FRESH(注:煩悩及び執着含む)

「櫻井さん、今何してるか知ってる?」
「…連絡取ってねーよ、知らね」
「この前OB訪問してきたんだよ、周り大卒なのにさ、威圧感ヤバかった」
「ああ、うん」
「目がマジ怖くてさ、部下になると思ったら身震いしたわ…どこが良かったん?」
「お前普通そんなの聞かねーよ!?マジノンデリ!サクも答えなくていいかんな!?」

金曜日。
今日から試験前の詰め込みするっていうのに。

「人間として尊敬してたよ」

あらかじめ連絡しておいた上級生の教室。
詰襟なんかとっくに脱ぎ捨てた元同級生たち。

「お前謝れよ?」
「うん、ごめん…」
「いいよ別に、過去問助かったわ。ありがとな」
「またなんかあったら声掛けて、できる限り手伝うから。な?」
「家帰ってノートとかも探すから、今度飯行こ、奢るし」

恋愛に溺れて単位落として病んで休学、そんな情けないオレと。

「普通に接してくれるだけで嬉しいし…、休学中も連絡くれてほんと感謝してる」
「サク…大人になったな…」
「いや前からこんなだったろ、少し抜けてるだけで」

ちゃんと笑えているだろうか。
下駄箱で待ってるって言ってたモモ。
早く戻らないと。

「そろそろ帰るわ、卒研がんばってな」
「おう、クラスどう?慣れた?寂しかったら昼とか来いよ」
「ありがと、何とか友達できたよ」
「サクは元来末っ子気質だからな、無理すんなよ」

抉られた何かを補填させるように、分厚いプリントの束をギュッと抱える。

悪気はないし、寧ろ気を遣われている。
そもそもこんなに引き摺っている自分が異常なだけ、そう分かってる。

「モモ」

下駄箱の前。
スマホを眺めながら壁に凭れている、こんなオレを好きだと言うバグみたいなモモ。

「お帰りなさい。すごい量ですね、ありがとうございます」
「ん…」
「リュック入れてあげるので後ろ向いて下さい」

18日ぶりに、一瞬だけ触れたモモの手。
喉が小さく鳴って、誤魔化すように背を向ける。

「何か余計なものまでもらってきましたか?手が冷たかったですよ」
「別に…早く帰ろ」
「また詰襟突っ込んでる、これ入るとこないんで着て帰って下さい」
「面倒だし重いんだけど」
「チャリ取ってきますね」

着たくもない上着を羽織って、ノロノロとスニーカーに履き替える。

薄っすらと空を覆う鈍色の雲。
湿気を纏った生温い風。

校門と駐輪場の道の突き当たりで待っているモモの、綺麗に磨かれた26インチのクロスバイク。

「帰りましょ」
「自分ちみたいに言うのな」
「哺乳類的には複数巣があってもいいみたいなので…」
「現代社会に生きてるヒト科ヒトのくせに…」

リュックのサイドポケットから取り出した鍵。
以前はズボンの中が定位置だったけど、このフワフワが薄汚れそうで新たに定位置を作った。

学校まで徒歩3分は、実際の所5分くらいかかる。

「またふわふわしてるんです?」
「ん」
「気に入ってもらえて何よりです」
「名前でも付けようかな…」

カラカラと鳴る車輪の音が、後から付いてくる。

「例えば?」
「…ワンって鳴くからイチって名付けた小4みたいなセンスがオレにもあればいいのに」
「狼ですってば、どこか冒険始まりそうなのでそんな名付けは許可しがたいですね」
「来年も昔の映画リメイクしてたら観に行こうよ」
「いいですね」

他愛のない会話は永遠と続くけれど、この気持ちにも狼にも名前は付けられないままアパートに着いてしまう。

「今日何時から雨?」
「予報では夜ですね」
「雨降る前に帰りなよ、一応屋根の下にチャリ入れときな」
「はい」

開けた玄関から出てくる、淀んだ空気。
適当に脱ぎ捨てた靴もそのままに、部屋の窓を開け放つ。

エアコンの電源を押すと同時に、玄関の鍵が掛かった音がした。

「お邪魔します」

律儀に毎回そう言うモモは、玄関で必ず靴下を履き替える。

「そんな気遣うなってば、オレそのままなのに」
「帰宅後即シャワーっていう習慣が形骸化した名残なので…洗面所借りますね」

そして手を洗って髪を整えて制汗剤。
オレの家でのルーティンも完成してしまった。

「冷蔵庫から飲み物出して、あと部屋の窓も閉めておいて」
「緑茶でいいですか?」
「今日は水がいい」

そして立ち替わりで、モモの制汗剤の匂いを吸い込みながら蛇口を捻る。
洗面所の誰が付けたか分からないフックに鍵を吊るして、手を洗って顔を洗って。

ハチさん、今日は何から片付けます?

扉を開けたら開口一番に、モモはそう言うはずだったのに。

「人間の脳の記憶容量は17.5TB以上あるそうですよ」
「なに、急に…」

何?しか出てこない。
とりあえずいつも通り、ローテーブルの向かい側に腰を下ろす。

「普段の生活では1GBくらいしか使わないんだそうですが」
「ポンコツじゃん」
「外部的要因でメモリーをクラッシュさせない限り、ここは全てを覚えてるんでしょうね」 

モモの手が髪に触れて、思わず肩が跳ねる。
指先で堪能している色素の抜けたその毛先は、あのひとも触れた場所。

「サラッと物騒なこと言うなよ…」
「例えですよ。俺とのメモリーも消える可能性がありますもん」
「怖いわ…」

それでも、離れていこうとするモモの手をパッと捕まえる。

「何が言いたいの?」

するりと、待っていたように絡められる指先。

「ハチさんにずっと触りたかったんですってこと」
「…答えが飛躍してる」
「感情が起伏した時の記憶は強く残るじゃないですか…好きですよ、ハチさん。今日は初日の古文でもしましょう」

厄介過ぎる。

「モモ、離して」
「嫌です」
「ほんとにダメ」
「どうしてですか」
「帰したくなくなるから」

こんなに毎日好きだと言われて、漸く触れて、しかもオレは今弱ってる。

「…帰したくないのに帰れって言うの?」
「頭の中滅茶苦茶なんだよ…」
「素直に俺のモノになったらいいんじゃないですか?」
「今…?オレの所為でモモの成績下がるのはダメだろ」
「…ちょっと待って、何考えてます?」
「ん、ぁ…今日の夕飯…?」

あのひとより楽に腕が回りそうな胸囲とか、制汗剤を多用しまくる肌とか、よく食べるから今日なに用意したらいいかな、とか。

でも。

「テスト終わるまで、これ以上は触ったらいけない…分かった?」
「テスト終わったら触ってもいいんですか?」
「…いいよ、テスト終わったらハグしよ」

この寂しさをモモに埋めてもらいたいと、そう思ってしまうのは…。
不誠実、だと思うのに。

「18日前に既にハグしてるのに?」
「あれはバイクだから必然的なやつじゃん」
「経験値的には同じなのでもっと凄いことして欲しいんですけど」
「凄い事ってなに…!?」

手は繋いだまま、ローテーブルを雑に押しやるモモ。
汗をかいた水のペットボトルが鈍い音を立てて床に転がった。

「好きです」
「もう、分かったからやめて」
「嫌です、好きです」
「それ以上言ったらもう明日家に上げない」
「そんなこと出来ないですよね」
「…うん」

手から伝わってくる体温に、自分の浅ましさを有り有りと自覚してしまう。

「好きです。何します…?」

その物欲しそうな瞳が、とても、美味しそう。

「…キスさせて欲しいかな」

見開いて零れ落ちそうになった濡羽色の艶々。
濃い桃色をした下唇をギュッと噛み締め、同じく濡羽色の旋毛が目の前に晒される。

「たぶん、キスだけじゃ済まないです…」
「うん」
「全部俺のものにしたい」
「いいよ」

俯いたままの頭に顔を寄せる。
外の匂いを孕んだモモの、硬くて靭やかな髪。

「嗅ぐのはダメです」
「来週にはモモの全部もオレのものだよ」
「もう、本当に…!」

テスト終わるまで触ったらダメって、言わなきゃよかった。

「ちゃんと卒業させてな」
「…死ぬ気で頑張りますので、ハチさんも勉強して下さいね…」
「はは、がんばる」

あと186時間。