男子校のバレンタインは、戦場です。

 始業開始五分前。
 教室には、既に冴島が席に着いていた。
「冴……」
 声をかけようとしたら、クラスの半数以上に睨まれた。

 ――そうだった。

 モテモテの冴島には、教室内にいる時に声をかけてはいけない決まりがあった。もちろん、手紙の類もNGだ。
 それは、去年のこと。冴島とクラスメイトであれば、いつでも告白できる。それを良く思わない先輩らが、勝手に決めたのだ。しかも、監視役はクラスメイトの冴島ファン全員だ。それでも、僕のように冴島の後ろの席になった男子は、チャンスとばかりにチョコを渡した。その後、彼は帰らぬ人になったとかならなかったとか……。
 とにかく、恐ろしい結末になること間違いなしなので、僕は教室内でチョコをあげることは勿論、声をかけることすら出来ない。
 とはいえ、今朝の惨状を見せられた今となっては、鬼ごっこのバリアのような役割の教室内は、冴島にとって憩いの場。声をかけられなくとも問題ない。しっかりと休んでもらおう。
 黙って机の上に鞄を置けば、睨まれた視線の数々は他所を向いた。安堵したのも束の間、冴島が振り返った。
「結城、遅かったね」
「あー……」
 冴島本人から声をかけられた場合は、どうなのだろうか。クラスメイトらもざわついている。
 しかし、皆がざわついているのは、その疑問ももちろんあるが、おそらく、学校では全くといって良いほど喋らない冴島が、気軽に僕に話しかけていることに対してもだろう。冴島曰く、僕以外には挨拶すらしないようなので、声も聞いたことがないのかもしれない。
 僕自身、どうして良いか分からない。
 口ごもっていると、冴島が怪訝な顔で立ち上がった。そして、僕のネクタイをキュッと締めた。
「ネクタイ、歪んでる。バスの中では、歪んで無かったよね?」
 もう、ざわつきは収まりそうにない。
 黙っていると、冴島がブレザーのボタンを外し始めた。
「ボタン、ズレてる」
 良く見れば、ブレザーの三つのボタンが、一つずつズレてとめられていた。何とも間抜けだ。
 ネクタイもボタンも、飯塚のところから逃げるために急いでいたせいだろう。しかし、そのことを伝えても良いものだろうか。あれほど、僕は大丈夫と言っておいて、初っ端からこれだ。情けない。
「さっき、走って暑かったから……」
 ひとまず、苦し紛れの言い訳をして、その場をやり過ごすことにした。これから、誰かと二人きりにならないよう気を付ければ良いだけの話だ。僕は、冴島が好きなのだから。
 そう思って自分でブレザーのボタンを留め直しながら誤魔化した時だった。飯塚も「おはー」と、だるそうな声を出しながら、教室の後ろ扉から入ってきた。
「なにごと?」
 教室中がどよめいていることに、いぶかしげな顔をした飯塚だが、そのまま自身の席がある窓際の方に向かった。そして、僕の後ろを通り過ぎる直前、耳打ちしてきた。
「結城も誰かにあげる予定なんだ?」
「え?」
 不敵に笑う飯塚は、モッズコートの内側から、ちらりと赤い何かを見せてきた。よくよく見れば、それは僕が冴島に渡す用のチョコだ。
「ちょ、それ……」
 急いで自身の鞄の中身を確認すれば、教科書の横に飯塚に貰ったチョコしか入っていなかった。
 飯塚の手が、僕の肩にポンと置かれた。
「返してほしかったら、昼休憩に体育館倉庫な。勿論、一人で」
 始業のチャイムと同時に、飯塚は自分の席に向かって歩いていった。
 僕も席に着いて、その場に項垂れた。
「どうしよ……」
 体育館倉庫なんて、さっきの続きが再開されるだけに決まっている。分かり切って行くほど、僕は馬鹿じゃない。しかし、チョコが無ければ、冴島に告白が出来ない。それに、あの中には、冴島に宛てた手紙も入れている。
「結城? もしかして、飯塚に」
「はは、なんでもないよ。先生、来るよ」
 困った時の愛想笑いを浮かべ、心配そうに見てくる冴島に席に着くよう促した。冴島は渋々席に着いたが、それでも納得していないのが後ろ姿から滲み出ている。そして、クラスメイトらは、殺気立った様子で未だ冴島を見ている。
 余談だが、白鳥高校の掟の中には、付き合い始めたカップルは、翌日には全体に公言しなければならないというのもある。浮気防止や牽制目的の為だが、何より次回の告白タイムでターゲットにされないためだ。
 つまり、僕と冴島がこの度付き合うことになったなら、冴島をイヤらしい目で見る者がいなくなる。冴島自身も、学校で素が出せるようになるかもしれない……というのは、偽善だ。本心は、冴島と僕との仲を自慢したい。冴島が、本当はとてもお喋りで、お茶目な一面があることを言いふらしたい。僕の前でだけ見せる笑顔があることを僕は言いふらしたくてしょうがないのだ。
 冴島の後ろ姿に誓った。
(絶対、チョコ、取り返してくるから。待ってて)