ひとまず二人を追う烏天狗の追っ手からは逃れられたようだ。
ほっと安堵していると、暗闇に明かりが灯った。揺れながら近づくのは、どうやら提灯の火のようだ。
宵一さんが身構えて、私と手を握り合うマリさんを庇うように、一歩前に踏みだす。
緊張が走る闇の中で「なー」と鳴き声がした。それから、穏やかな声が「ずいぶんと賑やかだな」と声をかけられる。
掲げられた提灯の向こうには、肩に雪丸を乗せた義父、晃照様の優しい微笑みがあった。
「晃照様、この者たちをお助け下さい! 決して、咎人などではなく」
「見ればわかる。それに、暮影一族のいう咎人なら龍脈に立つことなど叶わぬであろう」
雪丸のお尻をぽふぽふと叩いた晃照様は、二人に「よう参った」というと、賀之助さんへと一度視線を向けた。
「賀之助、月を隠す客人にはお帰り願おうか」
突然の提案に、私と宵一さんの口から驚きの声が零れた。
だって、長屋からここに来るまでだって大変だった。怪我を負う二人を見たら、それまではもっと大変な道中だっただろうと容易に想像できる。それなのに、まるでお客様を店の外へお見送りしてというように、晃照様は穏やかな口調でいわれた。
賀之助さんだって、烏天狗の相手は大変だっていってたのに、どういうことか。
困惑して振り返った先で、賀之助は特に驚いた様子もなく「かしこまりました」といい、帳面を開いた。
矢立がぱこっと小さな音を響かせ、引き出された小筆が帳面の上を踊る。
──三年七月十三日暮れ六つ、瑞江戸に迷い込みし異国の霊鳥、久世家の客人となる。久世晃照の仲介により幽世への帰還、および、暮影一族より預かりし若者の同行を決定する。これにより、騒動は終息せり。
帳面の文字を読み上げた晃照様は「よかろう」と呟くと、いつの間に手にした小筆で、その名と花押を記した。その直後、帳面の文字が眩い光を放った。
風が吹き抜け、上空で響いていた羽音が遠退いてゆく。
なにが起きたのかわからず、呆然としながら空を見渡せば、東の空に顔を出した月の方角へ飛んでいく黒い影を見つけた。
あっさりと帰っていく烏天狗に、宵一さんも驚きを隠せないようで、賀之助さんと晃照様を交互に見た。
私も全く理解が及ばず、賀之助を見て「どういうこと?」と声をかける。
「瑞江戸で起きた妖の騒動を報告するのも、俺の仕事だ。騒動の解決案に承認をだすのが、久世様の公務になる」
提灯の明かりに照らされた帳面を見せてくれた賀之助さんは、帳面に記された晃照様の名を指し示した。
「久世様の名が刻まれた決定事項は、烏天狗の一族とはいえ、それなりの手続きを踏まねばひっくり返せない」
「つまり、どういうこと?」
「この騒動は久世様の預かるものとなり、烏天狗一族が手を出すことは許されないと決まった」
「……じゃあ、二人は幽世へ行けるのね!」
帳面にある「幽世への帰還」の文字を見て、安堵に顔がほころんだ。そんな私を見て頷く晃照様は、さてと呟いて宵一さんたちに向き直った。
「ご両人、少し酒にでも付き合ってもらおうか」
晃照様の誘いを聞き、宵一さんはまだ硬直した顔で「幽世へ行けるのか?」と訊ねる。
あまりの急展開に思考が追い付いていないのだろう。私だって、驚きを隠せないのだもの、逃げてきた彼にしてみたら狐につままれた気分だろう。
「月が南の空にかかった時、扉は開く。それまで少し、屋敷でくつろがれよ」
穏やかな微笑みを浮かべる晃照様は、現れた時と同じように静かな足さばきで歩き出した。その後を、私たちは黙ってついていった。
通されたのは、大きな池を臨む座敷だった。しばらくすると、女中がお酒と料理を運んできた。
「異国の霊鳥とお目にかかるのは、久方ぶりだ」
徳利を傾けた晃照様に、宵一さんが驚いた顔をする。
「他にも天の使いがいるのですか!?」
「ああ。一年ほど前になるが、幽世へ送ったことがある。名をなんといったか……」
ふむと呟いて思い出そうとする晃照様に、賀之助さんが「セレナだったかと」と助け船を出した。それを聞き、宵一さんはマリさんに早口でなにかを伝えていた。すると、彼女の青い目が大きく見開かれ、うっすらと涙が浮かびあがる。
「私が送った異国の霊鳥はそう多くないが、他の扉から入った者もいよう」
「もしかして、幽世に行ったらマリさんの翼を癒す方法も、わかるかもしれないってことですか!?」
いてもたってもいられず、話に割り込むと、晃照様は穏やかに微笑んだ。
驚きの表情を露にした宵一さんは、両膝に手をつくと深く頭を下げた。
「ご迷惑をかけたというに……ご助言、痛み入ります」
「なに、それが私の務めだ。しかし、あちらに渡れば、そう容易くはこちらに戻れぬが、誠によいのか?」
「元より、暮影の里へ帰る意思はありませぬ。あったとて、受け入れてはもらえますまい」
「そうか……暮影の長も、跡取りを失っては難儀をするな」
ことんっと小さな音を立てて、白いお猪口がお膳に置かれた。
「幽世にも烏天狗の里はある。そこも尋ねてみたらよい」
「……いいえ、私は」
ゆるゆると首を振る宵一さんに、晃照様は再び「難儀なものだ」と呟いた。
ほっと安堵していると、暗闇に明かりが灯った。揺れながら近づくのは、どうやら提灯の火のようだ。
宵一さんが身構えて、私と手を握り合うマリさんを庇うように、一歩前に踏みだす。
緊張が走る闇の中で「なー」と鳴き声がした。それから、穏やかな声が「ずいぶんと賑やかだな」と声をかけられる。
掲げられた提灯の向こうには、肩に雪丸を乗せた義父、晃照様の優しい微笑みがあった。
「晃照様、この者たちをお助け下さい! 決して、咎人などではなく」
「見ればわかる。それに、暮影一族のいう咎人なら龍脈に立つことなど叶わぬであろう」
雪丸のお尻をぽふぽふと叩いた晃照様は、二人に「よう参った」というと、賀之助さんへと一度視線を向けた。
「賀之助、月を隠す客人にはお帰り願おうか」
突然の提案に、私と宵一さんの口から驚きの声が零れた。
だって、長屋からここに来るまでだって大変だった。怪我を負う二人を見たら、それまではもっと大変な道中だっただろうと容易に想像できる。それなのに、まるでお客様を店の外へお見送りしてというように、晃照様は穏やかな口調でいわれた。
賀之助さんだって、烏天狗の相手は大変だっていってたのに、どういうことか。
困惑して振り返った先で、賀之助は特に驚いた様子もなく「かしこまりました」といい、帳面を開いた。
矢立がぱこっと小さな音を響かせ、引き出された小筆が帳面の上を踊る。
──三年七月十三日暮れ六つ、瑞江戸に迷い込みし異国の霊鳥、久世家の客人となる。久世晃照の仲介により幽世への帰還、および、暮影一族より預かりし若者の同行を決定する。これにより、騒動は終息せり。
帳面の文字を読み上げた晃照様は「よかろう」と呟くと、いつの間に手にした小筆で、その名と花押を記した。その直後、帳面の文字が眩い光を放った。
風が吹き抜け、上空で響いていた羽音が遠退いてゆく。
なにが起きたのかわからず、呆然としながら空を見渡せば、東の空に顔を出した月の方角へ飛んでいく黒い影を見つけた。
あっさりと帰っていく烏天狗に、宵一さんも驚きを隠せないようで、賀之助さんと晃照様を交互に見た。
私も全く理解が及ばず、賀之助を見て「どういうこと?」と声をかける。
「瑞江戸で起きた妖の騒動を報告するのも、俺の仕事だ。騒動の解決案に承認をだすのが、久世様の公務になる」
提灯の明かりに照らされた帳面を見せてくれた賀之助さんは、帳面に記された晃照様の名を指し示した。
「久世様の名が刻まれた決定事項は、烏天狗の一族とはいえ、それなりの手続きを踏まねばひっくり返せない」
「つまり、どういうこと?」
「この騒動は久世様の預かるものとなり、烏天狗一族が手を出すことは許されないと決まった」
「……じゃあ、二人は幽世へ行けるのね!」
帳面にある「幽世への帰還」の文字を見て、安堵に顔がほころんだ。そんな私を見て頷く晃照様は、さてと呟いて宵一さんたちに向き直った。
「ご両人、少し酒にでも付き合ってもらおうか」
晃照様の誘いを聞き、宵一さんはまだ硬直した顔で「幽世へ行けるのか?」と訊ねる。
あまりの急展開に思考が追い付いていないのだろう。私だって、驚きを隠せないのだもの、逃げてきた彼にしてみたら狐につままれた気分だろう。
「月が南の空にかかった時、扉は開く。それまで少し、屋敷でくつろがれよ」
穏やかな微笑みを浮かべる晃照様は、現れた時と同じように静かな足さばきで歩き出した。その後を、私たちは黙ってついていった。
通されたのは、大きな池を臨む座敷だった。しばらくすると、女中がお酒と料理を運んできた。
「異国の霊鳥とお目にかかるのは、久方ぶりだ」
徳利を傾けた晃照様に、宵一さんが驚いた顔をする。
「他にも天の使いがいるのですか!?」
「ああ。一年ほど前になるが、幽世へ送ったことがある。名をなんといったか……」
ふむと呟いて思い出そうとする晃照様に、賀之助さんが「セレナだったかと」と助け船を出した。それを聞き、宵一さんはマリさんに早口でなにかを伝えていた。すると、彼女の青い目が大きく見開かれ、うっすらと涙が浮かびあがる。
「私が送った異国の霊鳥はそう多くないが、他の扉から入った者もいよう」
「もしかして、幽世に行ったらマリさんの翼を癒す方法も、わかるかもしれないってことですか!?」
いてもたってもいられず、話に割り込むと、晃照様は穏やかに微笑んだ。
驚きの表情を露にした宵一さんは、両膝に手をつくと深く頭を下げた。
「ご迷惑をかけたというに……ご助言、痛み入ります」
「なに、それが私の務めだ。しかし、あちらに渡れば、そう容易くはこちらに戻れぬが、誠によいのか?」
「元より、暮影の里へ帰る意思はありませぬ。あったとて、受け入れてはもらえますまい」
「そうか……暮影の長も、跡取りを失っては難儀をするな」
ことんっと小さな音を立てて、白いお猪口がお膳に置かれた。
「幽世にも烏天狗の里はある。そこも尋ねてみたらよい」
「……いいえ、私は」
ゆるゆると首を振る宵一さんに、晃照様は再び「難儀なものだ」と呟いた。


