幻想のトルコ

 さすがに歩き疲れた。帰りのミニバスに乗り込む頃には、両脚のふくらはぎがパンパンに張っていた。まるで鉛の入った袋みたいだ。引きずるようにステップを上がる。

「エフェソス・リッチモンドに行きたいんですけど、どこで降りればいいですか」
「オーケーオーケー。降りるバス停になったら知らせるよ」

 人の良さそうな運転手に促され車内の中程まで進む。イスタンブールの路面電車ほどではないが、けっこう混んでいる。それでも僕たちに配慮してみんな少しずつスペースを空けてくれるので、気持ちよく居場所を見つけることができた。昨日も感じたことだが、この国では公共心というか譲り合いの精神がまだ生きている。昔は日本もそうだったのに。羨ましいと同時に恥ずかしくもなる。

 砂埃を巻き上げながら荒野の一本道を行く。ときどき路肩にバス停の標識を見かけるが、建物はあまりない。どこを走っているのか、新参者にはとんと見当がつかない。

 しばらくすると道が大きく左にカーブした。迫り出した岩肌に何となく見覚えがある。

「来る時、ここ通ったような気がする。そろそろかな」
「でも、運転手さんが教えてくれるって言ってたよ」
「まあ、待ってましょ」

 しかし、当の彼は何の素振りも見せない。そうこうしているうちに地元客は次々と降りていき、車内はすっかり空いてきた。夕闇が空を覆い始める。バスはとうとう山道に入った。

「さすがにこれは行き過ぎたでしょ」
「僕たち、いったいどこまで連れて行かれるんだろうね」
「そうは言っても、ミニバスだからたかが知れてると思うけど」

 峠を越えると、眼下にきらびやかな街の灯りが拡がった。海が見える。マリーナがあり、白く塗られたボートや洒落たヨットが停泊している。いかにもリゾートという感じだ。バスはホテル群に囲まれたロータリーに滑り込み、そこでようやくエンジンを切った。

「あのー」

 おずおずと乗車口に進むと、運転手はしまったとばかりに両手で頭を抱えた。

「ごめんごめん。すっかり忘れてた。誠に申し訳ない」
「あのー、ここ、どこですか」
「クシャダスまで来ちゃったんだ。でも、このバスはまたセルチュクに戻るから、乗っててくれたら今度こそ間違いなくエフェソス・リッチモンドで降ろすよ。15分後には出発するから、待ってて。いやー、本当に申し訳ない」

 すっかり夜の帳が降りていた。頬を撫でる風は生暖かく、吸い込むとほのかに潮の香りがする。オレンジ色の街灯に誘われて、どこからともなく美味しそうな匂いも漂ってくる。

 トルコきってのビーチリゾート、クシャダス。当初はもう一泊してここまで足を伸ばそうかとも考えていたのだが、日程の都合でやむなく断念した。それが思いもかけず訪れることになろうとは。遠回りになったが、かえってラッキーだった。どのみち急ぐ旅じゃない。

 折り返しのバスでは、今度こそ無事に送り届けてもらうことができた。夕食後、ホテルのビーチに出てみると、砂浜に立つパラソルの遥か向こうに岬が見えた。瞬いているあの灯りはきっとクシャダスだ。そうか、あそこにも行ったのか。そう思うと優越感にも似た気持ちが湧いてきた。寄せては返す波音が耳に心地よかった。