その瞬間、また俺の空虚が満たされる。
その瞳がどんな感情を孕んでいようと、俺に感情が向いているという現実がそうさせているのだろう。
今日も土坂先輩が歩きはじめれば横に並ぶ。今日は教室まで着いて行こう。勝手に引かれた境界線などクソくらえ。
「先輩、先輩」
「なんだよ」
「もうすぐ文化祭ですね」
「そうだな」
「先輩のクラスは出し物なにやるんですか?」
「さあ、なんだったっけ…」
「相変わらずですね」
土坂先輩の顔が少し険しくなる。ふふんっと笑った。
「俺のクラスは謎解き宝探しゲームするらしいです」
「らしいって、他人事かよ」
「自分のクラスが何やるかも覚えていない先輩には一番言われたくないです」
「俺は文化祭行かないし」
はあ?と顔を歪めた。まさか行かないという選択肢もあるとは。しばらくその何を考えているか分からない横顔を見つめた。はーん、なるほどな、分かった。
ニヤリと笑って土坂先輩の腕を軽く小突く。
「一緒にまわる人がいないんですね。友達いないから」
土坂先輩のげんなりとした瞳が俺に向く。
「ケンカうってる?」
「図星だからイラッときたんでしょ」
はあっとため息をついた土坂先輩の瞳が俺から外れて少し猫背になると、両手をポケットに突っ込む。あ、これは、完全に面倒くさくなった態度だ。
先輩が教室に向かうための階段を登り始めた。俺も少し後ろで境界線を飛び越えるように一段登った。少し先で先輩が足を止める。
「境界線」
「そんなことはどうでもいいじゃないですか」
「どうでよくない、教室まで着いてこられると迷惑なんだよ」
「…なんでですか」
「お前目立つから」
「俺が目立つことは俺のせいじゃない」
そう、低い声を放てば先輩の瞳が少し揺らいだ。そして緩く息を吐いて一段降りて俺に近づく。
「俺に散々『人に興味ない』とかケンカうっといて、自分のこと言われたら怒るのかよ」
「別に怒ってないですけど、先輩も他の人みたいに俺をみてたら嫌だなってだけです」
「他の人みたいにって?どんな風にみてたら嫌なんだよ」
先輩が、俺に質問している、だと。押し寄せる感情に名前をつける前にニコリと笑った。
「自分で考えてください」
「はあ?」
「俺にもよく分かりません」
はああ?と顔を歪めた土坂先輩。俺があなたに存在を無視されて「上野」って呼ばれた時、俺も今のあなたと同じ顔してましたけどね。なんだ、こいつって。
「もういいわ、とりあえず着いてくるなよ、昼休みもくるな」
そう言って俺に背中を向けて歩き出そうとする先輩。
「待って」
咄嗟にその手を掴んだ。先輩は「なんだよ」と呆れた顔で振り返った。
「文化祭、来てください」
「は?」
「先輩のことだから、人が多いのが嫌だとか、人と話すのが面倒くさいとかそんなくだらない理由でしょ」
「…水馬」
図星だ。
「俺のために、きてください」
「はあ?…なんで俺が文化祭に来ることが水馬のためになるんだよ」
「文化祭、先輩となら俺が楽しいからです」
本心なのかどうかも分からないそれが口から漏れた。ケンカをうる相手が一日でも減るのが嫌だからだろ、なんて言われたら?そんなの知るか、吐き出された言葉のまま、受け取ってくれ。
頼むから、あまり掘り下げないでくれよ、土坂先輩。
俺は、今、ただあんたの瞳が俺に向いているってだけで充分なんだ。
「ケンカを売る相手がいないのが嫌なだけだろ、生意気な後輩め、いい加減にしろ」
その口調は言葉の割には勢いが皆無で、俺の掴んだ手を反対の手で軽く掴んで離させると「気が向いたら行くよ」とスタスタと階段を登っていった土坂先輩。
やはり、土坂先輩は掴めない。
離れていく背中姿を見つめる。くそう、今日も教室まで着いていけなかった。
振り向け、振り向け、と念じるだけでは先輩は俺の方を見ない。
だから、俺は今日も先輩にケンカを売る。



