「ハチさん、2号落ちてる」
「あれ、服引っ掛けたかな…ありがと」
実家から持ってきた古いワイヤーラックの一番上。
モモの制汗剤その他諸々が入ったカゴよりも上。
大事な物は全部そこに入れようってなった。
「オレも風呂借りますね」
「ん、なんか薄汚れてきた気がするなぁ」
「俺が!?」
「違うよ、2号の話。モモペン貸して」
「どうぞ」
フローリングに投げ出されたモモの筆箱から油性ペンを取り出すと、風呂場からシャワーの音が聞こえ始める。
モモがウチをセカンドハウス呼ばわりしている事が判明した日から、このふわふわ…犬みたいな狼に漸く名前が付いた。
青いプラタグもついたままだけど。
中身のボロボロの紙を取り出して、大事に大事に指先でなぞる。
なんて書いてあったかは覚えてる。
No.1。
洗濯機にいつも入れたのはオレじゃなくて、最初の持ち主であるあのひと。
ポタポタ髪先から垂れる水が鬱陶しくて、その辺にあったピンクのタオルで髪を巻く。
「ハチさんタオルない!」
「オレの使っていいよ」
年季の入った扉の向こう側から、モモがオレを呼ぶ。
蓋を空けた油性ペンの独特な匂い。
ザラつく紙に数字を書き込む。
相変わらず癖のある字だと、自分でも思う。
「また俺のタオル使ってる…」
「オレのために落としてったんじゃないの?」
「違います。もう、また冷房強くして」
「風呂上がりは暑いじゃん」
「髪濡れてるからすぐに身体冷えますよ」
テスト3日目の今日、あと2日残ってるけど完全に中弛み。
「今日水曜だろ、何時に帰る?」
「テスト期間なので弟の子守りは免除です」
「そっか…なのにオレの世話焼くの?」
「これはスキンシップなので…」
ベッドに腰掛け、犬を撫でるようにオレの髪を捏ね回すモモ。
するりと、丸洗いできるクッションが背中とベッドの間に差し込まれる。
過保護。
「…髪切ろうかな、乾かすの面倒だし」
「俺が乾かしてあげるので、そんな思い詰めなくてもいいんじゃないですか?」
「モモがいないと髪も洗えなくなるってこと?」
「正直お風呂も一緒したいです」
「やだよ…2号と入って」
プラタグの中に紙を戻して、ふわふわを撫でる。
「そうやってソレばかり無でるから薄汚れるんですよ…」
「部屋にでっかいぬいぐるみ置こうかな」
「埃になるから賛同しかねますね」
「だから、オレはそんな深刻じゃないってば」
「そんな撫でたいなら俺を撫でればいいと思います」
「妬いてんの?」
見上げたモモの、濡れて束になった前髪の隙間から、綺麗に整った眉が片方だけ持ち上がったのが分かった。
「少しだけね、この450ってなんの数字ですか?」
「モモがオレのものになるまでに要した時間」
「うわっ何それ最高。…確認ですけど、俺が彼氏2号って意味じゃないですよね…?」
「卑屈過ぎ、モモの分身ってことだろ…オレの家をセカンド呼ばわりしておいて浮気疑うの?」
床の延長プラグにドライヤーのコンセントを差し込む、その動作でよく見える脇から腰のラインが堪らなく好きだ。
「まだ付き合ってないですもん」
「そうだったわ」
「ハチさん自分のこと重いって言うけど、俺も相当な可能性は考えないんですか?」
「重いの?」
「さあ?あんまり執着するタイプじゃないと自負してたんですけどね」
一気に上がったDCモーターの騒音。
長い前髪が風圧に負けて一気に顔に被さってくる。
そして頭皮を撫でるように差し込まれ、少し痛いくらいに梳かれてゆく髪。
「モモにしてあげたいって事は、大抵ハジメさんがしてくれた事だったんだよね」
「えー?何か言いました?」
「あんなに未練あったけど、ちゃんと愛されてたなって思い出したんだわ」
「何?聞こえない」
オレの生え際を掻き分けるモモの、不機嫌そうな顔。
スイッチをスライドする指先が、漸くこの耳障りな爆音を宥める。
「モモが居てくれて良かったって話」
「…またそんな事言ってる」
「オレもなんかモモの世話したい」
「なら、爪、また整えてください」
「まだ1週間も経ってないのに…」
短く短く整えたオレの爪に気付いたモモが、自分にもして欲しいと言ったのは4日前。
「ハチさんにひとつの傷も与えたくないので」
「キスマはいいの?内出血じゃん」
「次は1日で消えるくらいに抑えるから…」
綺麗な爪を深爪目前まで短くさせられる、罪悪感と背徳感。
またあれを味わえと。
「いいよ、髪乾かし終わったらヤスリがけしよ」
「…めっちゃ笑顔じゃん…、何考えてます?」
「好きバレしたあとの付き合う前の期間が一番楽しいって、聞いたことあるなって」
「そんな生易しい状況じゃないと思いますけど」
「そう?オレは楽しいよ、最高に不健全で」
最近のモモの瞳はいつだって苛々している。
「…明後日、泣かしますよ?」
「泣いたら嬉しい?」
「ハチさんの泣き顔好きですけど…俺の事だけ考えて泣いてくれたら尚嬉しい」
「できるかなぁ…」
「まあ…あのひとの面影含めて好きになっちゃったので、無理に忘れなくていいと思いますけどね」
「それモモの本心?」
「貴方を構成している深い所にいるのなら仕方ないので」
「なにそれ、オレがあのひとに妬きそう」
「可愛い人ですね、全部丸ごと俺に下さいね」
愛憎は紙一重とは言うけれど。
どうせ与えられるなら愛の方がいい。
「オレの独り善がりな愛情も受け取れよ」
「脅してるつもりですか?ご褒美ですよ」
「…オレのこと好き過ぎじゃん」
「やっと気付きました?」
「少し前から知ってた」
「たくさん名前呼んでくださいね」
ほんの少しだけ伸びたモモの爪に、雑魚い喉をゆっくりと撫でたられた。
