ノストラダムスに恋を

走馬燈は、こんなにも煌びやかに思い出を美化してくれる。

大学の入学式を終え、オリエンテーションのためにキャンパスを訪れると、方々に舞い散る桜の花びらが、矢継ぎ早に渡されるサークルや体育会のチラシの上に降り積もっていた。

「旅サーいかがっすかー!」

渡されるはずのチラシに手を伸ばし、「ありがとうございます」と口走る。
「え」という声に足を止め、萎縮して歩いていた姿勢を正す。

「ごめん!チラシないんだ」

「あ、大丈夫です。なくても」

入る予定もないサークルのチラシに反射で手を伸ばしたのは自分だったが、謝られるほどのことはなかった。多分、道行く新入生の大半がそうだった。

「あっちに、ブースあるから、行こう!」

塞がっている両手の代わりに、斜めに掛けたボストンの紐を掴まれ、拒否る間もなく後をついて行くことになった。

「旅行はどこ行くの?テーマパークとか?寺とか観たりする?それとも食べ物メインとか?」

旅行好きなの?なら、この状況を修正する機会もあったと思う。
そういう人間ではなかったから、半世紀を越えても鮮やかに僕を引っ張り回す。

「そうだ!名前聞いてなかった」

天原(あまはら)春日(かすが)です」

「春日、よろしく。俺は三笠(みかさ)出月(いづき)。月が出た出た、で、いづき。つ、が濁るから、間違わないように」

すごい勢いで名前で呼び合うことが決まってしまったこの瞬間、サークルに入るかは別として、なんとなくこの先輩とは長い付き合いになりそうだと思ったのに、それはとんだ勘違いだった。
これも、僕は何も悪くない。

「春日は何学部?」

「法学部です」

「偏差値高いじゃん。俺、文学部。しかも独文」

「あんま変わらなくないですか?」

「いや、現文、古文めちゃくちゃ簡単って入試スレでも有名だったじゃん」

確かに、その年の文学部ドイツ文学専攻は過去に例を見ない程の低難度だったと評判だった。卒業生だった世界史か現代社会の教諭が、母校の名折れだと嘆いていた。

「え、待ってください」

「何?」

「タメ?」

「そうだよ?」

引き摺られるままだった足取りをようやく自分主導で止めることができた。

「なんだよ、タメかよ。強引過ぎるって。先輩かと思って何も言えなかった」

「ごめんごめん。背高いイケメンがいるから、これはと思って声掛けたら、旅サー、興味あるみたいだったから、つい」

「つい、じゃないし、何で1年がサークル勧誘してんだよ」

人混みのど真ん中で2人で爆笑した。どっちのせいだと一頻りやり合って、また出月に付いて歩いた。

「大学入ったら、旅行たくさんしようと思ってて。色んなとこ行って、見て、聞いて、覚えておきたくて。独文も、ドイツ、行ってみたいんだ。ドイツだけじゃなくて、ドイツ語圏?オーストリアに、スイスに、ルクセンブルク、あとリヒテンシュタインな」

「出月がサークル入る理由はわかったけど、何で勧誘してんの?何で俺?」

饒舌だった出月が、ほんの数秒、間を置いた。
その間なんて存在しなかったみたいに、屈託のない顔で、ちょっと片方の眉尻を上げて僕に笑い掛けた。

「春日の顔、めちゃくちゃタイプだったから。あと俺より背高い男じゃないと恋愛対象になんないし」

「完全に下心かよ。せめて旅好きそうとかそれっぽいこと言っておけよ」

少し、早口になってしまった。
今時の子たちのように、多様性だ、ダイバーシティだと、そういうことが当たり前の世の中ではなかったから。ただ、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という結びは素晴らしい、と教わった世代だった。
否定してはいけない、怪訝な顔をしてはいけない、まして、嫌悪するなんてよろしくない、そんな独善的な気持ちからだった。

「春日は、うん、いいやつだな。すげー好き」

「はいはい、俺は女の子が好きなんで、ご好意だけ受け取っておきます」

「俺?素が出てきた?でもなんか、春日は僕って感じだけど」

その日、僕は旅サークルの入会届を出し、既にサークルに馴染みきっていた出月が連れてきた新入生として、新歓コンパに臨み、終電を逃して、2人で先輩の家に泊まることになった。

*****