鳴き声が聞こえてくることはなかった。
 雪丸を気にしているのが、賀之助さんにも伝わったのだろう。耳元で小さな溜息が零れ、さらに傍へ来いといわんばかりに引き寄せられた。