八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 祝言から三日三晩、幾人もがお祝いに駆けつけた。
 戯作者や絵師の先生、地本問屋の旦那衆、八雲堂をご贔屓にしてくれている町民まで。中には、お武家さんとわかる顔ぶれもあり、賀之助さんの顔の広さが伺えた。

 夜になり、行燈(あんどん)の火に照らされた箱の中から、頂戴した本や美人画を一つ一つ手に取りだす。それを眺めながら、昼間に会った旦那衆や先生のことを思い出し、復習するのが日課になっていた。

「千鳥屋さんは浮世絵や役者絵に強くて、松葉屋さんは教訓本や風刺本が多い」

 美人画と教訓本を並べ、それぞれ若旦那を思い浮かべてみた。
 千鳥屋の若旦那は真面目実直といった雰囲気で、むしろ教訓本が似合いそうだった。松葉屋さんは陽気な方だったし、意外とあべこべなおかげで、覚えやすいわ。

「千鳥屋さん、こんな艶やかな美人画を売り出している版元とは思えないわよね」

 お近づきの記念にと渡されたのは、この夏の新作らしくて、金魚を放った桶に手を浸す艶めかしい美人画だった。女の私だって、色気を感じる一枚だ。

 そっと浴衣の袖を撒くり、自分の手首を見てみる。美人画と見比べ、肉の薄さに溜息がこぼれ出た。
 骨と皮ばかりだった頃よりは肉もついたと思うけど、やっぱり、今でも折れてしまいそうな細さだ。魅力を感じないといわれても、致し方ない。

 松葉屋さんの風刺本を手に取った時、階段を上がってくる音がして、しばらくすると「起きていたか」と声がかけられた。

「お疲れ様です」
「先に寝てもよいといっただろう」
「……まだ、眠くなかったので、頂いた本を見ていました」

 風刺本を箱に戻すと、向かいに座った賀之助さんがそれを手にした。

東風家(こちや)先生の新作か。松葉屋さんとこの看板戯作者だ」
「そうなんですね。風刺本はあまり読んだことがないのですが、とても読みやすいですね」
「それが東風家先生の持ち味だ。東風の名に相応しいだろう。あの人の周りはいつだって笑いで溢れている」

 いいながら表紙を捲り、楽しそうに口元を緩めながら「これは売れるぞ」と呟く。それは実に嬉しそうな物言いだった。

 柳屋にいた頃、伯父は商売敵が新商品を出すたびにイライラしていた。あんなものが売れるわけないとか、うちの商品の方が質がいいだとか、いつだって文句ばかり。他を褒めて笑うなんて見たことがない。
 だから、賀之助さんの口角がほんの少し上がっているのが不思議で、吸い込まれるように見とれてしまった。

「……どうした?」
「あ、いえ……他の地本問屋が売れたら、客をとられるとか、思わないのですか?」
「ん? うちじゃ風刺本や滑稽本を売り出さないから、その心配はないだろう」
「そうなのですか?」
「うちは、人情本と怪談本が主力だ。松葉屋さんのとこでも怪談本をだしちゃいるが、東風家先生は松葉屋さんでは怪談を書かないって取り決めもしている」

 賀之助さんは淡々と説明しながら松葉屋さんの風刺本を箱に戻し、千鳥屋さんからもらった美人画に手を伸ばした。

「東風家先生は、怪談も書かれるんですね」
「一つの版元でしか書かない先生もいる。例えば、千鳥屋さんお抱えの絵師は翠雨(すいう)先生だ。花菱屋の旦那が、何度頼んでも描いちゃくれねぇって、ぼやいてたな」
「花菱屋さん……洒落本や読本を出される店ですよね?」
「ああ、特に女の客が多くてな。うちとは反対だな。花菱の旦那は、洒落本に翠雨先生の絵をつけたくてしゃあないんだろうよ」

 確かに、女性が好む本を多く出しているなら、この美しい美人画を添えたいと思うのも当然だろう。素人の私だって、綺麗な表紙絵に釣られて買う客がいるのは、容易に想像がつくし見てみたいとも思う。
 でも、他で描かないって取り決めがあるのね。

 残念に思いながら美人画をそっと見みれば、賀之助さんがふと思い出したように「祝言の日」と呟いた。

「宴の席で、お菊を描かせて欲しいといっていた客人を覚えているか?」
「え、はい……そういえば、千鳥屋さんとご一緒でしたね。もしかして」
「翠雨先生だ」
「ええっ、あんなに大柄な方が!?」
「ははっ! みな驚くから、翠雨先生は名乗るのを渋るんだ。お菊にも、竹下幸之助と名乗っていただろう? あれが本名だ」

 賀之助さんの話を聞いて呆気にとられていると、切れ長の瞳が細められて「面白いだろう」といった。

 あんなに大柄で岩のような体躯なのに、本名はしなやかな竹下。その上、絵師としての名は若葉を濡らすような儚い翠雨。まったく真逆なのに、描く絵はその名に相応しい線の細い美人画ときたら……
 脳裏で美人画と翠雨先生の姿が重なった瞬間、つい小さく噴き出してしまった。

「……笑っては失礼ですよね」
「本人は気にしていないというがな」
「でも、お名前を隠されてるのでしょう?」
「描いたものに絵師の顔はいらないといってな。顔ではなく絵を見て欲しいのだと」
「顔ではなく、絵を……本質をということかしら?」

 賀之助さんの手元にある美人画をじっと見れば、静かに「そうかもな」と頷く声がした。

「しかし、戯作者たちは顔を知っているし、東風家先生はよくいじっている」

 それが理由で二人はあまり仲がよくないのだと話しながら、賀之助さんは持っていた美人画を箱へ戻した。
 さらに、他の戯作者や絵師の交友関係や力関係も少しだけ教えてくれた。

 八雲堂から本を出している戯作者や絵師の先生も、どうやら一癖も二癖もあるようだ。賀之助さんが先生方とお酒を飲みに行くことも多いのも、難しい先生方と打ち解けるためなのだろう。

「いろいろ難しいのですね」
「戯作者ってのは、曲げられねぇ己の信念を持ってるやつらばかりだからな」
「地本問屋の旦那衆は、それをまとめるのですから大変ですね」

 本の世界はもっぱら読む側だったこともあり、こうして賀之助さんから聞くこと全てが新鮮で、驚くことばかりだ。

 なにも知らない私が、ここでやっていけるのだろうかと、また少し不安がよぎる。
 箱の中で行燈の火に照らされ、ほのかに輝く美人画を見ていたら、ほうっと溜息が零れた。

「心配か?」
「……そりゃあ、なにも知らないのですから」
「困ったら、笑って誤魔化せ」
「また難しいことを……」
「お菊は笑っていた方が可愛いからな。笑っていれば、なんとでもなろう」

 ごく自然に返された賀之助さんの言葉を理解できず、きょとんとしてしまった。
 いつも感情の読めない顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。