「え?」
周りの音がうるさいせいで、いまいちうまく聞き取れなかった。聞き返すと、大狼先輩は澄ました顔で首を横に振る。
「なんでもない。行こうか。カフェ、こっちから行く方が早く着くから」
「あ、はい。すみません。俺、方向音痴で全然場所が分かってなくて」
「一度行けば分かると思う。ただ、一度目は少し分かりにくい場所にあるから」
つっけんどんに言って、大狼先輩は地図アプリも使わずに歩き出す。
青空の下に出ると、大狼先輩が着ている青色のシャツが、余計に冴え冴えと映えて見えた。
藍色ほど暗くはないけれど、空よりも濃く深い青色。俺は白か黒か土色の地味な服しか着たことがないし、派手な色の服を買う勇気もないけれど、似合う人が着ると何でも似合うものなのだなあと、ついつい感動してしまう。
堂々とした姿に見惚れながら、ぼそりと俺はひとりごとのように呟いた。
「青、いいですね。海の旅路の色だ」
「――分かるのか?」
弾けるように大狼先輩がこちらを見る。探るような、でも期待を隠しきれないような、うずうずとした目だった。
俺は大きく頷いた。
「もちろんですよ! 見た時から思ってたんですけど、それ、『空より深い海の青』ですよね? 後編の一番の名シーンじゃないですか!」
『空より深い海の青』は、海の旅路の後半で出てくる色だった。
逃げ回っていたヒロインのヴィータを、主人公ルクスがようやく捕まえるのが、夜の海辺なのだ。それまで頑なに胸のうちを明かそうとしなかったヴィータが、『空より深い海の青。わたしの一番好きな色』と目を潤ませて、ようやく心を開いてくれるシーンでもある。
ああ、思い出すだけで目が勝手にうるうると潤んでくる。
「俺、あのシーンに来たとき、ちょうど真夜中だったんですよ。泣くまい泣くまいと思って空を見たら、ちょうど星がすごくきれいなときで、それを見たらもうダメでしたね。あ、『海の旅路』と同じじゃんってなっちゃって……! もう本当に目が溶けるかと思いましたよ!」
ずっとあの感動を共有したかった。ついつい熱く語ってしまったことを恥じる間もなく、「……分かる」と喜びを無理やり押し殺したような声が隣から聞こえてくる。
顔を向けると、大狼先輩も俺に負けず劣らず目をきらきらと輝かせながら、熱く拳を握っていた。
「ヴィータは自分の過去のこと、ずっと誰にも言えなかったんだよな。ずっと一緒に育ってきたルクスのことが大事だったから、ルクスにだけは言えなかった。健気なのに可哀想でさ」
「そうなんですよ! しかもあそこって音楽がまたいいじゃないですか……! そこで流すのは卑怯だろってくらい泣かせてくるから! えっと、たしか名前は――」
「「海の来し方!」」
ふたりして示し合わせたように口を開く。出た言葉までぴたりと被り、俺たちはふたり揃ってぽかんと言葉を止めた。
「わあ」
「被った」
お互い少し呆けたあとで、俺と大狼先輩はほとんど同時に笑い出す。
笑うと大狼先輩の顔は一気に親しみやすくなるものだから、うっかりちょっと見惚れてしまった。くすくすと唇の端に笑いの気配を残しつつ、大狼先輩は嬉しそうに視線をこちらに向けてくる。
「日辻、本当に海の旅路が好きなんだな」
「大狼先輩こそ」
「だって面白いだろ」
違いない。
俺は元々ゲーマーだし、大狼先輩もどうやら負けず劣らずのゲーム好きだ。たった少しのやり取りだけれど、通じ合える何かが間違いなくそこにあった。
お互いの共通項を確かめてしまえば、あっという間に緊張なんてほどけてしまう。数分前のぎこちなさなんてすっかり忘れて、俺と大狼先輩は、息をつく間もなく『海の旅路』について語りながら、コラボカフェへと向かっていった。
* * *
「俺、こういうの初めてです……!」
「俺も。中はこういう感じになってるんだな」
コラボカフェの席につくなり、俺たちはふたり揃ってきょろきょろと辺りを見渡した。
店構えは普通のカフェとそこまで変わらない。でも、壁やテーブルにはところどころ海の旅路を思わせるモチーフが飾られていて、見ているだけでも楽しくなった。
ぱっと見は女性客の方が多そうだけれど、男性客もそれなりにいそうでホッとする。旅路シリーズのファンは七割が男だとどこかのアンケートで見た覚えがあるけれど、こういうかわいらしいカフェには女性客しか来ないものなんじゃないかと、勝手な思い込みを持っていた。
俺と同じくらい物珍しそうにしている大狼先輩をちらりと見やって、俺はおそるおそる口を開く。
「大狼先輩も初めてなんですね。前にも来たことがあるのかと思ってました」
場所もしっかり知っていたし。
尋ねてみると、大狼先輩はあからさまにバツの悪そうな顔をした。
「来たことはある。ここ、前にも旅路シリーズのコラボイベントをやっててさ。その時に店の前までは来たんだけど、結局ひとりだと入りづらくて、そのまま帰った。だから中に入るのは今日が初めてだ」
「そういうこと、ありますよね」
ビビりの俺は、かなりの頻度でそれをやる。店員さんが忙しそうだとか、おしゃれすぎて謎のバリアを感じるとか、理由はその時によって変わるけれど、要は店に入るのには気合いがいるのだ。
「大狼先輩も外の店、苦手なタイプですか?」
少し意外だ。狐崎くんほど壁のないタイプとまではいかずとも、大狼先輩はそこまでシャイなタイプには見えない。初対面の時から俺を心配して声を掛けてくれたり、こうしてご飯に誘ってくれたりと、むしろ俺基準ではかなり勇気がある人に見えるのに。
疑問が顔に出ていたのか、大狼先輩は困ったように視線を店員さんの方へちらりと向けた。
「苦手というか――」
同年代と思わしき小柄な女性店員は、大狼先輩の視線に気づくや否や、びくりと怯えた様子で肩を揺らして、そそくさと奥へと行ってしまった。そんなあからさまな反応を見て、大狼先輩は諦めたように目を伏せる。
「……ここ、女の店員さんが多いだろ? 怖がらせても悪いから」
「な、なるほど」
可哀想だけれど、つい先ほど、自分も大狼先輩の目つきに怯んでしまった手前、「怖くないですよ」とは世辞でも言えない。
「大狼先輩、かっこいい上に目力がありますもんね」
慰めにもならない相槌を打ったところで、俺はそういえば、と背筋を伸ばして頭を下げた。
「先週、雨の日に声をかけてくれたの、大狼先輩ですよね? あのときはお礼も言えずにすみませんでした。ティッシュ、ありがとうございました。心配してくださって嬉しかったです」
「覚えてたのか」
かすかに目を見開いて、大狼先輩は慌てたように頭を下げ返してくれる。
「こっちこそ、いきなり声を掛けて悪かった。驚かせただろ」
「まあ、その、正直、少しびっくりしました。でも別に先輩のせいじゃありません。俺、基本的にビビリなので。……っ」
言った端から、死角から店員さんがテーブルにことりと水を置いていく。びくついて手を思いっきり跳ね上げた結果、手の甲をしたたかにテーブルに打ち付けて、俺は静かに身もだえた。
「大丈夫か、日辻」
大狼先輩が心配してくれるのが、余計にいたたまれない。痛みと羞恥で、涙が勝手に滲んできた。
「……大丈夫です。あの、その、いつもこんな感じなんです、俺。ビビり屋っていうか、もう習性みたいなものなので。俺がびくついてても、気にしないでください」
汗をかきながらごまかし笑いをしていると、大狼先輩もつられたように苦笑いを返してくれた。
「分かった。……とりあえず注文しようか」
「そうですね。へえ、すごい。本当にゲームと同じメニューなんですね」
テーブルに備え付けのタブレットを覗き込み、俺は思わず歓声を上げる。
ネモフィラブルーに灼熱チキン、サボテンクッキーに情熱甲羅焼き。
もはや名前だけだと何の料理なのかも怪しい料理は、まさに『海の旅路』の中でキャラクターたちが食べていた料理そのものだ。
「大狼先輩、灼熱チキンが食べたいって書いてましたよね。見てください。真っ赤ですよ、これ!」
写真を指差しながらほらほらと見せると、大狼先輩も嬉しそうに表情を緩めてくれた。
「ゲーム通りだな。本当に再現できるもんなんだな、あれ」
「どれくらい辛いんでしょうね。この天国の闇鍋っていうのも、よくメニューにしましたよね」
たしかゲームの中では、食べるとダメージを与える攻撃用の料理だったはずだ。どんな味がするのかまったく想像がつかなくて、とても気になる。
「闇鍋も食べてみたいですけど、面白過ぎる味だったらヤバいですよね」
無難においしそうな帝国オムレツとやらにしておくべきか。それともネタ料理臭がすごい天国の闇鍋を選んでみるか。
悩んでいると、大狼先輩がにやりと悪い顔で笑いかけてきた。
「せっかくふたりいるんだ。嫌でなければ、色々頼んでシェアするか?」
「いいんですか⁉︎ 灼熱チキンも興味あったんです」
「もちろん。どうせならゲームの中に出てくる味、全部試してみたいもんな」
「実は俺、このために朝飯、抜いてきました」
「俺も」
考えることは同じだったらしい。言葉を止めて見つめ合い、俺たちは熱い握手をがしりと交わした。
周りの音がうるさいせいで、いまいちうまく聞き取れなかった。聞き返すと、大狼先輩は澄ました顔で首を横に振る。
「なんでもない。行こうか。カフェ、こっちから行く方が早く着くから」
「あ、はい。すみません。俺、方向音痴で全然場所が分かってなくて」
「一度行けば分かると思う。ただ、一度目は少し分かりにくい場所にあるから」
つっけんどんに言って、大狼先輩は地図アプリも使わずに歩き出す。
青空の下に出ると、大狼先輩が着ている青色のシャツが、余計に冴え冴えと映えて見えた。
藍色ほど暗くはないけれど、空よりも濃く深い青色。俺は白か黒か土色の地味な服しか着たことがないし、派手な色の服を買う勇気もないけれど、似合う人が着ると何でも似合うものなのだなあと、ついつい感動してしまう。
堂々とした姿に見惚れながら、ぼそりと俺はひとりごとのように呟いた。
「青、いいですね。海の旅路の色だ」
「――分かるのか?」
弾けるように大狼先輩がこちらを見る。探るような、でも期待を隠しきれないような、うずうずとした目だった。
俺は大きく頷いた。
「もちろんですよ! 見た時から思ってたんですけど、それ、『空より深い海の青』ですよね? 後編の一番の名シーンじゃないですか!」
『空より深い海の青』は、海の旅路の後半で出てくる色だった。
逃げ回っていたヒロインのヴィータを、主人公ルクスがようやく捕まえるのが、夜の海辺なのだ。それまで頑なに胸のうちを明かそうとしなかったヴィータが、『空より深い海の青。わたしの一番好きな色』と目を潤ませて、ようやく心を開いてくれるシーンでもある。
ああ、思い出すだけで目が勝手にうるうると潤んでくる。
「俺、あのシーンに来たとき、ちょうど真夜中だったんですよ。泣くまい泣くまいと思って空を見たら、ちょうど星がすごくきれいなときで、それを見たらもうダメでしたね。あ、『海の旅路』と同じじゃんってなっちゃって……! もう本当に目が溶けるかと思いましたよ!」
ずっとあの感動を共有したかった。ついつい熱く語ってしまったことを恥じる間もなく、「……分かる」と喜びを無理やり押し殺したような声が隣から聞こえてくる。
顔を向けると、大狼先輩も俺に負けず劣らず目をきらきらと輝かせながら、熱く拳を握っていた。
「ヴィータは自分の過去のこと、ずっと誰にも言えなかったんだよな。ずっと一緒に育ってきたルクスのことが大事だったから、ルクスにだけは言えなかった。健気なのに可哀想でさ」
「そうなんですよ! しかもあそこって音楽がまたいいじゃないですか……! そこで流すのは卑怯だろってくらい泣かせてくるから! えっと、たしか名前は――」
「「海の来し方!」」
ふたりして示し合わせたように口を開く。出た言葉までぴたりと被り、俺たちはふたり揃ってぽかんと言葉を止めた。
「わあ」
「被った」
お互い少し呆けたあとで、俺と大狼先輩はほとんど同時に笑い出す。
笑うと大狼先輩の顔は一気に親しみやすくなるものだから、うっかりちょっと見惚れてしまった。くすくすと唇の端に笑いの気配を残しつつ、大狼先輩は嬉しそうに視線をこちらに向けてくる。
「日辻、本当に海の旅路が好きなんだな」
「大狼先輩こそ」
「だって面白いだろ」
違いない。
俺は元々ゲーマーだし、大狼先輩もどうやら負けず劣らずのゲーム好きだ。たった少しのやり取りだけれど、通じ合える何かが間違いなくそこにあった。
お互いの共通項を確かめてしまえば、あっという間に緊張なんてほどけてしまう。数分前のぎこちなさなんてすっかり忘れて、俺と大狼先輩は、息をつく間もなく『海の旅路』について語りながら、コラボカフェへと向かっていった。
* * *
「俺、こういうの初めてです……!」
「俺も。中はこういう感じになってるんだな」
コラボカフェの席につくなり、俺たちはふたり揃ってきょろきょろと辺りを見渡した。
店構えは普通のカフェとそこまで変わらない。でも、壁やテーブルにはところどころ海の旅路を思わせるモチーフが飾られていて、見ているだけでも楽しくなった。
ぱっと見は女性客の方が多そうだけれど、男性客もそれなりにいそうでホッとする。旅路シリーズのファンは七割が男だとどこかのアンケートで見た覚えがあるけれど、こういうかわいらしいカフェには女性客しか来ないものなんじゃないかと、勝手な思い込みを持っていた。
俺と同じくらい物珍しそうにしている大狼先輩をちらりと見やって、俺はおそるおそる口を開く。
「大狼先輩も初めてなんですね。前にも来たことがあるのかと思ってました」
場所もしっかり知っていたし。
尋ねてみると、大狼先輩はあからさまにバツの悪そうな顔をした。
「来たことはある。ここ、前にも旅路シリーズのコラボイベントをやっててさ。その時に店の前までは来たんだけど、結局ひとりだと入りづらくて、そのまま帰った。だから中に入るのは今日が初めてだ」
「そういうこと、ありますよね」
ビビりの俺は、かなりの頻度でそれをやる。店員さんが忙しそうだとか、おしゃれすぎて謎のバリアを感じるとか、理由はその時によって変わるけれど、要は店に入るのには気合いがいるのだ。
「大狼先輩も外の店、苦手なタイプですか?」
少し意外だ。狐崎くんほど壁のないタイプとまではいかずとも、大狼先輩はそこまでシャイなタイプには見えない。初対面の時から俺を心配して声を掛けてくれたり、こうしてご飯に誘ってくれたりと、むしろ俺基準ではかなり勇気がある人に見えるのに。
疑問が顔に出ていたのか、大狼先輩は困ったように視線を店員さんの方へちらりと向けた。
「苦手というか――」
同年代と思わしき小柄な女性店員は、大狼先輩の視線に気づくや否や、びくりと怯えた様子で肩を揺らして、そそくさと奥へと行ってしまった。そんなあからさまな反応を見て、大狼先輩は諦めたように目を伏せる。
「……ここ、女の店員さんが多いだろ? 怖がらせても悪いから」
「な、なるほど」
可哀想だけれど、つい先ほど、自分も大狼先輩の目つきに怯んでしまった手前、「怖くないですよ」とは世辞でも言えない。
「大狼先輩、かっこいい上に目力がありますもんね」
慰めにもならない相槌を打ったところで、俺はそういえば、と背筋を伸ばして頭を下げた。
「先週、雨の日に声をかけてくれたの、大狼先輩ですよね? あのときはお礼も言えずにすみませんでした。ティッシュ、ありがとうございました。心配してくださって嬉しかったです」
「覚えてたのか」
かすかに目を見開いて、大狼先輩は慌てたように頭を下げ返してくれる。
「こっちこそ、いきなり声を掛けて悪かった。驚かせただろ」
「まあ、その、正直、少しびっくりしました。でも別に先輩のせいじゃありません。俺、基本的にビビリなので。……っ」
言った端から、死角から店員さんがテーブルにことりと水を置いていく。びくついて手を思いっきり跳ね上げた結果、手の甲をしたたかにテーブルに打ち付けて、俺は静かに身もだえた。
「大丈夫か、日辻」
大狼先輩が心配してくれるのが、余計にいたたまれない。痛みと羞恥で、涙が勝手に滲んできた。
「……大丈夫です。あの、その、いつもこんな感じなんです、俺。ビビり屋っていうか、もう習性みたいなものなので。俺がびくついてても、気にしないでください」
汗をかきながらごまかし笑いをしていると、大狼先輩もつられたように苦笑いを返してくれた。
「分かった。……とりあえず注文しようか」
「そうですね。へえ、すごい。本当にゲームと同じメニューなんですね」
テーブルに備え付けのタブレットを覗き込み、俺は思わず歓声を上げる。
ネモフィラブルーに灼熱チキン、サボテンクッキーに情熱甲羅焼き。
もはや名前だけだと何の料理なのかも怪しい料理は、まさに『海の旅路』の中でキャラクターたちが食べていた料理そのものだ。
「大狼先輩、灼熱チキンが食べたいって書いてましたよね。見てください。真っ赤ですよ、これ!」
写真を指差しながらほらほらと見せると、大狼先輩も嬉しそうに表情を緩めてくれた。
「ゲーム通りだな。本当に再現できるもんなんだな、あれ」
「どれくらい辛いんでしょうね。この天国の闇鍋っていうのも、よくメニューにしましたよね」
たしかゲームの中では、食べるとダメージを与える攻撃用の料理だったはずだ。どんな味がするのかまったく想像がつかなくて、とても気になる。
「闇鍋も食べてみたいですけど、面白過ぎる味だったらヤバいですよね」
無難においしそうな帝国オムレツとやらにしておくべきか。それともネタ料理臭がすごい天国の闇鍋を選んでみるか。
悩んでいると、大狼先輩がにやりと悪い顔で笑いかけてきた。
「せっかくふたりいるんだ。嫌でなければ、色々頼んでシェアするか?」
「いいんですか⁉︎ 灼熱チキンも興味あったんです」
「もちろん。どうせならゲームの中に出てくる味、全部試してみたいもんな」
「実は俺、このために朝飯、抜いてきました」
「俺も」
考えることは同じだったらしい。言葉を止めて見つめ合い、俺たちは熱い握手をがしりと交わした。

