八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 膝の上で重ねた手をぎゅっと握りしめていると、牡丹の顔がますます愉快だとばかりに歪んでいく。

「柳屋どころか、貴女を養子に迎えた久世様の顔にだって、泥を塗るのよ」
「……そのようなことには致しません」

 今の私には、そう返すのが精一杯だった。だけど、やっとの思いで言葉を紡いだ言葉は、鼻で笑われる。

「そう願うわ。それにしても、酷い声ね。それじゃ、恥ずかしくて店にも出られないでしょ?」
「それは……」

 返す言葉もなく喉のあたりに手を触れると、牡丹は持ってきた小さな壺を私に向けてずいっと押し出した。

「とても喉に効く薬飴よ。今までのお詫びだと思ってちょうだい」
「……お詫び?」
「なによ、その疑り深い顔は。私だって薬問屋の跡取りよ。迷惑をかけたお詫びくらいするわ」

 果たして牡丹の態度はお詫びにきた人のものだろうか。
 わずかに違和感を覚えたけど、壺の蓋を開けて中を覗いていた瞬間、それは吹き飛んだ。
 中で輝いていたのは、ころんとした白い珠だ。まるで真珠のようにも見えるし、幼い頃に牡丹と食べた金平糖を思い出させた。金平糖みたいな星形ではないのに、どうしてあの頃を脳裏ゆよぎらせたのだろう。
 ほんの少し、懐かしさに胸が温かくなった。

「綺麗……」
「すごく高価な秘薬なんだから」

 自慢げな顔をした牡丹は、すくっと立ち上がると「邪魔したわね」といって障子に手をかけた。

「牡丹、ちゃん……ありがとう」

 幼い頃を思い出したからか、口をついて出た呼び方はあの頃のようだった。
 牡丹の指がぴくりと反応する。だけど、こちらを振り返ることも、私の名を呼ぶこともなく帰ってしまった。

 酷い仕打ちを受けた。蔑まされて生きてきた。だけど、幼い頃に二人で楽しんだ双六やあやとり、どっちが素敵な奥様になるかって夢を語った夜は、今でも忘れていない。
 もしかしたら、牡丹もあの頃の関係に戻りたいんじゃないか。

 丸い薬飴を摘まんで、そっと唇をつけた。
 これを飲めば、なにもかも上手くいく気がして、そうであってと願いながら口に含んだ。
 
 ふわりと潮の香りが抜けた。ほんのり塩気のある甘い蜜が口の中で解けていく。
 その優しい甘みに、ほっと息をついて「牡丹ちゃん、ありがとう」と掠れる声で呟いた。

 ◇

 一晩明けたら、声が出なくなった。
 咳がでるわけでも、熱があるわけでもない。ただ声が出ないのだ。無理をして発声しようとしても、すかすかとした息が抜けるだけ。音を発しようとすれば、喉の奥が熱をもってもどかしくなる。

「咳も出てたし、喉を痛めたんかね?」

 おみつさんは葛湯を作ってくれ、心配そうに「今は休みなさい」といいながら背中を撫でてくれた。
 優しさに涙がこみ上げ、畳に両手をついて頭を下げると、大袈裟なんだからと笑いながら再び背中を撫でてくれた。

 声が出ないだけで体はすっかり元気なのがまた、もどかしかった。
 文机にある帳面を引っ張り出し、そこに炊事掃除と私ができることを書き連ね、おみつさんに見せてみた。

「そんな無理しないの。奉公人の仕事もなくなっちまうよ」

 でもといいたくても声が出ず、しょんぼりと肩を落とす。すると、障子が開いて「それならこれを読んでもらうか 」と声がした。振り返ると、賀之助さんが黒塗りの箱を持って入ってきた。
 目の前に置かれた箱を覗き込んでみると、そこには紙の束があった。見覚えのない筆跡に首を傾げていると、賀之助さんは「草稿だ」といって、すぐ向かいに腰を下ろす。

 草稿ってなにと訊き返すにも、声が出ない。困って眉間に力を入れると、賀之助さんが少し口角を上げた。

「草稿は清書前のものだ。草稿をよりよくする手伝いも俺らの仕事だ。これは朧先生の人情本だ」
「怪談の朧先生が人情本を出すのかい?」

 ふむふむと頷いて話を聞いている私の横で、おみつさんが大袈裟なくらい驚きを見せた。

 朧先生って、『あやかし往来』を書かれた白雲斎朧のことだろうか。あれは、妖怪たちがあたかも瑞江戸にいるよう描かれた日常が描かれていた。人と妖怪の交わる世界で、私が眼鏡を外した時に見るおぼろげな世界と、近しいものを感じられた。

「妖怪も出てくるから怪談本で出したいんだが、朧先生は人情本だといってな」
「そりゃまた難儀だね」

 おみつさんは難儀だといいながら、目を細めて笑っている。それに頷く賀之助さんもまた、どこか楽しそうな顔をしていた。
 仕事をしている時の賀之助さんは本当に生き生きとしている。表情が大きく変わるわけじゃないけど、楽しそうなのはよく伝わってくる。それこそ、私と二人きりの時に見せる少し困ったような顔とは、比べ物にならないくらいだ。

 小さな寂しさを感じながら黙っていると、賀之助さんの目が私を捉えた。

「お菊、これを読んで感想を聞かせてほしい」

 驚いた弾みで「感想?」と声が飛び出そうになった。でも、開けた口から出るのは空気ばかりだ。これでは、感想を伝えるどころでもない。
 喉を押さえて視線を逸らすと「帳面に書けばいい」といい、賀之助さんはまっさらな帳面を一冊取り出す。

「聞きたいのは、よかったところだけじゃない。意味が伝わらない部分、違和感を覚えた部分、そういったの全部を聞きたい」

 賀之助さんの申し出に、背筋を汗が伝い落ちた。だって、戯作者先生の作品に文句をつけるようなこと、私にできるわけがない。

 そんな大それたことできません!──声にならない思いを込めて、ぶんぶんっと頭を振って断ろうとしたのに、賀之助さんは笑顔になって「暇を持て余しているのだろう」なんていいだす。
 そりゃ、暇ですよ。ただ飯喰らいな嫁でいるのは心苦しいです。でも、だからって文才のない私にそんな大役が務まるはずないじゃない。

 泣きそうになっていると、おみつさんが私の膝をぽんっと叩いた。

「お菊ちゃん、難しく考えなさんな。感想を伝えれば先生はよりよい話が書けるし、お客ももっと楽しめる。そのお手伝いなんだよ。それに、伝える時は賀之助がいい塩梅にしてくれるさ。そうだろう、賀之助?」
「ああ。それにお菊には丁度いいかと思ってな」

 頷いた賀之助さんは、もう一度私に「暇だろう?」と訊ねる。
 これは頷くしかなさそうだ。きゅっと唇を引き結び、深く息を吸ってから、観念して承諾した。