甘えたがりのツンデレ後輩に恋されました

「膝枕をさせて欲しんだ……」
「……。は?」
 人間は突拍子もないことを言われると、どうやら思考がフリーズしてしまうらしい。
 さっきまで憎たらしかったはずの後輩が、なんだか可愛く見えてしまうのも脳のバグだ。
 そうに違いない。
「ダメか……?」
「……!」
(待て待て待て! さっきまであんなに生意気だったのに、甘えてくるなんて反則だろ! 俺を振り回すな!)
 制服を取り違えただけで、なぜこんなことになってしまったのか。
 俺は昨日の俺を恨むことしかできなかった。

 

 「おーい、(ゆう)! 今からフットサル対決しようって話してんだけど、人数足りねーんだ。うちのチームに混ざってくれよー」
 俺、猫田悠(ねこた ゆう)は放課後、高等部の中庭を通り抜けて下校しようとしたとき、クラスメイトに声をかけられた。
「えー……悪いけどー今日俺、この後用事あるから無理ー」
「えーっ! 頼むよー悠。悠がいないと、オレたち隣のクラスに負けちまうよー」
(そう言われてもなー……うーん……)
 俺は制服のポケットからスマホを取り出すと、現在時刻を確認した。
(まあ、三十分だけやってダッシュで帰れば……間に合うか。よしっ!)
「わーったよ。俺がいなきゃ始まんねーもんな。ちょっと待ってろ!」
「そうそう! ニャータみたいに、ちょこまか動けるヤツが必要だからさー」
「気持ち悪い呼び方するな! 俺の苗字は猫田だ! 何度も言わせるな!」
 手に持っていたスマートフォンを、俺は肩にかけていたスクールバッグの中へ苛立ちながら放り込むと、クラスメイトを指差した。
「ちょっと俺よりデカいからって調子に乗んなよ! 荷物置いてくるから、首洗って待ってろ!」
「それは敵に言うセリフだろー。オレたちは味方だって。まあ、さっさと荷物置いてこいよー」
(ふんっ)
 鼻息を荒くしながら、俺はスクールバッグと制服の上着を置くために、中庭の隅に置かれているベンチへと走って向かった。
 だが、中庭にたった一つだけ置かれているベンチは、仰向けの状態で横になっている生徒によって陣取られていた。
(おっと、先客がいたか……)
 俺は走る速度を緩めてベンチにゆっくりと近づき、ソイツが寝ているかそっと顔を覗き込んで確認した。
(あっ、コイツたしか……)
 ベンチの背凭れに制服の上着をかけて寝ていたのは、校内でとある異名を持つ有名人、高等部二年の大野蓮(おおの れん)だった。
「本物の眠りの王子だ……っと」
 俺は独り言が口から漏れ出してしまったことに焦り、慌てて口元を手で覆い隠した。
 だが、俺の声は大野に届かなかったようで、大野は目を覚ますことはなく寝息をたてたままだった。
(ふー……。って、コイツ……校内の至るところで寝てるって噂、本当だったんだ。しっかし、王子なんてふざけた呼び名、一体誰が考えたんだって思ってたけど……。まあ、たしかに顔は整ってるな)
 大野の顔面は瞳を閉じて眠っていても、目鼻立ちがはっきりとしているのがわかるほど、完璧に整っていた。
 正直、テレビでイケメンと言われる俳優やアイドルなんかより、大野のほうがよっぽど目を惹くルックスだった。
(王子ねー……)
『眠りの王子』なんて、男子校なのにふざけたあだ名。
 その所以は、大野と会話をしたこともない俺でも知っている。
 成績は学年一位にも関わらず、授業中はもちろん、あらゆる時間をあらゆる場所で寝ていることで有名なのだ。
 変人のようだが、背が高くイケメンであるから、皮肉も込めて王子なんて呼んでいるらしい。
(俺からしたら、うちのサクラさんみたいだなって思うけどなー)
 サクラさんは、ばーちゃんの家で飼っている猫だ。
 一日のほとんどを寝て過ごしていて、目の前にいる大野の髪色と同じ、真っ黒な毛の黒猫だ。
 そのせいか、俺は不思議と目の前にいる大野へ親近感を覚えてしまう。
(サクラさんが人間になったら、こんな感じなのかな……)
 俺は思わず頭を撫でたくなり、無意識に大野へ向かって手を伸ばしていた。
 だが、そんな自分の行動にハッと気が付くと、俺は心の中で首を横に振った。
(何してんだよ、俺! ったく。起こさないよう、荷物だけ置かせてもらってさっさと行くぞ)
 ベンチは大野自身で完全に埋まってしまっていたため、俺はベンチの足元にスクールバッグを置いた。
 そして、制服の上着を脱ぐと、元々かかっていた大野の上着の横に、自分のをかけようとした。
「へっくしゅ……」
 だがその瞬間、大野が小さくくしゃみをしたため、俺は上着をベンチの背凭れにかける手を止めた。
(……。このまま寝てたら風邪ひくかもな……)
 春の陽気で日が当たる場所は温かいが、日陰は肌寒いのがこの季節。
 小さなくしゃみをした大野を、俺は放っておけなくなり、手に持っていた自分の上着を大野にかけてやった。
 すると、中庭に青々と茂っている木々の葉が一枚、大野の顔の上に落ちてきた。
(あっ、葉っぱが……)
 俺は咄嗟に、その葉っぱを大野の顔からどかしてやろうと指先を伸ばした。
 すると、指先を近づけた気配を感じ取ったのか、大野は目を朧気に開けて俺と目が合った。
「あっ……ごめん、起こしたみたいで……」
「……」
(えっ……!)
 俺は目の前で起こった出来事に驚き、まるで時間が止まったように感じた。
(泣いて……)
 大野の目からそっと一筋、涙が零れ落ちたからだ。
「……。誰……?」
 だが、大野は自分が涙を流したことに気付いていない様子で、無表情のまま俺を見つめてきた。
「あ、あっと、そのー……」
 俺は何と答えたらいいかわからず、その場で慌てふためいていると、自分の頬がなぜか熱くなっていくのを感じた。
 すると、スッと上体を起き上がらせた大野が、首を傾げながら俺を真っ直ぐ見つめてきた。
「アンタ……」
「おーい。眠りの王子とイチャついてないで、さっさと俺らと遊んでくれよー! ニャータ!」
 中庭中央のフットサルコートに集まっているクラスメイトの声でハッとした俺は、慌てて大野に背を向けた。
「ふ、ふざけたあだ名で呼ぶな! 今度またその名前で呼んだら、二度と混ざってやらないからな!」
 おそらく、こんな至近距離でイケメンを見たことがないからだろう。
 しかも、涙を流す姿なんて。
 胸の鼓動が高鳴るのはきっとそのせいだと、俺は自分に言い聞かせた。
 ドクン、ドクンと心臓が脈打つのを必死に抑えながら、俺はクラスメイトが待つフットサルコートへ、走って向かった。
「……ニャータ」
 背後で微かにそう呼ばれた気がしたが、俺は空耳だろうと振り返ることなく走り続けた。