失態を晒した休日明けの、測量実習。
この気持ちはなんと言い表せば、いいのだろう。
ハチさんの骨格は、肉体はしっかりとした雄で、身長だってこの国の平均値そのもの。
なのにこうしてずっと目で追ってしまうのは、なぜ。
「見過ぎじゃね?」
「また手順間違ってるって教えてあげたくて…」
「早く言えよー」
あんまりプライドがないハチさん。
年下の俺に指摘されてもへらっと笑って全く気にしていない。
「じゃあ俺これ持って立ってるんで」
測量するためのポールを持って、ハチさんから少し遠くに立つ俺。
無機質で無駄のない機器を前に、俺を見て手を振るハチさんの、真剣な色素の薄い瞳…までは見えない。こっち見てるな、いま欠伸したな、くらい。
無駄な動きを一通りした後、ハチさんはやっとレンズを覗き始める。
塩素で色が抜けたと言っている茶色い髪が、ふわふわと動く。
染めてはいないと生活指導の教員に言っていた、その真偽は定かではないのだけど。
その白い肌によく似合っているので、全て良いのだと思う。
「モモ、入っていいよ。んー、ピントこれで、合ってる…?」
ブツブツ言っていたハチさんの独り言がぴたりと止んで、ほんの数十秒。
今度はその大きな手のひらが、ゴソゴソと作業着を漁り始める。
多分ボールペンを探している。
シャツの襟首に引っかけていたことを漸く思い出したらしい。
力任せに引っ張って伸びた可哀想な生地から、
鎖骨まで見えているのに、本人は全く気にしていない。
そうして記録を終えた彼は、濡れてるから気を付けてと言ったのに、ノートを草の上に置く。
置いてから気が付いたようで、慌てて拾い上げてこちらをちらりと伺う。
多分使い切るころには、裏表紙がゴワゴワになっていることだろう。
「モモ、交代」
ハチさんが水たまりを踏まないように下を見ながら、こっちまでやってくる。
指定の安全靴は汚すと後々面倒なので、こんな日に実習しなくてもいいのに。
初夏の暑い今日、汗ばむ肌に、まだ新しい作業着の硬い生地が擦れて不快感が際立つ。
でも座学じゃないから、こうしてハチさんとのんびりやれている訳で。
「できました?」
「うん、休学する前に一回やってるし」
「それなのに手順間違うの…?」
手渡された湿ったノートが、手にじっとりと張り付いてこれもまた不快感。
「重いけど大丈夫?持てます?」
「オレ年上なんだけど?」
とは言え重いのは確かなので。大股で水溜まりを避けながら、一直線に機器へと向かう。
「曲がってる、ちゃんと持って、ハチさん」
握ったレバーに彼の体温が残っていて、生暖かい。
レンズの向こう側の、ポールではなくハチさんにピントが合った。
ハチさんの着ている作業着が学校指定のものだけど、やっぱり櫻井の文字が刺繍されていることとか。
胸ポケットに恐らくボールペンの古いインク染みがあることとか。
すごく煩わしくてうまくいかない。
そんな俺に気付いたのか、ハチさんが俺にウインクしてきた。
多分からかっているのだけど、普通にどぎまぎしてしまった。
できた?と口パクするハチさん。
本当はもう終わっているのだけど、その傾げた頭とか、少し心配するようにされた、瞬きとか、目が離せない。
でもこれだけ近くにいるのだから、肉眼で見た方がいいことにやっと気づいて、慌てて数値をふやけたノートに書き込む。
「終わりです、撤収しましょう」
重たいポールを肩に立てかけ、手首をブラブラさせるハチさんの元に急いで向かう。
「なんで来たの?」
「重いかなって…」
「優男だわ。でもいいよこれくらい持てるから」
そう笑うハチさん。
それでも食い下がっていると漸く手渡してくれた。
機材を畳んでもらって、それも全て奪って、準備室に戻しに行く。
「パシってるみたいじゃんね?」
居心地が悪そうなので湿ったノートだけお願いした。
薄暗くて、空調の効いた準備室。
この部屋だけで家一軒買える位の機材があるって聞いたけど、本当だろうか。
「なあ、モモ」
暑い、しか言ってなかったハチさんが俺を呼ぶ。
「なんで敬遠されてんの?去年から?」
「正確には一年と半年前からですね」
「え、一年の頃から?よく頑張ってんな…」
なんで?とは聞いてこないけど、顔が知りたがってるそれなハチさん。
別に隠すことでもないし。
「クラスに綺麗な子いるじゃないですか、元カノです」
「おお…あの子…」
「どうしてもと言うので、お試しで付き合ったけど好きになれず、協議を重ねて別れてもらいました」
「情報量がやばい」
「以降クラスの腫物扱いですね」
「ああ…やっちまった感あるな」
なんか違うって正直に伝えたのが運の尽き。
弄ばれたと泣く彼女に教室で白目を剥いたが、まあ、分からなくもない。
優しい嘘の一つでも吐けばよかったのかもしれない。
でも賢い人間の集まりは、異端には攻撃ではなく距離を置くので、割り切ればどうにでもなる。
全く関りがないとか、無視されている訳でもないし。
「どうします、ハチさん」
「なにが?」
「俺と一緒にいるメリットは皆無ですよ、既に巻き込み事故」
これで明日からまたボッチに戻ったらどうしよう、とは思ったものの。
今後の学生生活、俺といても生産性はない。
「え、なんで?こんなヤバいオレに構ってくれるのモモくらいだろ」
「いやそんな…」
「腫れ物扱いならオレも一緒だし?」
押し黙る俺。
「モモはいい奴だと思ってるよ」
いい奴、って、何だろう。
そこがすこし引っかかるのだけど、ハチさんに言われてめちゃくちゃ、嬉しくて。
思わず目頭が熱くなって鼻を摘む。
マジで、見ないで。
「よく頑張ったご褒美にお兄さんが昼メシ奢ってやろう、レポート出したら自主休校しよ」
「いや…ハチさんちゃんと出たほうがいいよ…文系壊滅じゃん…」
「うん、まあそうなんだけど。じゃあ放課後ウチ来る?」
ニヤニヤするハチさん。
こんな時ばっかり年上ぶってるけど、俺が言いたいのはそう言う事じゃなくて。
「…それに俺、男が好きかもしれなくて」
きちんと線引きしておかないと、お互い嫌な思いをするかもしれないから。
ハチさんのタレ目がハッと大きく開いて、すぐに下を向く。
「ああ…、そういうこと」
「…引きました?」
「いや、別に…」
ハチさんは少し迷ってるみたいだった。
まあそれはそうだ。
復学して1ヶ月弱でこんなカミングアウトされたらまあ、困るわな。
これこそやっちまった感だわ。
「偏見はないよ。…オレも彼氏いたし」
は?
「情報量がやばい…」
その場で思わずそう零した俺。
復唱してんじゃん、と笑うハチさんは。
襟を立てて、その作業着の向こう側に口元を隠してしまった。
その糸の解れた刺繍ネームが、俺を拒絶しているみたいだった。
この気持ちはなんと言い表せば、いいのだろう。
ハチさんの骨格は、肉体はしっかりとした雄で、身長だってこの国の平均値そのもの。
なのにこうしてずっと目で追ってしまうのは、なぜ。
「見過ぎじゃね?」
「また手順間違ってるって教えてあげたくて…」
「早く言えよー」
あんまりプライドがないハチさん。
年下の俺に指摘されてもへらっと笑って全く気にしていない。
「じゃあ俺これ持って立ってるんで」
測量するためのポールを持って、ハチさんから少し遠くに立つ俺。
無機質で無駄のない機器を前に、俺を見て手を振るハチさんの、真剣な色素の薄い瞳…までは見えない。こっち見てるな、いま欠伸したな、くらい。
無駄な動きを一通りした後、ハチさんはやっとレンズを覗き始める。
塩素で色が抜けたと言っている茶色い髪が、ふわふわと動く。
染めてはいないと生活指導の教員に言っていた、その真偽は定かではないのだけど。
その白い肌によく似合っているので、全て良いのだと思う。
「モモ、入っていいよ。んー、ピントこれで、合ってる…?」
ブツブツ言っていたハチさんの独り言がぴたりと止んで、ほんの数十秒。
今度はその大きな手のひらが、ゴソゴソと作業着を漁り始める。
多分ボールペンを探している。
シャツの襟首に引っかけていたことを漸く思い出したらしい。
力任せに引っ張って伸びた可哀想な生地から、
鎖骨まで見えているのに、本人は全く気にしていない。
そうして記録を終えた彼は、濡れてるから気を付けてと言ったのに、ノートを草の上に置く。
置いてから気が付いたようで、慌てて拾い上げてこちらをちらりと伺う。
多分使い切るころには、裏表紙がゴワゴワになっていることだろう。
「モモ、交代」
ハチさんが水たまりを踏まないように下を見ながら、こっちまでやってくる。
指定の安全靴は汚すと後々面倒なので、こんな日に実習しなくてもいいのに。
初夏の暑い今日、汗ばむ肌に、まだ新しい作業着の硬い生地が擦れて不快感が際立つ。
でも座学じゃないから、こうしてハチさんとのんびりやれている訳で。
「できました?」
「うん、休学する前に一回やってるし」
「それなのに手順間違うの…?」
手渡された湿ったノートが、手にじっとりと張り付いてこれもまた不快感。
「重いけど大丈夫?持てます?」
「オレ年上なんだけど?」
とは言え重いのは確かなので。大股で水溜まりを避けながら、一直線に機器へと向かう。
「曲がってる、ちゃんと持って、ハチさん」
握ったレバーに彼の体温が残っていて、生暖かい。
レンズの向こう側の、ポールではなくハチさんにピントが合った。
ハチさんの着ている作業着が学校指定のものだけど、やっぱり櫻井の文字が刺繍されていることとか。
胸ポケットに恐らくボールペンの古いインク染みがあることとか。
すごく煩わしくてうまくいかない。
そんな俺に気付いたのか、ハチさんが俺にウインクしてきた。
多分からかっているのだけど、普通にどぎまぎしてしまった。
できた?と口パクするハチさん。
本当はもう終わっているのだけど、その傾げた頭とか、少し心配するようにされた、瞬きとか、目が離せない。
でもこれだけ近くにいるのだから、肉眼で見た方がいいことにやっと気づいて、慌てて数値をふやけたノートに書き込む。
「終わりです、撤収しましょう」
重たいポールを肩に立てかけ、手首をブラブラさせるハチさんの元に急いで向かう。
「なんで来たの?」
「重いかなって…」
「優男だわ。でもいいよこれくらい持てるから」
そう笑うハチさん。
それでも食い下がっていると漸く手渡してくれた。
機材を畳んでもらって、それも全て奪って、準備室に戻しに行く。
「パシってるみたいじゃんね?」
居心地が悪そうなので湿ったノートだけお願いした。
薄暗くて、空調の効いた準備室。
この部屋だけで家一軒買える位の機材があるって聞いたけど、本当だろうか。
「なあ、モモ」
暑い、しか言ってなかったハチさんが俺を呼ぶ。
「なんで敬遠されてんの?去年から?」
「正確には一年と半年前からですね」
「え、一年の頃から?よく頑張ってんな…」
なんで?とは聞いてこないけど、顔が知りたがってるそれなハチさん。
別に隠すことでもないし。
「クラスに綺麗な子いるじゃないですか、元カノです」
「おお…あの子…」
「どうしてもと言うので、お試しで付き合ったけど好きになれず、協議を重ねて別れてもらいました」
「情報量がやばい」
「以降クラスの腫物扱いですね」
「ああ…やっちまった感あるな」
なんか違うって正直に伝えたのが運の尽き。
弄ばれたと泣く彼女に教室で白目を剥いたが、まあ、分からなくもない。
優しい嘘の一つでも吐けばよかったのかもしれない。
でも賢い人間の集まりは、異端には攻撃ではなく距離を置くので、割り切ればどうにでもなる。
全く関りがないとか、無視されている訳でもないし。
「どうします、ハチさん」
「なにが?」
「俺と一緒にいるメリットは皆無ですよ、既に巻き込み事故」
これで明日からまたボッチに戻ったらどうしよう、とは思ったものの。
今後の学生生活、俺といても生産性はない。
「え、なんで?こんなヤバいオレに構ってくれるのモモくらいだろ」
「いやそんな…」
「腫れ物扱いならオレも一緒だし?」
押し黙る俺。
「モモはいい奴だと思ってるよ」
いい奴、って、何だろう。
そこがすこし引っかかるのだけど、ハチさんに言われてめちゃくちゃ、嬉しくて。
思わず目頭が熱くなって鼻を摘む。
マジで、見ないで。
「よく頑張ったご褒美にお兄さんが昼メシ奢ってやろう、レポート出したら自主休校しよ」
「いや…ハチさんちゃんと出たほうがいいよ…文系壊滅じゃん…」
「うん、まあそうなんだけど。じゃあ放課後ウチ来る?」
ニヤニヤするハチさん。
こんな時ばっかり年上ぶってるけど、俺が言いたいのはそう言う事じゃなくて。
「…それに俺、男が好きかもしれなくて」
きちんと線引きしておかないと、お互い嫌な思いをするかもしれないから。
ハチさんのタレ目がハッと大きく開いて、すぐに下を向く。
「ああ…、そういうこと」
「…引きました?」
「いや、別に…」
ハチさんは少し迷ってるみたいだった。
まあそれはそうだ。
復学して1ヶ月弱でこんなカミングアウトされたらまあ、困るわな。
これこそやっちまった感だわ。
「偏見はないよ。…オレも彼氏いたし」
は?
「情報量がやばい…」
その場で思わずそう零した俺。
復唱してんじゃん、と笑うハチさんは。
襟を立てて、その作業着の向こう側に口元を隠してしまった。
その糸の解れた刺繍ネームが、俺を拒絶しているみたいだった。
