足から力が抜けていく。へなへなと朽ちた板の間に腰を下ろすと、賀之助さんが近づいてきた。
「地本問屋のことをよく知りもせんで、よう啖呵を切ったもんだ」
「賀之助さんは、私の話を聞いてくれると信じてたから」
そうかと頷く顔には、少し笑みが浮かんでいた。
「そこの烏天狗、俺を探していたというのは誠か?」
「……ああ。久世の屋敷に幽世と現世を繋ぐ扉があると聞いた。そこを渡りたい」
「渡ってどうする。幽世で、異国の鳥を売る気か」
賀之助さんの視線が、宵一さんに寄り添う女性へと向けられた。
「賀之助さん!? だから、そうじゃなくて!」
慌てて誤解を解こうとすると、一言「黙っていろ」と厳しい声が返ってきた。
宵一さんが深く息を吸うのを見つめ、お願いだからまた短気を起こさないでと胸の内で願った。
「夫婦になる」
低く告げる声が響き、女性の白い羽が震えて音を立てた。
「一族に捕まれば、殺されるだろう。烏天狗は外者を認めない。……はじめこそ、彼女だけを逃がそうと思った」
宵一さんは女性と羽根を寄せ合うと、私も知らない経緯を含め、とつとつと話しだした。
彼女は異国の商船の祈りを受け、航海を見守り船団と共に瑞江戸へやってきたこと。泣いている子を見たら助けに飛んでいってしまうような、お人好しの彼女に惹かれたこと。気づけば一族に隠れて逢瀬を重ねるようになったこと。
語られる間、賀之助さんは黙って耳を傾けていた。そうして、静けさが戻ると「相わかった」と短く頷いた。
あまりにすんなりと受け入れてことに、驚きを隠せなかったのは私だけでないようだ。
「ずいぶん、あっさり受け入れるのだな」
「お前の戦い方を見て、疑問だった」
まだ警戒する様子の宵一さんに言葉を返しながら、賀之助さんはちらりと女性を見た。
「その女が聞いていた異国の鳥であることは、すぐ気づいた。だが、お前は守ろうとしていた。ただ売るための盗品というなら、捨て置いて逃げることもできただろう」
つまり、賀之助さんは疑問を抱きながらも二人を攻撃していたということか。
「どうして……それだったら、最初から話し合えばよかったじゃない。あんな、どっちも怪我しそうなことしなくたって!」
黙っていられずに問い詰めると、賀之助さんは、やれやれと呟いて首筋を忙しなく片手で擦った。それを見た宵一さんは、小さく噴き出すように笑った。
どうして、私が笑われないといけないのか、さっぱりわからないんだけど。
「お前を助けに来たんだ。少しはわかれ」
「……で、でも! もっと他にやり方があったんじゃないの」
「そんなものあるか。その烏天狗が真の咎人だったら、お前の命だって危ないんだぞ」
「でも、宵一さんは悪い人じゃ……」
私たちの言い合いに耳を傾けていた宵一さんは、笑いを堪えながら「まったくお人好しだ」と呟いた。そうして、胡坐をかいて板の間に腰を下ろす。
剣呑とした雰囲気はすっかり消え、静かに息を整えた宵一さんは、横に座った女性と一度視線を交わす。そうしてなにか話しかけたかと思えばと、彼女は微笑んで頷いた。
「信じろといえた立場でないのは承知している。だが、神仏に誓ってもいい。私たちはただ、幽世で静かに暮らしたいだけだ」
膝に手を当てた宵一さんは、私に頭を下げた時と同じように、いいえ、その時よりもさらに深く頭を下げた。その横で、女性も彼に倣うようにして頭を下げる。
「八雲堂の主よ。どうか、力を貸してほしい」
頭を下げる二人に、賀之助さんは「相わかった」と応えると、朽ちた板の間の端に腰を下ろした。
「感謝する」といった宵一さんだが、賀之助さんは顔をしかめて溜息をつく。なにか都合の悪いことでもあるのだろうか。
「あの、賀之助さん……もしかして、晃照様の命に歯向かうことになるのでしょうか?」
「ん? いいや、久世様も今回の件は裏がありそうだと申していた。事情を聞けばお許し下さるだろう」
いいかけて口を噤んだ賀之助さんの視線が、女性の翼へと向けられる。
輝く羽根がまた一枚、はらりと落ちて砕けた。
「そう悠長にしていられなさそうだな」
「烏天狗がここを見つけるかもしれないですしね」
「そうではない。いつまでもここにいては、その娘、二度と飛べなくなるのだろう?」
違うかと問うように、賀之助さんの視線が宵一さんへと移る。すると、宵一さんは奥歯を噛み締めて頷いた。
膝の上できつく握られる大きな手に、女性の真っ白な指が触れた。彼女はまるで大丈夫だからというように、そっと撫でて微笑んでいる。
「賀之助さん、どういうこと。彼女の怪我はそんなに酷いの?」
「怪我ではない。朽ちているんだ。忘れ去られた長屋が朽ち果てるように、ゆっくりとな」
賀之助さんの言葉の意味がわからず困惑していると、宵一さんが口を開いた。
「異国の妖に、天使という翼を持つものたちがいる。彼らは長いこと地に足をつけていると、翼が朽ちて人になる」
「……人になる?」
「我ら妖とは異なる時の流れで生きることになる」
そんな荒唐無稽な話があるのだろうか。いいや、これまでの出来事を振っても、現実離れしすぎているんだけど。それにしたって、妖が人になるだなんて……
「地本問屋のことをよく知りもせんで、よう啖呵を切ったもんだ」
「賀之助さんは、私の話を聞いてくれると信じてたから」
そうかと頷く顔には、少し笑みが浮かんでいた。
「そこの烏天狗、俺を探していたというのは誠か?」
「……ああ。久世の屋敷に幽世と現世を繋ぐ扉があると聞いた。そこを渡りたい」
「渡ってどうする。幽世で、異国の鳥を売る気か」
賀之助さんの視線が、宵一さんに寄り添う女性へと向けられた。
「賀之助さん!? だから、そうじゃなくて!」
慌てて誤解を解こうとすると、一言「黙っていろ」と厳しい声が返ってきた。
宵一さんが深く息を吸うのを見つめ、お願いだからまた短気を起こさないでと胸の内で願った。
「夫婦になる」
低く告げる声が響き、女性の白い羽が震えて音を立てた。
「一族に捕まれば、殺されるだろう。烏天狗は外者を認めない。……はじめこそ、彼女だけを逃がそうと思った」
宵一さんは女性と羽根を寄せ合うと、私も知らない経緯を含め、とつとつと話しだした。
彼女は異国の商船の祈りを受け、航海を見守り船団と共に瑞江戸へやってきたこと。泣いている子を見たら助けに飛んでいってしまうような、お人好しの彼女に惹かれたこと。気づけば一族に隠れて逢瀬を重ねるようになったこと。
語られる間、賀之助さんは黙って耳を傾けていた。そうして、静けさが戻ると「相わかった」と短く頷いた。
あまりにすんなりと受け入れてことに、驚きを隠せなかったのは私だけでないようだ。
「ずいぶん、あっさり受け入れるのだな」
「お前の戦い方を見て、疑問だった」
まだ警戒する様子の宵一さんに言葉を返しながら、賀之助さんはちらりと女性を見た。
「その女が聞いていた異国の鳥であることは、すぐ気づいた。だが、お前は守ろうとしていた。ただ売るための盗品というなら、捨て置いて逃げることもできただろう」
つまり、賀之助さんは疑問を抱きながらも二人を攻撃していたということか。
「どうして……それだったら、最初から話し合えばよかったじゃない。あんな、どっちも怪我しそうなことしなくたって!」
黙っていられずに問い詰めると、賀之助さんは、やれやれと呟いて首筋を忙しなく片手で擦った。それを見た宵一さんは、小さく噴き出すように笑った。
どうして、私が笑われないといけないのか、さっぱりわからないんだけど。
「お前を助けに来たんだ。少しはわかれ」
「……で、でも! もっと他にやり方があったんじゃないの」
「そんなものあるか。その烏天狗が真の咎人だったら、お前の命だって危ないんだぞ」
「でも、宵一さんは悪い人じゃ……」
私たちの言い合いに耳を傾けていた宵一さんは、笑いを堪えながら「まったくお人好しだ」と呟いた。そうして、胡坐をかいて板の間に腰を下ろす。
剣呑とした雰囲気はすっかり消え、静かに息を整えた宵一さんは、横に座った女性と一度視線を交わす。そうしてなにか話しかけたかと思えばと、彼女は微笑んで頷いた。
「信じろといえた立場でないのは承知している。だが、神仏に誓ってもいい。私たちはただ、幽世で静かに暮らしたいだけだ」
膝に手を当てた宵一さんは、私に頭を下げた時と同じように、いいえ、その時よりもさらに深く頭を下げた。その横で、女性も彼に倣うようにして頭を下げる。
「八雲堂の主よ。どうか、力を貸してほしい」
頭を下げる二人に、賀之助さんは「相わかった」と応えると、朽ちた板の間の端に腰を下ろした。
「感謝する」といった宵一さんだが、賀之助さんは顔をしかめて溜息をつく。なにか都合の悪いことでもあるのだろうか。
「あの、賀之助さん……もしかして、晃照様の命に歯向かうことになるのでしょうか?」
「ん? いいや、久世様も今回の件は裏がありそうだと申していた。事情を聞けばお許し下さるだろう」
いいかけて口を噤んだ賀之助さんの視線が、女性の翼へと向けられる。
輝く羽根がまた一枚、はらりと落ちて砕けた。
「そう悠長にしていられなさそうだな」
「烏天狗がここを見つけるかもしれないですしね」
「そうではない。いつまでもここにいては、その娘、二度と飛べなくなるのだろう?」
違うかと問うように、賀之助さんの視線が宵一さんへと移る。すると、宵一さんは奥歯を噛み締めて頷いた。
膝の上できつく握られる大きな手に、女性の真っ白な指が触れた。彼女はまるで大丈夫だからというように、そっと撫でて微笑んでいる。
「賀之助さん、どういうこと。彼女の怪我はそんなに酷いの?」
「怪我ではない。朽ちているんだ。忘れ去られた長屋が朽ち果てるように、ゆっくりとな」
賀之助さんの言葉の意味がわからず困惑していると、宵一さんが口を開いた。
「異国の妖に、天使という翼を持つものたちがいる。彼らは長いこと地に足をつけていると、翼が朽ちて人になる」
「……人になる?」
「我ら妖とは異なる時の流れで生きることになる」
そんな荒唐無稽な話があるのだろうか。いいや、これまでの出来事を振っても、現実離れしすぎているんだけど。それにしたって、妖が人になるだなんて……


