裏アカ彼女は、クラスの地味男子

​ 週の半ば。昼休みの教室は、いつもより少しだけ騒がしかった。
 窓際の席を囲むように人だかりができている。笑い声と驚き、そして野次馬めいた好奇のざわめき。
 時任はなるべくそちらを見ないよう、机のノートに視線を落とす。けれど、次の瞬間に飛び込んできた言葉に、指先が凍りついた。
​「これ、マジで琉生じゃん。撮影モデルやってる時の顔と違うわ」
「遊園地だろ、これ。うわ、彼女といる時の琉生、こんな顔すんの?」
​ 喉の奥がひやりと冷える。
 見たくないのに、反射で顔を上げてしまった。人垣の隙間、誰かのスマホ画面に、見覚えのある景色が映っている。観覧車の下、離れた位置から撮られた写真。
 そこに写っているのは、間違いなく琉生だった。仕事の時のような作り物ではない、少しだけ柔らかな表情をした彼。そしてその隣には、彼に寄り添う黒髪の女子の姿があった。
​「琉生に彼女いたのは確定として、この子……」
「黒髪清楚系? どっかで見たことあるような……」
​ その輪の中に、今村の声が混ざる。
「……いや。琉生なのは間違いないけど。この子、なんか似てない?」
 少し低くなった声。軽いノリのままなのに、妙な圧を孕んで耳に残る。
「何が?」「誰に?」
 クラスメイトの問いに、今村は画面を覗き込んだまま、事も無げに言った。
​「時任」
​ その名前が出た瞬間、教室の空気の向きが変わった。
「は? いやいや、さすがにないだろ。時任は男だし」
「でも髪型とか全体のシルエット、ちょっと似てね? 遠目だし、時任が女装したらこんな感じになりそうっていうか」
 冗談だと笑う声。否定する声。そのどれもが、時任には遠い世界のノイズのように聞こえた。
​ 逃げたい。けれど、ここで不自然に席を立てば、それこそ「正解」を教えてしまうようなものだ。
 どう振る舞うべきか、指先を震わせていたその時。
 ガタッ、と椅子を引く音が響いた。琉生だった。
 彼はいつも通りの無表情で人垣へと歩いていく。
​「何それ」
「あ、琉生! 見てよ、これお前だろ? 隠し撮りされてんぞ」
 スマホを掲げていた男子がニヤニヤしながら画面を見せる。琉生はそれを一瞥し、短く「ああ、俺だけど」と認めた。教室がわっと沸く。
​「やっぱり! で、隣の彼女は?」
 今村があえて軽く、逃がさない目で聞く。
「誰でもいいだろ。……時任に似てるとか言ってるやつ、眼科行けよ。全然違うわ」
 琉生は鼻で笑うように肩をすくめた。さらっと流す。顔色ひとつ変えない。
 けれど、時任には分かった。あれは余裕で流している顔じゃない。かなり無理やり、自分を律して「平熱」を演じている顔だ。
​ 今村はまだスマホを見つめたまま、小さく零した。
「ふーん……。でも、やっぱり似てるんだよな」
​ その言葉が、時任の胸をぎゅっと締めつけた。
 女装した自分は、姉に似ている。もし今村がそこまで直感しているとしたら。冷や汗が背中を伝う。
「時任」
 不意に今村に名前を呼ばれ、顔を上げるしかなかった。
「これ、お前じゃないよな?」
 明るい調子のまま。けれど、あまりにも真っ直ぐな問い。
​「……俺じゃないけど」
 口が勝手に動いた。否定はできた。けれど、自分の声がわずかに硬かった気がして、奥歯を噛みしめる。
「だよなあ」
 今村は笑う。けれど、その瞳の奥はまだ笑いきっていなかった。
「でも、雰囲気ちょっと似てね? って思っただけ。ほら、髪の感じとか」
「……似てないでしょ」
 できるだけそっけなく返す。それ以上は踏み込むな、という拒絶を込めて。
 今村は少しだけ肩をすくめた。
「まあ、そうか。俺の勘違いならそれでいいや」
​ その一言で話題は散ったが、完全には消えなかった。疑念の火種は、教室の雑音の中に確かに残り続けている。
​ ***
​ 放課後。チャイムを待っていたかのように、スマホが震えた。
『俺に考えがあるんだけど、協力して』
 琉生からの短いメッセージ。時任は長い沈黙のあと、短く返した。
『何』
 既読はすぐについた。
『直接言う。今から少し時間ある?』
​ 向かったのは、住宅街のはずれにある小さな公園だった。
 先に来ていた琉生は、時任の姿を見つけるとすぐに立ち上がった。
「悪い」
「何……考えって」
​ 琉生は一瞬だけ口を閉じた。それから、少しだけ言い淀むように言葉を紡ぐ。
「今日のあの写真、俺なのは認めたけど、隣が時任に似てるって言われたのは結構まずい。……だから、逆の証拠を作ろうと思って」
「逆の証拠?」
「……お前じゃない、『本物の黒髪彼女』を彰人に引き合わせる」
 
 時任は数秒、その意味を咀嚼できなかった。
「は?」
「お前に似てるやつに協力してもらう。……翼芽さん」
 
「ちょっと待って無理。何それ」
 時任は本気で顔をしかめた。
「なんで姉ちゃんを巻き込むの。意味分かんないでしょ」
「だってお前と似てるし。女装したお前と雰囲気が近い翼芽さんに、一回だけ彼女のフリをしてもらう。それが一番早い」
​「だからって……!」
 時任は一歩詰め寄った。
「説明どうするの。学校の知り合いに誤解されてるから彼女のフリして、とか頼むわけ? 姉ちゃん、絶対面白がって余計なことまで勘ぐるに決まってるじゃん」
​「そこは俺が頭下げる。……彰人の疑惑は、あいつの直感から来てる。だからこそ、本物の女子である翼芽さんを目の前に出せば、一気に崩れる」
​ 言いながらも、完全に突っぱねきれない自分がいた。確かにこれなら、今村の疑いを逸らせる。琉生の隣に「本物の女性」がいれば、時任=彼女説は瓦解する。
​ けれど。
「……嫌」
「何が」
「いろいろ。巻き込むのも嫌だし……」
 その先の言葉を飲み込む。
 琉生の隣に立つ「彼女役」が、自分ではなく姉になること。それを想像した瞬間、胸の奥がひどくざらついた。
​ 琉生は時任の沈黙を見つめて、声を落とした。
「……俺は、お前がこれ以上その話の真ん中に置かれるのが嫌なんだよ」
 その一言に、時任は射抜かれた。
「今日の彰人、たぶんまだ疑惑消えてない。でも別の彼女を会わせれば、流せる。俺は、お前を守りたいだけだ」
​ 打算でも言い訳でもない、真っ直ぐな言葉。
「……なんで、そこまでするの」
「したいから」
​ 間を置かぬ返答。その素直さが、本当にずるいと思った。
「……一回だけだからね」
 時任はようやく小さく吐き出した。
「姉ちゃんに余計なこと言わないこと。絶対だから」
「分かった。助かる、ほんとに」
​ 帰り道、別れ際に琉生がぽつりと言った。
「たぶん大丈夫だと思うけど、翼芽さんに嫉妬とかすんなよ」
「は……っ?」
 時任は一瞬、耳を疑った。
「いや、だってお前、顔に出そうだし」
「出ないし! 意味分かんないこと言わないで」
「じゃあいいけど」
「よくない……何でそんなこと言うの」
​ 尖った自分の声に、自分で驚く。
 琉生は、全然申し訳なさそうにない顔で、微かに口元を上げた。
「ほら」
「……うるさい」
​ 面白くない。守るためだと分かっていても、どうしても胸のざらつきが消えない。
 そう思ってしまう時点で、もうただの「共犯者」という隠れ蓑は、自分を守ってくれないのだと。時任は認めざるを得なかった。