朝の光




 イントロダクション 占い師とお客さま



 知り合いのツテで、占いの館で、バイトを始めた。最初は、受け付けとか、掃除とかをしていたのだけど、気づくとなぜか、私自身が占い師をやっていた。

 私の占いはよく当たった。

 タロットに少し興味があったので、戯れに遊んでみたのが、たぶんいけなかった。結構はまった。いや、弁解させてもらえるなら、私が興味があったのはカードに描かれた綺麗なイラストのほうで、占いのほうではなかったのだが。

 なにかの折に、それがばれて(いや、私自身がばらしたのか?)、なんとなく、お店の片隅で、仕事仲間を占うことになった。やたら盛り上がった。

 それで、今は占い師をやっている。

 最初は結構楽しかった。ほんの少しでも、悩んでる人のお手伝いができるかも、なんて楽観してもいた。
 
 でも、最近よく思う。
このままでいいのかな、って……。
   
   ◯   ◯   ◯



 なぜ、その店が目についたのか、よくわからない。何かに誘われるように、オレは店内に入っていた。
 安外、かわいい感じのする内装だった。ピンクの壁紙、薄紫のとばり。客層も、女生ばかりで━━浮いてるな、オレ……。

 棚に並んだ、占いグッズなんかをざっと見る。占いの本とか、変な動物のマスコットとか、妖しげな匂いのする小瓶とか。よくわからん物がたくさん並んでいた。こんな物、誰が買うんだろうと思ったら、そこらの女子高生二人組が、嬉しそうに何か買っていった。よく見なくても、分厚い、黒い表紙の本だった。……まさか、黒魔術の書……?
 奥の壁に、なんかすごい眼をしてこっち睨んでいる魔術師のじいさんのポスターが貼ってあった。絨毯には本格的な魔法陣まで描かれていた。……。見なかったことにしよう。もうこれ以上ヤバイもんは見たくない。鶏の生き血とかあったら、オレもうヤだ。

 逃げ出そうかと思ったら、赤いフードを被って円卓の前にかしこまっている、占い師と目が合った。黒いショートボブの、あどけない顔した娘(こ)で、びっくりしたみたいにオレを見てる。卓には、タロットカードが載っていた。昔の彼女が、タロット持ってて、何度か占ってもらったことがあった。
 オレはその娘の前に行くと、言った。

「占ってくれないか」

   ◯   ◯   ◯

「占ってくれないか」

 少し掠れた低い声で、その人は言った。

「は、はい!」

 私は急いで、タロットを手に取った。

 珍しい客だった。男性というだけで、既にこの店では珍しい。その上この人は……なんだろ、人目を引く。女性客が盗み見るようにしていたのも、頷ける。
 背が高くて、体が細いみたい。薄茶の髪も、よく似合ってる。なんだか、気怠そうな、疲れたような顔をしている。アーティストみたいな感じがした。歌とか、ギターとかベースとか……よくわからないけど、そういうのが似合いそうだ。

 ……。

「なにについて、占いましょうか?」

 彼は口の端をわずかに上げて、軽く笑んだ。なんだか、曇り空のような、気の滅入るような笑みだ。
 だけど、私には好ましく思えた。

 私は、明るく笑い返した。商売用のスマイル。……私が、一番嫌いな、私の表情だ。
 
 嘘は、きらい。

 彼は不意に押し黙った。

 困り果てたみたいに。小さな子供みたいに。泣きそうな━━目。
 
 だめだ、と思った。
 
【だめだ】━━
 ……けど、占わないわけには、いかない。彼の真剣な目に挫けそうになりながらも言う。

「全体運。恋愛運。金運。健康運。勉強運。なんでも結構ですよ」

 私は、負ける。

「オレの、人生について」

 真剣すぎるくらい、真剣な目。彼が言う。

「オレは、……大学に行くか、働くか、それとも……夢を、追いかけるか━━それを占って欲しい」

 この人は、占えない……。

 こんな、真剣なのはだめだ。

「夢」

「ギタリストになりたいんだ」

 ギター……。やっぱり。

「では、三者択一法というのを、してみましょう」

 恋占いとかなら、何度も何度もやったんだ。女の子はそういうのが好きだから。結構遊び半分っていうか、そういうのが多い。別に、私の占いがどう出ようと本当はどうでもいいの。よく出ればラッキー。だめなら、信じない。そんなの。

 最初から、答えを決めてて、ただ背中を押して欲しいだけって人もいる。だめだって最初から諦めてる人もいる。
 
 けど、

 本当に占いなんかに頼るくらい、悩んで悩んで悩んで、悩んでいる人だっている。
 どうしたらいいのか、全然わからないの。

 右も左も上も下も全部真っ暗で━━
 そういう人は、私には占えない。

 責任が取れない。

 ううん。ほんとはみんな、どこかで、真剣なのかもしれない。ただの、占いだけど。
 
 だって、もしかしたら、私のせいで、彼は、奈落の底に落ちるかも知れない。

 たかが占いだ。笑えばいいけど。
 いいんだけど......
 笑ってくれるとは限らない。

 だから、こわい。
 気にしすぎだ……
 平気だよ…………
 でも、世の中にはナイーブな人だっている。

 けど、気にしすぎ。だ。よね?
 私は、卓上に展開させたカードに手をやる。一枚目をオープンする。

 ━━違う。私だから、だめなんだ。
 私だから。私が占うから。私なんかが━━そうだ、私なんかが、元から人様のことを占えるような、そんな人間じゃないから。
 雲り空みたいな笑み。そんなふうに笑んだこの人を私は占っちゃいけない。
 
 ほんとは、最初からわかってた。だめなの、私は。私じゃ……
 もう、やめたい……。こんな仕事する資格ないもの。これは、仕事で、遊びじゃないもの。

「過去のカード。『太陽』。これは……」

 違う。こんな占いは嘘。占いなんて嘘。信じちゃいけない。信じられない。

「ごめんなさい……っ!」

 カードを卓上から払い飛ばして、私は店から駆け出した。
 
 ……ばかみたい。

 
 
   ◯   ◯   ◯
 
 ラグの上に散らばった色鮮やかなタロットカード。

 オレは呆然としていた。

「なに、あれ!」

「ちょっと、どういうことよあの娘! これじゃ、店の信用が……」

「すみません、お客さま。ただいま、か、代わりを……」

 泣いてた、あの娘.....。.
 どうして……?


 
 1フレーズ フリーターと家出少年


 
 街のネオンを見上げながら、桜井光(さくらいひかり)は溜め息をついた。日雇いのバイトの帰り道だ。テレアポとか、チラシ配りとかティッシュ配りとか、デモンストレーターとか。適当にバイトして。こうして、疲れて家路について。家に帰ったら帰ったで、留守電に実家の母親からメッセージが入ってて。

「光。あんたも、いいかげん二十歳(はたち)過ぎたんだから、フラフラしてないで、ちゃんとした仕事見つけなさいよ。それがだめなら、結婚しなさい結婚。あんたみたいになんもできない娘(こ)はそれが一番いいのよ。なんなら、お母さんが探してあげてもいいのよ。実はね、お母さんのパート仲間の息子さんにいい人がいてね……」

 そんなの、もうやだ。
 自分が情けなくて、ちょっと泣けてくる。

「電車、やだな……」

 忙しそうに駅に向かう人たちの真ん中で立ち止まって、光は呟きを落とす。
 こないだ仕事でやなことがあって、帰りの電車で、窓の外の夜の街を見ながら、泣いてしまった。それ以来、なんとなく電車が苦手だ。

 背負った水色のビニールバッグの紐を握りしめて、仕方なく、光はまた歩きだす。
 弾けるようなメロディー。

 光は顔を上げた。

 駅ビルのほうから、歌声が聞こえる。

 アマチュアバンドらしき少年たちが、周囲の迷惑顧みず、わけのわからんパンチのきいた叫びをかましてる。

 光は眉をしかめた。

「うるせーぞこら」

 聞こえないのが承知で━━というより、聞こえないようにそうぼやく。
 
 さっさと券売機のほうに向いながら、ふと誰かの顔が頭を掠めた。

 こないだクビになった占いの館にやってきた、あの少年。
 あの人も、あんなことやってんのかな……。

 長い息を吐き出して、光は歌い狂う少年たちに歩み寄った。気が向いた。

 でも、うるさい…………。

 やっぱ帰ろうかと踵(きびす)を返そうかと思ったが、曲がバラードに変わったので、もう少し聴いていくことにした。

 そういえば最近、カラオケ行ってないな……。

 なんかギターとか奏でながら、少年たちは歌った。知らないメロディー。流行りの歌だろうか? いまいちよくわからない。

「いいな……」

 小さく呟いてみる。

 楽しそう。仲間と騒いで。歌って。……学校とか、行ってんのかな? いいなぁ。パワーあって、おもしろそうで。光ってて。

 昔の自分みたい。

 もう戻れないけど。

 光はちょっと笑って、ビニールバッグを背負い直し、自動改札へ足を向けた。さっき買った切符を入れる。

「バイバイ」

 独り言を落とした。



   ◯   ◯   ◯



 うら寂しい夜の公園で、森谷朝人(もりやあさと)は星を探していた。

 蝉が鳴いている。ついでに蚊が飛んでる。虫よけスプレー手にして、座り込んだま、要所要所にそれを吹きかけるが、それでもヤツらはどこからともなくやってくる。
 傍らの、それぞれ赤と青のスポーツバッグニつを見て、顔をしかめる。全部自分の物だ。主に、服が入っている。今着てるのと大して変わらない、半袖シャツとか長ズボンとかが、適当に突つ込んである。それと━━

 ギターケース。

 胸に引き寄せる。

 とうとうやっちまった。

 家出。

 いつか、やるかもしれないやるかもしれないと思ってはいたが……
 友だちには頼りたくない。

 親には悪いとは思ってるけど……。

「あー、夏でよかった……。冬なら凍え死にだ。でも、暑くて死ぬかもしんねーけど……」

 ちょっと迷ってバッグはその場に残して、ギターだけ抱えて、最寄りのコンビニへ行く。スポーツドリンクと弁当を手に取る。目に入ったので、なんとなく花火も買った。

 公園に戻って、ポケットからライター取り出して、適当に花火をつけてみる。
 
 当たり前だが、綺麗だ。

 赤や緑や黄色。輝いて、輝いて、すぐに消えてゆく。

 朝人は次々と花火をつけて、それを眺めた。

「……たまんねぇな」

 呟きは、花火に向けたものではなかった……。



   ◯   ◯   ◯



 親が買ったマンションに、もう五年近く一人暮らししている。寂しいから、猫でも飼おうと何度も思ったが、責任が取れない。自分には無理だ。荷が重い。猫もかわいそうだし、生き物を人が自分の所有物みたいな顔して飼うのもどうだろ。とかぼやいているままで、結局実現には至っていない。

 マンションへの帰り。ケータイに話しかけながら、前をラフな格好の男の人が歩いてる。

 ちょっとうらやましい。

 ケータイ、買おうかな……。

 とか、最近になってようやく思い始めた。

 誰かの声が聞きたい。

 なぐさめて欲しいのかな、私。やだな、なんか……最近、うまくいかないや。

 そうだ。近道しよう。



   ◯   ◯   ◯



 光は、路地裏を突き進み、小さな公園を横切ろうとした。
 そこで、彼を見つけた。



   ◯   ◯   ◯

 線香花火。オレはこれ、好きだな。ちっちゃいし、他の花火に比べてはでじゃないけど、結局、落ちちまうんだけど、心が和む。

「ははっ……」
 
 声に出して、なんか笑ってたら、背後からアスファルトを飛ばす音が近づいてきた。だれか来たのかと振り返ると、どっかの女の子だった。公園の土を踏んで、オレを見て、なんか肩振るわせて止まった。

 黒くて艶のあるボブヘアー。黒目がちの、大きな瞳。袖が赤と白の縞模様になってる白いシャツを着て、赤と白のチェックのハーフパンツを穿いた女の子だ。水色のビニールバッグしょってる。中高生くらい? 子供っぽくて、かわいい。

 線香花火が落ちた。

「あれ?あんた……」

 どっかで......。

 ああっ⁈ あれだ! 占いの、俺の前で泣いて、店飛び出した‼︎. ……なんで?
「え?」

 あっちも驚いた顔してる。
 何でこんなトコで、会っちまうんだろ。こんな、家出なんかして。前は、占いなんかしに行って。情けーねーとこばっか。……かっこわる。

「え、ええと……」

 ばつが悪そうにして、彼女は駆け出した。走り去ってく。

 ま、オレも彼女の泣いてるトコ 見ちまったもんな。おたがいさまか。

「きゃっ⁈」

 そっちのほうで、彼女の声がした。

「痛〜い!」

 子供みたいな泣き言がする。

 ……どうやら、転んだらしい。



   ◯   ◯   ◯



「すみません」

 私は謝った。

 ……ちょー恥ずかしい……。

 彼が、痛いとかこわいとか騒ぎまくる私を見かねて、バッグからバンソーコーとか出して、手当してくれたのだ。だって、痛いんだもん。血、こわいんだもん。

 バンソーコー貼られた膝頭を見下ろして、溜め息を吐く。……これだから、友だちにお子さまとかからかわれるんだ。……でも、痛かったんだもん。

 泣き顔見られるの、すでに二回目なんてもう合わす顔なよ……。

「あ、あの……」
 
 怖々と見上げると(←どうしよかと思って)、彼も困ったように私を見てる。

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙が、およそ二分くらい流れた(←てきとーな数字)。
 
 ━━彼は私より、大人だった。花火を差し出して、笑った。

「花火しない? もう、線香花火しかないけど」

 本当は、私はもう成人してて、彼はきっとまだ少年で━━でも、彼の笑顔は格別だった、極上だった。優しい落ち着いた大人っぽい笑みだ。私にはそう見えた。

「する」

 大学行ってる弟を思い出した。あいつも結構大人びてるヤツだった。だからきっと、安心した。



   ◯   ◯   ◯



 無邪気に線香花火を楽しむ光を、朝人は好ましげな目で見つめていた。

 花火がなくなると、彼女は急に寂しげな顔をした。

 地面をじっと見ている。そうしたら、また、花火が現れるみたいに。

 まだ焼けた匂いがしている。

 なんとかしてやりたくなって━━花火の燃え残りを片づけ━━朝人は傍らのケースからギターを取り出すと、曲を奏で始めた。

   ◯   ◯   ◯

 水底のように、穏やかな優しいメロディーだ。私は、その音色に聞き惚れた。それを奏でる彼の姿の、なんと綺麗だったことか。

 こんな、快い気分に心から浸れたのは何年ぶりだろう。

「ごめんね……」

 私は、呟いた。

「ちゃんと占ってあげられなくて………」



   ◯   ◯   ◯

 朝人は訊いた。ギターを横に下ろして。ケースにしまいながら。

「どうして、あんとき、泣いてた」

 彼女は答えた。街灯に照らされた、地面を見下ろしながら。

「私、だめなの。なんにもできない人間なの。就職しないで、バイトして。……夢ばっかみて、親にも呆れられて。友だちも、私のこと心配して。そんで……。そんな人間に占われるの、ヤでしょ。だめなの。だから━━ク
ビになって当然なの」

「え?」

「あ……!」

 彼女は慌てた。隣に腰を下ろした少年が、表情を変えた。……驚いたような怒ったような.......とても心配そうな、瞳。

「クビになったの? まさか、オレのせい⁈」

「ちが……その、前から思ってたの、私には向いてないって。なりゆきで占いなんかして。でも、私なんかが占い師なんて申し訳なくて。その……なんでか、よく当たってたんだけど、けど、このごろ全然当たんなくなったの。それ、あなたが来て、結構後のことだから、あなたとは関係ないの。いずれこうなってた。ってか、当たってたのもきっとまぐれ。ビギナーズラックっての? あはは。大丈夫、また新しいバイト見つけたりして、雑草みたいに生きてるから」

「…………」

「その、あの後、どうなりましたか? 私、力になってあげられなかったけど、道は見つかりましたか?」

「…………オレ、今日家出して」

「えぇっっ⁈」

「大丈夫、オレも雑草。……なんとかなるさ」

 噛んで含めるように、彼は言った。

「結局、ギターやめらんなくて。でも、このままちゃんと高校卒業して、大学行って……就職して。って、それがいいのかな……って思う。そのほうが周りが安心するからさ。でも、ギターは続けるんだ」

「……」

「なのに、家出なんかして。ばかだな。どうなるか、わかんないから━━家出しながらも高校行ったりもするつもりだけど……。ま、今は夏休みだからイーけどな。ギターにバイトに、この夏は燃えるぜ? ……な」

 彼は薄く笑った。光は体育座りでうつむいたまま、ハーフパンツの裾を直した。右膝のそっけない絆創膏を見つめ続けた。

「後悔しないようにするのが、きっと一番いいと思う。ギター、好きなら、本気で努力しなきゃダメだよ。家出するほど、何かが嫌なら、好きなこと、つらぬくっていうか…………。ごめん、うまくいえないな。その……私が、好きなことじゃなきゃ努力できないような人間だからそう思うだけかな。変なこといってごめん…………」

 朝人はしばらく黙っていた。

 そして、囁いた。

「いや……ありがとう」

 公園の緑と夜空が、二人を見ていた。



   ◯   ◯   ◯



 それから、光は、朝人の居る公園に度々やってきた。差し入れを抱えて。笑顔を携えて。

 朝人がどこかで演奏するといえば、できるだけ観に出かけた。わりといろんな駅とか、適当な公園とか。朝人の演奏仲間とも知り合いになったりした。
 楽しかった。光はすごく楽しかった。



   ◯   ◯   ◯

 本棚のラックには、所狭しと、雑誌が置かれていた。台の上に平積みにされた中から、一冊を、光は手にした。有名な某求人雑誌である。

 店内には、男性ヴォーカルの、ドライブ感のある曲が流れていた。低くかっこいい声だ。曲名アナウンスして欲しいくらい、すてきな歌詞だった。メモ持ってこなかったのを後悔したのは、光だけじゃないかもしれない。

 レジに向かおうとして、光はちょっと考え、別のコーナーに足を向けた。
 
近視のため、前屈みになっていくつかの背表紙のタイトルを読む。いろんな色で着飾った本たち。その中から、一冊を取り出して、ページを繰る。

 それらを抱えて、今度こそ、レジへ向かう。

 光が選んだ二冊目は━━公募雑誌だった。



   ◯   ◯   ◯



 公園に向かっていると、赤と青のスポーツバッグ両肩に下げて、ギターケース抱えた朝人くんが、こっちに走ってきた。

 なんだろ、慌ててる?

「光ちゃん!」

 私たちは最近「くん」づけ「ちゃん」づけで呼び合っている。ちゃん……ってのはちょっと。……私が、ガキっぽいからか? 時々、小学生にも間違われるからかっ⁈ ━━みんなほんとは、目え悪いんじゃないのか……? 小学生はないぜ、小学生は……。

「どうしたの?」

「よかった。会えた! オレ、この公園出る。別のとこ探す」

「え? ……」

「ケータイに電話して」

 私は朝人くんにケータイの番を教えてもらっていた。けど、私のほうはケータイをまだ買っていないので、番は教えられない。……そういえば、マンションの電話番も教えたことがない。なんでだろう。一人暮らしなので、やっぱちょっと警戒しちゃうのかな。

「じゃっ」

「え、あ、ちょっと、朝人くん⁈」

 私は慌てて追いかける。

「やばいんだ。ばれたんだ。連れ戻しに来る!」

「なにが?」

「親」

 ━━。

「マジで⁈」

「マジ。ダチが口滑らせたって電話よこしてきやがった」

「どーすんの?」

「どっか、別の公園とか探す……。ちっ。あの公園、昔住んでた家が見えて、気に入ってたのに」

「……」

「オレはまだ帰りたくない!」

「……………………うち、来る?」

「⁈ それはいろいろマズイだろ⁈」

「だね」

 会話しながらも、私たちは公園から遠ざかってた。
 
 夏休みなんで、なんとなく、朝人くんとはもっと一緒にいれるかな、なんて思ってたんだけど……。帰っちゃうのかな。親来たら。
 そんなにこわいのかな。朝人くんの親って。

   

   ◯   ◯   ◯


「あ~~さ~とぉぉぉぉl」

 大地を振るわすような男の声がした。気のせいか、耳慣れた声だ。いや、気のせいだ。きっとそうだ。そうに決めた。

「あさちゃ~~ん」

 甘ったれ大魔王な声がした。オレは知らん。なんも知らん。

「光ちゃん、」

 スポーツバッグ放り捨て、ギター持ってんのと反対の手で、光ちゃんの手を握った。柔らかかった。こんな時じゃなかったら、ときめいていたかもしれない。

「ダッシュだ!」

「ええぇぇぇ⁈」

 光ちゃんの手を引いたまま、ちょうどよくあった角を曲がる。

「あさちゃん⁈  待ちなさい!  お母さんの何が不満なの⁈  ギターなんかギターなんか」

「朝人! 父さん、わざわざ会社早退してきたんだぞっ! わかってんのかぁぁぁああ⁈」

 ━━知るかよ。

「あさちゃん!」

「朝人ぉぉぉぉぉっっ‼︎」

 頼むから。
 今だけ、放(ほう)っておいてくれ。


 
   ◯   ◯   ◯

「はぁはぁはあぁはぁはぁ」

 私は息切れしまくりながら、朝人くんを見上げた。

「はぁ……なん……だったの……はぁ」

 疲れた。爆走した。大爆走だった。死ぬかと思った。

 気づくと、ここは駅にほど近い通りだった。そばに最近できた牛丼屋がある。そろそろ夕飯時だ。……入ってみたい。あの牛丼屋。━━食べてみたい食べてみたい。生卵かけて、ご飯かっこんで、みそ汁飲んで。あぁトレビア
〜ン。

「……だれ、あの、はぁ、追ってきた人たち」
 
 わかってるけど、とりあえず訊くべきだろ。とりあえず。

 ……牛丼屋が気になるけど……。

 あの、七三にメガネにスーツの、見た目地味なおじさんと、ドギツイ原色の服着た存在感ありまくりのオバサンは……。

「親」

「……やっぱ、そう」

「最悪! 母親は、いつまでたってもオレにべったりだし、父親はアドレナリン出まくりの怒鳴り魔だし。ちくしょー。だれが帰るか! 頭、下げるまで許さねぇ!」
「え? え?」

「オレは、ちゃんと大学行って、就職もするって、奴らの思い通りにする、してやるって、言ったんだ。だけど、ギターだけは一生涯けるって‼︎  したら、奴らなにが気にいらねぇのか、ギターは捨てろ! っていうんだ‼︎  しかも、オレが学校行ってる間にマジで捨てられそうになったんだぜ⁈  ヤな予感がしてフケてよかったぜ、ったく。誰が捨てるかアホ! バイトしてちゃんとオレが稼いだ金で買ったんだ! 親でも捨てる権利はねぇ‼︎ 断固、反対‼︎  阻止する」

「はぁ……そうだったの」

 朝人くんは、訊いてもいないことまでベラベラ喋ってくれた。

「ギターはオレの命だ‼︎ 譲れねぇ」

 朝人くんの目はマジでした。とっても真剣さが伝わってきました……ちょっとこわいくらい。朝人くん。もしかして、お父さん似なの? シャウトがそっくり???
「少なくとも、この夏中は帰らん! せいぜい反省しろ! 心配しろやっ‼︎」

「朝人くん……」

 どーしよう。
「あれ? なんか落ちてる」
 朝人くんがなにげに言った。

「なにこれ? 『バイト浪漫』と……『公募大好きさん』?」

「う……っきゃああああっ‼︎」

 私は、朝人くんの手から、『公募大好きさん』を救い出した! 
 しまった。さっき、本屋で買って、持ってたままだった。走って疲れて、息切れしたもんで、足元に下ろして、そのまんまだった。走ったせいか、テープが切れて、書店の袋から本が飛び出してたようだ。牛丼屋に気を取られてる場合じゃなかった。ちっ。

 『バイト浪漫』はいーのよ。別に。先週号も買って、朝人くんにも見せてあげたくらいだから。今週号も一緒に見ようと思ってたし。

 でも━━『公募大好きさん』はヤバイっ‼︎

「なんだよ。なに慌ててんだよ? 別にエ口い本でもないだろ? ━━そうなのか?」

「へンなこというなぁぁぁぁぁっ‼︎」

 『公募大好きさん』に失礼だろ⁈

「だっ、だって……」

 だって、この本のどこだかのページには、既にさっき、蛍光ペンで私自らチェック入れちゃったんだもん。それ見られるの、恥ずかしいんだもん。

「ウソウソ。オレその本知ってるぜ。昔、知ってるヤツが読んでた。ハガキ公募とか、小説の募集とか、いろいろ載ってんだろ」

「知ってたの……」

 私はたぶん赤くなった。だって、ほっぺた熱いもん。

「なに赤くなってんの? ハッ。まさか、光ちゃん。なんか応募しようとしてるだろ?」

「う、うん……」

「そっ、それってもしかして」

 妙にまじめな顔で、朝人くんはキッパリこういった。

「━━エロ小説⁈」

「違うわぁぁぁぁぁぁああぁぁああぁっ‼︎」

「…………ほんとに?」

「なっ、なによ、その疑惑入りまくりの眼は! 違うもん違うもん」

「そうか。かわいい顔して、そういうのが好きだったか……。大丈夫、光ちゃん、それくらいでオレ、光ちゃんのこと見捨てたりしないから。安心せい。性欲は、たしか、三大欲求のうちの一つだ。恥ずかしいことじゃない」
「違うといっとろーが‼︎」

 危ない。もう少しで、朝人くんの首しめるトコだった。……刑務所には、まだ行きたくない。

「絵本だもん! 私、絵本作家になりたいんだもんっ‼︎」

「……へぇ?」

 朝人くんがいたずらっぽく笑った。ハッ。まさか、ハメられた? ちくしょお。ばらしちまったよ…………。おそるべし、朝人くん。

「な、内緒だからね!」

「ああ」

「なに笑ってんのよ」

「よかった。夢、持ってんのは、好きなもん━━あんのは、オレや、ギター仲間らとかだけじゃなくて。光ちゃんも、なんかたぶん、そういうの、ありそうな気はしたけど。なかなか言ってくんないし、そっちはオレのギターのこと知ってるし。悔しいっていうか……安心した」

「…………」

「じゃあさ、オレが光ちゃんのこと占ってあげる」

「え」

 朝人くんは、まじめな目をしていった。

「光ちゃんの夢は叶うでしょう」
 
 そして、お天気空みたいに晴れ晴れと笑った。

「━━以上。『朝人占いa』でした」

「な、なにそれー?」

 私は、おかしくって大笑いした。
 ……うそ。ほんとは嬉しかったの。



   ◯   ◯   ◯



「朝人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおっ‼︎」

 遠吠えがした。

「見つけたわ! あさちゃん」

 弾丸のように、二つの影が飛んでくる。

 朝人のファザーエーンドマザーだ。

 マザーのほうが、だいぶファザーよか影がでかい。ついでに丸い。中肉中背のはずのファザーが、なんかとっても細く見える。

「うわっ⁈ また出た‼︎」

 朝人はまたもや、光の手を取る。

「逃げるぞ‼︎」

 逃亡者は街を行く。追っ手たちもそれに習えだ。

「あさちゃん、誰なの!  その女ぁ⁈  まさかまさかカノジョじゃないでしょうねぇ⁈ 嫌ぁぁ‼︎  家出なんて初めてで動揺しまくって、なかなか居場所突き止めらんなかったしいっっ‼︎ 不覚不覚‼︎」

「朝人ぉっ! ギターだけじゃなく、女まで! そんなの父さん揺るさぁぁああぁんっ‼︎」

「あさちゃん、誰なの誰なのその女? ウキィィィィッ‼︎  まだ高二なのに、あさちゃんまだ高二なのに、どうしてどうして」

「━━どやかましいっ‼︎」

 右手にギター。左手に光。朝人は地を駆け進む。

 よく見ると、朝人が放ってきたスポーツバッグは、一つずつ、両親が肩にかけている。
(どうでもいいんだけど)
 
 光は『公募大好きさん』とか抱えて、朝人に引きずられながら胸中に呟いた。

(この親子って、いい親子っていうか、実は結構なかよしさんって気がする……)
 光の勘はよく当たる。



 2フレーズ スイカと約束と夏祭り



 夏休みもそろそろ後半。朝人はまだ公園生活を続けていた。

 ちょうど住むのに手頃な別な公園も見つかった。……今んとこ、ご近所から苦情はきてない。そこそこ広い公園だ。苦情がきたら、別の宿を探すつもりだ。苦情もこわいが、またバカ親が来たりしたらもっとイヤだ。公園で生きてくのは大変だ。

 バイトしたり、キター弾いたり、ライヴ行ったりで、結構化しいらしい。体が丈夫なのが取り明だそうで、野宿も板に付いてきて、よくわからんけど、意外と結構幸せそうだ。夏だからだろうか。



   ◯   ◯   ◯



「それでね、光さん」

「はぁ」

 なんでこんなことになったんだろ。

「あさちゃんたらね、ギターギターギターって、ちっとも私たちを願みてくれないの」

「さいですか、それ、もう何度も聞きました」
 
 ちょっくら、時給高いOAデモンストレーターやって、今日がそのバイトの最終日で、来月には銀行に粉料振り込まれるぜ。きやっ。とか思って浮かれてスキップして帰ってきたら━━。

「だから、ギターが失くなれば、もっと私たちの相手してくれるかも知れないと思っちゃったのよ!  親心でしょ⁈」

 …………このオバサンが居た。
 朝人くんの息子依存症の母親だ。

「そういうことは、直援、息子さんに言ってあげてください」

「だってあさちゃん、私たちが近づくと逃げるんだもん」

 そりゃ、逃げるだろ。あんな勢いで来られたら。いくらなんでも、自称命のギター捨てられそうになったったんだから、身構えるだろ。

 …………ってか。

「どうして、うちのマンションご存じなんですか?」

 なんで私の部屋に今現在己が居る⁈
 スキップして帰ってきたら、マンションの前にこのオバチャンが居たのだ。スイカ持って。
 ……バイト生活長い私は、ついスイカに釣られ、この方を部屋に招いた。

 スイカごちそうさまでした。いや、スイカはおいしかったんだけどね。
 かれこれもうこの人、四時間はくっちゃべってらっしゃいます。はい。……どうしよ。

 夕飯のレトルトカレー、なんかこの人が欲しがるから、半分しか食べれなかったし。作っといたディーパックの麦茶も、今日のがラストだったのに、全部飲まれたし。……一口くらいくれよ。私は、涙々に水飲みました。炊いといたお米の残りは、バクダンおにぎり? に、して、全部この方食べちゃうし。ああ、お茶請けのおせんべいも、とっくに底を突いた。冷蔵庫の隅っこにおったたくあんも、もう死んだ。こないだ母に頼まれたとかいって、弟がめんどくさげに原チャで持ってきてくれた食料の残りの、海苔三枚も、この人食っちやった。……あとはもう、ひたすら薄いお茶しかおらん。お茶っ葉もちょーど今日のコレで最後だ。彼らもがんばっておるが、もうお白湯とたいして変わらん。伏兵はいない。……米は炊けばまだあるけど。少量なら、お鍋で早く作れるらしいけど。━━ヤダ。

「おほほほほほ。ちょっとね、昔いろいろあってね」

「昔いろいろあるとどーして、私の家がわかるんすか。それに、私、自分の名前教えた覚えなんかねぇぜ……」

 朝人くんにもまだ、マンションの場所教えてないのにな。

 ……なんか、目の前のこのちゃぶ台、ひっくり返したくなってきた。

「あらやだ、もう十時⁈ どうしましょ。主人の飯の支度もしてないわ」

 さっさと帰れ。

「ま、いいや。ちょっと失礼」

 オバチャンは徐にピッチを取り出した。ショッキングピンクの趣味悪げなヤツだった。

「ハロー。ダーリン。悪いわね。今、光さんとこ。今日は帰らないかもしれなくてよ、やーね、女同士。おほほほ。やきもちやきやさんねっ。━━だからあんた、今日はコンビニ弁当でも食ってな! じゃあね! バイ」

 …………なんですと?

「さぁ、光さん。OADSのバイトは今日で終わりでしょ」

 何で知ってんだ。

「朝まで、あさちゃんのこと語らいましょ。それにしても、光さんがあさちゃんのカノジョじゃなくてよかった。そしたら、今頃、血を見てたわ。ギターだけじゃなく、カノジョまでできたら、それこそ親なんか相手にしてくれないわ。……いろいろつらいのよ、親ってね。いつか光さんもわかるわ」

「……………………」

 ……ケータイ(←オバンのはピッチだがな)。私、まだ持ってないのに。そんな余裕ないのに。
 ━━オバチャン、いーから、去(い)ね。……ってか、帰って…………頼む。

 

   ◯   ◯   ◯

 オバサンの脅威は去った。結局カラオケに連れてかれた。オールだった。……死ぬかと思いました。オバサンのおごりだったけどさ、おごりだったけどさ……、グラタンとかおごってもらったけどさ、……もう、イヤ……。

 ああ、まだ耳の奥にキンキンしちょるアイドル顔負け甘ったれヴォイスが響いています。

「…………寝よ」

 布団に横になった。金があんまないから、それに私ドケチだから、ベッドも買えん。

「…………はぁ」

 朝人くんと、お祭りに行く夢を見た。

 実は私、朝人くんとお祭りに行く約束してるんだ。



   ◯   ◯   ◯



「スイカ……」

 朝人は八百屋の前でかれこれ三時間立ち尽くしていた。ねぼっこさは、母親譲りだった。
 
 例年なら、家でスイカ死ぬほど食ってる。食いたい食いたい食いたい……。
 目がヤバかった。

「お客さん、どうすんの、買うの買わないの⁈」

 八百屋の兄ちゃんが言った。こっちも目がヤバかった。

 朝人は片手を開いた。よれよれの千円札があった。

 このごろ、某飲食店でバイトしたりもしてんだけど、給料出るのは、まだ先だ。
「スイカ、くんねぇ? だだで」

「ダメ!」

 このままじゃこのあんちゃん取り倒して、スイカ食い倒しそうだ……いやだった。
 理性飛んで大事れして警察呼ぼれる前に━━理性の残っているうちに、朝人はなんもせずに逃げた。

 

   ◯   ◯   ◯

 イラストボードに絵の具を塗りましょ。

 紫、水色、薄禄。

 ん~。いい感じ。

 朝人くん、これ見たら、なんていうかな……。



   ◯   ◯   ◯



 とある眼前のオープンスペース。オレは、今日は一人でキターを弾いてた。

 ほんとは、もう一人来るはずだったんだけど。彼女と別れるとか別れないだとかの大惨事で来れなくなった。まぁいーや。

 こんなオレの演奏でも、耳を傾けてくれる人がいる。オレは何より、それがすっげー嬉しい。拍手くれる人もいる。涙出そうに壊しい。

 試しに、自作の曲を弾いてたら、運悪く光ちゃんがやってきた。でも、曲の途中だからやめらんない。やばいなぁ。オレが作ったヤツだってばれてないかな? そういうのって、恥ずかしいじゃん?

「おつかれさま。すっっごく、よかったよ!」

 演奏が終わると、光ちゃんが笑顔と共に言う。今日は彼女、ひまわりのプリントシャツに、黄色いキュロット穿いてる。夏らしくて、いい感じだ。ちなみにオレのは。やる気なさげなバンダの顔がナイスなプルーシャツだった。スポンは普通の黒いの。

 前に親とレースしたとき、オレにかなわぬときとった親ともが、着替えとかのバックニつは放(ほう)ってよこした。だから、一応着替えには困ってない。コインランドリーにも詳しくなった。でも、いつのまにかバッグの中に、ドハデな未開封のピンクのシャツが三枚も紛れてた。……犯人は百パーセント母だろう。どーしょう、アレ。

 演奏聴いてくれた人たちは散っていった。

「暑いねー」

「暑い暑い。も、死にそう」

「湿気多くて、ジメジメしてる感じだね。今日、私バイト休み。この駅もうちから近いの」

「うん。こないだ、電話で聞いた、ってか、知ってる」

「えへへー」

 なんか、光ちゃんヘンだな。頬がニヤニヤ緩んでる。目もなんか泳いでるし。

「どうした?」

「これ!」

 まるでバレンタインチョコでもくれるように、顔真っ赤にして、光ちゃんがでかい包みを差し出した。

 なんだろ。ちょっと動悸がする。

 わくわくしながら開けたら━━もちろんチョコじゃなかった。ちょっとガツカリした。夏だもんな。

「どうかな? 描いてみたの。コンテストに出すんだい!」

 あ。絵本か。ふむふむ。オレはボードをめくった。

 あったかい淡い色使いで、メルヘンチックに動物最高って感じのイラストが、綴られて(?)いた。ついでに自然も最高だ。

「いいんじゃない」

 光ちゃんのカラーに合ってる気がする。実はかなりオレ好みだ。

「そう……」

 オレの言葉が素っ気なく響いたのか、光ちゃんはなんか唇噛んでる。

「いや、マジでいいって! 最高の上を行く最高‼︎ 超大作‼︎」

「本当♪」

 光ちゃんの不機嫌(ってか機嫌?)はおさまった。よかった。

 オレは、傍にギター。傍らに光ちゃん。という構図で、オープンスペースの幅広のわりに高さ少ねえ階段に座ってた。実にいい感じだ。

「ね、こないだ、うちに朝人くんのお母さん来たよ。スイカ持って」

「スイカ……」

「なぜスイカに反応する?」

「スイカ」

 食いたい。

「あのさぁ。一度、話し合ったらどうかな。どうだろ?」

「ヤだ」

 スイカに惑わされてなるものか。……ハッもしや光ちゃん、スイカに釣られたな……?

「それよか、光ちゃんリクエストない? なんでも弾くぜ?」

「じゃ、『絵本天国』」

「ごめん。知らねぇや……」

「『すてき絵本アニバーサリー』」

「……適当に言ってねぇ?」

「ばれたか」

「あのな」

「『ASA』」

「オーケー」
光ちゃんの好きな歌だ。恐ろしいほどCD聴かされて(CDプレーヤー、オレは家から持ってきてる)、楽譜までプレゼントされた。……ありがとう。ちょっとそのラブ度に圧倒された。

 オレがギター奏でると、光ちゃんは気持ちよさそうにハミングして、小さく歌い始めた。

 かわいいなぁ。

 ……ハ。いかん。何考えてる。オレ。

 でも、マジで楽しそうで、……なんか、いいよな。

 音、外れてるけど。



   ◯   ◯   ◯



『焦らなくていいよ。なるようになるさ。

 HIKARI  おまえの生きたいように

 そこで生きてけばいいさ』

 朝人くんのギターに合わせて歌った。我ながら、なんて美声でしょう。

「いいこと思いついた」

 いたずらっぽく朝人くんが笑う。

「いつか、光ちゃんの絵本に、オレの曲をつけんの。どうよ?」

「?」

「なんかいろいろあんじゃん。飛び出す絵本とか。バースデーソング流れるメッセージカードとか。あーいう遊び心あるヤツ。━━しかけでさ、ページめくる度、シーンごとにいろんな曲が流れんのとか。CDとかがついてくんのでもいいけど」

 ━━

「いい!すごくいいっ‼︎」

 私は思わずその場で飛び跳ねた。

「それ、いつか絶対やろう‼︎」

 約束だ。



   ◯   ◯   ◯



 光ちゃんと別れて、公園へ帰る。オレってもしかして浮浪者だろうか。考えたくない。いや、たまに銭湯には行ってる。あんまり心配しないでくれ。
 
 コンテスト……か。

 オレはさっきちょっと弾いてみた作りかけの曲を口ずさむ。

「いい曲だな」

 草を大げさに鳴らして、誰かが言った。

「え…………?」

 すごくヤな予感。

「…………親父」



   ◯   ◯   ◯

 あまぁい匂いがする。カルメ焼きだ♪ ふわふわ綿菓子。リンゴ飴。ラムネ。焼きそば。お好み焼き。おいし〜物でいっぱい。

 輪投げとか射的とか風船とかクジ引きとか金魚すくいとか見せ物小屋とか。あ。お化け屋敷もあるよね。

「う~〜ん」

 何買おうかな。ヨーヨーとかきらきら光るブレスレットとかもいーけど。実用的とは言い難いよね。

 できれば安くすませたい。お金、もったいないもん。うん。わたしゃ、いー主婦になれっかもよ? いまんとこ、結婚する気ないけど。
 
 でも、せっかくだから楽しみたい。楽しむためには金がかかる。この矛盾をどうしたらいい⁈

「朝人くん……」

 私は風ひとつにも飛ばされる紙のように━━そんな病弱なヒロインよろしくめまいで倒れそうになった。

「何を買えばいいの……」

 ━━教えて⁈

 けど、朝人くんは、お囃子(はやし)のほうをじっと見てる。……そりゃないぜ。
「朝人くんたら!」

「あ、うん……」

「もう」

 ああいう演奏も好きなんだね? ごめん。私毎年ただうるさいとしか思ってなかった。これは内緒にしとけ。
 さっきその辺でもらったうちわで、朝人くんを扇いであげる。優しいじゃろ。朝人くんの分もちゃんともらってあげたんだ。偉いじゃろ。朝人くんはお囃子に夢中なのか、うちお使ってないけど。……意味ね~。

「ね、朝人くん焼きそば買おう! あとラムネ!」

 頃合いを見て、私は言った。要するに、朝人くんがお囃子見るのやめて「そろそろ行こう」とか言ったときだね。
 
 これでも大人な私は、一人でちゃんとメニューを決めれた。よかった。でも、ほんとはまだ少しお好み焼きにも心が揺れていた。

「えーと、ほら、焼きそば屋さんはあっち!」

 私は朝人くんを誘う。……んだけど。

「朝人くん?」

「…………」

「朝人くんたら⁈」

「…………え。なに?」

 …………。なんか今日朝人くんたらボーっとしてる。どうしたんだろ。ボケるにはまだ早いよね?

「大丈夫? 朝人くん。ひょっとして眠いの? ちゃんと睡眠取ってる? ちゃんと食べてる? やっぱ、公園家出生活キツイの? それとも━━ホームシック?」

「そんなんじゃねぇけどさ……」

「ならいいけどさ……。じゃっ、楽しも!」

 焼きそばだ焼きそばだ焼きそばだ♪ ラムネもサイコー。生きててよかった。

「おいしいね」

「…………」

「楽しーね」

「…………」

 おいこら。
調子狂うなぁ、もう。どうしたのよ、朝人くんたら⁈
 焼きそばだって、まだあんま食べてないじゃん。ラムネには口もつけてない。
 いらないなら、くれ。私もう食べ終わるぞ。

「朝人くん⁈」

 朝人くんは長い息を吐き出した。溜め息ってヤツだ。

「あ、見て! あの浴衣かわいい! あの水色ぐあいがかなりすてき」 
 私は無理やり場を盛り上げようとした。……けど、浴衣高くて買えないというか━━買いたくないというか、ってな自分を思って、ちょっとブルーになった。どうしてこんなにケチなんだ私。

 うん。いちお未来のために貯金しようとしてるしね。でも、なんか最近弟がいろい入り用だとかで、お金借りにくるもんで(返してくれんだけど、また貸した
り)。……やっぱお金は大事だね。たとえありすぎても困ることないだろう、たぶん(←いいな、それ……)。

 でも、やっぱもちっとおしゃれしてくればよかったかな。赤と黄色と白のボーダーTシャツに、パステルブルーのキュロットにしちゃったんだけど……。ま、いいや、朝人くんも似たようなもんだし。黒いシャツに、青いジャージ・ズボン? ま、そんなもんよね。浴衣なんて浴衣なんて……子供の頃なら、着てたんだけどな。

「ねー朝人くん。朝人くんも昔浴衣さぁ……」

「光ちゃん」

 朝人くんは私の目を見て、すぐに逸らして、

「オレ、家帰る」

「え?」

「家に、帰ることにした」

「………………」

 ……うそ……?



   ◯   ◯   ◯



 水飲み場から少し離れた場所。桶で汲んだ水を飲む親子を眺めて。朝人は言った。
「家、帰る」

 朝人と並んでコンクリートのちょっとした段差に腰を下ろしていた光は、朝顔柄のうちわを抱えてうつむいていた。

「こないだ公園に、父親が来て。言うんだ。帰ってこいって」

「…………うん」

「それで、じつは父親がさ、『昔、俺はバンドをやってたことがあってな。メインボーカルと、ベースで』なんていうんだ」

 光は頷いた。なんとなくそんな気はしてた。あの喉は未だただもんじゃなかった。
「『母さんには内緒だぞ。母さんはおまえをギターに取られると思っててな。だから、いや~、実は父さんも昔、バンドやっててさい〜。などとはいえなくてな。父さんも寂しかったし。母さんについ釣られちゃって。……力になれんですまんな。おまえの大切なギターを、捨てることだけはやめてくれって、母さんに言ってみるよ』とかいっちゃってさ……」

「そう。……よかったね」

 光は微笑んだ。そういうの、きっと嬉しいだろう。光の母親なんて、絵本などと言ったら鼻で笑うだけだ。父親なんて話を聞いてもくれない。

「オレも、いつまでも、こんなこと、してられないし」

「……さみしいな……」

 本心だった。

 それが、朝人にも伝わったようだ。

「光ちゃん……」

 二人はしばらく沈黙した。

 光は目の前がかすんで、朝人の顔がよく見えなかった。なんでか、涙が止まらなかった。

「光ちゃん……。ごめんな……」

 朝人は優しく笑んだ。

「でも、家帰っても、今までどおり、会えるよ」

 光も笑った。寂しげな笑顔だった。

「お母さんも、きっとわかってくれるよ。だって、朝人くんが大好きなんだもん。うらやましいな。あんなお母さん。それに、お父さんも」

「そっかな」

「朝人くん」

「なに?」

「夢……叶えてね」

「…………ああ」

 空には、でっかい花火が咲いた。





 3フレーズ お見合い……しようかな?



 朝人くんとは、あれから全然会ってない。

 最近私はやっとケータイを買ったんだけど、朝人くんにはまだ番号を教えていない。マンションの電話番号も教えてないままだった。

 もう九月だ。朝人くんはまた学校だね。

 なんかね。私、思うんだ。朝人くんなら、学校も仕事も夢も、全部手にできる……っていうか。そんな気がする。

 朝人くんには未来がある。まだこれからで。夢いっぱいで。学校とかも、私には楽しそうに思えて……うらやましい。

 私はあいかわらずで。ほんと、あいかわらずで。なんか……なんかさ、

 おいてかれた気がしてさ。

 こんなん、脳手だけどさ。

 ……電話、しづらい。



   ◯   ◯   ◯



 駅ビルの本屋で。光は溜め息をついた。

 ずっと前に出した絵本コンテストの、結果発表の載った雑誌が、本日発売だったのだ。

 朝人と会う前に描いたヤツだった。自分の中では結構いいできだった。……でも、やっぱだめだった。

 光はもう一度溜め息をついた。



   ◯   ◯   ◯



「あんた、お見合いなさい」

「━━ハぁ⁈」

 ハートブレイクにマンションに帰ってくると、部屋の中には母親がいた。ヤツはこの部屋の合い鍵を持っておる。
 美容院行ってきたとかで、母のわりかし長めな茶髪に、パーマがかかりまくってた。かかりすぎなぐらいだ。爆発しまくり。ヘアバンでかろうじて押さえてるけど、そのヘアバンももう折れそうだ。……どこの美容院でやった、ソレ。失敗作だ。絶対。

 なんでこの人はいつも、花柄少女趣味な服着てんだろ。私なんて、桜色のTシャツに、茶色のスウェット・パンツなのに。まあいーや。動きやすいのが好きです……。

 虫の居所が悪いので、すぐにでも追い返したかったが、母はにこやかに笑って━━いつのまに入れたのやら━━冷蔵庫からメロンを取り出した。それを私に差し出した。
 私は忠犬のように、お母様のお望みどおりにメロンを切って差し上げた。ってか、単に自分が食いたかった。
 メロンメロンメロン。緑色した甘いメロン。スイカは朝人くんのお母さんのおかげで食させていただいたけど、メロンは……今年始めて。

 我を忘れてがっついていると、母が世間話のように麗らかにそういったのだ!

「なにいってんのお母さん。私、結婚する気ないって何度も言ってんじゃん⁈」

「いいこと。光。女の幸せは、やっぱりなんといっても結婚よ。あんたみたいに、なんにもできない娘(こ)は、結婚するしかないの。そうしないと生きていけないの。いつまでもフラフラしてないで、早く母さんたちを安心させて。そして、結婚して、早いトコ孫の顔を見せて!」

 ……出たよ。孫フェチ。最近親戚に子供が産まれて、母はその子にすっかりイカれておるのだ。子供欲しい欲しい欲しいあっそだ光に産ませよう親戚の子でもこんなにかわいいんだもん係ならどれほどかわいいかっ‼︎  てなぐあいだ。

 しかも最近、この母親は、子供欲しさが高じてか、ぬいぐるみ遊びが趣味なのだ。母の広くもねぇ部屋は、マジでぬいぐるみだらけなのだ。……大丈夫か、アンタ。娘はとっくにぬいぐるみは卒業したぞよ。絵本の中のこととか、絵に描くのとかは、別だけど。……ハッ。私のメルヘン絵本趣味は、じつはちょっと遺伝?

「るせーよ。メロンありがとう。っとっとと出てけ! オレは結婚なんかしないんじゃボケ!  いてまうぞコラ‼︎」

「ふざけんじゃないわよ‼︎ そういうことは一人前になってから言いなさい‼︎あんたこのままじゃいずれのたれ死によ⁈  どーすんのよ⁈  結婚しかないじゃない‼︎  まともな仕事もできないくせに‼︎」

「勝手に決めつけんな‼︎ それに、そんなお金のための結婚なんて最低‼︎ それじゃ、エンコーとたいして変わらんわっ‼︎  ボケ‼︎」

「知ったような口、利くな‼︎  なんだかんだいっても今は裕福な日本だからそんなこと言えんのよ‼︎  昔はね、女の人はろくに仕事もできなくてね、生きてくためには結婚ってのは仕方ないというか当たり前だったのよ⁈  あんたの言い方は、そういう人たちをバカにしてる‼︎」

「いつの話じゃ⁈  別にバカにしてないわ。そういうこと言ってんじゃなくってな……」

 母と娘の間に遠慮はない。容赦もない。ぜえはあ言いながら、わてらはいつ果てるとも知れないバトルを続けた。

「お母さん」

「光」

 そののち、わてらは異口同音にこういった。

『テレビ観よう』

 ……珍しく二人してハマってる、午後三時スタートの某ドラマが始まるのだ。バイトも休みだし、見逃す手はない。誰かビデオデッキ買って。……ってーか、買おうよ、私……。

「あははは。光。やっぱり『レインボー・プリズム』は最高ね」

「そうね。お母さん」

 私たち二人の間に、さわやかな風が吹いた。

 お母さんは昔から、虹が大好きだ。だから、ふんだんに虹が出てくるこの番組が、お気に入りなのだ。あと、主役の男の子もかわいくって好きらしい。……そうか? お母さんとは趣味合わないね。あ、だからお父さんの顔、アレなのか。……スマン、父。

 私はどっちかーてーと、お話に興味あるんだけど。これでも、絵本作家志望だから。しかし、このヒロイン。いくらなんでも、ニブすぎだろ。主人公の恋心はいつまでたってもヒロインに伝わらなくて、ちょっとイライラする。私だったら、すぐに気づくぞ?
 番組終了後、お母さんにお茶を作ってあげようと、私は台所に立った。……劇安煎茶だけどね。こないだデパートの特売で、ティーパックの麦茶と一緒にゲットしたのさ。
暑いときに、熱いものを飲む。これが、お母さんは好きらしい。……この部屋には、クーラーがない。扇風機はなんとかあるが、茶を飲むとさぞかし更に暑くなるだろう。ま、なんとかなるだろ。

 私も、熱いお茶って好きよ……。でも、冷たい麦茶とかスポーツドリンクとかも好き。バイト帰りとか、ついつい自販機とかで冷たいの買って飲んじゃう。脱水症状にはなりたくない。熱中症で死にたくはない。でも、金欠病もヤダ。だから、夏は大体お買い得のティーパック麦茶買ってる。うちにいるときは、かなりこれ飲んでる。冬は、やっぱ特に温かいのいいよね。ココアとか最近飲んでない。飲みたい……。

 ポットがないので、やかんに湯を沸かす。ガスレンジの前で私は、リビングでテレビ観てる母に目をやる。お母さんは適当にチャンネル変えてる。ニュースとかバラエティーとかドラマとか。

 ……最近老けたなって、思う。

 失礼かもしんないけど。

 ……。

 ごめんね。お母さん。

 迷惑ばっか、かけてさ。

『あんたなんか産むんじゃなかった』

『だってそんなんじゃ、生まれてこないほうがよかったじゃない』

 お母さんは時々そんなふうに言う。

 その度私は涙が出そうになる。

 でも、

 お母さんだって、

 泣いているのかも知れない。

 ……私は夢に生きたいの。

 たとえ、叶わなくても。

 ううん。絶対、叶えるんだ。

 お母さんはそんなふうに、思ったことないの?
 いつだったか、昔になりたかったの? って訊いたら、言ったよね。覚えてないって。

 ほんとなの?
 私だったら、忘れるなんて、一生できないよ。

 私は、茶色のスウェット・パンツのポケットに押し込んだままだった封筒を取り出した。クズかごに捨てる。
 
 さっき郵便受けから取り出した、前に受けた仕事の、不合格通知だった。……これは、バイトのじゃない。ちゃんとした就職のだ。某英会話&パソコンスクールの営業マン……って感じの。恥ずかしながら、海外旅行に釣られて受けた。それだけだった。

 他にも、なんかいろいろ受けた。本が好きだから、出版社とか。でも、ここは絵本はやってなかったし。ただ単に近いトコとか。あ。イラストレーターとか。でも、よくわからん雑誌のイラストだし。なんかもう自分でもよくわかんないけど、なぜか水道局とか。……疲れてんのかな、私。後はバイトもいろいろ受けたりして。
 実をいうと、私はバイトすらもかなり落ちる人だ。
 理由はなんとなくわかってる。……結構人見知りするし。……なにより、たぶん熱意がない。やる気ないのって、案外ばれると思う。好きなことなら、がんばれるんだけど……。こういうのって、ダメ人間ってのかな。

 才能とか、努力とか、運とかがあって━━デビューできれば違うんだろうけど。ううん。デビューしても、すぐ済えちゃう人もいるしね。……なんか、難しいな。

 意味もなく、資格取ったりもして。別に今の私の役に立ちそうじゃ全然ないヤツなのにね……。

 不安なの。

 最近とても不安なの。

 不安で不安でたまらないの。

 友だちには、絵本作家になる、なんて豪語しちゃってさ。自分でもなるなんて強がってさ。

 叶えたいのに。

 どうして、こうなんのかな……。

 行動がちぐはぐで。伴ってなくて。よくわかんなくて。

 努力が足りないの?

 あと、どれだけがんばればいい?

 なにをしたらいい?

 もっとまっすぐにさ。ただ前だけ見つめて。走れたらいーのにね……。

 自信、持てたらさ。変わっていけたらさ。

 こんな私でもさ。
 夢を掴めたら。

 ……きっと変われる。自分が好きになれる。

 それとも、誰かが私を好きになってくれたら……私も、自分を好きになれる?
 
 なんか最近人恋しくてさ。
 ばかなことばっか考えて。

「……ほんと、バカ」

 朝人くん.......。

 電話━━しようかな……。

 こんな私でも、友だちで━━いてくれる?

「あんた、なにやってんの!」

「え?」

 気づくと、母が叫んでた。

「お湯、沸きまくってるじゃない‼︎」

「━━げっ⭐︎」

 ……危なかった。私は火を止めた。

「ご、ごめん」

「ほんとボーっとしてんだから」

「う、うっさいな。今、お茶入れるから、待ってて……」

「まったく、この子は。二十二にもなって」

「二十一だもん」

「おんなじおんなじ!」

「なにがじゃ。大体、お母さんだって気づいて、もっと早く止めてくれりゃーいいじゃん
」
「……。母さんテレビ観てたのよ⁈  大体あんたが勝手に湧かしたんじゃない」
「なにおう。誰のためだと……!」

 こうして。またも無駄にエネルギーを消費していく私たちなのでありました。……早くしないと、湯が冷めるぞ。
 ……ばかすぎ。私。



   ◯   ◯   ◯

 口げんかは休戦タイムとなった。

 なんだかやで、お茶ができたからだ。

 ああ。心が和みます。日本人でよかった。るるる~♪

「で、あんた、お見合いなさい」

「まだいうか」

 しつこすぎ。

 これ以上その話題続けると、私もどうなることかわからんぞ。スイカメロンじゃもう手に負えんかもしれん。密かに大好物だったあの、懐かしの、某ハンバーガーと某メロンジコースがあれば、話は違うかもしれんがの。大好きだったのに、何でつぶれちゃったの? 『メルヘンバーガー』⁈  味がマニアックすぎたのかしら? メルヘン好きな私には最高だったのにね。しかし、あの店もあの味ももうない。……不毛な戦いは避けられそうもない。私ももうブチキレそう。……もう、やめとこうよ、母さん。犯罪者にはまだなりたくないの。

 なんかの本に、怒ると男性ホルモン増えるって書いてあった気がするけど、ほんとかな??? ヤだな。だって、女性ホルモン多いとあんまハゲないって聞いた気するもん。……違ったっけ? 私はまだハゲたくない。いや、ハゲ差別とかじゃなくてだね。髪は女の命とか、よくわかんねーことじゃなくてだね(だって、私の命は絵本だもん)、なんだろ。うーん。ハゲだとバイトどうかな? 茶髪だめなとこあんじゃん? ハゲはどうなん? 平気? じゃいーか? 夏だし。涼しいかもね……。案外イケてるかもね。誰か、流行らせよーよ……。

 とか、私は現実逃避してたのだが。
 母はまたもや、私の心臓をナイフでブッ刺すようなことを笑顔でいう。

「もう、お見合いの日取りも決まってるの」

 ……やめて。血糖値上がっちゃう。グリコーゲン出ちゃう。アドレナリン出ちゃう。アドレナリン出ると人は攻撃的になるらしいの。こないだたまたま本で読んだの。付け焼き刃の知識だから、あんま、自信ないけど.....。

「とってもいい人よ。ほら、前にも言ったでしょ? お母さんが今やってるホテル掃除の、パート仲間の、息子さんで、とってもいい人なのよ。お母さんは、まだ直には会ったことないけど」

 ブチッ。

「ほ~、母(はは)やんは、会ったこともないほにゃららくんを、私にすすめるのね。結婚って、一生問題だったりもするらしーのね。場合によっては。それをどうお考い?」

 キレッ。

「遠野(とおの)さんっていってね。民間教育の教材販売の━━営業マン? やってらっしゃるの。仕事熱心なまじめな方らしいわ? お母さん的には、その辺がポイント高しなの」

 ルッ。

「人の話聞けよ。あんたが結婚すんじゃねーんだからよ。それに、私営業マンって嫌い。あの見え透いた笑いが嫌い」

 ゾッ‼︎

「ほらほら、ごらんなさいな。お見合い写真よ。おほほほ。なかなかイケてるわよ、ヴィジュアル的にも」

 ウラッ‼︎

 …………。

「ほんとに? かっこいいの?」

 インスリンがアドレナリンを抑えてくれそうになったかも。よくわかんないけど。
 不覚だ。顔なんて、器(うつわ)なのに。私ったら私ったら。

 ━━。落ち着け。私の活券だか名誉だかプライドだか意地だかに関わる重要問題だ。起き上がりこぶしみたいに、母の言葉に引き寄せられてはいけません。理性よ、ファイト。
一時(いっとき)の感情に流されちゃダメ。顔がなにさ。
 
 .....でも、見るだけならイーかも。

 いやいや、いかんいかん。

 見ちゃいかん。

 情が移ったら大変だ
。
「ほら、見てご覧なさい。どこ見てるの? こっちよ。って━━ちょっと光⁈ それはちゃぶ台よ。それは天井。それはあんたがさっきから脱ぎっぱなしにしてる靴下。だらしないわね~。ちゃんとなさいな。そっ、そつちはバスルームよ! どこ行くの、光⁈ あ、靴下かたづける気ね。いい子いい子」

「いちいち変なアナウンスしないでよっ‼︎」

「いいからとくとご覧なさい! これがあんたの未来の伴侶‼︎ 遠野新(あらた)さんよっ‼︎ ジャジャ~ン‼︎ っていっ‼︎」

「……………………………………………え゛?」

 私は両手で目隠ししてバスルームのドアの内側に立っていた。ドアの外から鬼の声が聞こえてた。それがなぜかいきなり、エンジェルヴォイスに変わった。

「…………あらたくん?」

 逆に、私のほうが鬼気道る声を上げた。
 オープン・ザ・バスルームのドア‼︎

「今、新くんっていった⁈  ねぇ、お母さん⁈  遠野新くんって、新くんって━━あれ?」

 お母さん……いない?
 でも、シンデレラのガラスの靴のように、フローリングに、お見合い写真らしきものが落ちてた。
 手に取った。開いた。

「新くんだぁ⁈  うっそ、全然変わってない⁈ ってか、むしろかっこよくなってる‼︎」

 ━━初恋の人だった。

 不覚にも、ときめいた。

「ふふふ、気に入ったようね……、光」

 開け放ったバスルームのドアの影から、弱々しい母さんの声がした。

 ……ヤバイ。私がさっき、思いっきりよくドア開けたもんで、お母さんを、ドアと壁でサンドイッチ状態にしちゃったらしい。悲鳴くらいあげろよ、母━━じゃないと、すぐ、気づけないだろ?

「痛いけど……母さん、嬉しいわ」

 なんか言ってるけど、ゴメン。いま、それどころじゃない。

 新くんだ新くんだ新くんだ‼︎
 どーしよ、中学の卒業式以来‼︎
 すごく、…………会いたい。

  ◯   ◯   ◯

「母さん、なぁ教えてくれよ」

 オレは泣き倒し作戦してた。

 オレんちの居間で。ソファーに座って。━━向かいのソファーには母さん。

「光ちゃんどこに住んでんだよぉ⁈」

「だ~め。いくらあさちゃんの頼みでも、それは聞けないわ」

 母さんは六時の、晩飯前の茶を啜って、こともなげに言った。……なんか憎たらしいぞ、母さん。オレの茶も目の前のローテーブルにあったけど、それどころじゃなかった。

 うちは、晩飯が遅い。昔から、めちゃくちゃ遅い。少なくともあと三時間は待たされる。ついでに、うちの母親は、料理がめちゃくちゃ下手だ。しかし、自覚はまったくない。何度文句言っても聞き流す。で、いつまでもいつまでも油で味付けしてるような、ベタベタベタベタしたもんばっか食わす。この暑いのに、んなの、あんま食べたくねーよ……。でも、しかたないんから、いつも全部食う。育ち盛りなんだ。……オレ、このままじゃ太らないだろうか。それはヤだ。病気にならないだろうか。それはもっとヤだ。ちなみに、父さんは恐術のマヨネーズ魔人だ。サラダにマヨネーズかけまくり。そんでいつも母さんの言いなりだ。でもって怒鳴り魔。なんなんだろう、この夫婦。父さんはまだ帰ってきてない。あの人は、毎日ひたすら某電気会社に動めてる。……直に帰ってくるだろ。それよか。

「なんでだよぉ。もう、光ちゃんと一月(ひとつき)以上会ってないんだよっ!」
  考えてみたらオレ、光ちゃんの話番号知らないんだもん。家もどこか知らない。光ちゃん、TELくれないし。前はちょくちょくくれたのに。……オレ、なんかしたかぁ?
」
「母さんが光ちゃんちにスイカ持ってったことは知ってんだぞっ⁈ なあ頼むから教えてくれよ!」

 会ってないんだ。全然全然。光ちゃんちのそばの駅でやってても、演奏見に来てくれないし。前いた公園のほうに顔出してみても、見当たらないし。どこにいんだよ⁈
「い〜い、あさちゃん、女はケダモノなのよ。あさちゃんみたいなかわいい子が、一人でノコノコ一人暮らしの女のトコになんて行ってご覧なさい。
━━食べらちゃうわ」

「そんなこと平気で口走るあんたのがケダモノだぁぁぁっっ‼︎」
 
 光ちゃんは、そんなんじゃね~。

「あさちゃん」

 ヤツはオレの両肩に手を置いた。

「光さんは、やめときなさい」

「な、なんでだよ⁈ ひ、光ちゃんはいい子だぞ」

「母さんも、そう思うわ。でも…………ね」

「な、何が気に入らないんだよ⁈」

「お友だちとしてなら、母さんもいいと思うわ。でも……。あさちゃんのカノジョには向かないわ。お母さんっ、大っ反対っっ‼︎」

「なな、なにいってんだ、力、カ、ノジョって別にそそそんなんじゃっっ……」
 
 光ちゃんのかわい~笑顔が頭に浮かんだ。

「そんなんじゃ…………」

「もしももしももしももしももしも、あさちゃんにカノジョができるとしたら、なんでもできるパーフェクト・ガールじゃなきゃ、お母さんイヤだわっ! よよよ、ほんとはそれでもヤ~よ。でも、もしももしももしももしももしもっっそんなビッグバン的事件が勃発するなっ、母さんそんくらいの相手じゃなきゃ納得できないわ! イヤだけどイヤだけどイヤだけど……そーでもないと、あきらめがつかないじゃないのぉぉ。そんなこと、できれば母さんが生きてるうちに……ううん、死んでも遭ってほしくない……。そこをいくと、光さんは、あさちゃんよりも年上だし、背も低いし、童顔だし、スイカに目がないし、お料理も下手みたいだし(←あんたに言われたかねぇ)、カラオケも━━楽しかったけど、光さんたら音痴で、母さんどうしようかと……。光さん、これからどうする気かしらね、バイトもいいんだけど、ご両親だって心配なさってるでしょう。もっとちゃんとなさらないとね。大体、な〜に、フリーターって。仕事するなら、ちゃんと就職なさいよ。母さんそういう適当な人生どうかと思うわ。あの娘(こ)ちょっと、頭おかしいんじゃ……」

「━━それ以上いうと、殴るぞ」

「な……?」

「いくら母さんでもな」

 光ちゃんはいい子なんだ。

 オレなんかのために、差し入れ持ってきてくれたり、ギター優めてくれたり、心配してくれたり。

 優しくて、いつもあったかな笑顔をくれる子なんだ。……でも、どこか泣きそうで、なのに我慢してて。一生懸命で。

 キラキラ光る、夢を持ってる子なんだ。

「だって、母さん、寂し~んだもん。ちょっと拗(す)ねてみただけじゃない。ちょっと調子に乗って、心にもないことまでベラベラ喋ってみただけじゃない。そんな本気で怒んなくてもさぁ……。昔はあさちゃん、母さん母さんってラブラブべったりで」

「さ~て、そろそろギター弾きに行くかな……」

 オレは二階の自分の部屋へ引き上げることにした。弾きたい曲があるんだ。

「お待ち‼︎  あさちゃんっ‼︎」

「なんだよ」

 オレは居間の出口で機嫌悪げな声を上げた。

「家にいるときくらい、ギターのことは忘れてよ!」

「ヤダ」

「あさちゃんが家に帰ってくるならって━━しかたなく、ギター続けることは一応許したけどね。でもね、家にいるときくらいはね、」

「さ~て、ギターやろギター」

 黙殺した。踵(きびす)返した。したら、後ろのほうから、珍しく鋭い声がした。さっきまでの甘ったれヴォイスが嘘みたいだ。

「━━知ってるのよ、母さん」

「あにがだよ」

「あさちゃん、小六の時、一月(ひとつき)も女の子とつきあってたでしょ。小宮(こみや)めぐみちゃん。髪はいつも決まって、ツインテールだった。ガーデニングが趣味だった。デパートとかでデートしてた。あさちゃん、あの子にお星さまのぬいぐるみプレゼントしてた」

「……あぁ、んだと?」

「中ーのときは、横谷三枝(よこたにみえ)。三ヶ月もつきあってた。今度はポニーテールの新体操少女だった。動物園行ってなぜか二人でペンギンばっか見てた。映画館でお約束にポップコーンも食べてた。映画のほうは、なんかSFみたいで、イカがいっぱい宇宙飛んでるやツだった。ヤキソバ星人と戦って、イカヤキソバにだけはなりたくないっ‼︎ って、よくわからない内容だった。でも三枝ちゃん感動して泣いてた。お母さんもつい釣られてちょっぴし泣いた。でも、あさちゃんは寝てた。制服デートもしてた」

「……。なんで知ってんだ、てめー」

「いっつもいつつも母さんに秘密にして! 中三のとき、五、五ヶ月も、つきあってたわね……山口(やまぐち)ユキノ‼︎  許すまじ‼︎  あのガングロ女、あ、あさちゃんにあぁんなことしてっ‼︎」

「......ライヴ行ったり、メールのやり取りしてたくれーだぞ」

「違うわっ‼︎  手ぇつないだり、肩に腕回したり、ほっぺにチューしたり‼︎  母さん、見てたのよっ‼︎」

「……見てた、だと?どこから」

「母さん昔いろいろあってね……」

「なんで昔いろいろあると、そーなる」

「もうっ、言っちゃうわっ‼︎ 母さん、昔、私立深貸してたのよっ‼︎ プライヴェート・アイよっ⁈  今でも、張り込みやら追跡やらは、目ぇつぶったってできるくらいよっ‼︎」

「……ほお」

「今は、ただの、専業主婦だけどね……。ふう。━━あんまり悔しーから、母さん。めぐみちゃんには頭下げて、あさちゃんとは別れてくれってお願いしたのよ。あさちゃん本当はママが一番好きなのよ、ママと離れちゃ一日だって生きられないの、重度のマザコンなのよ~、っていったら、誠心誠意がきっと伝わったのね。承諾してくれたわ。……気のせいか、目が怯えてたけど」

『ごめん……私もう、朝人くんとつきあえない』

 あれは、ちょっとほろ苦いメモリーだ。三日くらい泣いた。学校やめよーかと思った。

「三枝ちゃんにも、誠意を込めてお願いしたの。お詫びの印に十万円ほど掴ませたら、よ~くわかってくれたわ」

『バイバイ、森谷くん。ペンギン、サイコー!』

 悲しい記憶だ。二週間くらい学校サボった。

「ユキノにゃあ、かなりムカついてたから、腕にモノいわせたわ。黒服のマッチョマンを五人ほど雇って、崖っぷちに追い込んで、あさちゃんと別れんとゴーゴー・ヘルだぞ、ってゆうてやったわ。あの娘(こ)もかなり粘ったけど、一発殴ってやった途端、犬に豹変して命乞いしたっけ。いい薬になったわ」

『…………』

 あいつはある日突然口を聞いてくれなくなった。近寄ったら、泣かれた。ショッキングな思い出だ。暗黒渦巻く日々だった。もう思い出したくない……。

「母さん」

 オレは厳かに言った。

「犯罪だ、それ」

「あさちゃんが秘密にするからいけないんじゃないっ!」

「……オレのせいかよ」

 オレはかなりムカついてた。……なんか疲れた。

「まったく、あさちゃんもお父さんも、二人して私にばっか秘密にしてさ~」

「親父?」

「そうよ。私知ってるんだから。お父さんは昔バンドやってたのよ! 私あの人に近づきたくてこっそりストーキングしてたから知ってるのよ。お父さんはそりゃかっこよかったわ。はぁ~、楽器楽器ってお父さんもあさちゃんもどうしてそうなのよっ⁈  ちょお悔しい。すんごく悔しい。あ、お父さんには私が探偵やってたって内緒ね。だって、お父さん、尾行のことちっとも気づいてくれなかったんだもん。いまさらちょっと言いたくないわ」

「━━あんたも秘密にしてんじゃん」

 オレはもう部屋に逃げます。もうやだ、このオバハン。

「待ちなさい、あさちゃんっ!」

 もう待つもんか。

「光さんのことよ」

 居間に戻った。

「なに?光ちゃんち、教えてくれるの?」

「違うわ」

「さらば」

「待ってってば⁈ 大事なことなのよ!」

「なんだよ一体? まさか、光ちゃんにまでなんかする気じゃねーだろーな⁈  そんならオレ……」

「これは、言いたくなかったんだけど」

 ウソだ。顔が笑ってる。いかにも、言いたくて言いたくて我慢してたって顔だ。すげ~、ヤな予感。

「光さん、お見合いするんですって」

「……⁈」



   ◯   ◯   ◯



 駅ビルに、光はいた。エスカレーター下りて、歩く。たくさんの女の子たちが品物を見てる、雑貨屋の横を通る。ふと、通路の隅のほうに行って立ち止まり、オレンジ色のキュロットスカートのポケットから、ケータイを取り出す。白くて小さくてかわいいヤツだ。━━ちなみに、今着てるTシャツも白だ。薄手の上着は水色と白のチェックだ。

 大学行ってる友だちからメールが来てた。

『大学、メンドくさい。』

 光はちょっと時間をかけて、メールを返す。まだ、あんまり慣れていないので、速く打てない。

『がんばれ。』

 そのまま画材屋に向かった。

「大学……か」

 呟いてみる。

 ないものねだりってやつだろうか。東で大学行ってると聞きゃ、うらやましくなり。西で専門学校行ってると聞きゃ、うらやましくなり。南で就職したと聞きゃ、うらやましくなり。北で夢を叶えたと聞きゃ、うらやましくなる。

 すぐまたメールが来た。さっきの娘(こ)からだ。……ちょっと、ボーイッシュで顔が濃いけど、純粋ないい娘だ。だれかれ構わず抱きつくクセは、なんとかして欲しいけどね。

『光最近、なにしてんの?』

 少しの間、考えて、こう答えた。

『相変わらず。』

 見合いのことはまだ誰にも言ってなかった。

 ━━新くん……。

 光は画材屋の中を進んだ。右に左に画材だらけで、道が狭いけど、会員割り引きしてくれるので、そこが光は気に入っている。結構品数も豊富だ。

 財布の中には、福沢諭吉さんがいる。さっき、郵便局でお金下ろしてきた。

 今日は奮発して、前から欲しかった画材を買うつもりだ。

 ━━約束、したもんね……。

 朝人くん。
 

 パーストフレーズ 過ぎし日の独りごと


 桜井光が、遠野新に出逢ったのは、彼女も彼も中二だった、春のことだ。


 桜が咲いていたのか、散っていたのかももう、彼女は覚えていない。

 ただ、進級して、彼とクラスが一緒になったことは事実だ。

 たぶん、そこで光は初めて彼を見た。
 別に何とも思わなかった。

 ただの、クラスメートだった。

 そのころ光は、実在の異性に恋することができない少女だった。

 絵本ばかり、読んでいた。

 好きな人も、絵本のなかの登場人物。

 そんな、夢見がちな女の子だった。

 彼女は人づきあいが苦手で。

 一人でいることが多かった。

 彼の周りにはいつだって誰かがいて。

 彼女とは、正反対だった。

 ━━最初に好きになったのは、名前だった。

 彼女が当時大好きだった絵本作家に、雪村新(ゆきむらあらた)という人物がいた。

 優しい色使いの、温かな物語を描く作家だ。

 彼の名前が新だと知ったとき、彼女は少し驚いて、そしてすてきな名前だな、と思った。

 それから、彼が気軽にクラスの女子とも話すのを見て、なんだかいいなと思った。
 きっと、羨ましかったのだろう。彼のその天真欄浸さが。
 
でも、まだそれだけで。恋愛感情にはほど遠かった。

 ━━どうして、好きになったのか、よくわからない。

 気づいたら、好きだった。

 彼がいるだけで、

 遠くで見てるだけで楽しくて楽しくて、

 毎日がとても幸せだった。

 まともに話したことはなかった。

 先生の言付けを伝えたことが一、二度あったくらい。

 それでも光は嬉しかった。

 告白しようと思ったことはなかった。

 最初から諦めていた。

 常に、自分は他人よりも劣っていると考えていた。

 人とうまくつきあえず、勉強もダメ。スポーツもダメ。

 取り柄なんて見つからなかった。

 そんな自分を誰かが好きになってくれるはずがない。

 彼にもきっと迷惑なだけだ。

 そう思っていた。

 それは、逃げだったのかもしれないけど。
 何もないまま、時が過ぎて。

 光は中学を卒業した。

 残ったのは、思い出と、彼の癖だった宙を仰ぐくせ━━それが、自分にも身に付いていたことくらい。

 逢えなくなってから、本当に全然逢えなくなってから、光は後悔して。

 ラブレターを書いた。

 でも、相変わらず自分に自が持てなくて、

 過ぎた日が長すぎて、

 こわくて.....

 出せなかった。

 彼が遠くなって、

 大好きだった声も顔も遠くなって。

 忘れていく自分がイヤだった。

 ……彼は、時々ひどく寂しそうな顔をしていた。

 それが、光にはよくわからなかった。

 彼は明るくて、友だちがたくさんいて……。なのに。

 光は中学生のとき、よく溜め息をついていた。

 誰かの溜め息は、誰かを重たい気持ちにさせるのだとか、そんなことも考えられなかった。

 逆に、寂しさを装って、それがかっこいいなんて思ったりもした。

 とてもとても不器用だった。

 今なら、彼が寂しそうだったのも、わかるような気がする。

 いつだって楽しくて、悩みなんて一つもない人間。
 
 そんな人は━━きっといないのだ。
 
 あれから。光は夢を見つけて。
 それだけを頼りにして生きてきた。
 こんどは、諦めたりなんかしない。

 光は時々、あの頃綴った日記を読み返す。

 幸せだった自分。

 でも、進路のこと、友だちのこと、家族のこと、いろいろ悩んでもいた。

 涙で歪んだ文字の書かれているページもある。

『大好き』

 そんな、誰かには決していえない言葉を呟いていた自分が、少し恋しい。


 4フレーズ  再会



「久しぶり」

 彼は言った。

「ひ、久しぶり」

 私もそういった。



   ◯   ◯   ◯


 
 私たちは、ハンバーガーショップにいた。お母さんが、日本屋敷屋敷した旅館? かなんかで見合いせいとほざいていたが、私はそれが嫌だった。母親がついてくると利かなかったが、それはもっと嫌だった。父にはまだこのことは内緒らしい。……そんなものなのか、父親って? ……ちょっとゴメン。お父さん。で、弟にはなんだかシカトされた。ヤツも大学生ってだけじゃなく、バイトもしてるので(服売ったり酒売ったりしてる)、きっといろいろ忙しーんだろう。……ガンバレ。

 だから、二人だけで会えるようにしてもらった。お母さんは最初嫌がったが、そのうち承知してくれた。あっちのご両親もいい人らしい。オーケーしてくれたそうだ。
 こういうのがいい。
 堅苦しくなくて。友だちと会うみたいで。

「え~と……」
 
 私は、ウーロン茶をストローで一口飲んで、彼を見上げた。

 休日なんで、店内は込んでいる。

 かわいい女の子の声で、歌が流れてた。……前に、朝人くんが友だちに借りたとかいうCDラジカセで、これ、聴いてたっけ。演奏の合間に。━━ポップビートで、いい感じだ。

「ごめんね、わざわざ……」

「いや」

 彼はこの暑いのに、グレーのスーツを着ていた。青いネクタイまでしてた。……とてもよく似合っていた。髪は昔と同じ、ナチュラル・ブラウン。━━昔は、新くん、青いブレザー、着崩してたんだけどな。ネクタイなんて全然してなかった。私の行ってた中学は、なぜか、男子が青いブレザーで、女子が白いセーラー服だった。……誰の趣味?
 
 私は今、とてもラフな格好をしていけいる(いつもか)。猫のプリントTシャツに、ブルージーンズ。ついでに赤いバスケット・シューズ。……ちょっと自分が恥ずかしくなった。これでも、染みとかついてなくて、綺麗なのを選んだだけどな、一応。でも、ジーンズ、暑い。

 私は化粧をしない人なので(あんま好きじゃないしメンドウ)、それも……なんとなく気になった。だから、童顔とかぬかすのか、友人ども。時々、化粧できんとダメってバイトがある。……困る。それは今はどーでもいい。

「あの……」

 言葉が続かない。

 夢じゃないだろうか。そんな気がするのだ。

 新くんはとてもとてもかっこよくて、私は未だに目が合わせられない。……恥ずかしい。赤い顔を見られたくなくて、うつむく。しかたないので、ひたすらウーロン茶を飲む。━━おっと、ハンバーガー(一番安いヤツー個)もあった。食べよ食べよ。
「変わってないな」

 新くんが言った。

「ふに?」

「……安心した」

 新くんが目を細めてる。私は信じられなかった。彼が私に笑いかけるなんて。━━
やっぱ夢? よかった。綺麗な笑顔。営業マンなんていうから、営業スマイルとかされたらどーしようかと思った。……なわけ、ないか。

「あ、食べて食べて」

 私はトレーの上でポテトを入れ物ごと彼のほうに倒して、新くんにも取れるようにした。……最近は、袋に入れて振って食べるポテトなんかもあるよね。私は未だにオールドタイプ(?)だけどさ。いや、安いモノ安いモノについ釣られちゃって。ビギナー釣り師が喜ぶ、お手軽な魚かい、わたしゃ…
…。

「ありがとう」

 彼がそんなふうに言うから、私はきっともっと真っ赤に━━真っ赤っかになった。どうしょうどうしよう。
 新くんは、落ち着いた感じに、黙々とハンバーガーをかじってる。チーズバーガーだった。……おいしそう。しかも、二つも。あと、私とおソロのハンバーガーも一個。ドリンクは、スプライト。デザートに、プリン。そうか、こういうのが好きだったのか……。

 なんか、変な感じ。新くんは中学のときいつも、友だちと喋ったりふざけたりしながら、お弁当食べてたのにな。……私が相手じゃつまんないのかな。……これじゃ、盛り上がんないもんね。なんか、言わなきゃ。

「あの……。あの…………」

 つ、続かない。会話が。

 もう私大人なのに。あの頃の私じゃないのに、きっと。たぶん。……少しは友だち作れるようになったのよ。これじゃ、新くん心配するじゃん? しらけるじゃん。いっちょ、大人になってちょっぴし社交上手になった私見せなきゃ!  言うぞ言うぞ。

「いい天気だね。そろそろ十月になるのに……まだ全然夏って感じっていうか……」
「ああ」

「暑かったら、上着脱いでもいいよ」

「うん」

 よしよし。喋れてる喋れてる。

「あ、あのさ。びっくりしたよね。まさか、また会えるなんて」

「…………うん」

 なんか、新くん、会話に乗ってこないな。上着も装備したままだし。つまんないかな? えっとぉ……。

「あのね、お母さん、じゃなくて、母がいきなり見合いなんていうから私さ……」
「ごめん……」

 え?

「…………あ。わ、私と、見合いなんてイヤ? そうだよね……ごめん、私、なんかそういうこと関係なくて、ただ会えて嬉しくて……」

「━━ちょっと緊張してる」

「え?」

「その…………桜井が、あんまり綺麗に……なってるから、さ」