テンプレみたいな恋だった



「えっと……それは私が上司だから」
「いえ、翔ちゃんと同じ意味です」

翔ちゃんの話をした後だ。これは茶化してはいけないものだと、さすがにわかる。遅れてしまいがちな私が追いつけるように、彼は今ここで、きちんと意味を教えてくれていた。

スカーフに顔を埋めると、石鹸の香りがする。

彼からの熱い視線が私を射抜き続ける。なんとか言葉を探すが見当たらない。

「えっと……」
「サヤさんと翔ちゃんの話を聞いて思ったんですけど、二人って初恋テンプレそのものですよね」
「テンプレって……典型的っていうか、あるある、みたいな?」
「そうです。転校生に恋する人気者男子。からかわれて仲良くなって告白までされたのに、初恋は実らない」

そういえば、よく聞く話だと今さら気づく。あらゆる記憶の断片が、どこかの漫画で見たような展開だ。犬沢くんは仕事のとき、お客様の思考を整理して言葉にして、対策を打つのが絶妙にうまい。その長所がこんなところで発揮されている。

「でもサヤさんの気持ちだけが追いついてなかったので、テンプレ展開はすべてズレてしまった。だから……」

犬沢くんが一歩、私の前に寄った。近くに寄ると、彼は意外と背が高い。ストールに半分顔を埋めながら彼を見上げる。彼のいつも柔らかい声が少し張りつめて聞こえた。


「今度は俺と、テンプレな恋をしませんか」


驚いて、ふふっと笑いを漏らしてしまった。

「テンプレなの? 二人だけの特別な、とかではなく?」
「翔ちゃんとのテンプレ初恋が特別すぎました。たぶん、サヤさんが一生宝物にして磨き上げていくんだろうなって思います。そういうのわかりますし」
「犬沢くんにもそういう初恋があるんだ?」
「まあ、それはおいて置いて! 俺とサヤさんだって、充分テンプレに乗ってるって気づいてくれてます?」

言われて考えてみたが、さっぱり思いつかなかった。

「え、どういうこと?」
「新人だった俺の教育係がサヤさんです。優しい先輩に恋する可愛い後輩男子ですよ俺は! 絆される先輩も、テンプレでしょ!」
「あっはは! なにそれ、自分で言っちゃったよ」

緊張していると言ったくせに、犬沢くんは自分の気持ちをあけっぴろげに教えてくれる。

「恋に疎いサヤさんのために、わざと、全部言います。俺のとっておきの誠実さだと思ってください」
「ふふっ、わかりやすい。うん、わかった」

私がくすくす笑っているのを、犬沢くんは後頭部をかきながら見つめていた。

「テンプレって悪くないですよ。わかりやすいから先を予想できるし、期待できるし、恋愛わかんないサヤさんを置いて行かない」
「犬沢くんがテンプレをおすすめするのは、私のためってことか……でもさ、犬沢くんが好きかはまだよくわからないんだけど」

正直に告げると、犬沢くんははっきり言った。


「サヤさんは、俺のこと好きですよ」


堂々とした言い切りに、私の方が驚いてしまう。

「え……?どうしてそう思うの?」
「だって、クレイマーの電話が来たらすぐ俺の方に視線寄越すし、他の男に誘われてもサシ飲み行かないのに、俺とは行くじゃないですか。それに翔ちゃんの話って、心許した人にしかしないでしょ?」

ストールの石鹸の香りが春の夜風に吹かれて、鼻をくすぐった。

「……私、またわかってなかった?」
「そうです。でも俺とテンプレ恋をしてみたら、俺に惚れてるってみるみるうちにわかってもらえると思うので」

犬沢くんは姿勢を正して、私に右手を差し出した。

「俺を、選んでください」

ぐっと差し出された右手は私の気持ちを確信していて、疎い私をしっかりと導いてくれていて安心できた。私はその安心感に惹かれてゆっくりその手に手を重ねて握り返す。意外と固い手の平に、どきりとした。

ああ、本当だ。
ちゃんと、ときめいた。

「これで彼氏彼女ですからね」

犬沢くんがふふっと特別にやわらかく笑って、手を握り返してくれる。ときめきに胸がほくほくして、嬉しかった。嬉しさと一緒に、不安もこみ上げる。

「私って疎いところがいっぱいみたいなんだけど……大丈夫かな」
「大丈夫です。翔ちゃんが体張った初恋で教えてくれたことを、俺が無駄にしません。伝えるだけじゃなくて、サヤさんに伝わる形にするところまで俺が引き受けます」
「それって、面倒じゃない?」
「俺の特大の気持ちが伝わるなら、易いものですよ」

犬沢くんの声に言葉、表情、手のひら、全部が私に気持ちを伝えようとしてくれているのがわかる。安堵と華やいだ気持ちで自然と笑みがこぼれた。

「ありがとう、なんか……すっごく嬉しい」

犬沢くんの目がみるみる見開かれる。

「そうやって笑ってもらえるなら、俺の方が得しましたよ……ああ、それとええっと」

ずいぶん言い淀んだ彼は、全部言うと決めたのでと、前置きしてから意を決したように言った。

「サヤさんの笑った顔、好きです。それにいっつも、やられてます」

あまりに直球の褒め言葉に、胃がキュっと持ち上がって笑みがあふれる。でもなぜか、彼からも優しくきゅっと握り返された手はするりと離れていく。

「あれ? 手はこのまま繋ぐのがテンプレじゃない?」

犬沢くんは照れたようにふいっと横を向いて歩き出した。

「告白の次は初デートです。そこで手を繋ぐか繋がないかのドキドキをやりますので、ドキドキ待っていてください」
「なにそれ、今繋げばいいのに」

彼が心底情けない顔をして嘆く。

「手を繋いで、すぐ家に連れ帰りたいの我慢してるんです。揺らさないでくれますか!? こっちはテンプレ恋で誘ったんですから、ちゃんとやろうとしてるんですよ!」
「ああ、ごめんごめん! じゃあ期待してる!」

犬沢くんが騒ぐのでますます可笑しくなりながら、私たちは桜まつりをあとにして歩き出した。


二人で電車に乗り、マンションの二階にある私の家の前まで送ってくれた犬沢くんが優しく言う。

「おやすみなさい、サヤさん」
「おやすみ。あ、告白のあとのお別れのテンプレはある?」

犬沢くんはうーんと悩んでから、ふわふわの黒髪を手でかいた。

「こういうことを普通は言わなくていい気がするんですが、サヤさん相手だと言っておいた方が良いと思うので言います」

少し屈んだ犬沢くんが、私の耳元で口を開いた。小さく低い声が、奥の奥まで響く。

「俺のヒロインは、サヤさんなんで。それだけはしっかり自覚しておいてください」

耳がほんのり熱くなる前に、ぱっと身を引いた犬沢くんはまたおやすみなさいと言って早足で帰って行ってしまった。私はだんだんとじんじんしてきた耳を手で押さえる。

「あ……熱いよ、耳」

耳を押さえながらふらふらと部屋に入った。そういえば、「パンツ何色?」と聞かれたあのときも、耳が熱くなったっけと思い返して、くすりと笑ってしまう。

ワンルームの壁に貼ったコルクボードをちらりと見た。

友だちと撮った旅行写真がたくさん貼られている。重ねて張ってある写真の一番下の方、今はもうぱっと見は見えない場所に翔ちゃんとの成人式の写真がある。

私はコルクボードから翔ちゃんの写真を抜き取って、冷蔵庫から桜味のビールを取り出した。本棚から一冊のアルバムも引き抜いてテーブルに置く。

成人式の二人をじっくり眺める。

着飾った私たち。でもそこにいるのは、小学生のあの頃の二人だ。


「私をヒロインにしてくれてありがとう、翔ちゃん」


翔ちゃんの写真を片手に私はぐびぐびと桜味のビールを半分ほど飲んでから、写真をアルバムの一ページに丁寧にしまった。ぱたんとアルバムを閉じて、本棚の中にアルバムをきちんと収める。


「今度こそ私……自分からちゃんとヒロインになるよ」


本棚の前で小さく微笑んだ私は、桜味ビールを全部、飲み干した。