「うん。いいね。だいぶ構図が様になってきた」
俺のカメラのプレビュー画面を覗き込み、狐崎くんは満足げに頷いた。
「ありがとう、狐崎くん」
「いいってことよ。先週の撮影会、俺出られなかったし」
かがりび山へのハイキングから、早くも三週間が経っていた。
先週は写真同好会の撮影会、先々週は大狼先輩の登山会があったので、大狼先輩と一緒に牧場に行く予定はいまだに実現できていない。せっかくなら次に会うときにはもっと上手に写真を撮れるようになっていたかったので、俺はこうして狐崎くんにお願いして、放課後に時々写真を見てもらっていた。
クラスではほぼ狐崎くんと話すことはないのだけれど、写真同好会のおかげで、こうして普通に話せるようになっているのが、なんだか不思議だ。
「先週はどこかに行ってたの?」
「彼女の家で勉強会。ほら、もうすぐ中間試験だろ」
「えらいね、もう勉強してるんだ」
近いといえば近いけれど、まだあと二週間は先の話だ。普段はおちゃらけて見えるのに、狐崎くんは意外にも前々から勉強を始めるタイプなのか。尊敬の眼差しを向けると、「いやいや、ちがうちがう!」とおかしそうに笑われた。
「デートの口実に決まってるじゃん。彼女、受験生だから。遊びには誘いづらいけど、勉強だったらいいかなって思ってさ」
「受験生ってことは、三年生なんだ」
「うん。だから、いられるときは一緒にいたいんだ。半年もしたら、卒業しちゃうから」
そうか。先輩が相手だと、そういう心配もしなくてはいけないのか。
うずうずとした好奇心に駆られて、俺は思い切って尋ねてみた。
「インスタで知り合ったって言ってたよね。付き合い始めたときって、どんな感じだった?」
「どんなって?」
「その……先輩だと、別にクラスでずっと一緒ってわけじゃないよね? よく知ってるわけじゃないのに、自分はその人のことが本当に好きなのかなとか、向こうは友だちとしてしか見てないんじゃないかなとか、悩まなかった?」
「ははあ、そういう聞き方するってことは、日辻の気になる相手も年上なんだな?」
ぎくりとしたけれど、狐崎くんは「いいよ。皆まで言うな」と芝居がかった動きで片手を挙げて、何事もなかったかのように答えてくれた。
「難しく考えなくてもいいんじゃない? その人と一緒にいるとき、後から考えて『バカだなー、自分』って思うようなことしちゃってたら、それだけ相手に夢中ってことで、つまりは好きってことじゃん。何回かデートに誘うとか、メッセやりとりするとかして、行けそうならサクッと告白すればいいんだよ。相手だってずっと付き合ってくれてるなら、こっちのこと気にしてくれてるってことなんだから」
「なるほど」
狐崎くんが言うと簡単そうに聞こえるけれど、俺からしてみれば、その『サクッと』がとてつもなく難しい。もっともらしく頷いてみたものの、とても実行できる気はしなかった。
狐崎くんにもそんな俺の性格はお見通しなのか、「でもまあ」と優しくアドバイスを付け足してくれた。
「直接言うのが照れくさいなら、LINEとかでもいいと思うよ。要は気持ちが伝わればいいんだし。頑張れよ、日辻!」
「う、うん。ありがとう」
……とは言ったものの、わざわざ伝えなくても別にいいかなと、ビビリの俺は思ってしまうのだ。
家に帰るという狐崎くんと別れて、視聴覚準備室へと戻りながら、俺は悶々と考える。
だって、そうじゃないか。
同じ男の後輩に突然告白された日には、きっと大狼先輩はすごく驚くはずだ。せっかく仲良くなれたのに、それがきっかけで一緒に遊ぶことさえできなくなってしまったら、悲しいどころの話じゃない。
そもそも俺は今の関係で十分満足しているし、これ以上大狼先輩とどうこうなりたいわけじゃない。……と思う。
窓から差し込む夕陽を避けつつ、なんとなしに外を見る。人気のないゴミ捨て場で、ちょうどカップルがキスをしている光景が見えた。
イチャつく場所はそこで本当に合っているのだろうか。
廊下からだと割と見えるって気づいてないんだろうか。
心配になってしまうけれど、恋というのはきっと、ああやって相手のこと以外何も見えなくなる強い気持ちのことをいうのだろう。俺は大狼先輩とたまに一緒に遊んで、ゲームの話をして、もっと仲良くなれたら嬉しいなとは思うけれど、ああいう周りが見えなくなる感じとはやっぱり違う気がする。
だから、いいのだ。ゆっくり仲良くなっていけたら、それで十分じゃないか。
そう自分に言い聞かせながら三階へ上がったそのとき、たまたま通りがかった教室の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「このヘタレ!」
自分に言われた気がして、思わずびくりと肩が揺れる。でも別に教室の中の人――有馬先輩は、俺に向かって言っているわけではないらしい。
「うるせえな。俺の勝手だろ」
俺と一緒にいるときとは違う、ちょっと乱暴な口調で大狼先輩が答えた。
喧嘩をしているのかなと思ったけれど、別にそういうわけではないらしい。足音を殺して廊下の角に隠れつつ、悪いと思いながらも、俺はふたりの会話に聞き耳を立てた。
「うるさいとはなんだ、恩知らずめ。隼人が愛しの日辻くんと知り合いたいっていうから、俺は夏休みの当番をわざわざ変わってやったんだぞ」
「恩着せがましいんだよ。元々飼育当番なんてダルいっつってたのはそっちだろうが」
愛しの日辻くん?
(俺……なわけないよな?)
さすがに自意識過剰というものだ。でも、ますます話の内容が気になって、ついつい前のめりになってしまった。
「そもそも二回もデートしといて手も繋いでないってなんだよ。そんなヤンキーみたいな顔してるくせして中身はヘタレなんて、情けないなあ」
「顔は関係ないだろ。だいたい、いきなり手なんて繋げるか! そんないきなり下心見え見えのことしたら怖がられるだろ。日辻は天使みたいに清らかで純粋なんだから」
天使? 清らか?
(うん。やっぱり俺じゃないな!)
俺も二回ほど大狼先輩と一緒に遊びに行った。デートと呼ぼうと思えば呼べなくもないだろうが、それはさすがに俺の願望が入りすぎているというものだ。
「俺が何かおかしなことして、日辻のこの純粋な笑顔が曇ったらどうしてくれる」
「知らないよ。いちいち日辻くんの待ち受け見せてくれなくていいから、しまってくれる? それ人に見られたら一瞬で終わるぞ。キモいやつだな」
「俺のどこがキモいんだ」
「どこもかしこもだよ。どうせ『登頂記念に一枚!』とかうまいこと言って撮らせてもらったんだろ。せめて一緒に撮った写真にしろよな。ピン写真じゃなくて」
この間たしか登頂記念に一枚写真を撮ってもらったけれど、まさかあの写真の話ではないだろう。
はあーあ、と有馬先輩の大きなため息が聞こえてくる。
「そんなに好きなら、気合い入れてさっさと口説けばいいのに。意識してもらわなきゃ、始まるもんも始まらないぞ。もたもたしてる間に日辻くんに恋人ができたらどうするんだよ。そんな優しい子なら、隼人みたいに助けられて惚れるやつ、絶対いるだろ」
「大丈夫。いても近づけさせなきゃいい。知り合いたくても名前を知らなきゃ何もできない。俺が全力で妨害する」
「うわあ、陰湿」
そういえばこの前、おじさんに絡まれていた女性客が何かを言いかけたとき、大狼先輩はらしくもなく強引に話を遮っていた。だからといって、別に関係はないだろうが。
(さすがに考えすぎだよな)
「ヘタレの上に陰湿だなんて、俺は情けなすぎて涙が出そうだよ、隼人」
「陰湿ではないだろ、別に」
「じゃあキモい。本人から名前聞いたわけでもないのにジャージの名前で特定するわ、忘れ物があったら話す口実ができるかもってキモい理由でヤギ小屋漁るわ、付き合ってもないのに写真勝手に待ち受けにするわ、今までどれだけ日辻くんに言えない悪行積んできた? 俺は幼馴染がストーカーになったらどうしようかって割と本気でひやひやしてるんだぞ」
「日辻が怖がるようなこと、するわけないだろ。……いいからほっとけよ。日辻とは趣味も合うし、一緒にいるだけで楽しいし、話せるようになっただけでも十分嬉しいんだ。ゆっくり仲良くなっていけたら、それでいいんだよ」
(俺と同じだ)
頬がどうしようもなく熱かった。
俺のことじゃないかもしれない。大狼先輩にはほかに気になる相手がいて、たまたま俺と同じ名前なだけかもしれない。
――でも、もしこれが俺のことだったら?
潰しきれない期待が、そのまま熱になって全身に広がっていく。頬も耳も熱くなり、しまいにはおかしな汗まで噴き出してきた。
「本当に? 好きじゃないの、日辻くんのこと? 恋人として付き合いたいって意味の方の好きかと思ってた」
「好きに決まってるだろ」
心臓が口から飛び出るかと思った。
俺のカメラのプレビュー画面を覗き込み、狐崎くんは満足げに頷いた。
「ありがとう、狐崎くん」
「いいってことよ。先週の撮影会、俺出られなかったし」
かがりび山へのハイキングから、早くも三週間が経っていた。
先週は写真同好会の撮影会、先々週は大狼先輩の登山会があったので、大狼先輩と一緒に牧場に行く予定はいまだに実現できていない。せっかくなら次に会うときにはもっと上手に写真を撮れるようになっていたかったので、俺はこうして狐崎くんにお願いして、放課後に時々写真を見てもらっていた。
クラスではほぼ狐崎くんと話すことはないのだけれど、写真同好会のおかげで、こうして普通に話せるようになっているのが、なんだか不思議だ。
「先週はどこかに行ってたの?」
「彼女の家で勉強会。ほら、もうすぐ中間試験だろ」
「えらいね、もう勉強してるんだ」
近いといえば近いけれど、まだあと二週間は先の話だ。普段はおちゃらけて見えるのに、狐崎くんは意外にも前々から勉強を始めるタイプなのか。尊敬の眼差しを向けると、「いやいや、ちがうちがう!」とおかしそうに笑われた。
「デートの口実に決まってるじゃん。彼女、受験生だから。遊びには誘いづらいけど、勉強だったらいいかなって思ってさ」
「受験生ってことは、三年生なんだ」
「うん。だから、いられるときは一緒にいたいんだ。半年もしたら、卒業しちゃうから」
そうか。先輩が相手だと、そういう心配もしなくてはいけないのか。
うずうずとした好奇心に駆られて、俺は思い切って尋ねてみた。
「インスタで知り合ったって言ってたよね。付き合い始めたときって、どんな感じだった?」
「どんなって?」
「その……先輩だと、別にクラスでずっと一緒ってわけじゃないよね? よく知ってるわけじゃないのに、自分はその人のことが本当に好きなのかなとか、向こうは友だちとしてしか見てないんじゃないかなとか、悩まなかった?」
「ははあ、そういう聞き方するってことは、日辻の気になる相手も年上なんだな?」
ぎくりとしたけれど、狐崎くんは「いいよ。皆まで言うな」と芝居がかった動きで片手を挙げて、何事もなかったかのように答えてくれた。
「難しく考えなくてもいいんじゃない? その人と一緒にいるとき、後から考えて『バカだなー、自分』って思うようなことしちゃってたら、それだけ相手に夢中ってことで、つまりは好きってことじゃん。何回かデートに誘うとか、メッセやりとりするとかして、行けそうならサクッと告白すればいいんだよ。相手だってずっと付き合ってくれてるなら、こっちのこと気にしてくれてるってことなんだから」
「なるほど」
狐崎くんが言うと簡単そうに聞こえるけれど、俺からしてみれば、その『サクッと』がとてつもなく難しい。もっともらしく頷いてみたものの、とても実行できる気はしなかった。
狐崎くんにもそんな俺の性格はお見通しなのか、「でもまあ」と優しくアドバイスを付け足してくれた。
「直接言うのが照れくさいなら、LINEとかでもいいと思うよ。要は気持ちが伝わればいいんだし。頑張れよ、日辻!」
「う、うん。ありがとう」
……とは言ったものの、わざわざ伝えなくても別にいいかなと、ビビリの俺は思ってしまうのだ。
家に帰るという狐崎くんと別れて、視聴覚準備室へと戻りながら、俺は悶々と考える。
だって、そうじゃないか。
同じ男の後輩に突然告白された日には、きっと大狼先輩はすごく驚くはずだ。せっかく仲良くなれたのに、それがきっかけで一緒に遊ぶことさえできなくなってしまったら、悲しいどころの話じゃない。
そもそも俺は今の関係で十分満足しているし、これ以上大狼先輩とどうこうなりたいわけじゃない。……と思う。
窓から差し込む夕陽を避けつつ、なんとなしに外を見る。人気のないゴミ捨て場で、ちょうどカップルがキスをしている光景が見えた。
イチャつく場所はそこで本当に合っているのだろうか。
廊下からだと割と見えるって気づいてないんだろうか。
心配になってしまうけれど、恋というのはきっと、ああやって相手のこと以外何も見えなくなる強い気持ちのことをいうのだろう。俺は大狼先輩とたまに一緒に遊んで、ゲームの話をして、もっと仲良くなれたら嬉しいなとは思うけれど、ああいう周りが見えなくなる感じとはやっぱり違う気がする。
だから、いいのだ。ゆっくり仲良くなっていけたら、それで十分じゃないか。
そう自分に言い聞かせながら三階へ上がったそのとき、たまたま通りがかった教室の中から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「このヘタレ!」
自分に言われた気がして、思わずびくりと肩が揺れる。でも別に教室の中の人――有馬先輩は、俺に向かって言っているわけではないらしい。
「うるせえな。俺の勝手だろ」
俺と一緒にいるときとは違う、ちょっと乱暴な口調で大狼先輩が答えた。
喧嘩をしているのかなと思ったけれど、別にそういうわけではないらしい。足音を殺して廊下の角に隠れつつ、悪いと思いながらも、俺はふたりの会話に聞き耳を立てた。
「うるさいとはなんだ、恩知らずめ。隼人が愛しの日辻くんと知り合いたいっていうから、俺は夏休みの当番をわざわざ変わってやったんだぞ」
「恩着せがましいんだよ。元々飼育当番なんてダルいっつってたのはそっちだろうが」
愛しの日辻くん?
(俺……なわけないよな?)
さすがに自意識過剰というものだ。でも、ますます話の内容が気になって、ついつい前のめりになってしまった。
「そもそも二回もデートしといて手も繋いでないってなんだよ。そんなヤンキーみたいな顔してるくせして中身はヘタレなんて、情けないなあ」
「顔は関係ないだろ。だいたい、いきなり手なんて繋げるか! そんないきなり下心見え見えのことしたら怖がられるだろ。日辻は天使みたいに清らかで純粋なんだから」
天使? 清らか?
(うん。やっぱり俺じゃないな!)
俺も二回ほど大狼先輩と一緒に遊びに行った。デートと呼ぼうと思えば呼べなくもないだろうが、それはさすがに俺の願望が入りすぎているというものだ。
「俺が何かおかしなことして、日辻のこの純粋な笑顔が曇ったらどうしてくれる」
「知らないよ。いちいち日辻くんの待ち受け見せてくれなくていいから、しまってくれる? それ人に見られたら一瞬で終わるぞ。キモいやつだな」
「俺のどこがキモいんだ」
「どこもかしこもだよ。どうせ『登頂記念に一枚!』とかうまいこと言って撮らせてもらったんだろ。せめて一緒に撮った写真にしろよな。ピン写真じゃなくて」
この間たしか登頂記念に一枚写真を撮ってもらったけれど、まさかあの写真の話ではないだろう。
はあーあ、と有馬先輩の大きなため息が聞こえてくる。
「そんなに好きなら、気合い入れてさっさと口説けばいいのに。意識してもらわなきゃ、始まるもんも始まらないぞ。もたもたしてる間に日辻くんに恋人ができたらどうするんだよ。そんな優しい子なら、隼人みたいに助けられて惚れるやつ、絶対いるだろ」
「大丈夫。いても近づけさせなきゃいい。知り合いたくても名前を知らなきゃ何もできない。俺が全力で妨害する」
「うわあ、陰湿」
そういえばこの前、おじさんに絡まれていた女性客が何かを言いかけたとき、大狼先輩はらしくもなく強引に話を遮っていた。だからといって、別に関係はないだろうが。
(さすがに考えすぎだよな)
「ヘタレの上に陰湿だなんて、俺は情けなすぎて涙が出そうだよ、隼人」
「陰湿ではないだろ、別に」
「じゃあキモい。本人から名前聞いたわけでもないのにジャージの名前で特定するわ、忘れ物があったら話す口実ができるかもってキモい理由でヤギ小屋漁るわ、付き合ってもないのに写真勝手に待ち受けにするわ、今までどれだけ日辻くんに言えない悪行積んできた? 俺は幼馴染がストーカーになったらどうしようかって割と本気でひやひやしてるんだぞ」
「日辻が怖がるようなこと、するわけないだろ。……いいからほっとけよ。日辻とは趣味も合うし、一緒にいるだけで楽しいし、話せるようになっただけでも十分嬉しいんだ。ゆっくり仲良くなっていけたら、それでいいんだよ」
(俺と同じだ)
頬がどうしようもなく熱かった。
俺のことじゃないかもしれない。大狼先輩にはほかに気になる相手がいて、たまたま俺と同じ名前なだけかもしれない。
――でも、もしこれが俺のことだったら?
潰しきれない期待が、そのまま熱になって全身に広がっていく。頬も耳も熱くなり、しまいにはおかしな汗まで噴き出してきた。
「本当に? 好きじゃないの、日辻くんのこと? 恋人として付き合いたいって意味の方の好きかと思ってた」
「好きに決まってるだろ」
心臓が口から飛び出るかと思った。

