飼育当番四日目の日は、朝からひどいどしゃぶりだった。
かっぱを着て自転車に乗るのもなんだかダサいが、かといって傘さし運転は法律違反だ。仕方なしに俺は自転車通学を諦めて、真っ黒な雲の下を徒歩で学校に向かっていた。
ピコン。
LINEの通知音が聞こえた。俺はぼんやりと足を止め、ポケットからスマホをのそのそ取り出す。
送り主はクラスメイトの狐崎くんだった。その時点で、もういい予感はしない。
――日辻、飼育当番代わってくれてありがとうな
――悪いんだけど、時間がある日に旧小屋の掃除もお願いできないかな
――今のヤギ小屋の裏にある古い小屋なんだけど、先輩に整頓しろって言われたの忘れてて、今思い出した
ピコン、ピコンと立て続けに通知が鳴る。
(掃除……? あ、しまった。メッセージ、押しちゃった)
通知画面でメッセージを読んでいたのに、うっかりトーク画面を開いてしまった。これでは見なかったふりができなくなる。
――来週の先輩の当番までに掃除しとかないとヤバくてさ
――ほんとごめん
――よろしく頼む
(俺、狐崎くんのパシリじゃないんだけどなあ……)
よろしく頼むってなんだ、よろしく頼むって。まだいいよとも返していないのに。そもそも旧小屋ってなんなんだ。
なんて返したものかと悩んでいたその瞬間、隣を通り過ぎる車がばしゃんと盛大に泥水を跳ね上げていく。
「うわっ」
慌てて傘を下ろしたけれど、間に合わない。
「あーあ……」
肩から頬までびしょびしょだ。
ため息をついてうなだれる。今日は朝からついてない。
しょんぼりしながら歩き出したそのとき、向かい側から背の高い誰かが走ってきた。
多分、ランニングの最中なのだろう。薄手のウインドブレーカーを羽織ったその人は、目深にフードを被ったまま、俺の手前で足を止めて何かを差し出してきた。
「あの。よかったらこれ」
ポケットティッシュだ。車に水を跳ね上げられたところを見られたらしい。自分の鈍くささが恥ずかしかったけれど、知らない人の優しさは素直にありがたかった。
「ありがとうござ――」
お礼を言おうと見上げた瞬間、フードの隙間から見えたあまりの目つきの悪さに、思わず俺は言葉を止めてしまった。
(……顔が怖い!)
怒っているのかと聞きたくなるような剣呑な目つきに、ちょっと長めのウルフカット。まるで狼みたいな人だ。
どこかで見た覚えのある顔だと思えば、この前校門ですれ違ったときにガンをつけてきた先輩ではなかろうか。
「……それじゃあ」
失礼にも俺がビビり散らかしたのを察したのか、先輩はさらにフードを深く下ろすと、ペコリと軽く会釈してランニングへと戻っていってしまった。
「あ――」
思わず手を伸ばしたけれど、今さら遅い。
悪いことをしてしまった。せっかく親切にしてもらったのにお礼も言わないなんて、最低だ。
視線を落とした拍子に、狐崎くんとのトーク画面が目に入る。迷った挙句に了解、と一言返して、俺は深々とため息をついた。
(俺はどうしてこう意気地なしなんだろう)
言いたいことがいつも言えない。すぐに返事をしなければいけない状況になればなるほど、身に住み着いた弱虫がひょこりと顔を出す。
こんな自分が大嫌いだ。
こういうときは少しでも楽しいことで癒されたい。しょげながら向かったヤギ小屋で、メイとジューンへのあいさつもそこそこに、俺は日誌置き場へと直行した。
最後のページに書き足された、勢いのある字を目にした途端、胸のもやもやが一気に晴れる。
* * *
【八月三日 夕方 小雨】
夕方当番より、朝当番へ。
メイとジューンの毛皮は、雨の日だとふくらんでいて面白いです。かゆそうだったので、旧小屋の方からブラシを持ってきてブラッシングしました。旧小屋があまりにも散らかっていたので、ついでに掃除もしておきました。飼育委員の連中はもう少し掃除にも熱心になった方がいいと思います。
明日はどしゃぶりだと天気予報で見ました。朝当番さんもご無理なく。
海の旅路のよさ、共感してもらえてとても嬉しいです。ありがとう。俺は顔が怖い方だとよく言われるので、正直な感想を言うと笑われることが多くて、ひよってました。旅路仲間が同じ高校にいると思うと嬉しいです。
幼なじみや友だちと一緒でなくても、たまにどこかに出かけるのは悪くないと思います。夏休みはまだまだ長いです。予定を入れたいようでしたら、今からでも全然遅くありません。頑張って。
徹夜しすぎるとあとがキツイので、しっかり寝てください。
俺は明日ゲームが発売したら徹夜でやります。
(狼)
* * *
日誌から顔を上げ、俺はひっそりひとりで笑み崩れる。
「徹夜でゲームするなら、狼先輩だって人のことは言えないよなあ」
狼先輩は優しい。一番はじめに返事をくれたときもそうだけれど、一見するとぶっきらぼうな言葉の端々に、こちらへの気遣いが滲んでいるのがはっきり分かる。読んでいるとそれだけで心が慰められるようだった。
(旧小屋の掃除、狼先輩が先にやってくれたのか)
しかもこの書き方だと、自主的にやったのだろう。当番の仕事には入っていないヤギたちのブラッシングまでやってあげたようだし、狼先輩は聖人だろうか。
性懲りもなく横から覗き込もうとするメイを手のひらで押しのけかけて、思い直して頭を撫でる。言われてみれば、湿度のせいでいつもよりも少しだけ毛並みがふくふくとしているように感じられなくもない。
「ヤギでもぼさぼさになるんだな」
「メエエエ!」
言葉が分かったわけではないだろうけれど、メイは不快そうにひと鳴きすると、もう知らないと言わんばかりに頭を振って、ジューンの方へと行ってしまった。
* * *
【八月四日 朝 どしゃぶり】
朝当番より、夕方当番へ。
大雨のせいでヤギたちも機嫌が悪そうです。ご機嫌取りに、少しだけ新鮮な草をあげておきます。
旧小屋の掃除、ありがとうございました。ちょうど今朝、掃除を頼まれて途方に暮れていたところでした。ひとりで掃除するのは大変ではなかったですか? お手伝いできたらよかったんですが、できなかったので、せめてメイとジューンの今の小屋だけでもきれいにしておきますね。
海の旅路のこと、話せてこちらこそ嬉しいです。ありがとうございます。俺はビビりな方で、思ってることをうまく言えなくて反省することばかりなので、この日誌には本当にとても癒されています。旅路仲間がこんなに近くにいると思うと、すごく元気が出ます。
夏休みの予定についても考えてみます。とりあえず今日からは全力で海の旅路をプレイしないといけないので、クリアしてからまた考えます。
夕方当番さんも徹夜はほどほどにどうぞ。
(羊)
* * *
かっぱを着て自転車に乗るのもなんだかダサいが、かといって傘さし運転は法律違反だ。仕方なしに俺は自転車通学を諦めて、真っ黒な雲の下を徒歩で学校に向かっていた。
ピコン。
LINEの通知音が聞こえた。俺はぼんやりと足を止め、ポケットからスマホをのそのそ取り出す。
送り主はクラスメイトの狐崎くんだった。その時点で、もういい予感はしない。
――日辻、飼育当番代わってくれてありがとうな
――悪いんだけど、時間がある日に旧小屋の掃除もお願いできないかな
――今のヤギ小屋の裏にある古い小屋なんだけど、先輩に整頓しろって言われたの忘れてて、今思い出した
ピコン、ピコンと立て続けに通知が鳴る。
(掃除……? あ、しまった。メッセージ、押しちゃった)
通知画面でメッセージを読んでいたのに、うっかりトーク画面を開いてしまった。これでは見なかったふりができなくなる。
――来週の先輩の当番までに掃除しとかないとヤバくてさ
――ほんとごめん
――よろしく頼む
(俺、狐崎くんのパシリじゃないんだけどなあ……)
よろしく頼むってなんだ、よろしく頼むって。まだいいよとも返していないのに。そもそも旧小屋ってなんなんだ。
なんて返したものかと悩んでいたその瞬間、隣を通り過ぎる車がばしゃんと盛大に泥水を跳ね上げていく。
「うわっ」
慌てて傘を下ろしたけれど、間に合わない。
「あーあ……」
肩から頬までびしょびしょだ。
ため息をついてうなだれる。今日は朝からついてない。
しょんぼりしながら歩き出したそのとき、向かい側から背の高い誰かが走ってきた。
多分、ランニングの最中なのだろう。薄手のウインドブレーカーを羽織ったその人は、目深にフードを被ったまま、俺の手前で足を止めて何かを差し出してきた。
「あの。よかったらこれ」
ポケットティッシュだ。車に水を跳ね上げられたところを見られたらしい。自分の鈍くささが恥ずかしかったけれど、知らない人の優しさは素直にありがたかった。
「ありがとうござ――」
お礼を言おうと見上げた瞬間、フードの隙間から見えたあまりの目つきの悪さに、思わず俺は言葉を止めてしまった。
(……顔が怖い!)
怒っているのかと聞きたくなるような剣呑な目つきに、ちょっと長めのウルフカット。まるで狼みたいな人だ。
どこかで見た覚えのある顔だと思えば、この前校門ですれ違ったときにガンをつけてきた先輩ではなかろうか。
「……それじゃあ」
失礼にも俺がビビり散らかしたのを察したのか、先輩はさらにフードを深く下ろすと、ペコリと軽く会釈してランニングへと戻っていってしまった。
「あ――」
思わず手を伸ばしたけれど、今さら遅い。
悪いことをしてしまった。せっかく親切にしてもらったのにお礼も言わないなんて、最低だ。
視線を落とした拍子に、狐崎くんとのトーク画面が目に入る。迷った挙句に了解、と一言返して、俺は深々とため息をついた。
(俺はどうしてこう意気地なしなんだろう)
言いたいことがいつも言えない。すぐに返事をしなければいけない状況になればなるほど、身に住み着いた弱虫がひょこりと顔を出す。
こんな自分が大嫌いだ。
こういうときは少しでも楽しいことで癒されたい。しょげながら向かったヤギ小屋で、メイとジューンへのあいさつもそこそこに、俺は日誌置き場へと直行した。
最後のページに書き足された、勢いのある字を目にした途端、胸のもやもやが一気に晴れる。
* * *
【八月三日 夕方 小雨】
夕方当番より、朝当番へ。
メイとジューンの毛皮は、雨の日だとふくらんでいて面白いです。かゆそうだったので、旧小屋の方からブラシを持ってきてブラッシングしました。旧小屋があまりにも散らかっていたので、ついでに掃除もしておきました。飼育委員の連中はもう少し掃除にも熱心になった方がいいと思います。
明日はどしゃぶりだと天気予報で見ました。朝当番さんもご無理なく。
海の旅路のよさ、共感してもらえてとても嬉しいです。ありがとう。俺は顔が怖い方だとよく言われるので、正直な感想を言うと笑われることが多くて、ひよってました。旅路仲間が同じ高校にいると思うと嬉しいです。
幼なじみや友だちと一緒でなくても、たまにどこかに出かけるのは悪くないと思います。夏休みはまだまだ長いです。予定を入れたいようでしたら、今からでも全然遅くありません。頑張って。
徹夜しすぎるとあとがキツイので、しっかり寝てください。
俺は明日ゲームが発売したら徹夜でやります。
(狼)
* * *
日誌から顔を上げ、俺はひっそりひとりで笑み崩れる。
「徹夜でゲームするなら、狼先輩だって人のことは言えないよなあ」
狼先輩は優しい。一番はじめに返事をくれたときもそうだけれど、一見するとぶっきらぼうな言葉の端々に、こちらへの気遣いが滲んでいるのがはっきり分かる。読んでいるとそれだけで心が慰められるようだった。
(旧小屋の掃除、狼先輩が先にやってくれたのか)
しかもこの書き方だと、自主的にやったのだろう。当番の仕事には入っていないヤギたちのブラッシングまでやってあげたようだし、狼先輩は聖人だろうか。
性懲りもなく横から覗き込もうとするメイを手のひらで押しのけかけて、思い直して頭を撫でる。言われてみれば、湿度のせいでいつもよりも少しだけ毛並みがふくふくとしているように感じられなくもない。
「ヤギでもぼさぼさになるんだな」
「メエエエ!」
言葉が分かったわけではないだろうけれど、メイは不快そうにひと鳴きすると、もう知らないと言わんばかりに頭を振って、ジューンの方へと行ってしまった。
* * *
【八月四日 朝 どしゃぶり】
朝当番より、夕方当番へ。
大雨のせいでヤギたちも機嫌が悪そうです。ご機嫌取りに、少しだけ新鮮な草をあげておきます。
旧小屋の掃除、ありがとうございました。ちょうど今朝、掃除を頼まれて途方に暮れていたところでした。ひとりで掃除するのは大変ではなかったですか? お手伝いできたらよかったんですが、できなかったので、せめてメイとジューンの今の小屋だけでもきれいにしておきますね。
海の旅路のこと、話せてこちらこそ嬉しいです。ありがとうございます。俺はビビりな方で、思ってることをうまく言えなくて反省することばかりなので、この日誌には本当にとても癒されています。旅路仲間がこんなに近くにいると思うと、すごく元気が出ます。
夏休みの予定についても考えてみます。とりあえず今日からは全力で海の旅路をプレイしないといけないので、クリアしてからまた考えます。
夕方当番さんも徹夜はほどほどにどうぞ。
(羊)
* * *

