八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 静かに告げる晃照様の言葉を、胸の内で繰り返してみた。
 人魚の呪いとは、どういうことか。まったく話が見えずに困惑していると、賀之助さんが畳に手をついて、深く頭を下げた。

「久世様、人魚の呪いを解く方法について、お教えください」

 手短に願う賀之助さんだけど、いい終えてもなお頭を上げない。その姿から、この申し出が軽くないことは充分に伝わってくる。

「お前に渡した失せ物帳に書かれていただろう」

 静かな返答に賀之助さんが息を呑む。
 失せ物帳って、部屋で見ていたものよね。あれを見て、賀之助さんは薬飴を人魚の涙だといっていた。私の声が出なくなった原因が呪いだとして、そこに解決方法が書いてあったなら、どうして教えてくれなかったのか。
 言葉にできない不安が胸を重くし、頭を下げたままの姿をそっと窺った。

「他の方法をお教えください」
「その様子からするに、試しておらんようだな。……それと、お前の役目もまだお菊に話していない。そうだろう?」

 問いただす晃照様だけど、賀之助さんは微動だにせず口を閉ざす。

「お菊、すまぬな。私がいえることは、その声を奪ったのは人魚の呪いで、声を取り戻すことができるのは、賀之助のみだということだ」

 いい終えた晃照様は、人魚の涙が入った壺を手に取ると立ち上がった。

「人魚の涙は確かに受け取った。これはあるべきところへ戻す。賀之助……次に訪れる時は、お菊の声を取り戻してからだ。よい知らせを待っている」

 顔を上げようとしない賀之助さんを見下ろし、晃照様は小さく溜息をつく。そうして、私たちを残して座敷から去った。
 二人残された座敷で、どうしたらいいのかわからずに賀之助さんを見つめると、静かな衣擦れの音がした。
 上げられた賀之助さんの表情は厳しく、声が出たとしてもその名すら呼べる雰囲気ではなかった。

 なにをしに訪れたのかわからないまま、久世のお屋敷を後にした。

 八雲堂へと向かう道すがら、川辺に甘酒屋が出ていた。そこに立ち寄り、賀之助さんと床几台に並んで座った。
 橋のたもとから少し離れているからだろうか。耳をすませば、川のせせらぎが聞こえてくるような静かな時が流れていた。

 冷えた甘酒の注がれた湯呑と甜瓜(まくわうり)がのる皿を挟み、横に座る賀之助さんの表情をそっと窺う。
 湯呑を手にした賀之助さんは、中の甘酒をじっと見つめたまま私を呼んだ。

「お菊……俺に嫁いで後悔していないか?」

 戸惑いを感じさせる声だった。
 なんの話をされているのか理解できず、じっと賀之助さんを見つめると、思い詰めたような顔がこちらを振り返った。

「お前を助けたいと思った。嘘偽りではない。だが……結果として、俺の都合を押し付けた形になった」

 賀之助さんが語り始めると、それまで忙しく鳴いていた蝉の声が止み、川面を撫でる涼やかな風が吹き抜けた。

「お前は祖母を慕っていたろう。野に咲く草花が好きで、大きくなったら祖母のようになりたいといっていた」

 懐かしむような声に息がつまった。
 確かに、祖母が薬研で薬草をすり潰す姿や、帳面に薬方を記す姿に憧れていた。いつも優しかった祖母が、私の理想だった。
 でも、賀之助さんにそんな話をしたことがあっただろうか。幼い頃の記憶を掘り返すも、彼と遊んだ記憶はない。それこそ幼い頃は、いつも牡丹と一緒だったし。

「だから、薬問屋に嫁ぐのがお菊の幸せだと思っていた。俺では幸せになどできないだろうと」
「──!?」

 意外な告白に驚き、声が出そうになる。でも、当然のようにこぼれたのは音のない空気だけだ。そんな私を見てどう思ったのか、少しだけ口元に笑みを浮かべた賀之助さんは話を続けた。

「どうにか、お前の嫁ぎ先を探そうとした。だが、どこの薬問屋も柳屋を恐れてな。……畑違いの地本問屋に嫁ぐことになって辛いだろう」

 諦めを感じさせる声に、ゆっくりと首を振って否定した。
 そりゃ、祖母のように薬問屋の女将になれたらどれほど楽しかったかと思うこともある。でも、本は好きだし、おみつさんや店の番頭さんに奉公人の皆さんも優しいし、今の生活に不満なんて一つとしてない。
 あえていうなら、賀之助さんの気持ちがわからないことが不安だけど。

「俺に気を遣うことはない」

 どうして、そうなるんだろう。むしろ気を遣っているのは、賀之助さんな気がする。
 もう一度首を振って、気持ちを伝えようとするも声が出ない。それが無性に悔しくて、唇を噛んで賀之助さんを見つめると、小さな溜息と一緒に、ほんの少し寂しそうな笑顔が向けられた。

 気まずい空気が流れた。
 声が出るならもっと気持ちを伝えられるのに。どうして、声が出ないのか。人魚の呪いってなんなのよ。
 やり場のない思いを飲み込むように、甘酒を飲み込む。空になった湯呑を床几台に置くと、もう一度、賀之助さんが私を呼んだ。

「お菊……以前、気枯れの話をしたな」

 空になった湯呑がもう一つ置かれて並んだ。それから手を離した賀之助さんは、変わらず真剣な眼差しを私に向ける。

「それが視えるのは、お前だけじゃない。俺もだ」
「──!?」

 今日は幾度、驚かされるのだろう。
 予測できないことが続きすぎて、唇を震わせるしかできない。
 賀之助さんを見つめていると、彼の薄い唇が静かに開き、話を続けようとした。だけど、すぐ側で「甘酒一つくれ!」と声がして、彼は口を閉ざした。

 いつの間にか鳴きだした蝉の声が大きくなる中、少し温くなった甜瓜を口に運んだ。ほんのりと甘い瓜をしゃくしゃくと噛みながら、賀之助さんの言葉を待った。
 だけど、それからの帰り道で、彼が話を続けることはなかった。