男子校のバレンタインは、戦場です。

 勉強会初日は無事に終わり、翌日である今日もまた、何だかんだ言い逃れできず、冴島の家で勉強会をしている。
 ちなみに、今日に限ってはバイトも無い。故に、朝から冴島のマンションを訪れ、ランチまで共にした。
「これは、もはや付き合っていると言っても過言ではないね」
「はは、過言だよ」
 苦笑で返す僕だが、数日前は、冴島がこんなにも上機嫌に笑うなんて思ってもみなかった。この世は、話してみないと分からないことが多いようだ。そして、分からないことがもう一つ。
「冴島、なんの勉強してんの? それ、試験範囲じゃないよね?」
「試験範囲だよ」
「うそ、そんなの絶対ないって。そもそも、僕の持ってる教科書と違うし」
 冴島が数学の勉強をしているのだが、どうみても僕の習ったものではない。難しそうな、何と読むのかもわからない記号の数々が並んでいる。
 しかし、冴島は平然と言ってのけた。
「大学受験は、何が出るか分からないから。一通りできるようにしておかないと」
「大学……受験、ですか」
 一週間後の期末試験の勉強で苦戦している僕は、ついていけそうにない。大学受験なんて、三年生の夏からで良いやと呑気に考えていた。受ける学校すら、まだ決めていない。
「ちなみに、どこの大学受験するの?」
「内緒」
「えー、なんで? 教えてくれても良いじゃん」
「落ちたら格好悪いから。受かったら教える」
 視線をノートに戻す冴島とは、きっと大学は離れ離れになるのだろう。そう思うと、何だか胸の辺りが、どんよりと重たい気分になった。
 そんな気持ちを誤魔化すように、僕は化学の教科書に目を移した――。

◇◇◇◇

 三十分後。
「結城、休憩しよっか」
「良いけど、朝から休憩しかしてない気も……」
 そう、僕らは勉強会の名目で集まっているのにも関わらず、実は、ほぼ休憩しかしていない。
「だって、せっかく結城といるのに、一人で出来る勉強ばっかしても勿体無いじゃん」
「まぁ、試験は来週からだし、最悪一夜漬けでも良いけど……」
 冴島がキッチンに向かったので、僕も渋々手を止めて畳の部屋からリビングのソファへと移動した。
「結城は、ココアで良い?」
「あー……」
 僕は、コーヒーばかり飲む冴島に対し、毎回甘いジュースやらココアを選択している。冴島の中でお子ちゃま認定されてしまっている可能性大だ。ここは、少し見栄を張ってみよう。
「僕もコーヒーで」
「飲めるの?」
「飲める」
 まだ挑戦したことはないが、口に含んで喉を通過させれば良いのだ。ただそれだけのこと、出来ない訳がない。
 穏やかな表情でインスタントコーヒーを淹れる冴島を見ていると、何だか――――。
「新婚さんみたいだね」
 にっこり笑顔で、思ったことを言われてしまった。しかも、言葉に出されたことで、動揺が隠せない。
「し、新婚さんって、どっちがお嫁さんなの?」
 動揺しすぎて、変な質問をしてしまった。
「そんなの、結城の方でしょ」
「で、でも、冴島の方が綺麗な顔してるし」
「ありがとう」
 マグカップを二つ持った冴島が、間近でニコリと微笑んだ。
 胸がトゥクンと跳ね、頬を赤くさせる僕の前に、黒い液体の入った白いマグカップが置かれた。湯気がたって、熱そうだ。
 ふーふーしながらマグカップに口をつけた瞬間、隣に座った冴島が耳元で囁いた。
「中身は野獣だよ」
「んッ! ケホ、ゴホッ、ケホッ」
 口に含んだコーヒーでむせてしまった。
「ちょ、熱いの飲んでるのに、変なこと言わないでよ。てか、苦ッ」
 思った以上に苦いコーヒーを机の上に置いた。
「砂糖とミルク、入れる?」
 冴島が、砂糖とミルクが入ったオシャレな小皿を机の中央に置いた。僕は角砂糖を三つコーヒーに入れた。
「あるなら先に言ってよ」
 文句を言いつつ、ミルクも入れる。
「出す前に、結城が飲んだんでしょ」
「うッ」
 返す言葉もない。
 甘くなったコーヒーに、もう一度チャレンジしてみる。
 ふーふーして、ひと口……。
「どう? 甘くなった?」
「甘い、けど……」
「美味しくないんだね」
「そんなことは」
「無理しなくて良いって。結城、分かりやすすぎ」
 クスクス笑う冴島は、グレーのマグカップに入った液体を少し飲んでから、僕の白いマグカップと取り替えた。
「俺が飲んだので良ければ、どうぞ」
「この色と匂いは……ホットミルク?」
「結城が飲めなかったらと思って」
「冴島……」
 思った以上に気が利いて優しい奴だと思ったのも束の間、冴島はマグカップの縁を指差した。
「結城、ここから飲んでね」
「え? 飲む位置指定されたの初めて。何かあるの?」
「良いから、飲んで」
「分かった」
 言われた位置から飲めば、冴島が悪戯に笑った。
「そこから飲んだら、俺と間接キス出来るんだ」
「ブッ」
 次はホットミルクを吹き出しそうになった。
「ちょ、小学生みたいなことしないでよ。しかも、わざわざ白いホットミルクにして分からなくするって、確信犯じゃん!」
「だって、せっかくだから」
「せっかくの意味が分からん……」
 呆れる僕の横で、冴島は嬉しそうにコーヒーの入ったマグカップに口を付けた。もちろん、僕が飲んだ場所だ。
 けれど、憎めないのは何故だろう。結局、僕らは目を合わせて笑い合った。
 ――それから、冴島たっての希望で、二人でホラー映画を観て過ごした。怖いのが得意な僕は、「ぎゃー」と悲鳴をあげて冴島にしがみつくような策略に引っかかる事なく、落ち着いて観た。終わった後の冴島はガッカリした様子で、少し可愛いなと思った。