男子校のバレンタインは、戦場です。

 冴島と過ごす休日もあっという間に終わり、毎週恒例憂鬱な月曜日がやってきた。
 いつものようにバス停の列に並び、バスを待つ。
 しかし、今日は思った以上に鬱ではない。その理由は、分かっている。その理由とは――。
「冴島、おはよ」
「おはよ。感動の再開だね」
「感動の再開って、十二時間しか経ってないよ」
「十三時間二十三分。半日以上経ってるから」
 何故か僕のことが大好きな冴島と一緒に登校出来るからだ。
  冴島と接することに初めこそ緊張していたが、今となっては自然に……とまではいかないにしても、一緒に過ごす時間が楽しいと思うようになった。
 ただ、この優しく微笑まれるのには、未だ慣れない。バスに乗り込みながら、不意打ちで振り向きざまにされたものだから、思わずICカードを落としてしまった。
「結城、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
 ICカードを拾って、カードリーダーにタッチする。
 この時間帯は混んでいるので、自然と優先座席の前に二人で吊り革につかまる。
 そこに貼られているバレンタインのチラシを見て、ふと思い出したように冴島に声をかけた。
「冴島。僕、今日の放課後の勉強会、やっぱパスするよ」
「毎日の約束は?」
 不機嫌そうな顔を向けられ、やや怯む。けれど、勉強会に参加していたら、時間がないのだ。
 僕は、バレンタインのチラシに再度目をやりながら言った。
「あれ準備しないと返事出来ないし。初めての挑戦だから、失敗するかもしれないし。明日からじゃ、ダメ?」
 女の子みたいに可愛い仕草が出来れば、一瞬で悩殺出来たのだろうが、何せ僕は平々凡々な男だ。ただただ冴島を見上げれば、冴島の目が少し大きく見開かれた。
「まさか、手作りしてくれんの?」
「そうだけど……」
 先日、冴島から『結城裕樹からのチョコが欲しい』と言われたので、てっきり僕の手作りを御所望なのかと思っていた。この反応は、買ったものでも良かったらしい。
「なんだ。買ったもので良いなら、帰りに買って帰るだけだから、勉強会出来るね。田中にも延期ってメッセ送っちゃったから、やっぱやるって言っとくね」
 スマホをポケットから取り出せば、冴島に奪い取られた。
「ちょ、冴島」
「勉強会、中止で大丈夫。作って」
「でも、約束……」
「そんなのどうでも良いから。作って」
 冴島の圧が凄い。
「わ、分かった」
 にしても、勉強会を毎日するという約束を破れず、土日に冴島の家に行ったのに、その約束を「どうでも良い」とは……僕の休日を返してくれと言いたい。言わないけれど。

◇◇◇◇

 そんなこんなで、放課後。
 僕は、またもや冴島の家にお邪魔している。
「って、本人目の前にして作るのおかしくない?」
「だって、もっと一緒にいたかったんだもん」
「だもんって……」
 呆れたように見るが、内心、甘える冴島が可愛いく見える。それに、学校とプライベートのギャップが違いすぎて、沼にハマりそうだ。
 登校中、バスに乗っている途中まではニコニコ笑顔だった冴島が、同じ白鳥高校の生徒が乗り込んできた辺りから、真顔に変わったのだ。口数も減り、ただ横に一緒にいるだけ。学校の休憩時間も、冴島は前を向いたまま一度も振り返らない。いや、一度くらいは振り返ったが、後ろの黒板に用があるだけ。目は合わない。
 怒らせてしまったのかと思ったが、前にも言っていたように、冴島が笑うとファンが増える。冴島は、勘違いした輩が話しかけにくるのが鬱陶しいらしい。しかし、こうやって二人きりになれば、この笑顔。よく喋るし、僕だけ特別な気がして、自然と顔が綻ぶ。
 緩んだ顔を見られ、照れた僕は、誤魔化すようにアイランドキッチンのシンクをひと撫でした。
「てか、キッチン。広すぎ。うちの三倍はあるよ」
「明日からは正式な恋人同士だし、いつでも使いにきて良いからね」
「準備するだけで、まだあげると決まった訳では……」
 作るには作るが、あげるかどうかは別の話だ。僕の気持ちは、まだ定まっていない。ひとまずチョコを作ってから考えるだけ。チョコがないと返事が出来ないので。
 材料をボールに投入して混ぜていると、冴島が僕の後ろから覗き見てきた。
「ちょっと、冴島。見ないでよ。こういうのは、開けてビックリさせたいんだから」
「結末が分かってる方が、それなりのリアクションが取れるよ」
「それは、不味そうってこと?」
「そうは言ってないよ。結城の愛情がこもってたら、味なんてどうでも良いから」
「冴島……」
 振り返れば、冴島とばっちりと目が合った。見つめ合った僕らは、自然と引き寄せられるように唇と唇が……当たる寸前で、前に向き直った。
(危ない、危ない。またもや空気に流されるところだった)
 実は、昨日一昨日、冴島は事あるごとに恋人繋ぎをしてくる。『これ以上何もしないから!』とお願いされた僕は、知っての通り断りきれずにいた。何となく、既に付き合っているような感覚に陥ってしまうのだ。
 僕が手を繋ぐことを拒んでいないことが、冴島からの告白の答えな気はする。しかし、それでも『好き』かと問われれば、分からない。
「ねぇ、結城。スキー台って十回言って」
「え、いきなり十回クイズ? 僕、そういうの騙されないよ」
「良いから。言って」
「ったく、分かったよ。スキー台、スキー台、スキーダイ、スキーダイスキーダイスキーダイスキ、ダイスキ、ダイスキ、大好き……って、これ」
「へぇ、結城は俺のこと大好きなんだ。へぇ」
 冴島は、上機嫌だ。引っかかった僕は、不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「結城、怒ってる?」
「こんなことで怒んないし」
「それなら良かった。じゃ、こうしても怒んないかな?」
 冴島が僕の肩に顎を乗せて来た。と同時に、後ろから腰に手を回され、ハグされた。
「ちょ、冴島。良い加減に」
「こぼれるよ」
 混ざった材料を型に流し込んでいるところなので、身動きが取れない。
「だ、誰のせいだと……」
「俺のせいで、こんな赤くなってんの?」
 耳元で囁かれ、手元が狂ってしまった。少しだけ生地がこぼれた。
「あーあ」
「だから、誰のせいだと……」
 こぼれてしまった生地を布巾で拭きながら、僕はずっと聞きたかったことを質問してみた。
「てか、冴島は、僕のどこが良いの?」
「んー、顔も声も仕草も性格も全部だけど、強いて言うなら、正義感強いところかな」
「正義感なんて……」
「あとは、俺にドキドキしてくれてるところ」
 冴島に顔を覗き込まれ、更に鼓動が早くなる。
「オ、オーブン。借りるね」
「どうぞ」
 冴島の温もりが遠ざかった。ホッとする反面、やや寂しい気持ちになってしまう。
 シンクにもたれかかる冴島は、僕がオーブンに型を入れてスイッチを押す様を眺めながら呟いた。
「バレンタインが終わったら、すぐ三年生かぁ」
「あっという間だよね」
 せっかく冴島と仲良くなれたのに、三年生になったらクラスが離れ離れかもしれない。僕がチョコをあげなければ、それこそ一生離れ離れだ。せめて、友達でも良いから一緒にいたい。
「あのさ、冴島。連絡先、交換しない?」
「しない」
 即答された。普通にショックだ。
「結城のことだから、付き合わなくても、友達として仲良くしたいとかでしょ?」
「そ、そんなことは……」
 僕の心の内はバレバレなようだ。
 冴島は、俯き加減に儚げな表情で言った。
「友達止まりは嫌。俺は、結城が欲しい。結城が誰かのものになるのを友達として呑気に見ることは出来ない」
「冴島……」 
 僕は、反対の立場で考えた。
 友人として、僕は冴島の幸せを願えるだろうか。
 幸せになってもらいたいとは思う。けれど、冴島を幸せにするのが、僕ではない別の誰かだった時。隣に並んで冴島が笑顔を向ける相手が、僕ではない別の誰かだった時。僕は、冴島を祝福できるだろうか。
(なんだ……答えは出てるじゃん)
 僕は、流しの水がお湯になるように微調整してから、スポンジに洗剤を数滴垂らした。
「冴島、シール交換してくれてありがとう」
「なに、急に」
「あれが無かったら、僕は多分ここにいないから」
 そして、冴島の気持ちを知ることもなく、何気ない日常をただ平凡に過ごしていたと思う。バレンタインというイベントに参加することも無かっただろう。それもこれも、シール交換をした時から始まったのだ。あの時から、僕の中で冴島の印象が変わり、もっと知りたいと思った。もっと一緒にいたいと思ってしまったのだ。
「あ、そうだ。冴島」
「ん?」
「バレンタインで付き合ったカップルは、次のバレンタインまでは別れられないルールがあるの知ってる?」
「そうなの?」
「そう。それでも、僕にチョコ、もらいたい?」
 念のため最終確認をすれば、洗ったボールの水気を冴島が布巾で拭きとり始めた。そして、無邪気な笑顔を向けてきた。
「もらいたい。けど、一年じゃ少なすぎ。五百年一緒にいよ」
「五百年って……」
「来世も、その次も」
「じゃあ、その次は冴島から解放される訳だ」
 揚げ足取りをすれば、足で膝裏を軽く蹴られた。
「む、何すんの?」
「手が使えないから」
「だからって、蹴らなくても」
「手加減はしてるし」
 そんなやり取りが楽しくて、二人で笑い合った。
 明日、僕は冴島に告白しよう。好きだと伝えよう。
 この時の僕は、男子校のバレンタインで、それがどれほど難しいことなのか、全く分かっていなかった――――。