八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 それからしばらく、晃照様が幽世について話しをしてくれた。
 瑞江戸とそう変わらず町があることや、そこを納めているのが妖の者たちであること。異国の妖もいれば、人もいる。諍いはあるが、大きな戦などはなく瑞江戸を鏡に映したような場所だそうだ。
 話を聞きながら、白雲斎先生の『あやかし往来』のように思えた。

「いずれはこの瑞江戸も幽世のように、人と人ならざるモノたちが共に生きる国となろうが……」

 一通り話した後、庭へと視線を向けた晃照様は「先は長そうだ」と呟いて苦笑した。

「瑞江戸がそのような町になれば、宵一さんとマリさんも帰ってこられますね」

 希望も込めて伝えると、宵一さんは驚いた顔をしてマリさんを見た。彼女はやはり、私の言葉がわからないようで首を傾げている。

「お菊、俺たちが生きているうちに、そうなるかは難しいぞ」
「そうなんですか?」
「幽世と違って、こっちの妖は身を隠して、人に紛れるのが道理になっちまってるしな。人が受け入れるのも難しいだろう」
「そういうもんですかね?」
「俺らみたいに幼子から見えている奴はそう多くない。それに、こいつらみたいに見目がいいやつばかりでもないからな」

 賀之助さんは空になったお猪口をお膳に下ろしつつ「とはいえ」と呟く。

「そうなれば、妖だけじゃなく、視える奴らも生きやすくなる」
「よくよく考えたら、ずいぶんと壮大な話ではありますね」
「……お菊は、その方がいいだろう。視えるものを否定せず、眼鏡をせずともよくなる」
「それはそうですが」

 まさか賀之助さんに、それほど大きな目的があったとは思ってもいなかった。
 柳屋から連れだされて婚約した当初は、商売を大きくするために武家との繋がりを欲しているのだろうと思っていたのが、とたんに恥ずかしくなる。

 胸元をそっと押さえ、その下にある眼鏡に思いを馳せた。
 この眼鏡があったから祖母を思って一人でも耐えてきた。でも、この眼鏡があったら、宵一さんとマリさんには出会えなかったし、助けることもできなかった。
 人と人ならざるモノが助け合って生きられる世……想像してみたら、白雲斎先生の『あやかし往来』に描かれていた町民の笑顔が浮かび、少し心が温かくなった。

「賀之助さんは、その為に久世様のお手伝いをされているのですね。高い志です」
「……なりゆきだ」

 なんとも、ぶっきらぼうな返事だった。視線を逸らした賀之助さんの頬が、少し赤みを帯びていたように見えたから、高い志といったのは当たらずとも遠からずなのだろう。
 その志の片隅に、私のためという思いもあるのかもしれない。

 賀之助さんの妻になれた幸せを、改めて噛みしめた時だった。ふわりと花の香りがして、私の手をマリさんが握りしめた。
 白磁のように白い手が、私と賀之助さんの手を取り重ねる。すると、まるで天女のように微笑んだ。

「マリアベル、デス」
「……え?」

 片言で名乗るマリさんに、思わずきょとんとすると、宵一さんが「マリー!?」と叫んでそばに寄ってきた。そうして、私からマリさんの手を離そうとするが、彼女にそれを拒まれてしまった。
 なにが起きているのか。困惑しながら賀之助さんを賀之助さんを仰ぎ見ると、真剣な眼差しがマリさんに握られる私たちの手へと向けられていた。

「私、マリアベル。アナタたち、私、信ジル。私モ、オナジ」

 ゆっくりと探すように紡がれる言葉が、優しく耳に響いた。
 深く息を吸ったマリさんは、まるで歌うように、なにか言葉を紡ぎ始めた。その意味はわからなかったけど、とても温かな音が体の奥に広がるようだった。
 紡がれた言葉の最後だけ、はっきり届いた音があった。

「メー・ガド・ブレスト・ユウ・オール」

 でもその意味はわからない。わからないけど、私たちへ向けられた祈りのように感じた。だって、はらりはらりと羽根が砕ける光の中で、マリさんの微笑みは一段と神々しく輝いたから。

 マリさんの手が離れると、宵一さんが「仕方のない人だ」と溜息まじりにいう。そうして、彼女を抱きよせると少し目を潤ませて微笑んだ。

 静かになった座敷で、晃照様が「そろそろ頃合いか」といって立ち上がり、縁側へと向かった。それに続くように賀之助さんも立ち上がり、私の手を引く。
 晃照様は庭に降りると、火の灯っていない石灯籠へと進んだ。すると、程なくして青い火が灯った。

 青い火が二つ、石燈籠の中でゆらめく。すると、風もないのに池の水がさざ波を立て、池に映った月の光が柱となって現れた。

「暮影の若者よ、こちらへ参られよ」

 晃照様の声に従い、宵一さんはマリさんを横抱きにしたまま、黒い翼を羽ばたかせた。その足が縁側の床板を蹴り、晃照様の前まで飛んでいくと、地に足をつけた。
 池に現れ光の柱が真ん中から、まるで襖を開けるように開かれる。その向こうには暗闇があった。

「一度扉をくぐった後は振り向かず、真っすぐ進め。よいな」
「このご恩、生涯忘れはいたしませぬ」

 しかと頷いた宵一さんは、一度、私たちを振り返った。

「私の真名をそなたらに預ける。我が名は朔ノ丞(さくのじょう)! そなたらの力になれる日が来たら、呼んでくれ。共に生きる日がくることを願っておる!」

 そう告げると、別れの言葉を口にすることなく、大きな黒い翼を再び羽ばたかせた。
 風が巻き起こる。
 木々がざわざわと揺れる中、二人は光の扉に吸い込まれるように消えていった。