*
ーー……あれは、中学校の入学式のときだった。
爽やかな風を感じ、まるで舞う桜につられるように、何故か彼を見てしまっていた。花びらが頬を撫でるように、胸が小さく高鳴る。
そんな彼の名は、春崎 颯太 くん。春崎くんの第一印象は、“穏やかで優しそう”だった。
春崎くんと友達になれたらいいな。桜の花びらが地面に落ちる前にそっと手のひらで受け止めたいような、そんな儚い願いだった。
彼とは出席番号が近かったので、授業で話す機会も多かった。
やはり春崎くんは誰にでも優しくて、真面目な人だった。でも男子とふざける一面もあって、特別女子が騒ぎ立てるようなイケメンというわけでもないのに惹かれてしまった。
そして私は、彼を“推す”ようになった。
アイドルや俳優を推すのと同じように。周りの友達も先輩や同級生を推していて、よく話をしていた。
「うみー、おはよ!」
「ゆかり、おはよう」
彼女は小学一年生のときからの親友で、近所に住む幼馴染、森田うみ。
うみは私が春崎くんを推していることを知っていて、いつも話を聞いて応援してくれている。
「今日の春崎くんも可愛い。もっと話せたらいいのになー」
「春崎くんスマホ持ってないんだっけ?」
「そうなの……」
そう、春崎くんはスマホを持っていなかった。今の時代中学生で持っていないのは結構珍しいと思う。
学校でしか話すチャンスはないけれど、なかなか話しかけるのも勇気がいる。だから眺めることくらいしかできないのがもどかしい。
「音屋さーん」
そんなとき、突然誰かが私の苗字を呼んだ。声で分かった、これは春崎くんだと。
振り向くと、他クラスの林 小春ちゃんがドアのところにいた。
小春ちゃんは私と同じ部活で、よく会いに来てくれている。
「小春ちゃん、どうしたの?」
「ゆかりんにこれ渡したくて。部活の予定表! それで颯太に呼んでもらったの」
「そっか、小春ちゃん春崎くんと同じ小学校だもんね」
「そうそう!」
小春ちゃんが春崎くんのことを名前で呼んだ瞬間、胸の奥がちくりと刺された。
……嫌だなぁ、わたし、嫉妬しているのかも。
同じ小学校なら仲良いのは当たり前なのに、こんなに苦しいなんて。
「じゃあゆかりん、また後でね」
「うん、届けてくれてありがとう」
小春ちゃんは、小鳥みたいなイメージで、小さくてかわいい感じの子。
そんな小春ちゃんは、多分男子にモテると思う。
だから春崎くんも好きなんじゃないかと不安になってしまうんだ。
「今の、ゆかりが最近仲良くしてる子だよね?」
「うん、小春ちゃん。でも春崎くんのこと名前で呼んでてちょっと羨ましいなって思っちゃった」
「じゃあ、ゆかりも名前で呼んでみなよ! 颯太くん、って」
「いやいやいや、無理だよーっ」
もう苗字呼びで定着しちゃってるし、急に名前で呼んだら変な人だと思われるよ……。
でも、いつか名前で呼べたらいいな。そんな小さな想いが自分の心にあることを知った。
*
ある日、いつものように休み時間中春崎くんを眺めていると。
男子が何やらニヤニヤして、春崎くんが恥ずかしそうにしている姿が見えた。
「てか春崎、小春ちゃんとはどうなったのー?」
「まだ好きなんでしょー?」
「まじやめろって」
心臓がドクン、と動いたのが分かった。
春崎くんが、小春ちゃんのことを好き……?
それに“まだ”ってどういうこと。もしかして、前から好きなの?
頭の中で、桜の花びらが一枚一枚散っていくようなそんな切ない感じがした。
「もう好きじゃないから!」
春崎くんは、いつもより少し大きな声でそう言った。
私には分かる。誰よりも近くで見てきたから。
今の言葉は本心じゃない。きっと恥ずかしいから、照れているからそう言っただけだって。
「ゆかり……元気出して。好きじゃないって本人も言ってるし」
「うみ、ありがと」
ただの推し。そう心に言い聞かせ、溢れてしまいそうな涙をグッと堪えるしかなかった。
その日から、小春ちゃんが私のクラスに来るたびに春崎くんが男子からいじられるようになった。
例えば「小春ちゃん来たよー!」とか、「春崎の人来たじゃん!」とか。そんな小春ちゃん本人は、嫌がっている様子。
小春ちゃんがクラスに来て、春崎くんが男子にからかわれているのを見るたび、心のどこかがじわじわと熱くなって胸が苦しくなる。
可愛くて真面目な小春ちゃんを好きになるのは仕方ないか……。そう思ってはいても、やはり嫉妬心は消えなかった。
*
時は流れ、もうすぐ夏休み。夏休みに入ったら春崎くんの姿を見れなくなるなんて寂しいなぁ、と思っていた。
そんな日の昼休み中、私が仲良い男子と会話していると。近くにいた春崎くんも、話に入ってきた。
春崎くんから会話に入ってきてくれるなんて初めてな気がする。嬉しい……!
内心ドキドキしながら会話を続けていると、その男子はどこかへ行ってしまい、私と春崎くん二人きりになってしまった。
「あ、えと……春崎くん、ペン回し上手だね」
春崎くんがそのときペン回しをしていたので、会話に困った私はそんなことを口走ってしまった。
すると春崎くんは優しく微笑んだ。
「いや、普通だよ。誰にでもできるよこんなの」
「いやいや、私できないし……」
「じゃあ教えようか?」
「えっ!? う、うん、お願いします」
春崎くんは、さっきよりもずっと私の方に寄ってくれて、ペン回しのやり方を教えてくれた。
うわぁ、顔が近い、無理、緊張する……!
頭が真っ白になってしまう。
「こうやって、こう」
「えっと、こう……?」
「んー、惜しい。できそうだけど」
私が失敗するたびに春崎くんは優しく微笑んだ。その横顔に不覚にもドキッとしてしまう。まるで陽だまりのような柔らかい笑顔だった。
なかなか上手くできなくて、昼休み終わりのチャイムが鳴ってしまった。
もっと一緒に話したかったな……。こんなに休み時間終わりのチャイムを恨んだのは初めてかもしれない。
「できるように頑張って」
「ありがとう!」
そう言って春崎くんは席に戻ってしまった。
春崎くんとはそのとき席が離れてて、私が後ろの方を向くと見える位置だった。
五時間目の授業が始まってからも、先程教えてくれた春崎くんの言葉を思い出し、ペン回しの練習を頑張っていた。
成功して、春崎くんに見てもらいたい……!
何度も何度も挑戦していると、ついにできるようになった。
嬉しくて、つい後ろを振り返って離れたところにいる春崎くんのほうを見てしまった。
その瞬間、息が止まった。春崎くんも、こちらを見てくれていたから。
私は春崎くんのほうを向きながら、ペン回しをやって見せた。
すると春崎くんは嬉しそうに頷いて、親指を立ててくれた。まるで「できてるよ」と言ってくれているみたいに。
「ありがとう」
私は、そう口パクをした。伝わるといいなと思いながら。
「静かにしてー、みんな前向けー」
授業をしていた先生がそう言ったので、私は急いで前を向いた。
先生が黒板を書き始めたとき、チラッと後ろを向いて春崎くんを見た。その瞬間、私たちは同時に笑った。
いつまでもこんな時間が続けばいいのに。このときだけは、教室の騒音が遠くに聞こえる二人だけの世界が続いているようで、とても幸せだなぁと思った。
*
私はその後、体調不良や精神的な病気になってしまい、なかなかクラスへ行けなくなった。
二年生では、春崎くんとクラスが違ったため、今までのように話す機会もなくなってしまった。多分、一年間で一度も話せなかったと思う。
でも、運命ってもしかしてあるのかもしれない。そう思ったのは、三年生でまた同じクラスになれたときだったーー……。
「うみ! 同じクラスじゃん!」
「やったね!」
そう、うみとも二年生ではクラスが離れてしまったけれど、また三年生で一緒になることができた。
話す機会がなくなってしまったことで、もう春崎くんへの気持ちは冷めてしまっていた。だけど教室へ行くと、春崎くんは私の隣の席だったのだ。
「音屋さん、おはよう」
「え、あ、うん、おはよ」
春崎くんからそう話しかけてくれた。クラス表をよく見てみると、なんと出席番号が前後だった。
……春崎くんとまた同じクラスで、それに隣の席だなんて。
一年生のときは席が近いことはあっても隣にはならなかったので、初めてのドキドキを味わった。
それと同時に、失っていたあの頃の春崎くんへの気持ちが少しだけ戻った気がした。
隣の席だったことで、授業中話す回数も増えた。
懐かしい。やっぱり春崎くんの笑顔を見るとすごく癒やされるなぁ。
そう思っていた。けれど私はその後体調不良が続き、家庭でもいろいろあってストレスが大きかったため、六月頃からクラスに行けなくなってしまった。
*
そして春崎くんと接する機会は途絶えて、もう卒業まであと一週間となってしまったときだった。
私はずっと教室に行けてなくて、卒業式も参加するかどうか迷っていた。
でも、最後だからーー。そう思って、卒業式の三日前、勇気を振り絞って教室へ足を運んだ。
ドアを開けた瞬間、クラスメイト全員の視線が痛いほど刺さった。
怖い。みんな見てる。ビクビクしながら過ごしていたけれど、休み時間になると普通に接してくれる子ばかりで安心した。
その日は卒業アルバムが配られて、寄せ書きのページに友達に書いてもらう時間が一時間目と六時間目にあった。
一時間目があっという間に終わってしまい、春崎くんには話しかけることもできなかった。六時間目は頑張って言ってみようかな……そうドキドキしていた。
二時間目は卒業式の練習をするため、みんな体育館に集合した。私と春崎くんは出席番号前後なので、席は隣だった。
そのとき前に座っていた男友達が、春崎くんと仲良さそうに話していた。
「そういえば春崎、小春ちゃんに書いてもらったー?」
「いや」
「えー、何でよ。言おうよー」
あぁ、また小春ちゃんの話か。
聞きたくないな。そう思っていたら、春崎くんがこちらに少し顔を傾けてきた。
「断られるよ、絶対。ね?」
そう、私に問いかけてきたのだと理解した。
……え。春崎くん、私に言ってる!?
ものすごく焦った。
「い、いや、断られないんじゃない?」
「いやいや……」
「じゃあ俺から言ってあげるよ! 小春ちゃん書いてーって」
「まじでやめろ。もうこの話終わり」
そう言って、春崎くんは話を切り上げていた。
小春ちゃんの話やっと終わったな、とホッと胸を撫で下ろしていると、春崎くんは私をチラッと横目で見て口を開いた。
「あ、そういえば、ゆかりにまだ書いてもらってないよね」
「えっ、う、うん」
「後で書いて」
「うん……! 私も後で書いてほしい」
キーンコーンカーンコーンと始まるチャイムが鳴り、春崎くんとの会話が終わった。だけどその後もずっと、私の胸は高鳴っていた。
……うそ。初めて、春崎くんに名前を呼ばれた。それに卒業アルバム書いてって言われるなんて夢みたい。
私ーー春崎くんのこと、やっぱり好きだ。こんなに優しい気持ちになれるのは、春崎くんのことを考えているときだけ。
いつの間にか、そんな感情が芽生えてしまっていたことに気がついた。
休み時間になって教室へ戻り、約束した通り春崎くんと卒業アルバムを交換した。
……春崎くん、なんて書いてくれるんだろう。
そんなことを考えてばかりで、私は「三年間ありがとう! めっちゃ楽しかったよ!」とありきたりなことしか書けなかったけれど。
「はい、ありがと」
「こちらこそ!」
すぐに見てみると、春崎くんは「三年間ありがとう! 一年のときいっぱい話せて良かった!」と書いてくれていた。
胸がじんわりとあたたかくなる。今日、勇気を出して学校に来て本当に良かったと思う。
家に帰ると、クラスのグループに春崎くんが追加されていた。
えっ、春崎くん、スマホ買ってもらったんだ!
私はドキドキしながらも、春崎くんを追加した。そして文字を打って春崎くんに送ってみた。
『こんばんは、音屋です。突然追加しちゃってごめんね! よろしくね』
『ゆかり、よろしく。あ、この呼び方で大丈夫?』
『全然、むしろ嬉しいよ。私も颯太くんて呼んでもいい?』
『いいよ!』
うわ、うわぁ……!
まさか春崎くんのことを名前で呼べる日が来るなんて。画面を見つめたまま、頬が熱くなるのを感じる。
何度もアルバムの寄せ書きページやこのやり取りを見返してしまうほど、この日の思い出は私の心に深く刻まれた。
*
卒業式では颯太くんとは少しだけ会話できたけれど、あまり話すことはできなかった。
本当はツーショットを撮りたくて誘おうかと思っていたけれど、その日は雨が降っていてみんなすぐ帰ってしまったため、颯太くんには声を掛けられなかった。
仕方ないかと一度は諦めたけれど、自分でも驚いたことに家に帰った瞬間涙が溢れて止まらなかった。
こんなに後悔するなら、言えば良かったな。
颯太くんとは高校が違ってしまうから、チャンスは今日しかなかったのに。
そして一週間ほど経っても私はずっとそのことを引きずっていた。だから覚悟を決めた。
“颯太くんにツーショットを撮りたいと伝えてみよう”と。
本当はすごく断られるのが怖い。嫌がられたらどうしよう。不安な気持ちはとても強かった。
でもこのまま何もせず後悔したままよりも、勇気を出したほうが良いと思った。
『久しぶり! そういえば卒業式颯太くんと写真撮れなかったから、もし良ければ今度どこかで撮れないかな……?』
緊張して手が震える。もし断られたとしてもどうせ高校が違うんだし平気。頑張れ、わたし!
震える指先で、送信ボタンを押した。すると数秒後に返信が来た。
『いつ撮る?』
たった短い一言だけど、そのメッセージを見たとき、一気に今までの緊張が解けた。
思わずスマホをぎゅっと抱きしめた。
『ありがとう! じゃあ〇日とかどうかな? 場所どうする?』
『いいよ。決めてほしい』
『じゃあ〇〇駅の十時で! 私服でいいかな?』
『おけ、私服でいくわ』
このやり取り一つ一つが、私の宝物になった。
夢みたいで、でも夢じゃなくて。嬉しくて胸が破裂しちゃいそう。
その日がしあわせな一日になりますように。そう思った。
約束の日になり、私は待ち合わせの場所に向かった。
初めてだな、颯太くんの私服姿見るの。髪も服も変じゃないかな、気合入れすぎって思われない?
頭の中は緊張でいっぱいだった。
「おはよう」
「あ、颯太くん、おはよ! 今日はわざわざごめんね」
「ん、全然」
颯太くんの私服、かっこいい……! 天気もいいし、いつもより颯太くんが眩しく光り輝いて見える。
ツーショットを無事撮って、私たちは歩きながら会話した。
「ゆかり、家どこらへん?」
「あっちの方だよ。颯太くんは?」
「俺は向こう」
颯太くんが指差した方向は、私の家と逆側だった。
あれ、じゃあこの道反対なんじゃ……?
「家まで送るよ」
「え、えぇっ!? い、いいよ、悪いし」
「いやいいよ、今日予定ないし」
うそ……わざわざ家まで送ってくれるなんて。
なんて優しいんだろう。まさかこんな展開になるなんて思ってなくて、びっくりしたけど嬉しかった。
「兄弟とかいる?」
「ううん、一人っ子なの」
「そうなんだ、うちは姉が二人いて。この前も家族で旅行に行ったんだ」
「へぇ、仲良いんだね! 春休み満喫してていいね」
「あはは、でしょ」
家族の話や春休み旅行に行ったことなど、颯太くんは落ち着きながらも楽しそうに話してくれた。
やっぱり颯太くんといると癒されるし、楽しい。好きだなぁ……。
胸が熱く、ぎゅっとなった。
「家、ここなんだ」
あっという間に、家に着いてしまった。
わずか十分くらいだった。でもその短い時間で颯太くんの知らなかったことを知ることができて、本当に楽しかった。
「じゃあ、高校頑張ろうね。帰りとか会えるといいね」
「うん。送ってくれて本当にありがとう! また会えたら嬉しいな」
「こちらこそ。またね!」
「またね!」
そう言って、颯太くんは帰ってしまった。
一人になったときの孤独感と寂しさが大きかったけれど、颯太くんと撮った写真を眺めながら、一つ一つの会話や出来事の余韻にひたっていた。
*
家に帰って、私はまた深く考えていた。
……このまま終わって、後悔しないのだろうか。もう気軽に会えなくなって、話せなくなって、それでいいのだろうか。
私はきっと自分が思っている以上に、颯太くんのことが好きでーー。
この気持ちを知ってほしい。颯太くんに気持ちを伝えたい。いつしかそう思っていた。
直接では言いそびれちゃったけれど、まだ間に合う。伝えよう、颯太くんに。
『今日は本当にありがとう。急にごめんね。言えなかったんだけど、颯太くんのことが好きです』
何度も何度も悩んだ。簡単にはこんなこと言えない、伝えられない。でも、だからこそ、もう会えなくなるこの時期に伝えたいと思った。
こんなに緊張したのは初めてかもしれない。私は絞っているクリームが無くなってしまうように、ありったけの勇気を出して送信した。
ドクン、ドクンと鼓動が聞こえる。もうスマホ見れないくらい、怖い。
何か気を紛らわそうと別のことをしても、時計の針は一向に進まない。
返信来てるかな。視線を少しずらしながらスマホを見ると、息が止まった。
『ありがとう……』
という文字が見えたから。その先の答えは、見なくても分かってしまった。
『ありがとう……気持ちはすごく嬉しい。でも高校で勉強も趣味も頑張りたいんだ。だから本当にごめんね』
ーー……あぁ、ダメだった。
スマホの画面が霞む。私、振られたんだ。頑張って気持ちを伝えたのに、ダメだったんだ。
わざわざ写真撮るためだけに私服で待ち合わせして、そして家まで送ってくれたのに、全部全部、ただの彼の優しさだったんだね。私に特別な感情もなく善意でやってくれただけだったんだね。
ふと小春ちゃんのことが頭に浮かんだ。
二年生のとき、私は小春ちゃんやそのグループの子たちに仲間はずれにされて、移動教室のときも一人にされたり、私だけ知らない話で置いていかれたりした。
あの子はそういうことをする子だと、私はよく知っている。
それなのに、春崎くんはずっと小春ちゃんのことが好きなんだ。
「どうして……っ、どうして……」
ーー私じゃダメなんだろう。
そんな暗い考えが頭をよぎったけれど、すぐに首を振って振り払った。
悲しいはずなのに、何故か涙は一粒も出ない。ただ胸の奥が苦しくて、冷たくて、まるで桜が一気に散ってしまったあとの枝みたいに感じた。
スマホをぼんやり眺めながら、その場に立ち尽くしていた。
*
時が過ぎ、私は高校生になった。新しい環境になり、いろいろ不安や心配な気持ちはたくさんあるけれど、楽しい生活を送ることができている。
颯太くんのことは忘れられないけど、でももうあのときの“好き”という気持ちは自由な空に飛んでいってしまったと思う。
だけど、あんな思わせぶりなことをされても、きっと大好きだった。
くしゃっと笑う顔も、友達にからかわれて照れる一面も、心から優しい性格も。
そんな颯太くんだから好きになったんだと思う。気持ちは届かなかったけれど、伝えることはできて良かった。
今でもそのツーショットは宝物だし、あの日の出来事も全て自分の成長に必要だったと思うようにしている。
最近は筋トレやダイエットをしたり、髪を少し染めたり、自分磨きを頑張っている。
“あのとき振ったことを、いつか絶対後悔させてやる!”
そんなメンタルで。
「そういえば、ゆかりちゃんは好きな人いたこととかある?」
「えっ」
高校で新たにできた友達に、そんなことを聞かれた。
頭に浮かんだのは、もちろん颯太くんだった。
「うーん、まぁできたことはあるよ」
「えっ、そうなの!? どういう人?」
「すごくイケメンってわけではないんだけど、優しくて笑顔が可愛くて……。でも今思えばもしかしたら本気で好きっていうわけじゃなかったのかも」
そう思う理由は、振られても涙は一粒も出なかったから。
その子は不思議そうに私の目を見つめた。
「じゃあ、どんな恋だったと思う?」
「どんな……」
どんな恋だったか。
時が経った今、その問いの答えが分かる。
「桜みたいな恋だった」
蕾から少しずつ、美しく綺麗に花が開いて、そして儚く散ってしまった。あの恋も、桜と同じように。
でも、あのとき気持ちを伝えたという出来事が、自分を少し強くしてくれた。私も恋も、きっと最高に綺麗な瞬間だった。
多分、これからも彼のことを忘れることはできない。けれどあの日感じた風も過去の自分も、私は優しく抱きしめたいと思う。
桜の影に、君の名を残しながら。
ーー……あれは、中学校の入学式のときだった。
爽やかな風を感じ、まるで舞う桜につられるように、何故か彼を見てしまっていた。花びらが頬を撫でるように、胸が小さく高鳴る。
そんな彼の名は、春崎 颯太 くん。春崎くんの第一印象は、“穏やかで優しそう”だった。
春崎くんと友達になれたらいいな。桜の花びらが地面に落ちる前にそっと手のひらで受け止めたいような、そんな儚い願いだった。
彼とは出席番号が近かったので、授業で話す機会も多かった。
やはり春崎くんは誰にでも優しくて、真面目な人だった。でも男子とふざける一面もあって、特別女子が騒ぎ立てるようなイケメンというわけでもないのに惹かれてしまった。
そして私は、彼を“推す”ようになった。
アイドルや俳優を推すのと同じように。周りの友達も先輩や同級生を推していて、よく話をしていた。
「うみー、おはよ!」
「ゆかり、おはよう」
彼女は小学一年生のときからの親友で、近所に住む幼馴染、森田うみ。
うみは私が春崎くんを推していることを知っていて、いつも話を聞いて応援してくれている。
「今日の春崎くんも可愛い。もっと話せたらいいのになー」
「春崎くんスマホ持ってないんだっけ?」
「そうなの……」
そう、春崎くんはスマホを持っていなかった。今の時代中学生で持っていないのは結構珍しいと思う。
学校でしか話すチャンスはないけれど、なかなか話しかけるのも勇気がいる。だから眺めることくらいしかできないのがもどかしい。
「音屋さーん」
そんなとき、突然誰かが私の苗字を呼んだ。声で分かった、これは春崎くんだと。
振り向くと、他クラスの林 小春ちゃんがドアのところにいた。
小春ちゃんは私と同じ部活で、よく会いに来てくれている。
「小春ちゃん、どうしたの?」
「ゆかりんにこれ渡したくて。部活の予定表! それで颯太に呼んでもらったの」
「そっか、小春ちゃん春崎くんと同じ小学校だもんね」
「そうそう!」
小春ちゃんが春崎くんのことを名前で呼んだ瞬間、胸の奥がちくりと刺された。
……嫌だなぁ、わたし、嫉妬しているのかも。
同じ小学校なら仲良いのは当たり前なのに、こんなに苦しいなんて。
「じゃあゆかりん、また後でね」
「うん、届けてくれてありがとう」
小春ちゃんは、小鳥みたいなイメージで、小さくてかわいい感じの子。
そんな小春ちゃんは、多分男子にモテると思う。
だから春崎くんも好きなんじゃないかと不安になってしまうんだ。
「今の、ゆかりが最近仲良くしてる子だよね?」
「うん、小春ちゃん。でも春崎くんのこと名前で呼んでてちょっと羨ましいなって思っちゃった」
「じゃあ、ゆかりも名前で呼んでみなよ! 颯太くん、って」
「いやいやいや、無理だよーっ」
もう苗字呼びで定着しちゃってるし、急に名前で呼んだら変な人だと思われるよ……。
でも、いつか名前で呼べたらいいな。そんな小さな想いが自分の心にあることを知った。
*
ある日、いつものように休み時間中春崎くんを眺めていると。
男子が何やらニヤニヤして、春崎くんが恥ずかしそうにしている姿が見えた。
「てか春崎、小春ちゃんとはどうなったのー?」
「まだ好きなんでしょー?」
「まじやめろって」
心臓がドクン、と動いたのが分かった。
春崎くんが、小春ちゃんのことを好き……?
それに“まだ”ってどういうこと。もしかして、前から好きなの?
頭の中で、桜の花びらが一枚一枚散っていくようなそんな切ない感じがした。
「もう好きじゃないから!」
春崎くんは、いつもより少し大きな声でそう言った。
私には分かる。誰よりも近くで見てきたから。
今の言葉は本心じゃない。きっと恥ずかしいから、照れているからそう言っただけだって。
「ゆかり……元気出して。好きじゃないって本人も言ってるし」
「うみ、ありがと」
ただの推し。そう心に言い聞かせ、溢れてしまいそうな涙をグッと堪えるしかなかった。
その日から、小春ちゃんが私のクラスに来るたびに春崎くんが男子からいじられるようになった。
例えば「小春ちゃん来たよー!」とか、「春崎の人来たじゃん!」とか。そんな小春ちゃん本人は、嫌がっている様子。
小春ちゃんがクラスに来て、春崎くんが男子にからかわれているのを見るたび、心のどこかがじわじわと熱くなって胸が苦しくなる。
可愛くて真面目な小春ちゃんを好きになるのは仕方ないか……。そう思ってはいても、やはり嫉妬心は消えなかった。
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時は流れ、もうすぐ夏休み。夏休みに入ったら春崎くんの姿を見れなくなるなんて寂しいなぁ、と思っていた。
そんな日の昼休み中、私が仲良い男子と会話していると。近くにいた春崎くんも、話に入ってきた。
春崎くんから会話に入ってきてくれるなんて初めてな気がする。嬉しい……!
内心ドキドキしながら会話を続けていると、その男子はどこかへ行ってしまい、私と春崎くん二人きりになってしまった。
「あ、えと……春崎くん、ペン回し上手だね」
春崎くんがそのときペン回しをしていたので、会話に困った私はそんなことを口走ってしまった。
すると春崎くんは優しく微笑んだ。
「いや、普通だよ。誰にでもできるよこんなの」
「いやいや、私できないし……」
「じゃあ教えようか?」
「えっ!? う、うん、お願いします」
春崎くんは、さっきよりもずっと私の方に寄ってくれて、ペン回しのやり方を教えてくれた。
うわぁ、顔が近い、無理、緊張する……!
頭が真っ白になってしまう。
「こうやって、こう」
「えっと、こう……?」
「んー、惜しい。できそうだけど」
私が失敗するたびに春崎くんは優しく微笑んだ。その横顔に不覚にもドキッとしてしまう。まるで陽だまりのような柔らかい笑顔だった。
なかなか上手くできなくて、昼休み終わりのチャイムが鳴ってしまった。
もっと一緒に話したかったな……。こんなに休み時間終わりのチャイムを恨んだのは初めてかもしれない。
「できるように頑張って」
「ありがとう!」
そう言って春崎くんは席に戻ってしまった。
春崎くんとはそのとき席が離れてて、私が後ろの方を向くと見える位置だった。
五時間目の授業が始まってからも、先程教えてくれた春崎くんの言葉を思い出し、ペン回しの練習を頑張っていた。
成功して、春崎くんに見てもらいたい……!
何度も何度も挑戦していると、ついにできるようになった。
嬉しくて、つい後ろを振り返って離れたところにいる春崎くんのほうを見てしまった。
その瞬間、息が止まった。春崎くんも、こちらを見てくれていたから。
私は春崎くんのほうを向きながら、ペン回しをやって見せた。
すると春崎くんは嬉しそうに頷いて、親指を立ててくれた。まるで「できてるよ」と言ってくれているみたいに。
「ありがとう」
私は、そう口パクをした。伝わるといいなと思いながら。
「静かにしてー、みんな前向けー」
授業をしていた先生がそう言ったので、私は急いで前を向いた。
先生が黒板を書き始めたとき、チラッと後ろを向いて春崎くんを見た。その瞬間、私たちは同時に笑った。
いつまでもこんな時間が続けばいいのに。このときだけは、教室の騒音が遠くに聞こえる二人だけの世界が続いているようで、とても幸せだなぁと思った。
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私はその後、体調不良や精神的な病気になってしまい、なかなかクラスへ行けなくなった。
二年生では、春崎くんとクラスが違ったため、今までのように話す機会もなくなってしまった。多分、一年間で一度も話せなかったと思う。
でも、運命ってもしかしてあるのかもしれない。そう思ったのは、三年生でまた同じクラスになれたときだったーー……。
「うみ! 同じクラスじゃん!」
「やったね!」
そう、うみとも二年生ではクラスが離れてしまったけれど、また三年生で一緒になることができた。
話す機会がなくなってしまったことで、もう春崎くんへの気持ちは冷めてしまっていた。だけど教室へ行くと、春崎くんは私の隣の席だったのだ。
「音屋さん、おはよう」
「え、あ、うん、おはよ」
春崎くんからそう話しかけてくれた。クラス表をよく見てみると、なんと出席番号が前後だった。
……春崎くんとまた同じクラスで、それに隣の席だなんて。
一年生のときは席が近いことはあっても隣にはならなかったので、初めてのドキドキを味わった。
それと同時に、失っていたあの頃の春崎くんへの気持ちが少しだけ戻った気がした。
隣の席だったことで、授業中話す回数も増えた。
懐かしい。やっぱり春崎くんの笑顔を見るとすごく癒やされるなぁ。
そう思っていた。けれど私はその後体調不良が続き、家庭でもいろいろあってストレスが大きかったため、六月頃からクラスに行けなくなってしまった。
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そして春崎くんと接する機会は途絶えて、もう卒業まであと一週間となってしまったときだった。
私はずっと教室に行けてなくて、卒業式も参加するかどうか迷っていた。
でも、最後だからーー。そう思って、卒業式の三日前、勇気を振り絞って教室へ足を運んだ。
ドアを開けた瞬間、クラスメイト全員の視線が痛いほど刺さった。
怖い。みんな見てる。ビクビクしながら過ごしていたけれど、休み時間になると普通に接してくれる子ばかりで安心した。
その日は卒業アルバムが配られて、寄せ書きのページに友達に書いてもらう時間が一時間目と六時間目にあった。
一時間目があっという間に終わってしまい、春崎くんには話しかけることもできなかった。六時間目は頑張って言ってみようかな……そうドキドキしていた。
二時間目は卒業式の練習をするため、みんな体育館に集合した。私と春崎くんは出席番号前後なので、席は隣だった。
そのとき前に座っていた男友達が、春崎くんと仲良さそうに話していた。
「そういえば春崎、小春ちゃんに書いてもらったー?」
「いや」
「えー、何でよ。言おうよー」
あぁ、また小春ちゃんの話か。
聞きたくないな。そう思っていたら、春崎くんがこちらに少し顔を傾けてきた。
「断られるよ、絶対。ね?」
そう、私に問いかけてきたのだと理解した。
……え。春崎くん、私に言ってる!?
ものすごく焦った。
「い、いや、断られないんじゃない?」
「いやいや……」
「じゃあ俺から言ってあげるよ! 小春ちゃん書いてーって」
「まじでやめろ。もうこの話終わり」
そう言って、春崎くんは話を切り上げていた。
小春ちゃんの話やっと終わったな、とホッと胸を撫で下ろしていると、春崎くんは私をチラッと横目で見て口を開いた。
「あ、そういえば、ゆかりにまだ書いてもらってないよね」
「えっ、う、うん」
「後で書いて」
「うん……! 私も後で書いてほしい」
キーンコーンカーンコーンと始まるチャイムが鳴り、春崎くんとの会話が終わった。だけどその後もずっと、私の胸は高鳴っていた。
……うそ。初めて、春崎くんに名前を呼ばれた。それに卒業アルバム書いてって言われるなんて夢みたい。
私ーー春崎くんのこと、やっぱり好きだ。こんなに優しい気持ちになれるのは、春崎くんのことを考えているときだけ。
いつの間にか、そんな感情が芽生えてしまっていたことに気がついた。
休み時間になって教室へ戻り、約束した通り春崎くんと卒業アルバムを交換した。
……春崎くん、なんて書いてくれるんだろう。
そんなことを考えてばかりで、私は「三年間ありがとう! めっちゃ楽しかったよ!」とありきたりなことしか書けなかったけれど。
「はい、ありがと」
「こちらこそ!」
すぐに見てみると、春崎くんは「三年間ありがとう! 一年のときいっぱい話せて良かった!」と書いてくれていた。
胸がじんわりとあたたかくなる。今日、勇気を出して学校に来て本当に良かったと思う。
家に帰ると、クラスのグループに春崎くんが追加されていた。
えっ、春崎くん、スマホ買ってもらったんだ!
私はドキドキしながらも、春崎くんを追加した。そして文字を打って春崎くんに送ってみた。
『こんばんは、音屋です。突然追加しちゃってごめんね! よろしくね』
『ゆかり、よろしく。あ、この呼び方で大丈夫?』
『全然、むしろ嬉しいよ。私も颯太くんて呼んでもいい?』
『いいよ!』
うわ、うわぁ……!
まさか春崎くんのことを名前で呼べる日が来るなんて。画面を見つめたまま、頬が熱くなるのを感じる。
何度もアルバムの寄せ書きページやこのやり取りを見返してしまうほど、この日の思い出は私の心に深く刻まれた。
*
卒業式では颯太くんとは少しだけ会話できたけれど、あまり話すことはできなかった。
本当はツーショットを撮りたくて誘おうかと思っていたけれど、その日は雨が降っていてみんなすぐ帰ってしまったため、颯太くんには声を掛けられなかった。
仕方ないかと一度は諦めたけれど、自分でも驚いたことに家に帰った瞬間涙が溢れて止まらなかった。
こんなに後悔するなら、言えば良かったな。
颯太くんとは高校が違ってしまうから、チャンスは今日しかなかったのに。
そして一週間ほど経っても私はずっとそのことを引きずっていた。だから覚悟を決めた。
“颯太くんにツーショットを撮りたいと伝えてみよう”と。
本当はすごく断られるのが怖い。嫌がられたらどうしよう。不安な気持ちはとても強かった。
でもこのまま何もせず後悔したままよりも、勇気を出したほうが良いと思った。
『久しぶり! そういえば卒業式颯太くんと写真撮れなかったから、もし良ければ今度どこかで撮れないかな……?』
緊張して手が震える。もし断られたとしてもどうせ高校が違うんだし平気。頑張れ、わたし!
震える指先で、送信ボタンを押した。すると数秒後に返信が来た。
『いつ撮る?』
たった短い一言だけど、そのメッセージを見たとき、一気に今までの緊張が解けた。
思わずスマホをぎゅっと抱きしめた。
『ありがとう! じゃあ〇日とかどうかな? 場所どうする?』
『いいよ。決めてほしい』
『じゃあ〇〇駅の十時で! 私服でいいかな?』
『おけ、私服でいくわ』
このやり取り一つ一つが、私の宝物になった。
夢みたいで、でも夢じゃなくて。嬉しくて胸が破裂しちゃいそう。
その日がしあわせな一日になりますように。そう思った。
約束の日になり、私は待ち合わせの場所に向かった。
初めてだな、颯太くんの私服姿見るの。髪も服も変じゃないかな、気合入れすぎって思われない?
頭の中は緊張でいっぱいだった。
「おはよう」
「あ、颯太くん、おはよ! 今日はわざわざごめんね」
「ん、全然」
颯太くんの私服、かっこいい……! 天気もいいし、いつもより颯太くんが眩しく光り輝いて見える。
ツーショットを無事撮って、私たちは歩きながら会話した。
「ゆかり、家どこらへん?」
「あっちの方だよ。颯太くんは?」
「俺は向こう」
颯太くんが指差した方向は、私の家と逆側だった。
あれ、じゃあこの道反対なんじゃ……?
「家まで送るよ」
「え、えぇっ!? い、いいよ、悪いし」
「いやいいよ、今日予定ないし」
うそ……わざわざ家まで送ってくれるなんて。
なんて優しいんだろう。まさかこんな展開になるなんて思ってなくて、びっくりしたけど嬉しかった。
「兄弟とかいる?」
「ううん、一人っ子なの」
「そうなんだ、うちは姉が二人いて。この前も家族で旅行に行ったんだ」
「へぇ、仲良いんだね! 春休み満喫してていいね」
「あはは、でしょ」
家族の話や春休み旅行に行ったことなど、颯太くんは落ち着きながらも楽しそうに話してくれた。
やっぱり颯太くんといると癒されるし、楽しい。好きだなぁ……。
胸が熱く、ぎゅっとなった。
「家、ここなんだ」
あっという間に、家に着いてしまった。
わずか十分くらいだった。でもその短い時間で颯太くんの知らなかったことを知ることができて、本当に楽しかった。
「じゃあ、高校頑張ろうね。帰りとか会えるといいね」
「うん。送ってくれて本当にありがとう! また会えたら嬉しいな」
「こちらこそ。またね!」
「またね!」
そう言って、颯太くんは帰ってしまった。
一人になったときの孤独感と寂しさが大きかったけれど、颯太くんと撮った写真を眺めながら、一つ一つの会話や出来事の余韻にひたっていた。
*
家に帰って、私はまた深く考えていた。
……このまま終わって、後悔しないのだろうか。もう気軽に会えなくなって、話せなくなって、それでいいのだろうか。
私はきっと自分が思っている以上に、颯太くんのことが好きでーー。
この気持ちを知ってほしい。颯太くんに気持ちを伝えたい。いつしかそう思っていた。
直接では言いそびれちゃったけれど、まだ間に合う。伝えよう、颯太くんに。
『今日は本当にありがとう。急にごめんね。言えなかったんだけど、颯太くんのことが好きです』
何度も何度も悩んだ。簡単にはこんなこと言えない、伝えられない。でも、だからこそ、もう会えなくなるこの時期に伝えたいと思った。
こんなに緊張したのは初めてかもしれない。私は絞っているクリームが無くなってしまうように、ありったけの勇気を出して送信した。
ドクン、ドクンと鼓動が聞こえる。もうスマホ見れないくらい、怖い。
何か気を紛らわそうと別のことをしても、時計の針は一向に進まない。
返信来てるかな。視線を少しずらしながらスマホを見ると、息が止まった。
『ありがとう……』
という文字が見えたから。その先の答えは、見なくても分かってしまった。
『ありがとう……気持ちはすごく嬉しい。でも高校で勉強も趣味も頑張りたいんだ。だから本当にごめんね』
ーー……あぁ、ダメだった。
スマホの画面が霞む。私、振られたんだ。頑張って気持ちを伝えたのに、ダメだったんだ。
わざわざ写真撮るためだけに私服で待ち合わせして、そして家まで送ってくれたのに、全部全部、ただの彼の優しさだったんだね。私に特別な感情もなく善意でやってくれただけだったんだね。
ふと小春ちゃんのことが頭に浮かんだ。
二年生のとき、私は小春ちゃんやそのグループの子たちに仲間はずれにされて、移動教室のときも一人にされたり、私だけ知らない話で置いていかれたりした。
あの子はそういうことをする子だと、私はよく知っている。
それなのに、春崎くんはずっと小春ちゃんのことが好きなんだ。
「どうして……っ、どうして……」
ーー私じゃダメなんだろう。
そんな暗い考えが頭をよぎったけれど、すぐに首を振って振り払った。
悲しいはずなのに、何故か涙は一粒も出ない。ただ胸の奥が苦しくて、冷たくて、まるで桜が一気に散ってしまったあとの枝みたいに感じた。
スマホをぼんやり眺めながら、その場に立ち尽くしていた。
*
時が過ぎ、私は高校生になった。新しい環境になり、いろいろ不安や心配な気持ちはたくさんあるけれど、楽しい生活を送ることができている。
颯太くんのことは忘れられないけど、でももうあのときの“好き”という気持ちは自由な空に飛んでいってしまったと思う。
だけど、あんな思わせぶりなことをされても、きっと大好きだった。
くしゃっと笑う顔も、友達にからかわれて照れる一面も、心から優しい性格も。
そんな颯太くんだから好きになったんだと思う。気持ちは届かなかったけれど、伝えることはできて良かった。
今でもそのツーショットは宝物だし、あの日の出来事も全て自分の成長に必要だったと思うようにしている。
最近は筋トレやダイエットをしたり、髪を少し染めたり、自分磨きを頑張っている。
“あのとき振ったことを、いつか絶対後悔させてやる!”
そんなメンタルで。
「そういえば、ゆかりちゃんは好きな人いたこととかある?」
「えっ」
高校で新たにできた友達に、そんなことを聞かれた。
頭に浮かんだのは、もちろん颯太くんだった。
「うーん、まぁできたことはあるよ」
「えっ、そうなの!? どういう人?」
「すごくイケメンってわけではないんだけど、優しくて笑顔が可愛くて……。でも今思えばもしかしたら本気で好きっていうわけじゃなかったのかも」
そう思う理由は、振られても涙は一粒も出なかったから。
その子は不思議そうに私の目を見つめた。
「じゃあ、どんな恋だったと思う?」
「どんな……」
どんな恋だったか。
時が経った今、その問いの答えが分かる。
「桜みたいな恋だった」
蕾から少しずつ、美しく綺麗に花が開いて、そして儚く散ってしまった。あの恋も、桜と同じように。
でも、あのとき気持ちを伝えたという出来事が、自分を少し強くしてくれた。私も恋も、きっと最高に綺麗な瞬間だった。
多分、これからも彼のことを忘れることはできない。けれどあの日感じた風も過去の自分も、私は優しく抱きしめたいと思う。
桜の影に、君の名を残しながら。



