男子校のバレンタインは、戦場です。

 放課後、学校のいたるところで大乱闘が起こる中、僕と冴島は手を繋いで帰った。流石に、バスの中や道中は恥ずかしくて手を離したが、冴島の家に着いた途端に求められた。
「結城」
「え、さ、冴島?」
 僕らは、電気も付けていない薄暗い広い玄関で、靴も脱がずに向かい合った。いや、強制的に壁ドンされ、向かい合わざるを得ない状況になった。
「冴島、えっと、恐いよ?」
 怒っているとか、そういうのではない。色っぽい顔で見つめられ、顎クイしてくる冴島に、今にも食べられてしまいそうなのだ。
「中身は獣って言ったでしょ。ここまで我慢したんだから、褒めてよね」
「んんッ」
 冴島の唇が、僕の唇に触れた。それは、角度を変えては、何度も確認するように繰り返される。
 永遠とキスが終わらないのではないだろうかと思った頃、冴島の唇が離れた。
「結城、好きだよ」
「僕も……好き」
 このまま、恥ずか死ねそうだ。
 優しく微笑む冴島を見ていると、本気で死にそうな程に心臓がうるさいので、それを誤魔化すように聞いた。
「ねぇ、九年前からって、どういうこと? 僕たち、知り合ってもないよね?」
「これ、覚えてない?」
 冴島がポケットから戦隊モノのフィギュアを取り出した。先日はトロフィーの間に飾られていたものだ。
「お守り代わりに、いつも持ち歩いてる」
 優しい手つきでそれを撫でる冴島は、何かを語ろうとして、やめた。
「話すより、見た方が思い出すかも」
「見るって?」
「俺の写真。こっち来て」
 冴島に促され、「お邪魔します」と靴を揃えてから中に入った。
 通されたのは、今まで入ったことのない部屋。
 物置き状態になっているその部屋の隅の方に置かれた段ボール。それを冴島が少し空いたスペースに持ってきた。
「確か、ここに……」
 冴島が膝を床に付いてアルバムを取り出し、数ページ捲った。僕も冷たいフローリングに正座する。アルバムを覗き見れば、幼少期の冴島の姿が写っていた。
「さすが、冴島。子供の時も可愛いね。目がクリクリ」
「惚れた?」
「もう惚れてるよ」
 そんな会話をしつつ、冴島が更にページを進めると、見覚えのある顔があった。
「あれ? この子」
「思い出した?」
 思い出すもなにも、僕はこの子を忘れたことはない。母が笑顔になった日の出来事だからか、鮮明に覚えている。しかし、先程まで冴島の幼少期の写真を見せられていたのに、何故、彼女がここに写っているのだろうか。
 僕は、アルバムの前のページと、その前のページ、それから、後ろのページも捲って見比べた。最後に、冴島の顔を見た。
「え、この子、冴島!?」
 にっこり笑顔で、冴島は頷いた。
「なんで教えてくれなかったの?」
「だって、まだ自立してないから。『七光』のままだと、嫌われるかと思って」
「七光?」
「冴島(みなと)、知らない?」
「知ってる」
 映画やドラマ、CMに至るまで引っ張りだこの大手俳優だ。そして、彼と結婚したのは、人気アナウンサーの……。
「は? 冴島って、あの冴島湊の息子なの!?」
「実はね、そうなんだ。内緒ね」
 口元に人差し指を立てる冴島は、綺麗で格好良くて……いや、今はそれはどうでも良くて、このマンションといい、顔の良さといい、頭の良さに至るまで納得だ。
「ちょっと、僕、出直してくる」
 回れ右して部屋を出ようとすれば、冴島に首根っこを掴まれた。
「結城、それは戻ってくるの?」
「多分、戻らない。ううん、戻れない」
「白鳥高校の変なルール。一年は……なんだっけ?」
「はい。別れられないそうです」
 しかし、裏を返せば、一年で別れられるということだ。
 僕みたいな凡人とは、天と地ほども違う相手。釣り合うはずがない。他に譲らなければ。
「もしかして、一年経ったら別れるとか言わないよね?」
「そんなことは……」
 相変わらず、僕の心の内ばバレバレなようだ。
 冴島に向き直れば、俯き加減に憂いを帯びた表情で言われた。
「俺のこと、嫌い?」
「好きだよ。好きだけど……」
「七光は嫌なんだね」
「七光とかは関係なくて、そもそもの家柄が釣り合ってないと言いますか……」
「やっぱ、別れる気なんじゃん」
 冴島の顔が上がった。しかも、至極不機嫌そう。
「好きなら、別れる必要なくない?」
「そう、だね」
「結城は、なんで俺を選んでくれたの?」
「それは……冴島の笑顔を僕だけのモノにしたかったから。隣に並んで冴島が笑顔を向ける相手が、僕ではない別の誰かだった時、僕は、冴島を祝福できない。だから……」
 本音を伝えれば、冴島に頭を撫でられた。その表情は、僕の回答を聞いて和らいでいる。
「結城は貪欲だね」
「こんな僕は、嫌い?」
「ううん、好き。それに、俺の方が欲張りだし」
「結局、飯塚からチョコ取り返してたもんね」
「だって、あれ俺のだから。さ、一緒にチョコ食べよ」
 冴島はアルバムを閉じて箱に戻し、僕が部屋から出たのを確認してから電気を切った。
 それにしても、さっきの儚げな表情は演技だったのだろうか。演技なら、七光を優に超えている気がする。素人目線なので良くわからないが。
 鞄を床に置いて、いつものソファに座りながら、ケトルでお湯を沸かす冴島に質問してみた。
「冴島も、将来は俳優になるの?」
「俺は、俳優は向いてないから」
「けど、ご両親は、なって欲しいんじゃない?」
「両親は、俺に興味関心ないから」
 やや寂しげな、諦めたように笑う冴島は、僕が作ったブラウニーを箱から取り出し、皿に移した。冷蔵庫に入れてあるのも同様に。僕は、それを取りに腰を上げる。
「興味関心ない人は、護衛なんて付けないんじゃない?」
「は?」
 マグカップにお湯が注がれ、コーヒーの妖精が現れた。それを横目に、僕はブラウニーが乗った皿を手に取りながら言った。
「あの金髪のチャラチャラした人、冴島の護衛って言ってたよ。冴島のお父さんからの依頼って聞いたけど」
 覚えているだろうか。僕がこのマンションを初めて訪れた日のことを。中の入り方が分からず、親切に教えてくれた彼、あれが冴島の護衛。
 僕は日曜の朝も彼に会った。そして、聞かれたのだ。冴島との関係を。僕は怪しい人だと思って無視しようとしたが、あまりにもしつこくて、少し話をした。そこで、護衛であることを聞かされたのだ。
 冴島に何かあったら、真っ先に僕を警察に突き出すらしい。気をつけねば。しかし、何に気をつけるべきだろうか。
「とにかく、無関心な人は護衛なんて付けないから。すれ違いとかあるなら、早めに話し合った方が良いよ。余計なお世話かもだけど」
 皿を机に置いてソファに座れば、冴島もマグカップを二つ机に置いてから隣に座った。
 余計なことを言って怒らせてしまっただろうか。冴島が黙っている。
「冴島……?」
 恐る恐る顔を覗き込めば、瞳が潤んでいた。
「泣いてる?」
「泣くわけないじゃん」
 そう言って、頭をワシャワシャとかき混ぜられた。
「もう、やめてよ」
 髪の毛を手櫛で整えていると、冴島は一口大にカットされたブラウニーをパクッと食べた。
「結城は、やっぱ正義のヒーローだね。いつも俺を救ってくれる」
「けど、あの時は結局一緒に迷子になったよね」
 しみじみと甘いココアを啜れば、冴島がフッと笑った。
「俺は迷子になってないよ」
「え、でも、あの時、記憶違いかな?」
「迷子は迷子でも、心が迷子になってただけだから。昔も今も」
 その言葉は小さくて聞き取れなかったが、冴島の笑顔がそこにあるので、問題ないだろう。僕らは、今日あった悲惨な出来事を笑い話に、ほろ苦いブラウニーを食べた。
 
               〜おしまい〜