外には数羽の烏がいた。空を舞う姿だけではなく、瓦屋根の上にも止まっている。
ギャアギャアと煩い鳴き声が響き渡った直後、白猫が聞いたこともない鳴き声を発した。すると、屋根に止まっていた烏が飛び立って、こちらに向かってきたではないか。
とっさに雨戸を引くと、どんどんっとなにかがぶつかる音がした。その後も嘴でつついているのか、手で押さえる雨戸からひっきりなしに振動が伝わり、騒がしい烏の鳴き声が続く。
なにが起きているのだろう。
白猫は、閉ざされた窓の向こうをまだ睨みつけ、唸るのをやめようとしないし、私の心臓も鼓動を速めるばかりだった。
「なんの騒ぎだ?」
声に振り返ると、賀之助さんが眉をひそめて立っていた。
「あ、あの、烏が押し寄せていて」
「烏……雪丸、お前がけしかけたのか?」
おろつく私から視線を白猫に向けた賀之助さんは、短く息を吐く。そうして、私の横に膝をつくと白猫の首根っこを摘まんだ。
「賀之助さん、そんなことをしたら、猫が可哀想です」
「ふんっ、可哀想なものがあるか。まったく、見た目通り大人しくしていればいいものの」
言葉の意味がわからず瞬いていると、賀之助さんは「眼鏡をとってみろ」といった。
「……眼鏡?」
「それをとれば、視えるだろう」
そういって、不機嫌そうな白猫を私の方にずいっと向ける。じたばたとする姿が可哀想で、降ろしてやってくださいといっても、賀之助さんは眼鏡をとれというばかりだった。
渋々と眼鏡を外すと、白猫が一鳴きした。
ぱたぱたと揺れる尻尾が目に入る。すらりとしたそれは、二又だった。
目を擦ってみるも、やはりそこに尻尾が二本ある。それぞれが意思を持って揺れている。
「こいつは猫又の雪丸。久世様と俺の連絡係みたいなもんだ」
「猫又……雪丸?」
その名を呼ぶと、白猫は私に助けを求めるように前足を伸ばして鳴き声を上げる。そういえば、晃照様もお屋敷で白猫を雪丸と呼んでいた。
賀之助さんが手を離すと、雪丸は私の胸に飛び込んできた。
「まったく、調子に乗って烏天狗に喧嘩を売るやつがあるか」
「……烏天狗?」
脳裏に本の中で見た羽根を持つ山伏の姿が浮かんだ。その顔は烏のようで大きな嘴があり、背には黒光りした翼がある。もちろん、実際に見たことは一度もない。伝承にある妖の一つだと思うのだけど。
「そのまま、外を見てみろ」
「外……?」
雨戸で遮った向こうでは、いつの間にか烏の鳴き声が静まっていた。
そっと少しだけ開けて覗いてみると、青空に人影が見えた。それは、つい今しがた私が想像した翼を持った山伏そのものだった。
「いっただろう。いい風が吹いていないと」
賀之助さんはそういって雪丸に手を伸ばすと、その首元をまさぐり、毛の間に埋もれた細い紐を探りました。そこにはなにわら紙か結ばれている。
「……文ですか?」
「久世様からの言伝だ」
小さな紙切れに目を通した賀之助さんは、深々とため息をついて「久世様の屋敷にいってくる」といい、また雪丸の首根っこを掴んだ。
嫌がるそぶりを見せた雪丸を気にせず、賀之助さんは「お前は北に走れ。でなければ、久世様に告げ口してもよいのだぞ」と低く告げた。
それはどこからどう見ても脅しですよ、賀之助さん。
雪丸の尻尾が緊張したようにぴんっと立つのを、いささか不憫に思いながら、私は彼と一匹を送り出した。
この日を境に、賀之助さんが再び久世様のお屋敷へ通うようになった。
今度も幽世が関わる失せ物探しなのかと訊ねてみたけど、詳しいことはなに一つ教えてくれなかった。
今朝は、しばらく八雲堂の外へ出るなと忠告された。その時の表情といったら、厳しいを通り越して鬼も逃げだしそうなほどだった。よほど緊張することが起きているのだろう。
なにもわからない私は、素直に従うしかないのだが……
運悪く、鬼の形相をした賀之助さんを若い奉公人の娘が見てしまった。よほど怖かったのか、彼が外に出た今も震えあがって、泣きそうな顔をしている。
「若女将……わ、私、なにか粗相でもいたしたのでしょうか?」
「急なお仕事で少し気が立っているだけよ。奉公人に当たるような人じゃないから、心配しなくていいのよ」
「そ、そのようなことは決して思っておりません」
安心させようと思っていったのに、その顔はさらに青ざめる。もしかしたら、八雲堂へ方向にくる前、私と同じような酷い目にあった経験があるのかもしれない。
「働く皆を守るため、時に厳しくなることもあるだろうけど、旦那様は本当にお優しいから心配なんてしないで。さあ、そんなことよりも朝餉の用意をやってしまいましょ」
落ち込む背をぽんぽんと叩き、竈でぐつぐつと煮える鍋をおたまでかき混ぜた。
ギャアギャアと煩い鳴き声が響き渡った直後、白猫が聞いたこともない鳴き声を発した。すると、屋根に止まっていた烏が飛び立って、こちらに向かってきたではないか。
とっさに雨戸を引くと、どんどんっとなにかがぶつかる音がした。その後も嘴でつついているのか、手で押さえる雨戸からひっきりなしに振動が伝わり、騒がしい烏の鳴き声が続く。
なにが起きているのだろう。
白猫は、閉ざされた窓の向こうをまだ睨みつけ、唸るのをやめようとしないし、私の心臓も鼓動を速めるばかりだった。
「なんの騒ぎだ?」
声に振り返ると、賀之助さんが眉をひそめて立っていた。
「あ、あの、烏が押し寄せていて」
「烏……雪丸、お前がけしかけたのか?」
おろつく私から視線を白猫に向けた賀之助さんは、短く息を吐く。そうして、私の横に膝をつくと白猫の首根っこを摘まんだ。
「賀之助さん、そんなことをしたら、猫が可哀想です」
「ふんっ、可哀想なものがあるか。まったく、見た目通り大人しくしていればいいものの」
言葉の意味がわからず瞬いていると、賀之助さんは「眼鏡をとってみろ」といった。
「……眼鏡?」
「それをとれば、視えるだろう」
そういって、不機嫌そうな白猫を私の方にずいっと向ける。じたばたとする姿が可哀想で、降ろしてやってくださいといっても、賀之助さんは眼鏡をとれというばかりだった。
渋々と眼鏡を外すと、白猫が一鳴きした。
ぱたぱたと揺れる尻尾が目に入る。すらりとしたそれは、二又だった。
目を擦ってみるも、やはりそこに尻尾が二本ある。それぞれが意思を持って揺れている。
「こいつは猫又の雪丸。久世様と俺の連絡係みたいなもんだ」
「猫又……雪丸?」
その名を呼ぶと、白猫は私に助けを求めるように前足を伸ばして鳴き声を上げる。そういえば、晃照様もお屋敷で白猫を雪丸と呼んでいた。
賀之助さんが手を離すと、雪丸は私の胸に飛び込んできた。
「まったく、調子に乗って烏天狗に喧嘩を売るやつがあるか」
「……烏天狗?」
脳裏に本の中で見た羽根を持つ山伏の姿が浮かんだ。その顔は烏のようで大きな嘴があり、背には黒光りした翼がある。もちろん、実際に見たことは一度もない。伝承にある妖の一つだと思うのだけど。
「そのまま、外を見てみろ」
「外……?」
雨戸で遮った向こうでは、いつの間にか烏の鳴き声が静まっていた。
そっと少しだけ開けて覗いてみると、青空に人影が見えた。それは、つい今しがた私が想像した翼を持った山伏そのものだった。
「いっただろう。いい風が吹いていないと」
賀之助さんはそういって雪丸に手を伸ばすと、その首元をまさぐり、毛の間に埋もれた細い紐を探りました。そこにはなにわら紙か結ばれている。
「……文ですか?」
「久世様からの言伝だ」
小さな紙切れに目を通した賀之助さんは、深々とため息をついて「久世様の屋敷にいってくる」といい、また雪丸の首根っこを掴んだ。
嫌がるそぶりを見せた雪丸を気にせず、賀之助さんは「お前は北に走れ。でなければ、久世様に告げ口してもよいのだぞ」と低く告げた。
それはどこからどう見ても脅しですよ、賀之助さん。
雪丸の尻尾が緊張したようにぴんっと立つのを、いささか不憫に思いながら、私は彼と一匹を送り出した。
この日を境に、賀之助さんが再び久世様のお屋敷へ通うようになった。
今度も幽世が関わる失せ物探しなのかと訊ねてみたけど、詳しいことはなに一つ教えてくれなかった。
今朝は、しばらく八雲堂の外へ出るなと忠告された。その時の表情といったら、厳しいを通り越して鬼も逃げだしそうなほどだった。よほど緊張することが起きているのだろう。
なにもわからない私は、素直に従うしかないのだが……
運悪く、鬼の形相をした賀之助さんを若い奉公人の娘が見てしまった。よほど怖かったのか、彼が外に出た今も震えあがって、泣きそうな顔をしている。
「若女将……わ、私、なにか粗相でもいたしたのでしょうか?」
「急なお仕事で少し気が立っているだけよ。奉公人に当たるような人じゃないから、心配しなくていいのよ」
「そ、そのようなことは決して思っておりません」
安心させようと思っていったのに、その顔はさらに青ざめる。もしかしたら、八雲堂へ方向にくる前、私と同じような酷い目にあった経験があるのかもしれない。
「働く皆を守るため、時に厳しくなることもあるだろうけど、旦那様は本当にお優しいから心配なんてしないで。さあ、そんなことよりも朝餉の用意をやってしまいましょ」
落ち込む背をぽんぽんと叩き、竈でぐつぐつと煮える鍋をおたまでかき混ぜた。


