「げっ…」
「人の顔見てその反応はよくないですね、土坂先輩」
「おはようございます」とゆっくりと口角をあげた水馬が門のすぐ横の壁に預けていた背中を離した。
まさか待っていたのか、朝から、俺を。
「暇か?お前」
ため息混じりにそう言って水馬の横を通り過ぎようとしたが、「ははっ」と軽く笑いながら俺の横に並んだ生意気な後輩。
「毎日土坂先輩探し回ってんすけどね、中々見つからないんで朝なら確実かなと」
「俺が先に来てるとは思わなかったのかよ」
「ありえないですね、俺一番乗りだったんで」
ドン引き。
「俺に喧嘩売るためにそこまでする?普通」
「生き甲斐なんで、先輩からかうの」
思わず足を止めて隣を睨みつけた。こいつ、ほんと。
「あのさ、まじで、迷惑」
「おお、怒ってる怒ってる」
と、ヘラヘラと笑いながらそう言ってくる後輩の肩を軽く拳で小突いた。月に一度おこなわれる『帰宅部会』のみならずこの男としょっちゅう顔を合わせるようになって3週間ほどたった。
何が面白いのか水馬はやたらと俺に近づいてきては喧嘩を売って、言い返す俺にまた憎まれ口を叩いて満足げにどっかにいく。その繰り返し。
ため息をついて早歩きで距離を取ろうとした俺に、水馬は長い脚を動かしてついてきた。
「今日の空の具合はどうですか、先輩」
「うるせえ」
「俺の見立てでは明日は雨なんですが」
ああ?と顔を歪ませて空を見上げる。雲ひとつない快晴が広がっていた。朝から直視した太陽の光に思わず目を細めると水馬が隣で吹き出す。
「アホ面」
「水馬、お前なあ」
「水馬くーんっ」
後ろから聞こえたその高い声。そして水馬の体がその子の突進により軽く前に傾いた。
「おはよう」と、水馬の腕に手を絡みつけてそう言ったのは、1人の女子。隣にいる俺なんて見えちゃいない。
ラッキー、と水馬から逃げようとすれば肩にかけていた鞄を掴まれて先に行くのを阻まれた。
後ろに身が倒れそうになったがなんとか踏ん張り、水馬の方を振り返って睨みつける。
だが、ヤツは俺の鞄を掴んだまま、女子ににこりと笑みを浮かべている。
「おはよう、白坂さん」
「もう、下の名前で呼んでって前から言ってんじゃん」
「ああ、うん、次からそうする」
「毎回そう言って呼んでくれないんだから〜」
俺は何を見せられてんだ。
水馬の手を振り払おうと荒めに鞄を振ったがやつは笑みを浮かべたまま離さない。力つよ。
「水馬くん、このまま教室まで一緒に行こうよ」
女子の言葉に、水馬は笑みを崩さないまま首を横に振った。
「ごめん、俺この人に用事あるから」
掴んだ俺の鞄を軽く持ち上げてそう言った水馬に「はあ?」と顔を歪める。女子の顔が怪訝そうに俺の方に向いた。完全にとばっちりである。行けや、一緒に教室でもなんでも。
「分かった、じゃあまた後でね」
「うん、あとで」
水馬の返事をきいて少し安心したような顔をした女子が水馬の腕から手を離した。先に校舎に歩いていったその姿を目で追った水馬。数秒ほどでその笑みが消える。
「…サイコパスみあるぞ、お前」
「ええ、どこがっすか」
にこっと笑った水馬。そういうとこがだよ。
「離せや」と鞄を自分の方に引き寄せれば次はその手が離れた。
ほっと息をつきながら校舎へと足早に向かった。
「じゃあな、昼休みは来るなよ」
学年が違うため、靴を出し入れする場所も離れている。よって朝の短い揶揄いは終わりを告げたわけで。
昼休みは来るな、と牽制したところでこいつ来るんだけどな。
堂々と、先輩の教室に。
靴から上履きに履き替え、廊下へ続く段差に足をかけたところで
「教室まで送りますよ」
「びっ…なにやってんのお前、瞬間移動でもできんの?」
「そうかもです」
上履きにもしっかり履き替えて、涼しげな顔して先回りして待っていた水馬。やばいってこいつ。
顰めっ面のまま水馬の横をすり抜けて歩き出せば、水馬は横に並んだ。
「一年の教室逆だろ」
「教室まで一緒に行きますって」
「来なくていい」
「あ、待って先輩、目のところに」
「っ」
肩を掴まれて、自然と足が止まる。
水馬の指先が下瞼のあたりに触れた。そしてその顔が近づく。
びくっと肩を上げれば水馬は触れた指先をゆっくりと離した。びびった、目潰しでもされるのかと思った。
「鼻毛、ついてましたよ」
「まつ毛だろうが!」
その手を払いのけて再度歩き始める。ついてきたヤツはケラケラ笑っていた。
教室に向かうための階段を二段登って、俺の少し後ろ着いてこようとする水馬の方を振り返った。
「待て」
片手を水馬の方に伸ばしてそう言えば、水馬は大人しく足を止めた。
「これ以上は来るな」
こてんっと水馬が首を傾げる。
「なんでですか」
「これからは、ここが、俺とお前の境界線」
階段の一番下。見えないボーダーラインを手で引く。これ以上は踏み入れさせない。
「えー、昼休みも?放課後も?」
「昼休みも放課後も。どうせたいした用事ないだろ」
「ありますよ、用事」
簡単に、そのラインをこいつは踏み越える。階段を一段登って俺の腕を掴んだ水馬。
下から挑発するような瞳が俺をうつす。
「先輩に、ケンカを売るっていう用事が」
「…それは用事じゃない」
「先輩」
「なんだよ」
「今、先輩に話しかけてるのは、誰ですか」
「は?」
低くなった声。俺の腕を掴んでいる水馬の手に力が入る。その整った顔が俺に近づく。
「答えてください、アホ面で空ばっかみてないで」
「今は見てないだろうが」
「うん、だから、今、先輩の目の前にいて先輩にケンカを売ってるのは誰ってきいてるんです」
「…水馬」
小さく名前を呼べば、水馬はにこりと笑って手を離した。
「ああ、先輩が引いた境界線が弱くて弱くて簡単に飛び越えれました、ざんねーん、じゃ、また昼休み」
そう言って軽く飛んで階段を一段降りた水馬は俺に背中を向けてそのまま離れていった。
なんだあいつ。
透明の意味をなさない境界線が一瞬にして飛び越えられた。
む、
「ムカつく…」
俺のそんな声はやつに届くことはなく無情にも空中で消えていく独り言となった。


