羊くんと狼先輩の交換日誌

 帰宅後、シャワーを浴びて汗を流したところで、俺は今日撮った写真をにやつきながら眺めていた。
 快晴だったこともあり、景色の写真や虫の写真は、我ながら色鮮やかないい出来だ。ド素人ではあるけれど、色々撮ってみるのは楽しかった。週明けに同好会の人たちに構図を見てもらったら、写真同好会に馴染むきっかけになるだろうか。
 
「楽しかったなあ」

 ぼそりと呟く。
 ハイキングに行ったのも初めてだったし、たくさん大狼先輩と話せて楽しかった。カレーもおいしかったし、最後だけちょっと気疲れするイベントはあったものの、大狼先輩が一緒にいてくれたから、あれだってきっと笑えるいい思い出になるはずだ。
 大狼先輩は優しい。
 写真同好会に入って、こんな風にいきなりカメラを持って回って形から入っている俺を、大狼先輩は一回も笑わなかった。それどころか、色々試すことを応援してくれた。同好会に入ると言ったときだってそうだし、今日のカフェでの出来事だってそうだ。
 ビビりな俺にとっての挑戦だなんて、普通の人から見たらきっとしょぼくて仕方のないことなのに、気づいて認めてくれるのがとても嬉しい。
 気づけば俺は、大狼先輩の写真ばかりを繰り返し眺めていた。

(これは登山口の。これはトカゲが出たとき。これは――)

 次々と写真を見ては今日の思い出を反芻する。
 ある一枚の写真に差し掛かったところで、俺はプレビュー画面を送る手をぴたりと止めた。
 映っているのは、憂いを帯びた大狼先輩の横顔だ。山頂で、人目の少ないところへと避難していた大狼先輩を、隠し撮りした写真である。
 最初はほんのり悲しげに景色を見ていた先輩の顔が、振り向くにつれて明るい笑顔に変わっていく。連写で撮った最後の写真には、青空を背景に、はにかむような優しい笑顔をこちらに向ける大狼先輩が映っていた。
 大狼先輩はこんな顔をしていたのか。たしかに自分の目で見た光景のはずなのに、新鮮だった。
 かっこいいのにかわいく見える、大狼先輩の緩んだ笑顔に束の間見惚れる。

(大型犬みたいだ)
 
 走り出す前の大型犬は、こういう見ているだけで胸が愛おしさでいっぱいになるような顔をしているのではないだろうか。大狼先輩が犬なら、シェパードやウルフドッグあたりの凛々しい犬になるに違いない。ハスキーあたりも似合うかも。
 想像して、くすくすとひとりでひっそり笑う。
 じっくりとその写真を見つめた後で、俺は電池の切れたおもちゃのように、ごろりとベッドに突っ伏して転がった。
 頭の中にあったのは、写真同好会に勧誘されたとき、狐崎くんが言っていた言葉だった。

『写真の中に、撮った人がそのまま見えるっつーの? その人がどんな風に世界を見てるのかとか、被写体とどんな関係なのかとか、そういうものがそのまま映る。気持ちごと景色を切り取ってるみたいで、わくわくするんだ』

 狐崎くんが撮ったという海辺の恋人の写真は、切ないくらいに綺麗で神秘的だった。
 俺が撮った大狼先輩の写真は、かっこよくてかわいくて、見ているだけで今日の楽しさを思い出すような、晴れ晴れとした写真だった。
 見ていると愛おしくてたまらなくなるというのは、つまり俺がにとっての大狼先輩が、そういう存在であるということになりはしないか。
 
「いや、いやいやいや。そんな、まさか」

 ゲームの話ができる、初めての友だちのつもりだった。決してそういう目で見ているわけではない。
 そう思うのに、脳内の自分は淡々と理詰めで俺を追い詰めてくる。
 
 友だちに笑いかけられて心臓が跳ねるのはおかしくないか。
 そばにいると幸せで、もっと相手のことを知りたいと思う気持ちはなんなのだ。
 わざわざカメラを持って行って、練習だなんて言って撮らせてもらったことに、本当に何の下心もなかったか?
 メッセージの返事が来ないかそわそわ待つのは、友だちの範疇に収まるのだろうか。
 好きだと言われて、俺は最初、何を期待した?
 
(ダメだ。深く考えるとよくない気がする!)

 俺は気分を変えようと身を起こし、『海の旅路』を立ち上げた。
 メインストーリーは発売してすぐにクリアしてしまったから、今はサブイベントをこつこつこなしながら二週目を楽しんでいる最中だ。世界中を回って写真アルバムを埋めるサブクエストはかなり手間がかかったけれど、ようやくラスト一枚を納品するところまで来ていた。

(だいたいこういう時間のかかるサブイベは、イベントクリアすると特別イベントが見られるんだよな)

 いわゆるご褒美イベントというやつだ。ヒロインのヴィータがパーティーから抜けている間の限定クエストなので、主人公のルクスの過去か何かが見られるのではないかと期待している。

「……これでよし、と」

 サブイベントの担当キャラに写真を渡すと、予想通り、画面がイベントムービーへと切り替わった。
 長く大変な依頼をこなしてくれたルクスへの礼に、海の精霊が海の中の遺跡へと招いてくれるというイベントらしい。

『あなたの心を彩る記憶が、どうかあなたのこの先の旅路の助けとなりますように』

 どこからともなくそんな声が響いた瞬間、画面がぐるりと切り替わり、ルクスは幼少期の記憶の中にいた。
 ヒロインのヴィータと出会い、遊び、喧嘩をしては仲直りをしていた幼い日々の光景が、次から次へと再生される。思い出の中の時が進むにつれて、ヴィータの姿はどんどんと大きくなっていった。
 いつでもまっすぐにルクスを見つめ、不器用に微笑むヴィータの姿は、きっとルクスの視点から見たヴィータなのだろう。ゲーム本編で見る以上にかわいくて、気が抜けた表情をしていた。
 きらきら。きらきら。海の中で鮮やかな思い出のかけらがいくつもきらめく。
 
「……きれいだな」

 奇しくも俺の独り言は、ゲームの中でルクスが呟いた言葉と一致していた。
 やがて、記憶の海からすくい上げられたルクスは、夜の浜辺で海の精霊と言葉を交わす。
 
『俺はヴィータと一緒にいたい』
『なんのために? 君は彼女のことを何も知らないじゃないか』
『だから知りたい。いなくなってから気づくなんて馬鹿みたいだけど、ヴィータと一緒にいたときも、ヴィータがいなくなってからも、俺、ずっとあの子のことを考えてた。一緒にいると楽しくて、幸せで、もっと色んなことをふたりでしたいんだ』
 
 ちょっと分かるな、と不覚にも思ってしまった。
 暇があれば誰かのことを考えてしまう気持ちも、もっと知りたいと思う気持ちも、一緒にいると楽しくて、色んなことを頑張れるようになる気持ちも、今の俺にはよく分かる。『海の旅路』の中で、ルクスはそういう気持ちに恋も家族愛も相棒愛もひっくるめた「好き」という名前をつけていたけれど、俺はどうしたらいいのだろう。
 悩んだ末に、『海の旅路』のデータをセーブして、俺はスマホを手に取った。カメラから大狼先輩が映っている写真のデータをスマホに移し、LINEで送る。
 
 ――羊:今日の写真です
 ――羊:ハイキングに連れて行ってくださって本当にありがとうございました
 ――羊:最高に楽しかったです!

 返事はすぐに返ってきた。
 
 ――狼:楽しんでもらえてよかったです
 ――狼:また遊びましょう

 次のメッセージは、打とうかどうしようかしばらく迷った。
 俺から誘ったら迷惑かもしれない。でも、コラボカフェに行ったときも、かがりび山も、どちらも大狼先輩が誘ってくれた。俺がすごく嬉しかったみたいに、大狼先輩も俺と遊ぶ日を楽しみにしてくれるかもしれない。
 なけなしの勇気を出して、俺は短いメッセージを送ってみた。

 ――羊:今度、よければ牧場に付き合ってもらえませんか
 ――羊:近くにふれあい牧場があるみたいなんです
 ――狼:もしかしてメイとジューンの出身牧場ですか

 知っていたらしい。飼育委員をやるくらいだから、大狼先輩は動物が好きなのかなと思って、目をつけていた場所だった。
 
 ――羊:ミニブタがいるらしいです
 ――狼:白と黒の二色ですか
 ――羊:それは旅路の中だけですね!
 ――羊:でもピンクでかわいいらしいですよ
 ――狼:気になってた場所です。ぜひ行きましょう

「やった」
 
 日時はお互いの同好会の予定を確かめた上で決めることになったけれど、これでまた『次』ができた。
 勇気を出してみてよかった。ひとしきり部屋の中で小躍りしたあとで、はたと俺は立ち止まる。

(そういえば大狼先輩、飼育委員じゃなかったんだっけ)

 狐崎くんがそんなようなことを言っていたはずだ。今日会ったときにどうして夏休みに飼育委員をやっていたのか聞いてみればよかった。
 後悔といえば、俺が大狼先輩を助けたという話も、いつのことなのか詳しく聞いてみればよかった。あの時は好きという言葉で頭がいっぱいになってしまって、ちっとも考えが至らなかった。
 好き。
 そういうところがすごく好きだと言ってくれたときの、大狼先輩の優しい声を思い出して、ボッと顔が熱くなる。
 もう俺はダメかもしれない。
 相手は年上の先輩で、しかも同性だ。そもそも大狼先輩は、『あんな風に友情と恋の境にあるような優しい恋には、正直少し憧れます』と飼育日誌に書いていた。出会って一ヶ月と経たないうちから惹かれるような一目惚れじみた恋なんて、大狼先輩からしてみたら迷惑なだけに違いないのに。

「いやいや、恋じゃない。恋じゃない」

 ぼそぼそと口の中だけで言い訳をした後で、俺は思考をシャットダウンするように布団の中へと潜り込んだ。