八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 人の姿になることができる二人がここに隠れなければならない理由は、おそらく追手なのだろう。

「追手を撒くのが難しいから、ここに主人を連れてきてほしい。そういうことですね」
「ああ。八雲堂の主なしで屋敷に行き、目通り叶わなければ本末転倒だからな」
「そうですね。道がわかりましたし、連れてくることはできますが……」

 紙に記された赤い丸は、お屋敷の位置だろう。ここはからだと、八雲堂とは反対方面になってしまう。なんなら、八雲堂へ向かうよりも近いかもしれない。
 道筋が書かれた紙を睨むようにしていると、ふと賀之助さんの裏家業のことを思い出した。

 賀之助さんは幽世の失せ物を探したり、もめ事を調べることもあるといっていた。
 烏に紛れた烏天狗を目撃してからというもの、忙しそうで帰りも遅い日々が続いているのは、もめ事が起きていると考えて調べているのかもしれない。今日だって、朝から久世様のお屋敷を訪ねているくらいだし。

 だとさはたら、二人のことをすでに烏天狗たちから聞いている可能性はないか。そこまで考えて違和感を覚えた。

「どうなされた?」
「……空を飛んでいる烏天狗と烏は、お二人の味方ですか?」
「いいや。私たちに味方はほとんどない。いくらか、里を抜ける手助けをしてくれた者もいたが、それ以上は頼めなんだ」

 想定通りの返答だった。さらに聞けば、空を飛ぶ烏は二人を探す烏天狗の使い、あるいはこの辺りに元から棲みつく烏だとわかった。

「眷属でなければ、操ることもできる。そなたを呼び寄せるために放った烏も、元はここらに棲みつく一体だ。私の使いを放てば、すぐに足がつくからな」
「そうでしたか……」

 つまり、空を飛ぶ烏の大半を、追手の烏天狗たちが操るのも造作がない、敵ばかりと考えた方がいいってことね。
 息を呑むと、ごくりと喉が思いの外大きく鳴った。

「とてもいいにくいことですが、一つ、懸念がございます」

 思い過ごしですめばいいのだが、おそらくこの勘は当たっているだろう。
 宵一さんの眉間に皴がより、少し低く「懸念とはなんだ」と問い返された。

「主人はすでに、お二人のことを把握しているかもしれません」

 私の言葉に、宵一さんの表情が険しくなった。

「数日前、我が家の雨戸を忙しくつつく烏がいました。それ以来、主人は忙しく久世様のお屋敷を訪ねています。そこに……烏天狗が訪れていないと、言い切れません」

 賀之助さんは雪丸と一緒になにか探ったり、すでに嗅ぎつけているかもしれない。それが、二人の主張寄りの話だったらいいけど、もしも二人を血眼になって探す烏天狗たちから悪く伝え聞いていたらどうなる。
 背筋がぞくりと震えた。

 この二人が嘘をついていない保証はない。でも、少なくとも想い合って逃げようとしていることは本当だろう。それを許さない烏天狗たちが、もしも彼らを捕まえたらどうなるのか。考えるのも恐ろしい。

「他の烏天狗が、お二人に都合の悪いことを伝え、連れ戻すよう依頼されているかもしれません」

 私の憶測を聞いた宵一さんは、溜息をつくように「否めんな」と呟く。そうして、厳しい表情のまま私を見つめた。

「であれば……そなたを人質に交渉するまでだ」
「そんなこをしたら、余計に立場が悪くなります! 私が、お二人のことをきちんと伝えます。ですから、どうか心証を悪くするようなことだけはなさらず」
「お前で、八雲堂の主を説き伏せられるのか?」

 刺さるような視線に、一瞬、戸惑った。
 賀之助さんなら、二人の力になってくれるはずよ。彼らの話をちゃんと聞けば、きっとわかってくれる。私はそう信じられるけど、それを言葉でどう伝えたら、わかってもらえるのだろう。

 宵一さんに寄り添う女性の表情をそっと窺うと、綺麗な形の眉が辛そうにしかめられた。
 美しい瞳が私を見ている。その眼差しは私を疑ったり警戒しているというより、申し訳なさそうというか、悲しそうな色をしている。

 拳をきつく握りしめ、宵一さんを真っ向から見た。

「必ず、お力になります。私を信じてください!」
「……いったはずだ。私が信ずる者はただ一人だと」

 白目の少ない黒々とした双眸が、私を睨みつけた。横にいる女性の手を握り、私から視線を離そうとしない姿から届くのは、警戒する気配だけ。

「私たちは共に幽世へゆけるなら、それでよい。どうせ二度と、烏天狗の里へ戻ることはないのだ」
「それはそうでしょうが……」
「八雲堂の主は今、久世の屋敷にいるのか?」
「……おそらくは」

 宵一さんの手が女性から離れる。広げていた紙を折りたたんで懐に戻し、ゆっくり立ち上がると私を見下ろした。
 威圧的な眼差しに背筋が震えた。思わず後ずさると、大きな手が伸びてくる。

「八雲堂の主が久世の屋敷にいるなら好都合だ。お前が屋敷まで案内をしろ」
「でも、空にお二人を追う烏天狗がいるんですよね?」
「烏天狗にもいろいろと決まりがある。人の子を連れていれば、そう容易く手を出しはすまい」
 
 じりじりと後ろに下がり、踵が朽ちた障子戸にぶつかって、ガタンっと小さな音を立てて揺れた。

「勘違いをするな。人質といっても」

 宵一さんがなにかいいかけた時だった。
 目の前に突然、ぽっと墨色をした塊が現れた。それはまるで、燭台に灯った小さな火のように、ゆらゆらと揺れている。なんだろうと思う間もなく、いくつもの墨色の火がぽっぽっと音を立てて灯った。
 数を増やした墨色の火はまるで、私と宵一さんの間を隔ているようだ。

 ふと思い浮かべたのは『あやかし往来』の紙面に描かれていた狐火だけど、これはもしかして妖の類いなのかしら。そう考えたのと、背後の障子戸がべきっと大きな音を立てたのは、ほぼ同時だった。

 板の間の上で女性が悲鳴を上げた。それはもしかしたら、私に危ないと告げた言葉だったのかもしれない。