羊くんと狼先輩の交換日誌

 * * *
 
【八月一日 朝 晴れ】
 朝当番より、夕方当番へ。
 本日より一週間、飼育委員の代理を頼まれたので、ヤギのメイとジューンの朝のエサやりを担当することになりました。
 倉庫の奥で飼育日誌を見つけたので、一応記録を残しておきます。見た目からしていかにも古いし、多分見る人はいないと思いますが、念のため。
 マニュアル通りやりましたが、エサやり当番をするのは初めてなので、間違いがあったらすみません。
 干し草がなくなりかけていたので入れ替えました。暑いせいかヤギたちの食欲が落ちているように見えました。扇風機を強にしておきます。元気になりますように。
 
 ヤギって農業高校っぽいですよね。でも、思っていたより当番の仕事が多くて大変でした。頼まれたからといってほいほい替わってしまったことを少し後悔しています。
 早く帰ってゲームがしたいです。最近買った海の旅路というゲームが面白くてハマっているので、夏休み中はこれをやりこんで暇をつぶそうと思います。

(羊)
 
 * * *

「これでよし、と」

 ページの最後に羊のマークを描き加え、俺はこんなもんかと頷いた。
 羊を描いた意味は特にない。単に自分の苗字が日辻(ひつじ)だからというだけだ。それに、絵で適当にサインっぽくしておけば、万が一誰かにこんなふざけた日誌を見られたとしても恥ずかしくない。
 ペンを置いたそのとき、メエエと気の抜けるような声が小屋全体に響き渡った。
 
「分かった分かった。今行くからさ。待っててよ!」

 俺は慌てて顔を上げ、ヤギたちに返事をする。
 そう、ヤギである。二匹どちらもメスで、妙齢のレディヤギだ。
 このまほろば農業高校では、昔からヤギを飼育していた。時にご近所の畑に除草役として駆り出され、時に実習で高校生に搾乳訓練をさせてくれるヤギたちは、もはやペットというより職員だ。敬意を込めて、平日だろうと夏休みだろうと関係なく、飼育委員が持ち回りでエサやりを担当することになっていた。
 まあ俺は当番を押し付けられただけで、別に正規の飼育委員ではないのだけれど!

(日誌とか、昔はちゃんとつけてたんだなあ)
 
 最後の日付は二年前だけど、それまでは毎日こまごまと記録をつけていたらしい。
 ヤギたちの飲み水を入れ替えたあとで、再度俺は日誌を開いて検分する。ぱらぱらとページをめくっていくと、過去の飼育当番たちの個性豊かな書きっぷりが目に入ってきた。
 
 ――試験がダルいので徹夜で乗り切ります。
 ――↑がんばれよ。
 ――試験ダメでした。答案をヤギに食わせようとしましたが食ってくれませんでした。
 ――紙食わせたらダメに決まってんだろ。牧草食ってるヤギが一番かわいいんだよ。変なもん食わせんな。
 ――ていうかなんでこの高校、ヤギ飼ってるんですか?
 ――赤ん坊のヤギが至高。なお目は怖い。

 にやにやしながら、その落書きみたいな日誌をひっそり楽しむ。
 ヤギ小屋の倉庫の奥で見つけた飼育日誌は、個人的にはなかなかの掘り出し物だ。日誌の間で文通みたいになっているページもあって微笑ましい。
 
(こういうの、なんていうんだったかな。交換日記じゃなくて……コミュニケーションノート?)

 古民家カフェや田舎の駅に、こういうノートが置かれているのを見たことがある。そこに来た人たちが、来たことを示すためだけにその場のノリで書いていくノートだ。こんな風に倉庫の奥に積まれていた日誌――それもほったらかされて久しいノートに、コミュニケーションも何もあったものではないけれど、ゆるい雰囲気は悪くない。
 なかなかいいじゃんなんて思ったあとで、不意に、ひとりでノートに書き込みをして悦に入っている自分が虚しくなってきた。
 こういうのは複数人でやるから面白いのであって、誰に読まれる予定もないのに自分ひとりで書いていたら、それはもうただの孤独な日記である。

(まあ、俺は元々ぼっちだし。変わらないか)

 何しろ夏休み中に予定のひとつすらないレベルだ。いわば、ぼっちオブぼっちである。
 空元気を出したいところだけれど、平気なフリをすればするほど寂しくなってくる。それもこれも、夏休みに学校なんて場所にひとりで来ているこの状況が悪い。
 
(やっぱり狐崎(きつねざき)くんの頼みなんて聞くんじゃなかったな)

 夏休みに入る直前、へらへらしながら両手を合わせてきたクラスメイトの顔を思い出す。
 
『ごめん、日辻! 俺、飼育委員なんだけどさ、当番の週、彼女と旅行に行きたいんだよね。飼育当番、変わってくんね?』

 爽やかを具現化したような一軍男子は、仕事をさりげなく押し付けるのもうまかった。普段話しもしないのになんで?と思っても、『代わりがどうしても見つからなくて』と困り顔で言われてしまうと、断れない。

(まあ、動物は別に嫌いじゃないからいいけどさ。どうせ暇だし)

 そうやって無理やり自分を納得させて、俺はしっかりとヤギ小屋の入り口を施錠する。慣れない世話に手間取ったせいで、朝に来たはずだというのに、気づけばもう十二時を過ぎようとしていた。
 
「またね。メイ、ジューン」
 
 のんびりと扇風機にあたっているメイとジューンを、柵の隙間からひと撫でする。ひとりぼっちの俺を哀れむように、ヤギたちは「メエェ」と気の抜けた声を返してくれた。
 照り付ける真夏の日差しは、痛いくらいに熱かった。シュワシュワと鳴くクマゼミの声を聞き流しながら、俺は自転車に乗って、朝来た道をそのままそっくり戻っていく。
 門をくぐったところで、やたらと目付きの悪い怖そうな先輩と、アルパカに似た優しそうな先輩とすれ違った。先輩かどうかは正直分からなかったけれど、こういうときは相手が先輩だと思って頭を下げておくのが確実だ。
 自転車の上からぺこりと頭を下げる。すれ違う瞬間、怖そうな先輩が、何かに気づいたようにがばりとこちらを振り向く気配がした。

「あれ? まさか――」
 
(うわっ。俺、何もしてないよね⁉)

 慌ててペダルをこぐ速度を上げて、振り返らないまま走り去る。
 飼育当番といったって、たった一週間だけの仕事だ。高校に上がってからは初めての夏休みだけれど、これまでと大して変わらない、のんびり寂しい夏休みになるはずだった。
 いつも通りゲームをして、ほどほどに宿題を終わらせて、それで終わりだ。
 そう思っていたのに――。
 
 翌日見つけたぶっきらぼうな返事が、俺の『いつも通り』を変えてしまった。
 
 * * *
 
【八月一日 夕方 晴れ】
 夕方当番より、朝当番へ。
 代理当番お疲れ様です。朝当番さんのお仕事には問題ありません。ばっちりです。
 ヤギたちの食欲がなさそうということだったので、散歩がてら牧場の方へヤギたちを連れて行きました。外に出したら本当はダメらしいですが、ヤギたちもずっと小屋の中にいたら飽きるでしょうし、ちょっとくらいはいいでしょう。メイもジューンもその辺の草をもりもり食べていました。ご心配なく。
 
 海の旅路、俺も好きです。しあさってにようやく続編が出ますね。発売が待ち遠しいです。

(狼)

 * * *

「……何だこれ」
 
 ページの最後に残された下手くそな狼のイラストを凝視して、俺は思わず呟いた。