男子校のバレンタインは、戦場です。

 幸い、三時限目は移動教室で美術。そして、四時限目は体育。目の前に冴島がいて、妙にドキドキすることもなかった。
 とはいえ、放課後、冴島にバイト先まで送ってもらうのだと思ったら、意識せずにはいられない。思わず目で追ってしまう自分がいる。
 昼休憩でも、田中と売店にパンを買いに行く途中、中庭に冴島の姿を見かけて、つい目で追っていた。
 そして、今は五時限目のラストスパート。残り十分で物理の授業も終わり。
(もうすぐ冴島と帰るのか……)
 誰もが誘って断られたことをこれから僕はするのだ。しかも、明日なんて勉強会だ。僕は、前世で何か徳を積んだのだろうか。
 それはそうと、冴島と何を話せば良いのだろうか。どんなことが好きで、どんなことが嫌いなのか、全くもって未知だ。クラスの手紙の一件もあるので、ヘマをすれば一発で嫌われる。
 冴島のサラサラの髪の毛に目をやりながら、やはり嫌われたくないと思ってしまう。慎重に行かなければ。
 そんなことを考えていると、授業もあっという間に終わり、帰りのホームルームが始まった。

◇◇◇◇

 そして、いざ、放課後!
 クラスメイトらが、ぞろぞろと教室から出ていく中、僕は冴島に声を……かける前に、田中に声をかけられた。
「結城、帰ろー」
「あれ、部活は?」
 僕は帰宅部だが、田中は野球部。テスト週間で一週間前から部活は休みになるが、来週からのはず……。
「野球部の成績、壊滅的だろ? だから、今回は他より少し早めに休みに入ったんだよ」
「へぇ、そっか」
「だから、勉強、一緒にしようぜ」
「あー」
 僕は冴島をチラリと見た。
 既に鞄を肩に掛け、帰る準備は万端。
「えっと、今日はバイトだから」
「ファミレスの?」
「そう、ファミレスの。火・木・土でシフト入ってる。来週からは入れてないけど」
「じゃ、明日からだな」
 そうだね、と同意しながら頷きたいが、明日は冴島と約束がある。断らなければ。
「えっと、明日もアレだし、そしたら土日も挟むようになるから、来週からの方が……」
 冴島が真顔で僕を見ている。何も言わないが、目が何か物語っている。
「もしかして、テストまでずっと……?」
 僕は、冴島にテスト期間中は毎日勉強会をするのか確認したのだが、田中は自分に質問されたと思ったようだ。
「当たり前じゃん。一人じゃ眠くなるだけだし。あ、けど、バレンタインの日はパスな」
 田中が返事をする中、冴島は静かに頷いた。
「そ、そっか……」
 どうしよう。
 冴島からの貴重な誘いを断りたくないが、田中の誘いも断りずらい。軽いノリでその場をやり過ごしても良いが、本当にその場しのぎでしかなくなる。
 迷った末に出した僕の答えは……。
「三人でしない?」
「三人? もう一人、誰誘うんだよ」
「えっと、どうかな? 冴島」
「え!? 冴島!? 結城が誘うなんて、どうしたんだよ!?」
 僕が冴島を誘ったことで、田中は非常に驚いているが、冴島から誘われていることを言い出せず、且つ田中の誘いを断れない僕は、こう言う他なかった。
 ただ、冴島の顔は冷淡なまま。言い出せなかった僕に怒っているのかもしれない。
「結城、無謀だって」
「はは、だよね」
 先に約束をしたのは、冴島だ。やはり、ここは田中の誘いを断るしかないのだろうか。いや、断るべきだろう。
「田中、実はさ」
 田中に向き直ったその時、冴島が口を開いた。
「良いよ。勉強会、三人でしても」
「え!? マジで!?」
 冴島ファンの田中は、大興奮だ。僕も胸を撫で下ろす。
「冴島、ありがとう」
「あ、冴島。結城は今日はバイトなんだって。だからさ、今日は俺と二人で」
 田中が言い切る前に、冴島は何も言わず、僕と田中の間を通って教室から出て行った――。
「ちょ、冴島! 俺と二人で勉強会……」
 田中が冴島の後を追いかけて行ったので、僕も鞄を肩にかけて教室を後にした。
 ――と思ったら、後ろ扉を出て右に曲がった瞬間に、後ろから首に腕を回された。
「え……」
 ポスッと誰かの胸に頭が当たった。
 何が起こったのか分からず、呆気に取られながら上を見上げれば……。
「冴島? あれ? 田中がさっき追いかけて」
 そこには、先に帰ったはずの冴島がいた。
 田中が走って行った東側の階段と冴島の顔を交互に見れば、クスッと笑われた。
「送るって言ったじゃん」
「言ったけど……」
 冴島の腕から解放された僕は、冴島と並んで、皆があまり使わない西側の階段の方に向かって歩いた。
 無言で歩いていると、すぐに階段まで辿り着いた。階段を下りながら、その沈黙が気まずくて声をかける。
「あ、あのさ。さっきは、ごめんね。勉強会、先に冴島が誘ってくれたのに」
「ううん。結城は優しいからね」
「そ、そうかな。断れないダメダメな男だよ」
「てことは、本当は、俺の誘いも断れなかっただけ?」
「ち、違うよ」
 冴島より三歩先に下りて踊り場に足を付けた僕は、振り返って言い訳するように口を開く。
「確かに、戸惑いはしたけど、嬉しかったから。だから……」
「へぇ、嬉しかったんだ」
 僕の横を通り過ぎる冴島の顔は見えなかったけれど、声のトーンが、ほんの僅かばかり上がった気がした。
 先々行く冴島の後を急いで追いかけ、横に並ぶ。
「で、でも、どうして僕を誘ってくれたの?」
「んー、虫除け?」
「虫除け……って?」
 全くの想定外の返答に首を傾げていると、一階に辿り着いたので、そのまま真っ直ぐ靴箱へと向かう。いつもなら混雑する靴箱も、教室で話したり遠回りして向かったことで、既に人の姿はなかった。
「俺がいたら、声かけてこないかなって」
「声? 誰が?」
 冴島は、上靴を脱いでそれを靴箱に入れながら、校庭の方を一瞥した。
「結城って、押しに弱そうだから」
「まぁ、当たってるけど」
 終始意味が分からない。冴島は、何の話をしているのか。聞けば聞くほど分からないので、靴に履き替えた僕は、黙って歩くことにした。
 僕が口を開かなければ、冴島も口を開かなかった。
 チラホラいる生徒からの視線を感じるが、きっと僕が冴島に話しかけて、あしらわれているように見えていることだろう。
 校門から出て、近くのバス停に並ぶ。
 バスが到着して、乗り込む時にふと疑問が生じたので、一文字に結んでいた口を開く。
「家近いのに、一回もバス一緒になったことないよね?」
 冴島はバスの整理券を取りながら、平然と応えた。
「俺、チャリで来てるから」
「は?」
「明日からはバスにする。朝、何時のバス?」
「七時四十七分だけど」
「分かった」
 二人で吊り革に捕まったが、全然分からない。
「いやいやいや、チャリ、置いて来てんじゃん」
「うん。後で取りに行く」
「そういう問題じゃ……」
 やはり、冴島は謎が多い。僕には到底理解出来そうにない。
「冴島、次、降りたら?」
「結城、降りるの?」
「降りないけど」
「じゃ、俺も降りない」
 ぼんやりと外の景色を眺める冴島に、何を言ってもダメな気がした。
「冴島って、甘い物好き?」
「え、もしかして、バレンタインくれるの?」
 窓越しに見える冴島の顔は、いつもと同様に無表情なのに、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。気のせいだろうな。
 おそらく、冴島はバレンタインが嫌いだ。
 去年もバレンタインで貰ったチョコを鬱陶しそうに突き返していたし、無理矢理押し付けてくる者のチョコは、律儀にその人の靴箱に入れて返却しているのを見たことがある。とはいえ、僕が見たのは、ほんの一部だけれど。
 ただ、今の冴島を見ていると、もしかしたら、僕のチョコなら受け取ってくれるのでは? という淡い期待が生まれる。けれど、あれは恋愛感情のある者が好きな人に宛てて贈るものだ。僕に、それはない。
「バレンタインって言うか、期間限定生チョコパフェ、奢る。送ってもらうお礼」
「なんだ」
「やっぱ、甘いの嫌いだった?」
「ううん」
 冴島が僕を見た。自ずと、僕も冴島に目を向ける。
「好き」
 何故だろう、僕のことが好きと言われているようで、胸が跳ねた。
「結城は? 好き?」
 そして、今度は僕が甘い物を好きか聞かれているだけだ。それは分かっているのに、見つめ合っているせいか、僕が冴島のことを好きか聞かれているような気分になる。
「えっと、僕も」
【次、舞浜公園前。舞浜公園前】
「あ、次だ」
 僕は降車ボタンを押した。
 それから、バスが停車するまで暫しの沈黙が流れた。
 バスから降りた僕は、冴島の目を見ずに、公園のすぐ隣にあるファミレスを指差した。
「バイト、そこのファミレスだから」
 そして、道路を挟んだ向こう側のバス停を指差した。
「あそこのバス停から乗ったら、学校戻れるから。わざわざ、ごめん」
「うん。じゃ、また後で」
「あ、うん。また後で」
 自然と手を振って別れたが、『また後で』とは?
 互いに家がすぐ近くだから会わないとも言い切れないので、そういうことだろうか。そういうことにしておこう。昨日から、冴島との距離が急激に近くなって、キャパオーバーだ。
 僕は、ずっと入っていた肩の力を抜いて、ファミレスの裏口から中に入って行った――。