翌朝。
教室で鞄の中身を机に移していると、友人の田中が声をかけてきた。
「結城、おはよ」
「おはよ」
「なぁ、聞いた? 今日席替えするんだって」
「そうなの?」
「一番後ろが良いよな。後ろになんないかな。二年生最後の席替えだろうし。頼むよ、神様」
田中は、一人で手をすり合わせて神様にお願いしている。
大抵席替えでは皆後ろを好むが、僕はどちらかと言えば前の方が良い。後ろだと人の頭で黒板が見えにくかったり、先生の声が小さすぎて聞こえない時があるのだ。後から友人にノートを写させてもらうのが手間でしょうがない。場の空気が悪くなるので、僕も後ろが良いと合わせるけれど。
「ついでに、冴島が前後にいると良いよな」
田中に耳打ちされ、廊下側の前から三番目にある、まだ来ていない冴島の席を見た。
「あー、そうだね」
これも話を合わせておく。
冴島が前後にいると、落ち着いて勉強できないので、僕は遠慮したい。現に、夏休み前に一度だけ冴島が後ろにいたことがあった。会話こそしないのだが、後ろにプリントを回す度に、その美しすぎる顔を見てドキリとしてしまう。そして、前に向き直ってからも、常に後ろから見られているような気がして落ち着かない。
故に、僕は一番前の端の方で、ひっそりと冴島以外の誰かのいる環境下を望む。
とはいえ、これはくじ引きなので、田中同様に神頼み以外に術はない。
そんなことを考えていると、冴島が教室に入ってきた。それを目で追っていると、冴島と目が合った。
これまでも、こんなことはよくある。友人に冴島の話をされる度に、僕はそちらを向いてしまうから。
しかし、冴島が廊下側なのに対し、僕は窓際。こういう時は、僕が苦笑を浮かべて、冴島は何も見ていなかったかのように席に着く。きっと今日もそのはず。そのはず……なのに、今日の冴島は、すぐに座らない。机に鞄を置いて、ノートを取り出した。そして、その表紙部分を僕に向かって見せてきた。しかも、ニコリと微笑んでいる。
――トゥクン。
初めて見るその笑顔に、胸が高鳴った。
「え、冴島が、俺のことみて笑ってる」
田中も興奮し始めた。しかし、あの笑顔は僕に対してだ。絶対にそうだ。だって、パッと見分かりにくいが、あのノートには、昨日僕と交換したパンダのシールが貼ってあるのだから。冴島は、それを僕に見せているのだ。
けれど、何故かその事実を田中には教えたくなかった。
「ちょっと、俺、冴島に挨拶してくる」
「あ、うん」
田中が冴島の元に行ったので、僕は先程机に入れた古典のノートを取り出した。そして、表紙を一枚捲ってみる。そこには、しっかりと貼られていた。『冴島柚子』の名前が書かれたシールが。
その文字列を見るだけで、先程の冴島の笑顔が脳裏に浮かぶ。けれど、当の本人の方に目をやれば、田中に話しかけられた冴島は無表情になっていた。会話までは聞こえないが、田中の口は動いているのに対し、冴島の口は動いていない。よく見る光景だ。
始業のチャイムが鳴り、同時に担任の清水先生が入ってきた。クラスメイトらは、各々席に着く。
「よし、みんないるか? 早速、席替えするぞー」
その一言で、前の方の列の生徒は歓喜の声を上げ、後ろの方の席の生徒は落胆の声を上げた。
それでも、清水先生は有無を言わさず名前を呼びあげ、名前を呼ばれた生徒は前に行ってくじを引いた。出欠確認と席替えのくじが同時に出来て、清水先生はご満悦だ。
――そして、僕の新たな席はというと、一番後ろの真ん中の席。しかも、前に冴島がいる。一番望んでない席だ。
「宜しく」
一応声をかけて見れば、心配そうに振り向かれた。
「大丈夫? 見える?」
「あー」
細くてスラッとしている冴島だが、実はクラスの誰よりも身長が高い。頭で黒板の下の方が見えない。しかし、そんなことを正直に言う度胸は持ち合わせていない。
「大丈夫」
そう応える以外の選択肢はない。
それに、横にずれれば見えなくはない。最悪、立てば良い。それよりも、その綺麗な顔面を早く前に向けて欲しい。緊張して手汗まで出てきた。
僕の願いが通じたのか、冴島が前を向いた。
それから、何事もなく一時限目の数学の授業が始まった。
◇◇◇◇
三十分後。
授業に集中出来ない。
黒板を見たいのに、冴島の頭ばかりが目に映る。先生の話を真面目に聞きたいのに、冴島のシャーペンを動かす音ばかりが耳に入ってくる。
「じゃあ、この問いを……結城、解いてみろ」
「え、あ、はい!」
突然当てられ、動揺する。
話を聞いていなかったが、とにかく黒板に書いてある方程式に当てはめれば解けるはず。
「えっと……」
急いでノートにメモ書きをする……が、解けない。
「結城、どうだ? さっき言ったやり方すれば、すぐ解けるはずなんだが」
「で、ですよね……ちょっと待って下さい」
焦れば焦る程、ドツボにハマる。諦めようとしたその時、前から冴島にコソッと声をかけられた。
「三十八」
「え?」
「答え、三十八だよ」
「先生、三十八です!」
僕は冴島の教えてくれた答えをそのまま言った。
「正解だ。じゃあ、次の問いを……」
ホッと胸を撫で下ろしながら、僕は席に着いた。そして、小声で冴島に礼を述べる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
冴島は、チラリと顔だけ後ろに振り返ってから、前に向き直った。
にしても、珍しい。答えを教えてくれて感謝しかないのだが、冴島が授業中に助け舟を出すことなど無いと思っていた。
先月、別の生徒だが、今と同様のことが起きた。冴島の前の席の生徒が英語の授業で困り、冴島に泣きついた。しかし、冴島はその顔を一瞥してから、教科書に目を向けた。
故に、今回自ら助けてくれたことに驚きを隠せない。
(もしや、昨日のシール交換から、僕らは友達になったのかな?)
そんな自惚れた考えをしている時、左隣の席から、ルーズリーフの切れ端が折り畳まれたものが回ってきた。先生にバレないように回す『だるい』だの『めんどい』だのが書かれている、さして重要ではないアレだ。
ひとまず中身を確認。そのまま右隣りに回すつもりだったが、僕はその内容を二度読んだ。
『バレンタインに、誰にチョコあげる?』
その下には、数名の名前が書かれていた。もちろん冴島の名前は一番上にあり、その横には、正の字が既に二つ完成していた。
――バレンタインまで残り五日。
我が白鳥高校は、男子校なのに、いや、男子校だからか、男が男にチョコをあげるのは普通のこと。むしろ、女の子から貰う方が天然記念物だ。
チラリと冴島の頭を見た。
(今のところ、クラスの男子だけで、最低十人に貰うのか……)
書いてない人もいるだろうし、その他のクラスや別の学年の生徒も合わせると、凄いことになりそうだ。
とはいえ、これは誰もが分かりきっていること。僕が気になるのは、その少し下に『結城』という文字があることだ。正の字までは書かれていないにしろ、誰かが僕の名前を書いたのだ。きっと揶揄われているだけだろうが、それでも考えてしまう。誰が僕の名前を書いたのか。
僕は何も書かず、騒つく胸を押さえながら、右隣りに手紙を回した。
教室で鞄の中身を机に移していると、友人の田中が声をかけてきた。
「結城、おはよ」
「おはよ」
「なぁ、聞いた? 今日席替えするんだって」
「そうなの?」
「一番後ろが良いよな。後ろになんないかな。二年生最後の席替えだろうし。頼むよ、神様」
田中は、一人で手をすり合わせて神様にお願いしている。
大抵席替えでは皆後ろを好むが、僕はどちらかと言えば前の方が良い。後ろだと人の頭で黒板が見えにくかったり、先生の声が小さすぎて聞こえない時があるのだ。後から友人にノートを写させてもらうのが手間でしょうがない。場の空気が悪くなるので、僕も後ろが良いと合わせるけれど。
「ついでに、冴島が前後にいると良いよな」
田中に耳打ちされ、廊下側の前から三番目にある、まだ来ていない冴島の席を見た。
「あー、そうだね」
これも話を合わせておく。
冴島が前後にいると、落ち着いて勉強できないので、僕は遠慮したい。現に、夏休み前に一度だけ冴島が後ろにいたことがあった。会話こそしないのだが、後ろにプリントを回す度に、その美しすぎる顔を見てドキリとしてしまう。そして、前に向き直ってからも、常に後ろから見られているような気がして落ち着かない。
故に、僕は一番前の端の方で、ひっそりと冴島以外の誰かのいる環境下を望む。
とはいえ、これはくじ引きなので、田中同様に神頼み以外に術はない。
そんなことを考えていると、冴島が教室に入ってきた。それを目で追っていると、冴島と目が合った。
これまでも、こんなことはよくある。友人に冴島の話をされる度に、僕はそちらを向いてしまうから。
しかし、冴島が廊下側なのに対し、僕は窓際。こういう時は、僕が苦笑を浮かべて、冴島は何も見ていなかったかのように席に着く。きっと今日もそのはず。そのはず……なのに、今日の冴島は、すぐに座らない。机に鞄を置いて、ノートを取り出した。そして、その表紙部分を僕に向かって見せてきた。しかも、ニコリと微笑んでいる。
――トゥクン。
初めて見るその笑顔に、胸が高鳴った。
「え、冴島が、俺のことみて笑ってる」
田中も興奮し始めた。しかし、あの笑顔は僕に対してだ。絶対にそうだ。だって、パッと見分かりにくいが、あのノートには、昨日僕と交換したパンダのシールが貼ってあるのだから。冴島は、それを僕に見せているのだ。
けれど、何故かその事実を田中には教えたくなかった。
「ちょっと、俺、冴島に挨拶してくる」
「あ、うん」
田中が冴島の元に行ったので、僕は先程机に入れた古典のノートを取り出した。そして、表紙を一枚捲ってみる。そこには、しっかりと貼られていた。『冴島柚子』の名前が書かれたシールが。
その文字列を見るだけで、先程の冴島の笑顔が脳裏に浮かぶ。けれど、当の本人の方に目をやれば、田中に話しかけられた冴島は無表情になっていた。会話までは聞こえないが、田中の口は動いているのに対し、冴島の口は動いていない。よく見る光景だ。
始業のチャイムが鳴り、同時に担任の清水先生が入ってきた。クラスメイトらは、各々席に着く。
「よし、みんないるか? 早速、席替えするぞー」
その一言で、前の方の列の生徒は歓喜の声を上げ、後ろの方の席の生徒は落胆の声を上げた。
それでも、清水先生は有無を言わさず名前を呼びあげ、名前を呼ばれた生徒は前に行ってくじを引いた。出欠確認と席替えのくじが同時に出来て、清水先生はご満悦だ。
――そして、僕の新たな席はというと、一番後ろの真ん中の席。しかも、前に冴島がいる。一番望んでない席だ。
「宜しく」
一応声をかけて見れば、心配そうに振り向かれた。
「大丈夫? 見える?」
「あー」
細くてスラッとしている冴島だが、実はクラスの誰よりも身長が高い。頭で黒板の下の方が見えない。しかし、そんなことを正直に言う度胸は持ち合わせていない。
「大丈夫」
そう応える以外の選択肢はない。
それに、横にずれれば見えなくはない。最悪、立てば良い。それよりも、その綺麗な顔面を早く前に向けて欲しい。緊張して手汗まで出てきた。
僕の願いが通じたのか、冴島が前を向いた。
それから、何事もなく一時限目の数学の授業が始まった。
◇◇◇◇
三十分後。
授業に集中出来ない。
黒板を見たいのに、冴島の頭ばかりが目に映る。先生の話を真面目に聞きたいのに、冴島のシャーペンを動かす音ばかりが耳に入ってくる。
「じゃあ、この問いを……結城、解いてみろ」
「え、あ、はい!」
突然当てられ、動揺する。
話を聞いていなかったが、とにかく黒板に書いてある方程式に当てはめれば解けるはず。
「えっと……」
急いでノートにメモ書きをする……が、解けない。
「結城、どうだ? さっき言ったやり方すれば、すぐ解けるはずなんだが」
「で、ですよね……ちょっと待って下さい」
焦れば焦る程、ドツボにハマる。諦めようとしたその時、前から冴島にコソッと声をかけられた。
「三十八」
「え?」
「答え、三十八だよ」
「先生、三十八です!」
僕は冴島の教えてくれた答えをそのまま言った。
「正解だ。じゃあ、次の問いを……」
ホッと胸を撫で下ろしながら、僕は席に着いた。そして、小声で冴島に礼を述べる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
冴島は、チラリと顔だけ後ろに振り返ってから、前に向き直った。
にしても、珍しい。答えを教えてくれて感謝しかないのだが、冴島が授業中に助け舟を出すことなど無いと思っていた。
先月、別の生徒だが、今と同様のことが起きた。冴島の前の席の生徒が英語の授業で困り、冴島に泣きついた。しかし、冴島はその顔を一瞥してから、教科書に目を向けた。
故に、今回自ら助けてくれたことに驚きを隠せない。
(もしや、昨日のシール交換から、僕らは友達になったのかな?)
そんな自惚れた考えをしている時、左隣の席から、ルーズリーフの切れ端が折り畳まれたものが回ってきた。先生にバレないように回す『だるい』だの『めんどい』だのが書かれている、さして重要ではないアレだ。
ひとまず中身を確認。そのまま右隣りに回すつもりだったが、僕はその内容を二度読んだ。
『バレンタインに、誰にチョコあげる?』
その下には、数名の名前が書かれていた。もちろん冴島の名前は一番上にあり、その横には、正の字が既に二つ完成していた。
――バレンタインまで残り五日。
我が白鳥高校は、男子校なのに、いや、男子校だからか、男が男にチョコをあげるのは普通のこと。むしろ、女の子から貰う方が天然記念物だ。
チラリと冴島の頭を見た。
(今のところ、クラスの男子だけで、最低十人に貰うのか……)
書いてない人もいるだろうし、その他のクラスや別の学年の生徒も合わせると、凄いことになりそうだ。
とはいえ、これは誰もが分かりきっていること。僕が気になるのは、その少し下に『結城』という文字があることだ。正の字までは書かれていないにしろ、誰かが僕の名前を書いたのだ。きっと揶揄われているだけだろうが、それでも考えてしまう。誰が僕の名前を書いたのか。
僕は何も書かず、騒つく胸を押さえながら、右隣りに手紙を回した。



