覚悟を決めて目を瞑ってから数十秒。何も来ない。近付いてくる気配すらない。
チラリと片目を開ければ、冴島がフッと笑った。
「そんなに隙だらけだと困るんだけど。結城からチョコ貰うまで、絶対に油断できないじゃん」
冴島は僕の上から退いて、下に落ちてしまった本を拾った。それの表紙をパッパと軽く払いながら、ソファに改めて脚を組んで座る。僕も呆気に取られながら、その横に膝をくっつけて行儀良くよく座り直す。
「えっと、油断できないって……?」
「結城、俺以外からも狙われてること、忘れてない?」
「冴島以外から?」
首を傾げて暫し考えれば、ふと授業中に回ってきた手紙のことを思い出した。
「もしかして、バレンタインの?」
「そう。多分、飯塚」
「え!? まさか。飯塚って、あの飯塚だよ!?」
クラスの一軍にいる陽キャ男子。冴島ほどの美貌は持ち合わせていないにしても、それなりの顔をした飯塚は、超が付くほどの女好き。可愛い子がいれば、とっかえひっかえしているという噂だ。武勇伝のように自分で話しているのを僕も聞いたことがある。だから、飯塚が男の僕を狙っているはずはない。決してない。断言できる。
「あの噂、全部嘘だよ。自分がゲイだって、周りから思われたくなかったんじゃない?」
「いやいや、仮にそうだとしても、僕と飯塚に接点なんて……」
「あるでしょ?」
「うん。あった」
体育祭実行委員で、一緒に看板づくりをしたり、一緒にテントを張ったり、一緒に受付したり、一緒に打ち上げにも参加した。そして、言われた気がする。
『結城って、どんな男がタイプ?』
『え? 男? 分かんないけど……黒髪の方が良いかな』
なんてテキトーなことを応えた次の日には、茶色かった髪が、黒になっていた。
「いやいやいや、僕の一言で黒髪になんてしないって。偶然だって」
「断言できる?」
「う……できない」
「結城のことを目で追ってるし、同種の俺が言ってるんだから間違いないよ。だから、早く俺のモノになって安心させて」
優しく頭を撫でてくる冴島を見ていると、自然と首が縦に動いた。
「分かった。冴島が不安なら……」
って、僕は何を言っているのか。
今のは、ただの言葉のあやというやつだ。本意ではない……と思いたい。しかし、言葉にしてしまったものは、元に戻らないようだ。
「結城……」
冴島は、感極まったような表情で口元に手を当てている。
「冴島、今のは」
「看病の甲斐があったってことかな?」
「あれは、正直嬉しかったけど……って、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
優しく見つめられ、何も言えなくなった。
今否定すると、この関係は終わってしまうのだろうか。冴島は、もう僕に関わってくれなくなるのだろうか。数日前の日常に戻るだけなのに、冴島がいないと思うだけで……この笑顔が見られなくなると思うだけで、僕は……。
「冴島。返事はチョコでするから」
とにかく、バレンタインデーまで残り三日。僕は真剣に向き合おう。成り行きに任せたり、反対に照れ隠しで逃げたりはせず、本気で冴島に向き合おう。そう、トロフィーとトロフィーの間に飾られている戦隊モノのフィギュアに誓った。
(あれ、懐かしいな。子供の頃に大好きだったヒーローだ)
昔を思い出しながら、ふと上の方にかけられているカレンダーが目に映る。気のせいだろうが、火曜日の二月十四日が、やけに強調してみえる。
「火曜日の朝一で頂戴ね」
「なんで朝一? てか、まだ、あげると決まった訳では……」
「バレンタインの日って、凄いんだから。それに、その日を逃すと、次は来年の文化祭。やっぱ俺にしたい! ってなっても、半年以上先だよ。良いの?」
冴島の圧が凄い。
とはいえ、次の火曜日を逃すと、冴島の言う様に、付き合えるのは半年以上先の文化祭になってしまう。早々に決断しなければ。
というのも、我が白鳥高校は、誰が決めたのか、秋の文化祭とバレンタインデー以外で告白することはNGになっている。好き好きアピールは別だが、年に二回しか告白のチャンスは許されない。もしも、それを破って付き合おうものなら……恐ろしくて口に出すのも悍ましい……とだけ言われている。現にどうなるかはわからないが、皆、真面目にそれを守り通している。
ちなみに、家にまで押しかけてはいけない決まりにもなっており、学校または道中で事を済ませないといけない。
あげる方もタイミングを見計らったりと大変だが、貰う方は貰う方で大変らしい。何故なら、年に二回しか告白のチャンスがない我が校の生徒は、それはもう獣と化すのだ。
仮にイエスなら、それでカップリング成立で問題なし。しかし、答えがノーの場合、断られた者は引き下がるのかと思いきや、ほぼほぼ引き下がらない。むしろ、自分の魅力をアピールしようと二人きりになり、発情期真っ只中の野獣の如く襲ってくるのだとか。首を縦に振るまで、逃がしてもらえないケースは多々ある。
「てか、冴島。他校の生徒にならいつでもOKだけど、僕、白鳥高校の生徒だから。誰も見てないからって、文化祭とバレンタイン以外で告るのNGだよ」
「大丈夫。『好き』って言ってないから」
「え? でも……」
僕は告られた……と思っていた日のことを思い出す。
あれは、冴島と夜の公園に行った時だった。寒くて、冴島が手を繋いでコートのポケットの中で暖めてくれた。そして、それは恋人繋ぎに変わり――。
『これが、俺の気持ち。返事は、チョコで、教えて』
確かに“好き”だとは、言われていない。
「策士だ……」
「本当は俺だってバレンタインにって思ってたけど、結城が何でも願いを聞いてくれるって言うから」
「う……」
それに関しては、返す言葉もない。『何でも』なんて、軽はずみなことを言うべきでないことは学習した。
「……?」
ソファの上に置いていた手に、何かが触れた気がした。そこに視線だけ向けると、冴島の小指が僕の小指に触れようと小さく動いていた。そして、つんと当たった瞬間、自然と二つの手が絡み合った。
(こうやって、手は繋がれるのか……)
他人事のように考えてその場をやり過ごさなければ、平常でいられそうにない。
絡み合ったその手の甲を親指の腹でなぞられ、鼓動が早鐘を打つ。
「さ、冴島」
「安心して。これ以上は、何もしないから」
僕は、視線を再びフィギュアに戻してから、コクコクと頭を縦に振った。
「可愛い」
クスッと笑いながら言われ、かぁッと耳まで赤くなったのが分かった。それを隠すように、話を戻す。
「け、けど、モテモテの冴島からすると、告白されるのが年二回って有難いことなのかもね。毎日とか、うんざりしそうだし」
「どっちもどっちかな。いつでも告ることが出来た方が、あんなに理性は吹っ飛ばないと思うし」
「な、なるほど」
様々な見解があるが、とにかく冴島にとっての今年の厄日は次の火曜日らしい。
「分かってる? 結城もだよ」
「僕は、飯塚の一人だし。どうにか……」
呑気に返答していると、冴島に大きく溜め息を吐かれた。
「俺から絶対離れないで。分かった?」
「わ、分かった」
「じゃ、勉強会の続き、しよっか」
そう言って手を離すのかと思いきや、冴島は流暢に英単語を口にした。
「concentrate」
「え?」
「ほら、concentrateの意味。二人で問題出し合った方が、覚えが早いから」
「あ、そ、そっか。えっと……」
――それから僕らは、手を繋いだまま英語の問題を出し合った。否、冴島ばかりが先生のように問題を出した。教科書も手元にないのに、僕は試験範囲の英単語など分からない。
分かるとするならば、冴島は、僕らのような偏差値五十二の男子校にいるべき人間ではないことだ。もしも、この学校を選んだ理由が僕なんて言った日には、土下座をして詫びよう。そう思った。
チラリと片目を開ければ、冴島がフッと笑った。
「そんなに隙だらけだと困るんだけど。結城からチョコ貰うまで、絶対に油断できないじゃん」
冴島は僕の上から退いて、下に落ちてしまった本を拾った。それの表紙をパッパと軽く払いながら、ソファに改めて脚を組んで座る。僕も呆気に取られながら、その横に膝をくっつけて行儀良くよく座り直す。
「えっと、油断できないって……?」
「結城、俺以外からも狙われてること、忘れてない?」
「冴島以外から?」
首を傾げて暫し考えれば、ふと授業中に回ってきた手紙のことを思い出した。
「もしかして、バレンタインの?」
「そう。多分、飯塚」
「え!? まさか。飯塚って、あの飯塚だよ!?」
クラスの一軍にいる陽キャ男子。冴島ほどの美貌は持ち合わせていないにしても、それなりの顔をした飯塚は、超が付くほどの女好き。可愛い子がいれば、とっかえひっかえしているという噂だ。武勇伝のように自分で話しているのを僕も聞いたことがある。だから、飯塚が男の僕を狙っているはずはない。決してない。断言できる。
「あの噂、全部嘘だよ。自分がゲイだって、周りから思われたくなかったんじゃない?」
「いやいや、仮にそうだとしても、僕と飯塚に接点なんて……」
「あるでしょ?」
「うん。あった」
体育祭実行委員で、一緒に看板づくりをしたり、一緒にテントを張ったり、一緒に受付したり、一緒に打ち上げにも参加した。そして、言われた気がする。
『結城って、どんな男がタイプ?』
『え? 男? 分かんないけど……黒髪の方が良いかな』
なんてテキトーなことを応えた次の日には、茶色かった髪が、黒になっていた。
「いやいやいや、僕の一言で黒髪になんてしないって。偶然だって」
「断言できる?」
「う……できない」
「結城のことを目で追ってるし、同種の俺が言ってるんだから間違いないよ。だから、早く俺のモノになって安心させて」
優しく頭を撫でてくる冴島を見ていると、自然と首が縦に動いた。
「分かった。冴島が不安なら……」
って、僕は何を言っているのか。
今のは、ただの言葉のあやというやつだ。本意ではない……と思いたい。しかし、言葉にしてしまったものは、元に戻らないようだ。
「結城……」
冴島は、感極まったような表情で口元に手を当てている。
「冴島、今のは」
「看病の甲斐があったってことかな?」
「あれは、正直嬉しかったけど……って、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
優しく見つめられ、何も言えなくなった。
今否定すると、この関係は終わってしまうのだろうか。冴島は、もう僕に関わってくれなくなるのだろうか。数日前の日常に戻るだけなのに、冴島がいないと思うだけで……この笑顔が見られなくなると思うだけで、僕は……。
「冴島。返事はチョコでするから」
とにかく、バレンタインデーまで残り三日。僕は真剣に向き合おう。成り行きに任せたり、反対に照れ隠しで逃げたりはせず、本気で冴島に向き合おう。そう、トロフィーとトロフィーの間に飾られている戦隊モノのフィギュアに誓った。
(あれ、懐かしいな。子供の頃に大好きだったヒーローだ)
昔を思い出しながら、ふと上の方にかけられているカレンダーが目に映る。気のせいだろうが、火曜日の二月十四日が、やけに強調してみえる。
「火曜日の朝一で頂戴ね」
「なんで朝一? てか、まだ、あげると決まった訳では……」
「バレンタインの日って、凄いんだから。それに、その日を逃すと、次は来年の文化祭。やっぱ俺にしたい! ってなっても、半年以上先だよ。良いの?」
冴島の圧が凄い。
とはいえ、次の火曜日を逃すと、冴島の言う様に、付き合えるのは半年以上先の文化祭になってしまう。早々に決断しなければ。
というのも、我が白鳥高校は、誰が決めたのか、秋の文化祭とバレンタインデー以外で告白することはNGになっている。好き好きアピールは別だが、年に二回しか告白のチャンスは許されない。もしも、それを破って付き合おうものなら……恐ろしくて口に出すのも悍ましい……とだけ言われている。現にどうなるかはわからないが、皆、真面目にそれを守り通している。
ちなみに、家にまで押しかけてはいけない決まりにもなっており、学校または道中で事を済ませないといけない。
あげる方もタイミングを見計らったりと大変だが、貰う方は貰う方で大変らしい。何故なら、年に二回しか告白のチャンスがない我が校の生徒は、それはもう獣と化すのだ。
仮にイエスなら、それでカップリング成立で問題なし。しかし、答えがノーの場合、断られた者は引き下がるのかと思いきや、ほぼほぼ引き下がらない。むしろ、自分の魅力をアピールしようと二人きりになり、発情期真っ只中の野獣の如く襲ってくるのだとか。首を縦に振るまで、逃がしてもらえないケースは多々ある。
「てか、冴島。他校の生徒にならいつでもOKだけど、僕、白鳥高校の生徒だから。誰も見てないからって、文化祭とバレンタイン以外で告るのNGだよ」
「大丈夫。『好き』って言ってないから」
「え? でも……」
僕は告られた……と思っていた日のことを思い出す。
あれは、冴島と夜の公園に行った時だった。寒くて、冴島が手を繋いでコートのポケットの中で暖めてくれた。そして、それは恋人繋ぎに変わり――。
『これが、俺の気持ち。返事は、チョコで、教えて』
確かに“好き”だとは、言われていない。
「策士だ……」
「本当は俺だってバレンタインにって思ってたけど、結城が何でも願いを聞いてくれるって言うから」
「う……」
それに関しては、返す言葉もない。『何でも』なんて、軽はずみなことを言うべきでないことは学習した。
「……?」
ソファの上に置いていた手に、何かが触れた気がした。そこに視線だけ向けると、冴島の小指が僕の小指に触れようと小さく動いていた。そして、つんと当たった瞬間、自然と二つの手が絡み合った。
(こうやって、手は繋がれるのか……)
他人事のように考えてその場をやり過ごさなければ、平常でいられそうにない。
絡み合ったその手の甲を親指の腹でなぞられ、鼓動が早鐘を打つ。
「さ、冴島」
「安心して。これ以上は、何もしないから」
僕は、視線を再びフィギュアに戻してから、コクコクと頭を縦に振った。
「可愛い」
クスッと笑いながら言われ、かぁッと耳まで赤くなったのが分かった。それを隠すように、話を戻す。
「け、けど、モテモテの冴島からすると、告白されるのが年二回って有難いことなのかもね。毎日とか、うんざりしそうだし」
「どっちもどっちかな。いつでも告ることが出来た方が、あんなに理性は吹っ飛ばないと思うし」
「な、なるほど」
様々な見解があるが、とにかく冴島にとっての今年の厄日は次の火曜日らしい。
「分かってる? 結城もだよ」
「僕は、飯塚の一人だし。どうにか……」
呑気に返答していると、冴島に大きく溜め息を吐かれた。
「俺から絶対離れないで。分かった?」
「わ、分かった」
「じゃ、勉強会の続き、しよっか」
そう言って手を離すのかと思いきや、冴島は流暢に英単語を口にした。
「concentrate」
「え?」
「ほら、concentrateの意味。二人で問題出し合った方が、覚えが早いから」
「あ、そ、そっか。えっと……」
――それから僕らは、手を繋いだまま英語の問題を出し合った。否、冴島ばかりが先生のように問題を出した。教科書も手元にないのに、僕は試験範囲の英単語など分からない。
分かるとするならば、冴島は、僕らのような偏差値五十二の男子校にいるべき人間ではないことだ。もしも、この学校を選んだ理由が僕なんて言った日には、土下座をして詫びよう。そう思った。



