八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 店の前で打ち水をしていた時だった。こめかみにツキンとした痛みが走ったかと思えば、なにかに頭をぎゅっと締め付けられるような重苦しさに襲われた。
 堪えかねて膝を折ると「若女将!」と私を呼ぶ奉公人が駆け寄ってきた。

「また頭が痛むのですか?」
「ええ……暑さのせいかしらね」
「桶は私が片付けますから、中でお休みください」
「……悪いけど、そうさせてもらうわね」

 申し訳なく思いながら持っていた桶を渡せば、若い奉公人は笑顔になって「お任せください!」と胸を張った。
 そそくさと店に入ると、番頭さんが声をかけてきた。

「若女将、無茶をしなさんな。やっと喉もよくなったばかりじゃないですか」
「でも、じっとしているのは苦手で」
「そういいなさってもね。若女将が倒れでもしたら、また若旦那の機嫌が悪うなって、目も当てられ……」

 番頭さんが溜息をつくように、つらつらと本音をこぼしかけると、濃紺の暖簾が揺れて「誰の機嫌が悪くなるって?」と低い声が降ってきた。
 振り返った先では、額に汗を浮かべる賀之助さんが番頭さんに、じっとりと視線を投げていた。

「おや、若旦那。早い帰りですな。白雲斎先生の様子はどうでしたか?」

 はてなんの話でしょうかといわんばかりに、すっとぼける番頭さんは算盤をはじき始める。
 呆れた顔をする賀之助さんは、特に追及することもなく「もう二、三日もすれば筆を取れるだろ」と返し、すぐ私へと視線を向けた。

「甜瓜だ。今日はずいぶん暑いからな。皆にも振舞ってくれ」
「こんなにたくさん! すぐに用意しますね」

 手に下げていた大きな包みを受け取り、さっそく裏の炊事場に向かおうとした。すると、賀之助さんは私の肩を掴んで呼びとめるではないか。

「お菊、お前はそれを食べたら、少し横になれ」

 どうやら、頭痛がすることは知られていたらしい。
 喉の一件があったからか、それとも賀之助が筋金入りの過保護なのか、なにかあるとすぐに「休め」といわれる日が続いている。

「そんなに酷い頭痛じゃありませんよ」
「だとしてもだ。どうもいい風が吹いちゃいない」
「……風?」

 なんのことだろうと首を傾げた時、暖簾がばさばさと音を立てて翻った。
 外を窺う奉公人が「一雨きそうですね」というのが聞こえてきた。

「今日は少し早く店じまいとするか」

 そういうわけだから気にせず休むようにと、賀之助さんは釘を刺すように異って、私の肩を放すと奉公人となにか話し出した。

 横になるほどじゃないのに。
 もっと頼られる若女将になるのは、まだまだ経験と信頼が足らないということかしら。足手まといと思われないよう、もっと精進しないとね。
 
 悶々としながら切った甜瓜を皆に配り終えた。すると、おみつさんにも休むよう急かされた。休憩を挟めば大丈夫だといったのに、結局、小皿に盛った甜瓜を持たされて二階へ引っ込むことになった。

「すっかり、病弱嫁の印象がついてしまったみたい……」

 元々しゃれこうべなんて呼ばれたくらい痩せ細っていたし、その後には熱を出して声が出なくなったのだから、仕方ないのかもしれない。でも、私だって八雲堂のために働きたいのに。
 小さなため息をこぼし、窓辺の文机に向かって腰を下ろした。そうして、甜瓜がのった小皿を置いてから、そっと眼鏡を外した。

 目頭を押さえて息をついた時だった。「なー」と聞き覚えのある鳴き声がした。
 顔を上げると、窓から白猫が飛び込んできた。ゆらゆらと揺れた尻尾が二又に見え、慌てて眼鏡をかける。瞬きをしてから猫を見れば、すらりとした尻尾は一本だった。

「お前……久世様のお屋敷から来たのかい?」

 話しかけると、白猫は小皿の前に座って尻尾をゆっくりパタンパタンと机に叩きつけた。もしやこれは、食べたいと催促しているのだろうか。

「……猫は魚を食べるもんじゃないの? それと、鼠」

 鼠という言葉を理解したのだろうか。白猫は、少し不快そうに低く「なおん」と鳴く。もしかして、この子は鼠が嫌いなのだろうか。
 ほんの数秒、白猫と視線を交わしたら、なんだかおかしくなってきた。

「久世様のお屋敷で、もっといいものを食べてるだろうに」

 酒饅頭を食べたがるくらいだし、甜瓜も好きなのかもしれない。
 小皿から甜瓜をひと切れ取り、残りの一切れを白猫に「お食べ」といって差し出す。すると、礼をいうように愛らしく鳴いた白猫は、小さな口で甜瓜を舐め始めた。次第にしゃくしゃくと齧る音が聞こえてくる。
 可愛らしい姿を見ながら、私も一欠けら口に入れた。しゃくりと噛めば口の中に優しく瑞々しい甘露が広がってゆく。

 猫がくつろぐ姿を眺めるのは、なんとも癒される。鼠除けで飼う店も多いと聞くけど、それだけではないのだろう。

「お前は鼠が嫌いみたいだけど、久世様のお屋敷ではなにをしているんだい?」

 猫が人の言葉をわかるわけもなければ、答えるわけもない。でも、なんの気なしに話しかけたくなるものね。

「ここまで一匹で来て、お屋敷の人たちが探しているんじゃ……」

 返答なんて期待せず、つらつらと話しかけていると、前足の毛づくろいをしていた白猫が、ぴくんっと耳を動かして顔を上げた。窓の外を眺めたかと思えば、低く唸りだした。
 白猫はなにを見ているのか。
 不穏な空気を嫌でも感じ取り、窓の外へと視線を向けた。

「……烏?」