裏アカ彼女は、クラスの地味男子

​​ (かもめ)には、意味が分からなかった。
​ 笑われると思った。気味悪がられると思った。
 最悪、面白半分で晒されることまで覚悟した。
​ なのに、早見琉生(はやみるい)は、スマホの画面と鴎の顔を見比べながら、拍子抜けするほど普通の声で言った。
​「服の合わせ、めちゃくちゃ上手くない?」
​ あまりの予想外に、返事が出てこない。
 琉生は深刻そうにするでもなく、いつもの軽い調子のまま画面を見下ろした。
​「いや、普通に似合ってるし。バランスいいなって思って」
​「……っ」
​ 違う。そうじゃない。
 鴎の頭をかき乱しているのは、可愛いとか似合うとか、そんな次元の話ではない。
​『見られた』という、その事実そのものだ。
​ こんな姿を、同じクラスの、それも早見琉生なんかに見られた。
 その現実だけで、心臓が握り潰されそうだった。
​「だ、誰にも言わないで……!」
​ 思わず声が上ずる。鴎は慌てて机を回り込み、琉生に詰め寄った。
​「ほんとに、お願いだから……。誰にも、誰にも言わないで」
​ 必死すぎる自分が情けない。でも、なりふり構っていられなかった。
 琉生は少しだけ目を丸くしたあと、不思議そうに首を傾げた。
​「え。別に言わないけど」
​「……」
​「そんな必死にならなくてもよくない? 似合ってるし」
​ あまりにも、言葉が軽い。
 軽すぎて、鴎のほうがついていけない。
​ なんでそんな反応なんだ。もっと引くだろ、普通。気持ち悪いとか、そういう顔をするだろ。
 なのに琉生は、秘密を暴いた側の人間とは思えないほど、気楽な空気でスマホを握っている。
​ このままじゃ駄目だ。とにかく、口止めを確実なものにしなきゃいけない。
​「……なんでもするから」
​「ん?」
​「だから、黙ってて。誰にも言わないで。お願い」
​ 口走ったあとで、正気かと思った。
 けれど撤回するより早く、琉生の眉が跳ね上がる。
​「なんでも?」
​ しまった、と思った。でも、もう遅い。
 鴎が固まっていると、琉生は少し考えるように視線を泳がせてから、手の中のスマホを軽く持ち上げた。
​「じゃあさ」
​ その言い方は、妙に自然だった。
​「これの口止め料として、俺の服見てよ」
​「……は?」
​「コーデ。お前、絶対センスあるだろ。この写真、普通に服の完成度高いし」
​「それとこれとは、別でしょ」
​「別じゃないよ。俺、前から思ってたし。なんかいつも惜しいなって、自分でも分かってたから」
​ そう言って、琉生は自分の服を見下ろす。
 今日の黒のトップスに、重めの色のパンツ。確かに、顔と体型で強引に成立させているだけで、全体としてはどこか鈍い。
​ 鴎が思わず黙り込むと、琉生がニヤリと笑った。
​「やっぱ、今も思った?」
​「……別に」
​「思った顔してる」
​ グイグイ来る。こういうところが苦手だ。
 でも、ここで機嫌を損ねて秘密をバラされるのが一番怖い。
​ 鴎は小さく息を吐き、観念したように言った。
​「……少しだけなら」
​「その代わり、誰にも言わないで。絶対」
​「言わないって」
​ 琉生はあっさり頷く。
 その軽さに不安しかないが、今の鴎には彼を信じるしかなかった。
​ すると、琉生が急に楽しそうな顔で問いかけてくる。
​「ちなみにさ。今日の俺の服、どう?」
​ あまりに無防備な問いかけに、鴎は反射で答えてしまった。
​「微妙」
​「えっ」
​「黒のトップスはいいけど、パンツの色が重い。あとピアスしてるなら、首元かどっちかに絞った方がいい。今だと全体が中途半端」
​ 一気に言い切ってから、鴎はハッとした。
 目の前の琉生が、本気で固まっている。
​「……そんなに?」
​「いや、あの……ごめん。聞かれたから、つい」
​ いつもの悪い癖だ。服のことになると、容赦がなくなる。
 怯える鴎を前に、琉生は数秒黙り込み――やがて、ふっと肩を震わせた。
​「……あは、やば。初めてそんなズバズバ言われた」
​「……怒った?」
​「いや、むしろ面白い。みんな『似合う』しか言わないし。正直、よく分かんないまま着てたから」
​ 琉生は口元を押さえながら、まだ少し笑っていた。
​「ていうか時任、服のことになると喋るんだな」
​ その指摘に、鴎はすぐに視線を逸らした。
 自覚はある。興味のないことには口を閉ざすが、服の話だけは別だ。
​ 琉生はそんな鴎を見て、ますます楽しそうに目を細める。
​「いいじゃん。やっぱお前に頼もう。困ったとき聞くから」
​「……なんでもするって言ったの、時任だしな?」
​ そう返されて、鴎は言葉に詰まった。
 完全に面白がられている。でも、不思議と悪意は感じなかった。
​「じゃ、連絡先交換しよ。夜とか朝とか、着る前に聞きたいし」
​「……ほんとに、変なことしないで」
​「しないしない」
​「絶対、誰にも言わないで」
​「分かってるって」
​ 琉生は手早く連絡先を交換すると、満足そうに画面をしまった。
​「じゃあ、さっそく頼るわ。スタイリスト時任くん」
​「その呼び方やめて……っ」
​ ひらひらと手を振って教室を出ていく背中を見送りながら、鴎はその場に立ち尽くした。
​ なんなんだ、あいつ。
 最悪な事態を回避したはずが、別方向でめちゃくちゃなことになった。
​ 鴎は机に手をついて、深く息を吐いた。
 でも。少なくとも今、教室中で笑いものにされていないだけ、まだマシなのかもしれない。
 そう、無理やり思い込むしかなかった。
​ ***
​ その夜。
 風呂上がりにスマホを見ると、通知が一件。
​『早見琉生』
​ 名前を見た瞬間、どっと疲れが押し寄せた。
 メッセージは短かった。
​『これどう?』
​ その下に、鏡越しで撮ったらしい全身写真が三枚。
 黒のロンT。薄いブルーのシャツ。細身のパンツ。
 悪くはない。でも、悪くないだけだ。
​ 無視したい。ものすごくしたい。
 でも、秘密を握られている以上、無視はできない。
 それに……写真を見てしまうと、どうしても気になってしまう。
​ 鴎はベッドに座り、ため息をつきながら文字を打った。
​『その青シャツいらない。黒ロンTだけの方がまし。パンツ細すぎ。もう少し落ちるやつないの。靴は白より黒かグレー。あとそのネックレス、今日はいらない』
​ 送信。
 数秒後、すぐに既読がついた。
​『厳し』
『でも分かりやすい』
『さすが』
​ 続けて、写真が次々と送られてくる。
 パンツを変えたもの。靴を変えたもの。アクセを外したもの。
​ まるで着せ替え人形だ。
 クラスの中心で余裕ありげに笑っている彼と、こうして律儀に着替えて写真を送ってくる姿が全然噛み合わなくて、鴎は少しだけ変な気分になった。
​『これなら? ちゃんとマシになった?』
​ 送られてきた写真を見て、鴎は少しだけ目を細めた。
 最初よりずっといい。
 余計なものが削ぎ落とされ、琉生のスタイルの良さが引き立っている。
​ 悔しいが、かなり見違えた。
​『……さっきよりはいい』
​ 迷った末にそう返すと、すぐに返信が来る。
​『うれし』
『じゃあ明日それで行く。また頼むね、スタイリストくん』
​『その呼び方やめて』
​ 即座に打ち返すと、笑っているスタンプが返ってきた。
​ 鴎はスマホを見下ろしたまま、もう一度深く息をついた。
 本当に、面倒なことになった。
​ なのに。
 自分が選んだ服であいつが明日学校に来るのだと思うと、胸の奥が少しだけ落ち着かない。
​ その感覚の名前を、鴎はまだ知らなかった。