石燈籠に灯る青い火が、ふっと消えた。
幽世へ通じる光の扉が閉ざされ、光の柱は池の中へと消えてゆく。
足袋のまま庭に飛び出し、池を囲む大きな石にそっと手をついて覗き込んでみた。
揺れる水面に静かな月が映っている。
ほっと安堵の息をつきながら、ほんの少し寂しさを覚えた。
「……行ってしまったのね」
「寂しいか?」
ぽんっと肩に手が置かれた。振り返ると、月明かりを浴びた賀之助さんが、いつもと変わらず感情の読めない顔でそこにいた。
「不思議ですね。今日知り合ったばかりなのに」
共にすごしたのは半日のも満たないのに、赤の他人とは思えず、二人の幸せを願った。今でもそれは変わらない。
そう思うのは、まるで読本にでてくるような大立ち回りを共にしたからか。あるいは、今生の別れに感じているからなのかも。
夜風に揺れた木々がさわさわと囁いた。
「また会えるのでしょうか?」
「難しいかもしれんな」
「そうですか……せっかく本当の名をお聞きしたのに、残念ですね」
マリさんが私に伝わるよう言葉を紡いだ姿と、宵一さんが去り際に名乗った姿をふと思い出す。すると、賀之助さんは少し笑い声をこぼした「本当の名か」と呟いた。
そんなおかしなことをいったかしら。
小首を傾げると、賀之助さんは夜空へと目を向けた。
「俺たちの子孫が、あの二人に会う日がくるかもしれん」
「私たちの……」
そうなったら嬉しいと思うと同時に、少しだけ恥ずかしさを感じて頬が熱くなる。
吹き抜けた風に木々がざわめき、池の水面に映った月が揺れた。
賀之助さんと並んで池に映る月を眺めていると、こほんっと咳払いが聞こえた。
「お菊、そのように足袋のまま土を踏むのはどうかと思うぞ」
「えっ……あ、これはそのっ!」
はっとして足元を見た私が慌てると、晃照様は楽しそうな笑みを浮かべて「賀之助、手を焼くであろう」といった。それに賀之助さんはというと、特に表情も変えず、涼しい顔で「そうですね」なんて頷く。
これは勢い余っただけで、いつもはちゃんと履物に指を通しています。と反抗したい気持ちもあったが、恥ずかしさが勝ってついつい俯いてしまった。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだろう。
「今夜はもう遅い。二人とも、泊ってゆけ」
部屋はもう整えてあるからといった晃照様は「ゆっくり休むとよい」といいながら歩き出す。
礼を口にして、その後ろをついていこうとした時だった。賀之助さんに肩を掴まれた。どうしましたかと問う間もなく足が宙に浮き、彼の逞しい腕に抱え上げられた。
「──賀之助さん!?」
「月が出ているとはいえ、足元が暗い。その足で歩いて怪我でもされたら困るからな」
「で、でも……」
こんな密着した姿を晃照様に見られるのは、さすがに恥ずかしい。賀之助さんの耳元で「晃照様の前ではしたのうございます」と囁くと、小さく噴き出して笑われた。
「足袋のまま庭を走る方がよっぽど、はしたないだろう」
「そ、それは……」
「そのまま大人しくしていろ。なに、久世様と月の他には誰も見ていない」
それは、そうかもしれないけど。
間近にある賀之助さんの涼しい顔を見ながら、緊張で胸を高鳴らせているのは私ばかりな気がしてきた。
ふと、マリさんを抱えて幽世へ向かった宵一さんの姿が脳裏に蘇った。それから、柳屋から賀之助さんが私を連れ出してくれた時のことも。
「殿方は、恥ずかしくないのですか?」
「なんの話だ?」
「その……宵一さんもマリさんを抱き上げてました。それに賀之助さんは、私を柳屋から連れ出した時も」
どれも昼間の出来事でないとはいえ、他人に抱き上げられる姿を見られている。
手を繋いだり、肩を抱かれて歩くのだって、見られでもしたら恥ずかしい。だから、こんな姿を外で晒しただなんて、思い出すたびに恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
「烏天狗がどうかは知らないが、俺は気分がいい。だが、お天道様の下じゃ都合が悪いのも事実だな」
「……はい?」
「まあ、お月さんは見逃してくれるだろうよ」
そういった賀之助さんは、月に照らされてできた建物の陰に入ると 足を止めた。端正な顔が、そっと近づく。
「どういう意味……」
尋ねる言葉は、唇に触れた熱く柔らかな唇に飲み込まれた。
唇はすぐに離れたけど、顔が近いままだった。
歩き出した賀之助さんの顔に月明かりがさし、どことなく幸せを噛みしめたような笑みが浮かぶ。視線がぶつかり、つい今しがた重なった吐息がまざまざと蘇った。
頬だけでなく耳まで火照り、胸の内がざわめきだす。
「俺はいつだって、お菊を抱きたいと思ってるって話だ」
それは抱くの意味が違うのではないだろうか。
言い返す言葉が出てくることはなく、恥ずかしいやら呆れるやらで、ますます頬が熱くなった。
少し離れたところから「二人とも、なにをしておる」と晃照様の声がした。
「月を愛でておりました」
涼しい顔でいった賀之助さんは、私をしっかり抱きしめたまま再び歩き出した。
幽世へ通じる光の扉が閉ざされ、光の柱は池の中へと消えてゆく。
足袋のまま庭に飛び出し、池を囲む大きな石にそっと手をついて覗き込んでみた。
揺れる水面に静かな月が映っている。
ほっと安堵の息をつきながら、ほんの少し寂しさを覚えた。
「……行ってしまったのね」
「寂しいか?」
ぽんっと肩に手が置かれた。振り返ると、月明かりを浴びた賀之助さんが、いつもと変わらず感情の読めない顔でそこにいた。
「不思議ですね。今日知り合ったばかりなのに」
共にすごしたのは半日のも満たないのに、赤の他人とは思えず、二人の幸せを願った。今でもそれは変わらない。
そう思うのは、まるで読本にでてくるような大立ち回りを共にしたからか。あるいは、今生の別れに感じているからなのかも。
夜風に揺れた木々がさわさわと囁いた。
「また会えるのでしょうか?」
「難しいかもしれんな」
「そうですか……せっかく本当の名をお聞きしたのに、残念ですね」
マリさんが私に伝わるよう言葉を紡いだ姿と、宵一さんが去り際に名乗った姿をふと思い出す。すると、賀之助さんは少し笑い声をこぼした「本当の名か」と呟いた。
そんなおかしなことをいったかしら。
小首を傾げると、賀之助さんは夜空へと目を向けた。
「俺たちの子孫が、あの二人に会う日がくるかもしれん」
「私たちの……」
そうなったら嬉しいと思うと同時に、少しだけ恥ずかしさを感じて頬が熱くなる。
吹き抜けた風に木々がざわめき、池の水面に映った月が揺れた。
賀之助さんと並んで池に映る月を眺めていると、こほんっと咳払いが聞こえた。
「お菊、そのように足袋のまま土を踏むのはどうかと思うぞ」
「えっ……あ、これはそのっ!」
はっとして足元を見た私が慌てると、晃照様は楽しそうな笑みを浮かべて「賀之助、手を焼くであろう」といった。それに賀之助さんはというと、特に表情も変えず、涼しい顔で「そうですね」なんて頷く。
これは勢い余っただけで、いつもはちゃんと履物に指を通しています。と反抗したい気持ちもあったが、恥ずかしさが勝ってついつい俯いてしまった。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだろう。
「今夜はもう遅い。二人とも、泊ってゆけ」
部屋はもう整えてあるからといった晃照様は「ゆっくり休むとよい」といいながら歩き出す。
礼を口にして、その後ろをついていこうとした時だった。賀之助さんに肩を掴まれた。どうしましたかと問う間もなく足が宙に浮き、彼の逞しい腕に抱え上げられた。
「──賀之助さん!?」
「月が出ているとはいえ、足元が暗い。その足で歩いて怪我でもされたら困るからな」
「で、でも……」
こんな密着した姿を晃照様に見られるのは、さすがに恥ずかしい。賀之助さんの耳元で「晃照様の前ではしたのうございます」と囁くと、小さく噴き出して笑われた。
「足袋のまま庭を走る方がよっぽど、はしたないだろう」
「そ、それは……」
「そのまま大人しくしていろ。なに、久世様と月の他には誰も見ていない」
それは、そうかもしれないけど。
間近にある賀之助さんの涼しい顔を見ながら、緊張で胸を高鳴らせているのは私ばかりな気がしてきた。
ふと、マリさんを抱えて幽世へ向かった宵一さんの姿が脳裏に蘇った。それから、柳屋から賀之助さんが私を連れ出してくれた時のことも。
「殿方は、恥ずかしくないのですか?」
「なんの話だ?」
「その……宵一さんもマリさんを抱き上げてました。それに賀之助さんは、私を柳屋から連れ出した時も」
どれも昼間の出来事でないとはいえ、他人に抱き上げられる姿を見られている。
手を繋いだり、肩を抱かれて歩くのだって、見られでもしたら恥ずかしい。だから、こんな姿を外で晒しただなんて、思い出すたびに恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
「烏天狗がどうかは知らないが、俺は気分がいい。だが、お天道様の下じゃ都合が悪いのも事実だな」
「……はい?」
「まあ、お月さんは見逃してくれるだろうよ」
そういった賀之助さんは、月に照らされてできた建物の陰に入ると 足を止めた。端正な顔が、そっと近づく。
「どういう意味……」
尋ねる言葉は、唇に触れた熱く柔らかな唇に飲み込まれた。
唇はすぐに離れたけど、顔が近いままだった。
歩き出した賀之助さんの顔に月明かりがさし、どことなく幸せを噛みしめたような笑みが浮かぶ。視線がぶつかり、つい今しがた重なった吐息がまざまざと蘇った。
頬だけでなく耳まで火照り、胸の内がざわめきだす。
「俺はいつだって、お菊を抱きたいと思ってるって話だ」
それは抱くの意味が違うのではないだろうか。
言い返す言葉が出てくることはなく、恥ずかしいやら呆れるやらで、ますます頬が熱くなった。
少し離れたところから「二人とも、なにをしておる」と晃照様の声がした。
「月を愛でておりました」
涼しい顔でいった賀之助さんは、私をしっかり抱きしめたまま再び歩き出した。


