八雲堂あやかし綴~しゃれこうべ娘と呼ばれた私ですが、地本問屋の若旦那に溺愛されてるようです~

 お使いの帰り道をとぼとぼと歩いていたが、ふと足を止めた。
 ゆらゆらとした川面を覗き込むと、枝の先で蕾の膨らみ始めた桜と一緒に、ぼんやりとした顔が映り込む。着古した小袖姿だが、水面に映るのはまだ人の形をしている。
 小袖に隠れる手足はまるで枯れ枝のようだし、不格好な眼鏡をかけた顔は青白い。みすぼらしい顔貌を鏡に映したら割れてしまうかもしれない。そう思わせるくらい、酷いものだ。

 だけど、ゆらゆらと揺れる川面は優しく私を受け入れてくれているようだった。

 いつでも空腹を抱えているお腹がぐうっと鳴る。
 今朝は冷や飯すら余らなかったから仕方ない。夜は釜におこげが残ればいいんだけど。
 再びお腹が鳴れば、具の欠片すら残らない汁物と漬物の切れ端を齧る夕飯ですら恋しくなる。

 祖母が生きていた頃、まさかこんな惨めな思いをするようになるとは欠片も想像しなかった。あの頃だって伯父さんや従姉妹の牡丹に蔑まれていたけれど、三食同じご飯を食べることはできた。

「いっそのこと、脚気にでもなって死ねたら楽なのかも……」

 惨めにお腹が鳴り、つい弱音を吐いた。
 いくら十八歳を迎えたといっても、こんな貧相な体では嫁の貰い手もないだろう。これからも私は死ぬまで、柳屋で下女よろしく蔑まれて暮らすに違いない。そう思ったら、心を強く保つのも難しいものだ。

 この川に身を投げたら、母と祖母の元へ行けるのだろうか。
 川底を覗き込むようにした時だった。

「なにをしている、お菊」

 聞きなれた低い声がして、枯れ枝のような手首を大きな手が掴んだ。仰ぎ見れば、精悍な顔立ちをした男──八雲堂の若旦那、八代賀之助さんか険しい表情で私を見ていた。

「……賀之助さん、あの、これは、その」
「命を粗末に扱うな」

 返答に困っていると、賀之助さんはぶっきらぼうに低くいう。私が身投げをしようとしていたと勘違いしたのだろう。

「お使いの帰りで、少し川の流れを見ていただけです」
「誠にか?」

 切れ長の瞳が覗き込むように、私の表情を(うかが)う。
 死のうとしていた訳じゃない。ただほんの少し、弱った心が川の流れを求めていたかもしれないけど。

「……誠にございます」

 賀之助さんから視線を逸らすように俯き、小さく頷いた。

 周囲が気になりそわそわし、小声で「あの、手を離してください」と懇願するも、賀之助さんは手を緩めてはくれない。
 どうしよう。こんなところを牡丹に見つかりでもしたら、また意地悪をいわれるに決まっている。
 道草を食わずさっさと帰るんだった。

 わずかに後悔を抱き、小さな溜息が零れそうになった時、またお腹がぐうっと鳴った。

「お前はいつも腹を空かせているな」
「こ、これは……今朝、寝過ごして食べ損ねたのです」
「昼餉はどうした」

 下女扱いされている私に、昼餉(ひるげ)など出されるわけがない。だけど、そんなこと話せるわけもない。苦し紛れに「忙しくて」と呟くと、賀之助さんは私の手首を掴んだまま歩き出した。

「か、賀之助さん?」
「川を見ても腹は満たされんだろう」
「……あ、あの、私そろそろ帰らないと、伯父に叱られますので」
「饅頭を食うくらいの時間はあるだろう」

 ──え、饅頭?
 聞き返す間もなく、賀之助さんは道端の饅頭売りに声をかけた。そうして、やっと私の手を離したかと思うと、湯気を立てる酒饅頭を買い求める。
 陽気な饅頭売りは、私に好奇の視線を向けながら湯気を立てる蒸籠(せいろ)を開け、甘酒の香りを立てる饅頭を取りだした。

「お菊、受け取れ」

 賀之助さんは五文銭を饅頭売りに渡したけど、酒饅頭を受け取らず私に視線を向けた。饅頭売りも釣られるように私を見る。

「えっ、でも……」
「俺は甘いものが好きではない」

 だったら買わなければいいのに、というわけにもいくまい。きっと、私を不憫に思って買ってくれたのだろうことは明白だ。

 汚れた小袖に隠れた手を差し出すと、あつあつの酒饅頭がのせられた。思わず「あつっ」と声を上げると、饅頭売りが「熱いうちに食いな」と笑った。
 勧められるまま床几台(しょうぎだい)に腰を下ろし、冷えた指先を温めるほかほかの白い饅頭を見下ろした。

「さっさと食え。早く帰らないといけないのだろう?」
「……いただきます」

 意を決してふかふかした白い皮に口をつけると、甘い麹の香りがふわりと立ち上がった。
 空っぽのお腹に優しい甘みが染み渡る。

 もしも牡丹に見られたら、施しを受けて恥ずかしいって怒鳴られ、叩かれるかもしれない。だけど、久しぶりの温かい食べ物に、そんな心配事は吹き飛ばされてしまった。

 小さな酒饅頭を黙々と食べていると、賀之助さんに「美味いか?」と尋ねられた。それに頷くと、彼は饅頭売りに声をかける。

「あと二つ、包んじゃくれないか?」
「……え?」

 目を瞬いていると、饅頭売りは早々に竹の皮で包んでくれた。

「夜もまた忙しくて食えないのだろう?」

 竹の皮で包まれた饅頭が膝の上に置かれた。

「あ、あの、賀之助さん……」
「懐にでも隠し持っておけ」
「でも、伯父に見つかったら」
「心配なら今食えばいい」

 淡々という賀之助さんは湯呑の番茶を啜ると、私が観念して饅頭を懐に入れるまで、じっと視線をそらさず見続けた。