「頼れる先輩にもなりたいし、ゲーム友だちにもなりたいし、できることなら恋人にだってなりたいよ。でも、引かれたら元も子もないだろ。ようやく話せるようになったのに、日辻に嫌われたら生きていけない」
「ほらみろ。ヘタレだ」
たった今、自分が何を聞いてしまったのか分からなくて、俺は飛び上がりそうな気持ちになりながら固まっていた。熱暴走しそうな頭で分かる唯一のことといえば、先輩方に気づかれないうちに、今すぐここを離れた方がいいということだけだ。
そろりと影から足を踏み出す。
でも、こういうときに限って人というのはやらかすものだ。俺の腹と壁の間に引っ掛かってしまったカメラから、ぽろりと何かが落ちていく。
「……っ!」
多分、レンズのキャップがきちんと嵌まっていなかったのだろう。揺れた拍子に外れたキャップに慌てて手を伸ばしたが、間に合わない。
カラン、カラン。
軽やかな音が、夕暮れ時の静かな廊下に響き渡る。
「んー? 何だ?」
がらりと嫌な音がした。
顔を上げると、廊下の小窓から顔を出している有馬先輩と目が合った。俺はぱかりと口を開けて固まることしかできなかったし、向こうは向こうで真顔のまま硬直している。
「おい、どうした」
有馬先輩の後ろから、ひょこりと大狼先輩が顔を出す。
俺を見るなり、大狼先輩も固まった。
「ひ」
多分、日辻と呼んでくれようとしたのだろう。わなわなと唇を震わせた大狼先輩の顔から、この世の終わりとばかりに表情が抜け落ちていく。
「……す、すみません! 聞くつもりじゃなくて……!」
まだ熱の引き切っていない顔を隠す余裕もなく、俺はだらだらと汗を流しながら弁明する。
立ち聞きしていたことはもう言い訳できない。罪悪感で向ける顔もない。今すぐこの場から逃げ出したかった。
ああでもここで逃げたら、優しい大狼先輩はきっと傷ついてしまうだろう。それはよくない。
パニックになった俺は、自分が何を言っているのかも分からないまま、しどろもどろに口を開く。
「あの、俺も好きです!」
「え」
何を言っているんだ俺は。
たしかに狐崎くんは行けそうなときにサクッと告白すればいいとアドバイスをくれたけれど、絶対にこういうときではない。
恥ずかしすぎて死にそうだった。俺にできることはもう、逃げることだけだ。
「……すみませんっ! ごめんなさい! 許してください、失礼します!」
「おい、日辻⁉」
くるりと背を翻す。混乱しきった大狼先輩の声が後ろから聞こえたけれど、今は会わせる顔がない。とにかくここから立ち去りたくて、俺は衝動のままに階段を駆け下りていく。
「何ぼーっと突っ立てんだよ! 早く行け、隼人!」
有馬先輩が大狼先輩を急き立てるような声がした。ばたばたと背後から足音がするあたり、多分、大狼先輩が後ろからついてきているのだろう。
俺はますますパニックになって、来た道をまっすぐそのまま戻っていった。
外に出ると、夕陽はほとんど沈み、空も地面も静かな藍色に染まり始めていた。目についたヤギ小屋に飛び込んだ俺は、芝生の上を足をもつれさせながら走り抜け、一目散に倉庫へと飛び込んでいく。
「日辻、待ってくれ!」
「すみません!」
扉の前にいるだろう大狼先輩に謝りつつ、俺はそのまま閉めた扉にどんと背をつけ、自分自身を栓にした。
真っ暗な倉庫の中に逃げ込んだおかげで、ちょっとだけ頭が冷静になってくる。ぜえぜえと乱れた息が耳をついた。
「日辻。ごめん。説明させてくれ」
俺と同じくらい乱れた息を吐きながら、苦しそうな声で大狼先輩が言う。
「いえ! 謝るのは俺の方です。本当にすみません……!」
「違う! ごめん。どこまで聞いてたか分からないけど、気持ち悪いことして、本当にごめん……!」
「気持ち悪くなんてないです! むしろ俺の方が、立ち聞きなんて気持ち悪いことしてすみません!」
俺が悪い、いや俺がと何度も互いに謝り続ける。
しばらく経って、息が整ってきたころ、大狼先輩は小さな声でぽつぽつと話し始めた。
「……前に日誌にも書いたけど、俺、中学生のころに万引き犯に間違われそうになったことがあるんだ」
いったい何を話してくれるのかと、興味を惹かれて、俺は耳をそばだてた。
「ちょうど三年前かな。部活帰りに、本屋に買い物に行ったんだ。欲しい本を探してたら、たまたま近くで同年代のやつが店員に声を掛けられてた。万引きしようとしたところを見つかったみたいで、かなり揉めてた。そいつ、俺と目が合うなり『この人に盗めって脅されました』って指さしてきたんだ」
「ひどい」
思わず呟くと、大狼先輩は諦めたような笑いをこぼした。
「そうだな。でも俺、この顔だから、何も知らない人には、そういうことをしそうな人間に見えるんだと思う。店員も警察も、みんなそいつの言うことを信じた。違う、知らないっていくら言っても、誰も俺を信じてくれなかった。誰か見てた人はいないのかって店の中を見ても、みんな関わりたくなさそうに目を逸らすだけで……。日辻だけが、目を逸らさずに助けてくれた」
「……あれ、待ってください。本屋で、三年前……?」
――もしかして。
大狼先輩を助けたことなんてないと思っていたけれど、詳しい話を聞いてみると、なんとなく思い当たることが浮かんできた。
中学に上がってちょっとしたころ、俺は好きなゲームのコミカライズが出たと聞いて、ちょっと遠くの本屋まで行ったことがある。
でも、目当ての本棚の前にはスポーツ刈りの小柄な男子が立っていたから、棚が空くまで待たないといけなかった。待っている間、隣で立ち読みでもしようかなとも思ったのだけれど、そういうときに限って知り合いが入り口から入ってくるものだから、俺は慌てて隣の列に逃げ込んだのだ。
何しろ店に入ってきたのは、万引きを何度もしたと自慢げに話すような、あんまり関わりたくないタイプのクラスメイトだったから。
あれよあれよという間にそのクラスメイトは盗みをはたらき、店員に見咎められ、そして、何を思ったのか近くにいたその小柄な男子を巻き込んだ。
「中学のころ、大狼先輩、もしかしてスポーツ刈りでした……?」
おそるおそる尋ねてみると、大狼先輩は「ああ」と震える声で返答した。
「……覚えてるのか?」
「ぼんやりですけど……でも、体格も髪型も昔と全然違うので、あの時と同じだなんて全然気づきませんでした」
今の大狼先輩とは違ってかなり小柄な子だったし、年下かなと思ったような覚えがある。
万引き犯の苦しまぎれの嘘なんて誰も信じないだろうと思っていたのに、どういうわけか無関係なその子まで裏に連れて行かれそうになるものだから、あのときはどうすればいいのかとひどく焦ったものだ。
「『その子はさっきからそこで本を探していました。ジャージからして違う中学だし、多分、知り合いですらないと思います』って、日辻の方が倒れそうな顔しながら、庇ってくれた。あの時、日辻が証言してくれたおかげで、みんな誤解だって分かってくれたんだ。救われた気持ちだった」
「……大狼先輩はいつも大袈裟です。俺、見たものをただ言っただけなのに」
「大袈裟なもんか。すごく嬉しかった。俺が持ってた本見て、『それ面白いですよね、大変でしたね』って声まで掛けてくれて、天使みたいな人だなと思ったよ。名前を聞きたかったけど、すぐに親御さんに呼ばれて行っちゃったから、それきりだった」
天使云々はともかくとして、よく覚えているなあと感心する。そんなに前に大狼先輩と会っていたと思うと、なんだかすごく不思議な感じだ。
「……あの時の俺、ジャージ着てました?」
先ほど立ち聞きしてしまった話の内容を思い出し、好奇心から聞いてみる。扉の向こう側で、大狼先輩がぐっと息を詰まらせるような気配がした。
「……ああ、着てた。えんじ色の学校ジャージ。胸元に苗字の刺繍が入ってた」
「俺の名前、そんな前から憶えていてくれてたんですね」
「もちろん。入学式で恩人の顔を見つけたときは、夢でも見てるのかと思った。……日辻は全然気づいてなかったみたいだけどな」
ほんのわずか拗ねているようにも聞こえる言葉に、思わず吹き出しそうになる。
「すみません。だって全然雰囲気違うんですもん。昔は子犬って感じでしたけど、今の大狼先輩は大型犬っていうか、狼みたいにかっこいいじゃないですか。育ち過ぎですよ」
「日辻はちっとも変わらない」
「声を掛けてくれたらよかったのに。有馬先輩の言ってた俺に言えない悪行って、どんなことをしたんですか」
「あれはあいつが勝手に言ってるだけだ。俺はただ、普通に話しかけたら怖がられるかと思って、どうにか機会が作れないか考えてただけで……」
顔が見えないせいなのか、それともさっきお互いに気恥ずかしい思いをしたからなのか、なんだか言葉がするする出てくる。気のせいでなければ大狼先輩の声からも、さっきまでの強張りがなくなっているような気がした。
「悪行ってほどじゃないけど、気になるなら飼育日誌に書いてある」
「えっ」
暗くて見えないと知っているのに、その言葉についつい俺は倉庫の隅を見つめてしまう。そんな俺の行動が見えているみたいに、扉の外から大狼先輩は笑いまじりに言葉を足した。
「中にはないぞ。俺たちが当番だったときの分は切り取ってあるから」
「ええっ、じゃあ読めないじゃないですか」
「欲しいなら出てきてくれ。俺が持ってる」
かさかさと手紙を開くような音がした。
嘘なのか本当なのか、音だけでは分からない。
しばらく悩みはしたけれど、ずっとこのまま倉庫にいるわけにもいかない。さっきまで感じていた穴に埋まりたくてたまらない衝動も、大狼先輩が話をしてくれたおかげでだいぶ気持ちが落ち着いた。
意を決して、俺はそろりと倉庫の扉を開く。外はもうかなり暗くなっていたけれど、倉庫の暗さに目が慣れていたせいか、逆に少し明るく思えた。
「……やっと出てきてくれた」
泣き笑いみたいな表情で、大狼先輩がホッとしたように呟いた。
「ほらみろ。ヘタレだ」
たった今、自分が何を聞いてしまったのか分からなくて、俺は飛び上がりそうな気持ちになりながら固まっていた。熱暴走しそうな頭で分かる唯一のことといえば、先輩方に気づかれないうちに、今すぐここを離れた方がいいということだけだ。
そろりと影から足を踏み出す。
でも、こういうときに限って人というのはやらかすものだ。俺の腹と壁の間に引っ掛かってしまったカメラから、ぽろりと何かが落ちていく。
「……っ!」
多分、レンズのキャップがきちんと嵌まっていなかったのだろう。揺れた拍子に外れたキャップに慌てて手を伸ばしたが、間に合わない。
カラン、カラン。
軽やかな音が、夕暮れ時の静かな廊下に響き渡る。
「んー? 何だ?」
がらりと嫌な音がした。
顔を上げると、廊下の小窓から顔を出している有馬先輩と目が合った。俺はぱかりと口を開けて固まることしかできなかったし、向こうは向こうで真顔のまま硬直している。
「おい、どうした」
有馬先輩の後ろから、ひょこりと大狼先輩が顔を出す。
俺を見るなり、大狼先輩も固まった。
「ひ」
多分、日辻と呼んでくれようとしたのだろう。わなわなと唇を震わせた大狼先輩の顔から、この世の終わりとばかりに表情が抜け落ちていく。
「……す、すみません! 聞くつもりじゃなくて……!」
まだ熱の引き切っていない顔を隠す余裕もなく、俺はだらだらと汗を流しながら弁明する。
立ち聞きしていたことはもう言い訳できない。罪悪感で向ける顔もない。今すぐこの場から逃げ出したかった。
ああでもここで逃げたら、優しい大狼先輩はきっと傷ついてしまうだろう。それはよくない。
パニックになった俺は、自分が何を言っているのかも分からないまま、しどろもどろに口を開く。
「あの、俺も好きです!」
「え」
何を言っているんだ俺は。
たしかに狐崎くんは行けそうなときにサクッと告白すればいいとアドバイスをくれたけれど、絶対にこういうときではない。
恥ずかしすぎて死にそうだった。俺にできることはもう、逃げることだけだ。
「……すみませんっ! ごめんなさい! 許してください、失礼します!」
「おい、日辻⁉」
くるりと背を翻す。混乱しきった大狼先輩の声が後ろから聞こえたけれど、今は会わせる顔がない。とにかくここから立ち去りたくて、俺は衝動のままに階段を駆け下りていく。
「何ぼーっと突っ立てんだよ! 早く行け、隼人!」
有馬先輩が大狼先輩を急き立てるような声がした。ばたばたと背後から足音がするあたり、多分、大狼先輩が後ろからついてきているのだろう。
俺はますますパニックになって、来た道をまっすぐそのまま戻っていった。
外に出ると、夕陽はほとんど沈み、空も地面も静かな藍色に染まり始めていた。目についたヤギ小屋に飛び込んだ俺は、芝生の上を足をもつれさせながら走り抜け、一目散に倉庫へと飛び込んでいく。
「日辻、待ってくれ!」
「すみません!」
扉の前にいるだろう大狼先輩に謝りつつ、俺はそのまま閉めた扉にどんと背をつけ、自分自身を栓にした。
真っ暗な倉庫の中に逃げ込んだおかげで、ちょっとだけ頭が冷静になってくる。ぜえぜえと乱れた息が耳をついた。
「日辻。ごめん。説明させてくれ」
俺と同じくらい乱れた息を吐きながら、苦しそうな声で大狼先輩が言う。
「いえ! 謝るのは俺の方です。本当にすみません……!」
「違う! ごめん。どこまで聞いてたか分からないけど、気持ち悪いことして、本当にごめん……!」
「気持ち悪くなんてないです! むしろ俺の方が、立ち聞きなんて気持ち悪いことしてすみません!」
俺が悪い、いや俺がと何度も互いに謝り続ける。
しばらく経って、息が整ってきたころ、大狼先輩は小さな声でぽつぽつと話し始めた。
「……前に日誌にも書いたけど、俺、中学生のころに万引き犯に間違われそうになったことがあるんだ」
いったい何を話してくれるのかと、興味を惹かれて、俺は耳をそばだてた。
「ちょうど三年前かな。部活帰りに、本屋に買い物に行ったんだ。欲しい本を探してたら、たまたま近くで同年代のやつが店員に声を掛けられてた。万引きしようとしたところを見つかったみたいで、かなり揉めてた。そいつ、俺と目が合うなり『この人に盗めって脅されました』って指さしてきたんだ」
「ひどい」
思わず呟くと、大狼先輩は諦めたような笑いをこぼした。
「そうだな。でも俺、この顔だから、何も知らない人には、そういうことをしそうな人間に見えるんだと思う。店員も警察も、みんなそいつの言うことを信じた。違う、知らないっていくら言っても、誰も俺を信じてくれなかった。誰か見てた人はいないのかって店の中を見ても、みんな関わりたくなさそうに目を逸らすだけで……。日辻だけが、目を逸らさずに助けてくれた」
「……あれ、待ってください。本屋で、三年前……?」
――もしかして。
大狼先輩を助けたことなんてないと思っていたけれど、詳しい話を聞いてみると、なんとなく思い当たることが浮かんできた。
中学に上がってちょっとしたころ、俺は好きなゲームのコミカライズが出たと聞いて、ちょっと遠くの本屋まで行ったことがある。
でも、目当ての本棚の前にはスポーツ刈りの小柄な男子が立っていたから、棚が空くまで待たないといけなかった。待っている間、隣で立ち読みでもしようかなとも思ったのだけれど、そういうときに限って知り合いが入り口から入ってくるものだから、俺は慌てて隣の列に逃げ込んだのだ。
何しろ店に入ってきたのは、万引きを何度もしたと自慢げに話すような、あんまり関わりたくないタイプのクラスメイトだったから。
あれよあれよという間にそのクラスメイトは盗みをはたらき、店員に見咎められ、そして、何を思ったのか近くにいたその小柄な男子を巻き込んだ。
「中学のころ、大狼先輩、もしかしてスポーツ刈りでした……?」
おそるおそる尋ねてみると、大狼先輩は「ああ」と震える声で返答した。
「……覚えてるのか?」
「ぼんやりですけど……でも、体格も髪型も昔と全然違うので、あの時と同じだなんて全然気づきませんでした」
今の大狼先輩とは違ってかなり小柄な子だったし、年下かなと思ったような覚えがある。
万引き犯の苦しまぎれの嘘なんて誰も信じないだろうと思っていたのに、どういうわけか無関係なその子まで裏に連れて行かれそうになるものだから、あのときはどうすればいいのかとひどく焦ったものだ。
「『その子はさっきからそこで本を探していました。ジャージからして違う中学だし、多分、知り合いですらないと思います』って、日辻の方が倒れそうな顔しながら、庇ってくれた。あの時、日辻が証言してくれたおかげで、みんな誤解だって分かってくれたんだ。救われた気持ちだった」
「……大狼先輩はいつも大袈裟です。俺、見たものをただ言っただけなのに」
「大袈裟なもんか。すごく嬉しかった。俺が持ってた本見て、『それ面白いですよね、大変でしたね』って声まで掛けてくれて、天使みたいな人だなと思ったよ。名前を聞きたかったけど、すぐに親御さんに呼ばれて行っちゃったから、それきりだった」
天使云々はともかくとして、よく覚えているなあと感心する。そんなに前に大狼先輩と会っていたと思うと、なんだかすごく不思議な感じだ。
「……あの時の俺、ジャージ着てました?」
先ほど立ち聞きしてしまった話の内容を思い出し、好奇心から聞いてみる。扉の向こう側で、大狼先輩がぐっと息を詰まらせるような気配がした。
「……ああ、着てた。えんじ色の学校ジャージ。胸元に苗字の刺繍が入ってた」
「俺の名前、そんな前から憶えていてくれてたんですね」
「もちろん。入学式で恩人の顔を見つけたときは、夢でも見てるのかと思った。……日辻は全然気づいてなかったみたいだけどな」
ほんのわずか拗ねているようにも聞こえる言葉に、思わず吹き出しそうになる。
「すみません。だって全然雰囲気違うんですもん。昔は子犬って感じでしたけど、今の大狼先輩は大型犬っていうか、狼みたいにかっこいいじゃないですか。育ち過ぎですよ」
「日辻はちっとも変わらない」
「声を掛けてくれたらよかったのに。有馬先輩の言ってた俺に言えない悪行って、どんなことをしたんですか」
「あれはあいつが勝手に言ってるだけだ。俺はただ、普通に話しかけたら怖がられるかと思って、どうにか機会が作れないか考えてただけで……」
顔が見えないせいなのか、それともさっきお互いに気恥ずかしい思いをしたからなのか、なんだか言葉がするする出てくる。気のせいでなければ大狼先輩の声からも、さっきまでの強張りがなくなっているような気がした。
「悪行ってほどじゃないけど、気になるなら飼育日誌に書いてある」
「えっ」
暗くて見えないと知っているのに、その言葉についつい俺は倉庫の隅を見つめてしまう。そんな俺の行動が見えているみたいに、扉の外から大狼先輩は笑いまじりに言葉を足した。
「中にはないぞ。俺たちが当番だったときの分は切り取ってあるから」
「ええっ、じゃあ読めないじゃないですか」
「欲しいなら出てきてくれ。俺が持ってる」
かさかさと手紙を開くような音がした。
嘘なのか本当なのか、音だけでは分からない。
しばらく悩みはしたけれど、ずっとこのまま倉庫にいるわけにもいかない。さっきまで感じていた穴に埋まりたくてたまらない衝動も、大狼先輩が話をしてくれたおかげでだいぶ気持ちが落ち着いた。
意を決して、俺はそろりと倉庫の扉を開く。外はもうかなり暗くなっていたけれど、倉庫の暗さに目が慣れていたせいか、逆に少し明るく思えた。
「……やっと出てきてくれた」
泣き笑いみたいな表情で、大狼先輩がホッとしたように呟いた。

