辺りが暗くなると、龍脈はさらに輝きを増した。
あまりにも眩しくて、宵一さんたちを探している烏天狗に見つかってしまうのではないかと不安がよぎる。
龍脈だけでなく、私の手を握る女性も、さらに輝きを強めている。いくら頭の上から宵一さんの羽織を被っているとはいえ、すれ違う人々が誰一人として振り返らないのは、いささか不思議なくらいだ。
こんなにはっきりと手を握っているのに、やっぱり本当の姿は人に見えないのね。きっと宵一さんの姿も、どこにでもいそうな町人に見えるのだろう。
不思議と烏の気配がしない。これが龍脈、運気の流れをいく効果なのか。
緊張しながらも、不思議な安堵感の中で人とすれ違い、路地をいくつも曲がった。右に左に、まるで迷子のようだった。
そうして走り抜けた先、見覚えのある通りに出ることができた。
「ここは……久世様のお屋敷の裏手に通じている道だわ」
「もう一息だな」
賀之助さんの声に緊張が緩んだのかもしれない。ふと足を止めて振り返った時だった。
湿り気を帯びた風が吹き抜けた。
ぞくりと背筋が震え、嫌な予感を覚えたのと、烏の鳴き声がぎゃーと響いたのはほぼ同時だった。仰ぎ見れば、さっきまでなかった黒い姿が瓦屋根の上にある。
黒い目と嘴が、逢魔が時の暗がりで光った。
「お菊、走れ!」
賀之助さんの声が響く。弾かれるように足を踏み出し、光り輝く道を蹴った。直後、不意に光が消えた。
「……え?」
「なにをしてる、走れ!」
「で、でも、龍脈が消えて」
この道を走れば、久世家の屋敷はすぐそこだ。真っ白な漆喰の壁はもう視えている。一間先を右に曲がって次の角を左に曲がれば門まで辿り着ける。すぐそこなのに。
しんと静まり返る久世様の屋敷に続く龍脈は、どこにも見えない。
烏の鳴き声が響き、大きな羽音が聞こえてきた。
「だが、屋敷に向かう以外の道はない!」
賀之助さんは矢立から筆を引き抜くと、捲った帳面になにかを綴りながら「記録に従い具現せよ」と唱えた。
ごうっと音を伴い、黒い文字が飛びだした。つむじ風となったそれは、烏たちを追い払うように空へと昇っていく。
「お菊、走れ。振り向くな!」
叫びに弾かれるようにして、足を踏み出した。女性の手を握りしめ、薄暗い道をかける。そうして、角を曲がろうとした時だった。その先に、黒い人影を見た。
背後で激しくなる烏の鳴き声に、嫌な汗が滴り落ちる。
賀之助さんになにかあったのではないか。あの人影は久世家の誰かだろうか。助けを求めた方がいいのではないか。一息呑む間もなく考えを巡らせ、口を開けかけた時、ばさりと羽音を響かせる大きな黒い翼が視界に飛び込んだ。
直感が、その先に行くなと告げた。
地面を踏みしめ、漆喰の壁を横に突き進んだ。
どうしよう。この先の角を曲がったとこにも烏天狗がいたら。彼らに捕まったら、宵一さんたちはどうなっちゃうんだろう。
じわじわと手に汗が滲む。
助けたい。どうにかしてこの塀を越えられないだろうか。すぐそこに、お屋敷があるのに。
目の前に人影が見え、いよいよ足が止まった。
漆喰の壁を見上げた時、女性が不意に私を抱きしめた。
「えっ……?」
どうしたのと問う間もなく、輝く翼が視界いっぱいに広がり、私の足が地面から浮いた。
暗闇に輝く羽根が散り、私たちの身体は塀を飛び越えていた。
ひらりひらりと舞う羽根が、蛍火のように暗闇を照らす。その中で微笑む女性が、あまりの神々しさで言葉を失った。だけど、ハッと我に返った。
「だ、だめ……羽根が!」
一人で飛ぶのもやっとだっただろう。なのに、私を抱えて塀を飛び越えるなんて無茶だ。でも、私の言葉は通じないのだろう。そのまま壁を越えた女性は、裏庭に舞い降りた。
地面に足がついた瞬間、鈴が転がるような音がシャンッと鳴る。そして、足元に羽根が落ちた。
「──マリー!」
低い声が空気を割くように響いた。頭上を見ると、賀之助さんをつれた宵一さんが降りてきた。
「マリ、どうしてこんな無茶をしたんだ!」
走り寄った宵一さんは険しい顔で叫ぶけど、マリと呼ばれた女性は涼しい顔で微笑む。そうして、美しい声音でなにかを告げた。
白い指が暗がりでぼうっと輝く漆喰の壁を指差した。それから、すっかり日が沈んで暗くなった空を。
真上では、烏天狗が飛び交っている。私たちの姿が視えていないのか、右往左往としているだけだ。
「烏天狗だわ……どうして、入ってこないの?」
不思議に思うと、マリさんは私の手を引っ張り、足元を指差した。そこは、ほんのわずかだけど光っている。
「……もしかして、龍脈? あの壁を越えるしかなかったの?」
いいながら漆喰の壁を振り返ると、頷くようにマリさんが笑った。
もしかして、マリさんはずっと龍脈を視ていたのだろうか。宵一さんが力を使わせたくないといっていたのに、黙って、私に力を貸してくれていたのではないか。
まだ握りしめられている手をちらりと見て、己の無力さを感じずにはいられなかった。
「……貴女の名前は、マリというのね。素敵ね……マリさん、助けてくれて、ありがとうございます」
言葉は通じないだろう。だけど、マリさんはにこにこして「ありがとう」と真似るようにいった。
あまりにも眩しくて、宵一さんたちを探している烏天狗に見つかってしまうのではないかと不安がよぎる。
龍脈だけでなく、私の手を握る女性も、さらに輝きを強めている。いくら頭の上から宵一さんの羽織を被っているとはいえ、すれ違う人々が誰一人として振り返らないのは、いささか不思議なくらいだ。
こんなにはっきりと手を握っているのに、やっぱり本当の姿は人に見えないのね。きっと宵一さんの姿も、どこにでもいそうな町人に見えるのだろう。
不思議と烏の気配がしない。これが龍脈、運気の流れをいく効果なのか。
緊張しながらも、不思議な安堵感の中で人とすれ違い、路地をいくつも曲がった。右に左に、まるで迷子のようだった。
そうして走り抜けた先、見覚えのある通りに出ることができた。
「ここは……久世様のお屋敷の裏手に通じている道だわ」
「もう一息だな」
賀之助さんの声に緊張が緩んだのかもしれない。ふと足を止めて振り返った時だった。
湿り気を帯びた風が吹き抜けた。
ぞくりと背筋が震え、嫌な予感を覚えたのと、烏の鳴き声がぎゃーと響いたのはほぼ同時だった。仰ぎ見れば、さっきまでなかった黒い姿が瓦屋根の上にある。
黒い目と嘴が、逢魔が時の暗がりで光った。
「お菊、走れ!」
賀之助さんの声が響く。弾かれるように足を踏み出し、光り輝く道を蹴った。直後、不意に光が消えた。
「……え?」
「なにをしてる、走れ!」
「で、でも、龍脈が消えて」
この道を走れば、久世家の屋敷はすぐそこだ。真っ白な漆喰の壁はもう視えている。一間先を右に曲がって次の角を左に曲がれば門まで辿り着ける。すぐそこなのに。
しんと静まり返る久世様の屋敷に続く龍脈は、どこにも見えない。
烏の鳴き声が響き、大きな羽音が聞こえてきた。
「だが、屋敷に向かう以外の道はない!」
賀之助さんは矢立から筆を引き抜くと、捲った帳面になにかを綴りながら「記録に従い具現せよ」と唱えた。
ごうっと音を伴い、黒い文字が飛びだした。つむじ風となったそれは、烏たちを追い払うように空へと昇っていく。
「お菊、走れ。振り向くな!」
叫びに弾かれるようにして、足を踏み出した。女性の手を握りしめ、薄暗い道をかける。そうして、角を曲がろうとした時だった。その先に、黒い人影を見た。
背後で激しくなる烏の鳴き声に、嫌な汗が滴り落ちる。
賀之助さんになにかあったのではないか。あの人影は久世家の誰かだろうか。助けを求めた方がいいのではないか。一息呑む間もなく考えを巡らせ、口を開けかけた時、ばさりと羽音を響かせる大きな黒い翼が視界に飛び込んだ。
直感が、その先に行くなと告げた。
地面を踏みしめ、漆喰の壁を横に突き進んだ。
どうしよう。この先の角を曲がったとこにも烏天狗がいたら。彼らに捕まったら、宵一さんたちはどうなっちゃうんだろう。
じわじわと手に汗が滲む。
助けたい。どうにかしてこの塀を越えられないだろうか。すぐそこに、お屋敷があるのに。
目の前に人影が見え、いよいよ足が止まった。
漆喰の壁を見上げた時、女性が不意に私を抱きしめた。
「えっ……?」
どうしたのと問う間もなく、輝く翼が視界いっぱいに広がり、私の足が地面から浮いた。
暗闇に輝く羽根が散り、私たちの身体は塀を飛び越えていた。
ひらりひらりと舞う羽根が、蛍火のように暗闇を照らす。その中で微笑む女性が、あまりの神々しさで言葉を失った。だけど、ハッと我に返った。
「だ、だめ……羽根が!」
一人で飛ぶのもやっとだっただろう。なのに、私を抱えて塀を飛び越えるなんて無茶だ。でも、私の言葉は通じないのだろう。そのまま壁を越えた女性は、裏庭に舞い降りた。
地面に足がついた瞬間、鈴が転がるような音がシャンッと鳴る。そして、足元に羽根が落ちた。
「──マリー!」
低い声が空気を割くように響いた。頭上を見ると、賀之助さんをつれた宵一さんが降りてきた。
「マリ、どうしてこんな無茶をしたんだ!」
走り寄った宵一さんは険しい顔で叫ぶけど、マリと呼ばれた女性は涼しい顔で微笑む。そうして、美しい声音でなにかを告げた。
白い指が暗がりでぼうっと輝く漆喰の壁を指差した。それから、すっかり日が沈んで暗くなった空を。
真上では、烏天狗が飛び交っている。私たちの姿が視えていないのか、右往左往としているだけだ。
「烏天狗だわ……どうして、入ってこないの?」
不思議に思うと、マリさんは私の手を引っ張り、足元を指差した。そこは、ほんのわずかだけど光っている。
「……もしかして、龍脈? あの壁を越えるしかなかったの?」
いいながら漆喰の壁を振り返ると、頷くようにマリさんが笑った。
もしかして、マリさんはずっと龍脈を視ていたのだろうか。宵一さんが力を使わせたくないといっていたのに、黙って、私に力を貸してくれていたのではないか。
まだ握りしめられている手をちらりと見て、己の無力さを感じずにはいられなかった。
「……貴女の名前は、マリというのね。素敵ね……マリさん、助けてくれて、ありがとうございます」
言葉は通じないだろう。だけど、マリさんはにこにこして「ありがとう」と真似るようにいった。


