それからしばらくの間、琉生からの連絡は、すっかり鴎の日常の一部と化していた。
朝、アラームより先にスマホを見ると、夜のうちに届いた『今日これどう?』という自撮り。
夜、風呂上がりにベッドへ潜り込めば、『明日ちょっと暑いらしいけど、羽織るならどっちがいい?』という相談。
最初は心底面倒だった。今だって、面倒じゃないと言えば嘘になる。
けれど、写真を見れば「ここをこうすればもっと良くなる」というポイントが即座に浮かぶし、指摘すれば琉生は驚くほど素直に従った。
そのサイクルを繰り返すうちに、いつの間にかそれが「普通」になっていた。
むしろ、通知が来ない日の方が、なんだか拍子抜けするくらいに。
もちろん、そんなことは口が裂けても認めないけれど。
***
その頃から、琉生は前よりもさらに目立つようになっていた。
もともと素材はいい。そこへ鴎のディレクションで「正解の服」が加わったせいで、廊下ですれ違う女子たちが露骨に視線を送るようになった。
たまに、ガチの告白現場を見かけることすらあった。
放課後の踊り場。昇降口の裏。人影のまばらな空き教室の前。
そういう場面に出くわすたび、鴎は無表情で通り過ぎた。
(……自分には、一ミリも関係ない)
早見琉生なんて、そういう華やかな世界の住人だ。
そう自分に言い聞かせていた、ある日の昼休み。
「いや、マジで詰んでるんだけど」
教室の隅でパンを齧っていた鴎の机の横に、当然のような顔で琉生が立った。
「何が」
「告白」
あまりに直球な単語に、鴎は眉をひそめる。
「……贅沢な悩みだね」
「全然。マジでしんどいんだって」
琉生の顔は、本気でげっそりしていた。こういう時の表情だけは、パフォーマンスではないのが分かる。
「今は恋愛とか興味ないって言っても『じゃあ待つね』とか言われるし。断っても数日後にまた来られるし。……ぶっちゃけ、期待持たせるのも持たれるのも、もうだるい」
鴎はパンの袋を丁寧に畳みながら、淡々と返した。
「もっと冷たく、完膚なきまでに断ればいいじゃん」
「それやると角が立つだろ。別に相手が嫌いなわけじゃないしさ」
「……おめでたいね、相変わらず」
「え、なにが?」
「自覚ないんだ。誰にでもそうやって適当にいい顔してるから、無駄に期待持たせてストーカー予備軍作ってんでしょ。自業自得じゃん」
「言い方きっつ! ……でも、これ以上面倒ごとを増やしたくないのはマジなんだって」
琉生らしいといえばらしい。誰にでもフラットに、感じよく接してしまうから、余計に変な期待を抱かせてしまうのだ。けれど、それをわざわざ自分に相談されても困る。
「で。それを俺に言ってどうしたいの。女子にでも聞いてもらえば?」
「そんなことしたら一瞬で広まって余計カオスになる。……だからさ、考えたんだけど」
琉生は机に軽く肘をつき、声を潜めた。
「『彼女がいる』ってことにしとけば、諦めるやつ増えるかなって思って」
鴎はそこでようやく顔を上げた。
「彼女?」
「うん。ほら、学校の近くの遊園地。あそこ、放課後とか休日、うちの生徒もよく行くじゃん?」
駅近の、こぢんまりとした遊園地。絶叫マシンは少ないが、適度にレトロで写真映えする、地元の高校生の定番スポットだ。
「あそこで俺が誰かとデートしてたって噂が流れれば、みんな察してくれるかなって」
鴎はしばらく無言で琉生を見つめた。それから、ひどく冷めた声で吐き捨てる。
「……そんな都合のいい噂、そう簡単に流れないでしょ。そもそも、協力してくれる相手は?」
「そこなんだよな。適当に女子に頼むのも、あとで勘違いされたら面倒だし」
「じゃあ無理じゃん。詰みだね」
「だよなあ……」
言いながら、琉生はまだ諦めていない目で鴎を見つめている。
「……でもさ、実際『誰かといた』って事実さえあればいいんだよな」
「だから、その相手がいないんでしょ」
「女子はリスクが高い。男友達じゃ意味がない。……知らないやつだと、服の雰囲気とか合わせられないし」
そこまで言って、琉生の視線がぴたりと鴎の顔で止まった。
嫌な予感が、津波のように押し寄せてくる。
「……何」
「いや」
「その顔やめて」
「待って」
「嫌」
「まだ何も言ってない!」
「言う前から嫌」
鴎が被せるように即答すると、琉生は少しだけ笑った。けれど、その目はどこか真剣だった。
「前さ。お前の『女装写真』見たとき……マジで、普通に可愛い女の子に見えたんだよ」
鴎はパンの袋を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
「……だから何」
「フェイクの彼女役、お前ならできるじゃん。……女装して、遊園地で俺と一緒に歩く。学校のやつに見られれば、ミッション完了」
言い切られた瞬間、鴎は絶句した。
「……嫌なんだけど」
「即答かよ」
「当たり前でしょ。なんで俺がそんなことしなきゃいけないの」
「だって、お前しかいないんだって! 女子に頼むより気を使わなくていいし、お前なら服の系統も分かってるし……それに」
琉生は少しだけ、楽しそうに口元を上げた。
「……遊園地、映える写真、めちゃくちゃ撮れると思うけど?」
その一言で、鴎の思考がフリーズした。
遊園地。
カラフルなアトラクション。メリーゴーラウンドの幻想的な光。
チュロスを持った手元、観覧車越しに見る夕焼け、夜のライトアップ。
コーデ次第で、とんでもなく「映える」写真が撮れる。
というか、正直、ずっと撮りたいと思っていたロケーションだ。
脳裏に一瞬で構図が浮かんでしまい、鴎は自分でも嫌になった。
琉生はその反応を見逃さなかった。
「……どう? 悪い話じゃないだろ」
「……」
「今、ちょっと揺れたでしょ。あ、この構図いいな、とか考えたでしょ」
「揺れてない」
「嘘だ。目がキラキラしてる」
「してない……!」
図星を突かれ、鴎は猛烈に面白くなかった。
確かに撮りたい。それは否定できない。遊園地での女装撮影なんて、裏アカのフォロワーも喜ぶし、クリエイターとしての血が騒ぐ。
でも、それと「早見琉生の彼女役」は話が別だ。
「……とにかく、早見の彼女役なんて意味分かんない。嫌だし」
「じゃあ、撮影の『モデル』ってことでいいよ。俺はカモフラージュになればいいし、お前は最高の一枚を撮ればいい。Win-Winだろ?」
「言い換えても同じでしょ。……二人で遊園地行く時点で、もうアウトだよ」
鴎が言い切ると、琉生は少しだけ目を細めた。
「へえ。そこが一番嫌なんだ」
「違う! 全部嫌!」
「全部は嘘だな。写真は撮りたい顔してる」
押し問答が続く。
断りたい。普通に考えれば、断るべきだ。
けれど……夕方のライトアップの中で、自分が完璧に組み上げたコーデを着て撮る一枚。その誘惑は、想像以上に強烈だった。
琉生は追い打ちをかけるように、声を落として言った。
「やるなら、服もメイクも全部お前の好きにしていい。写真も俺がちゃんと撮るし。……見られるのが嫌なら、時間帯も調整するから」
「……考えてるんだ」
「そりゃ、頼み事するならそれくらいはさ」
その返しが妙に誠実で、また少しだけ調子が狂う。
鴎は机の上に視線を落とした。昼休みのざわめきが遠くに聞こえる。
「……今すぐには、決めない」
「お、検討の余地あり?」
「やるとは言ってないから。……もしやるとしても、条件とかいろいろあるし」
「聞こうか?」
「まだ言ってない! 決めてもないし!」
琉生はそこで、ようやく嬉しそうに笑った。
「でも、完全拒否じゃなくなった。サンキュ、時任」
「……うるさい」
琉生はそれ以上畳みかけることはせず、「考えといて。俺、マジで助かるからさ」と言い残して自分の席へ戻っていった。
残された鴎は、折り曲げたパンの袋をじっと見つめた。
断るべきだ。絶対に、そうだ。
なのに頭の片隅では、遊園地のカラフルな背景に映えるのはパステルカラーか、それともあえてのシックなモノトーンか――そんなことを、もう考え始めている自分がいた。
それが一番、最悪だった。
朝、アラームより先にスマホを見ると、夜のうちに届いた『今日これどう?』という自撮り。
夜、風呂上がりにベッドへ潜り込めば、『明日ちょっと暑いらしいけど、羽織るならどっちがいい?』という相談。
最初は心底面倒だった。今だって、面倒じゃないと言えば嘘になる。
けれど、写真を見れば「ここをこうすればもっと良くなる」というポイントが即座に浮かぶし、指摘すれば琉生は驚くほど素直に従った。
そのサイクルを繰り返すうちに、いつの間にかそれが「普通」になっていた。
むしろ、通知が来ない日の方が、なんだか拍子抜けするくらいに。
もちろん、そんなことは口が裂けても認めないけれど。
***
その頃から、琉生は前よりもさらに目立つようになっていた。
もともと素材はいい。そこへ鴎のディレクションで「正解の服」が加わったせいで、廊下ですれ違う女子たちが露骨に視線を送るようになった。
たまに、ガチの告白現場を見かけることすらあった。
放課後の踊り場。昇降口の裏。人影のまばらな空き教室の前。
そういう場面に出くわすたび、鴎は無表情で通り過ぎた。
(……自分には、一ミリも関係ない)
早見琉生なんて、そういう華やかな世界の住人だ。
そう自分に言い聞かせていた、ある日の昼休み。
「いや、マジで詰んでるんだけど」
教室の隅でパンを齧っていた鴎の机の横に、当然のような顔で琉生が立った。
「何が」
「告白」
あまりに直球な単語に、鴎は眉をひそめる。
「……贅沢な悩みだね」
「全然。マジでしんどいんだって」
琉生の顔は、本気でげっそりしていた。こういう時の表情だけは、パフォーマンスではないのが分かる。
「今は恋愛とか興味ないって言っても『じゃあ待つね』とか言われるし。断っても数日後にまた来られるし。……ぶっちゃけ、期待持たせるのも持たれるのも、もうだるい」
鴎はパンの袋を丁寧に畳みながら、淡々と返した。
「もっと冷たく、完膚なきまでに断ればいいじゃん」
「それやると角が立つだろ。別に相手が嫌いなわけじゃないしさ」
「……おめでたいね、相変わらず」
「え、なにが?」
「自覚ないんだ。誰にでもそうやって適当にいい顔してるから、無駄に期待持たせてストーカー予備軍作ってんでしょ。自業自得じゃん」
「言い方きっつ! ……でも、これ以上面倒ごとを増やしたくないのはマジなんだって」
琉生らしいといえばらしい。誰にでもフラットに、感じよく接してしまうから、余計に変な期待を抱かせてしまうのだ。けれど、それをわざわざ自分に相談されても困る。
「で。それを俺に言ってどうしたいの。女子にでも聞いてもらえば?」
「そんなことしたら一瞬で広まって余計カオスになる。……だからさ、考えたんだけど」
琉生は机に軽く肘をつき、声を潜めた。
「『彼女がいる』ってことにしとけば、諦めるやつ増えるかなって思って」
鴎はそこでようやく顔を上げた。
「彼女?」
「うん。ほら、学校の近くの遊園地。あそこ、放課後とか休日、うちの生徒もよく行くじゃん?」
駅近の、こぢんまりとした遊園地。絶叫マシンは少ないが、適度にレトロで写真映えする、地元の高校生の定番スポットだ。
「あそこで俺が誰かとデートしてたって噂が流れれば、みんな察してくれるかなって」
鴎はしばらく無言で琉生を見つめた。それから、ひどく冷めた声で吐き捨てる。
「……そんな都合のいい噂、そう簡単に流れないでしょ。そもそも、協力してくれる相手は?」
「そこなんだよな。適当に女子に頼むのも、あとで勘違いされたら面倒だし」
「じゃあ無理じゃん。詰みだね」
「だよなあ……」
言いながら、琉生はまだ諦めていない目で鴎を見つめている。
「……でもさ、実際『誰かといた』って事実さえあればいいんだよな」
「だから、その相手がいないんでしょ」
「女子はリスクが高い。男友達じゃ意味がない。……知らないやつだと、服の雰囲気とか合わせられないし」
そこまで言って、琉生の視線がぴたりと鴎の顔で止まった。
嫌な予感が、津波のように押し寄せてくる。
「……何」
「いや」
「その顔やめて」
「待って」
「嫌」
「まだ何も言ってない!」
「言う前から嫌」
鴎が被せるように即答すると、琉生は少しだけ笑った。けれど、その目はどこか真剣だった。
「前さ。お前の『女装写真』見たとき……マジで、普通に可愛い女の子に見えたんだよ」
鴎はパンの袋を握る手に、ぎゅっと力を込めた。
「……だから何」
「フェイクの彼女役、お前ならできるじゃん。……女装して、遊園地で俺と一緒に歩く。学校のやつに見られれば、ミッション完了」
言い切られた瞬間、鴎は絶句した。
「……嫌なんだけど」
「即答かよ」
「当たり前でしょ。なんで俺がそんなことしなきゃいけないの」
「だって、お前しかいないんだって! 女子に頼むより気を使わなくていいし、お前なら服の系統も分かってるし……それに」
琉生は少しだけ、楽しそうに口元を上げた。
「……遊園地、映える写真、めちゃくちゃ撮れると思うけど?」
その一言で、鴎の思考がフリーズした。
遊園地。
カラフルなアトラクション。メリーゴーラウンドの幻想的な光。
チュロスを持った手元、観覧車越しに見る夕焼け、夜のライトアップ。
コーデ次第で、とんでもなく「映える」写真が撮れる。
というか、正直、ずっと撮りたいと思っていたロケーションだ。
脳裏に一瞬で構図が浮かんでしまい、鴎は自分でも嫌になった。
琉生はその反応を見逃さなかった。
「……どう? 悪い話じゃないだろ」
「……」
「今、ちょっと揺れたでしょ。あ、この構図いいな、とか考えたでしょ」
「揺れてない」
「嘘だ。目がキラキラしてる」
「してない……!」
図星を突かれ、鴎は猛烈に面白くなかった。
確かに撮りたい。それは否定できない。遊園地での女装撮影なんて、裏アカのフォロワーも喜ぶし、クリエイターとしての血が騒ぐ。
でも、それと「早見琉生の彼女役」は話が別だ。
「……とにかく、早見の彼女役なんて意味分かんない。嫌だし」
「じゃあ、撮影の『モデル』ってことでいいよ。俺はカモフラージュになればいいし、お前は最高の一枚を撮ればいい。Win-Winだろ?」
「言い換えても同じでしょ。……二人で遊園地行く時点で、もうアウトだよ」
鴎が言い切ると、琉生は少しだけ目を細めた。
「へえ。そこが一番嫌なんだ」
「違う! 全部嫌!」
「全部は嘘だな。写真は撮りたい顔してる」
押し問答が続く。
断りたい。普通に考えれば、断るべきだ。
けれど……夕方のライトアップの中で、自分が完璧に組み上げたコーデを着て撮る一枚。その誘惑は、想像以上に強烈だった。
琉生は追い打ちをかけるように、声を落として言った。
「やるなら、服もメイクも全部お前の好きにしていい。写真も俺がちゃんと撮るし。……見られるのが嫌なら、時間帯も調整するから」
「……考えてるんだ」
「そりゃ、頼み事するならそれくらいはさ」
その返しが妙に誠実で、また少しだけ調子が狂う。
鴎は机の上に視線を落とした。昼休みのざわめきが遠くに聞こえる。
「……今すぐには、決めない」
「お、検討の余地あり?」
「やるとは言ってないから。……もしやるとしても、条件とかいろいろあるし」
「聞こうか?」
「まだ言ってない! 決めてもないし!」
琉生はそこで、ようやく嬉しそうに笑った。
「でも、完全拒否じゃなくなった。サンキュ、時任」
「……うるさい」
琉生はそれ以上畳みかけることはせず、「考えといて。俺、マジで助かるからさ」と言い残して自分の席へ戻っていった。
残された鴎は、折り曲げたパンの袋をじっと見つめた。
断るべきだ。絶対に、そうだ。
なのに頭の片隅では、遊園地のカラフルな背景に映えるのはパステルカラーか、それともあえてのシックなモノトーンか――そんなことを、もう考え始めている自分がいた。
それが一番、最悪だった。



