FRESH(注:煩悩及び執着含む)


「それ女子高生が付けてるやつじゃん」
「ハチさんのところで頂いた初任給で買いました、大事にして下さいね」
「そういうのはオレにじゃないだろ…」
「親にはもう肉買いました、肉」
「ああそう…」

丸い指先にぴったりと沿わせるように、綺麗な弧を描く爪。
それが目測10cm程度のぬいぐるみが付いたキーリングの間に割り込み、少しだけ欠けてしまう。

「それ犬?」
「狼だそうですよ、違いはよくわかりませんが」
「自分には何買ったの」
「欲しいものがあり過ぎて考え中です」

テーブルの上に放置していたこの家の鍵に、勝手に取り付けられた小さな狼。

「そんな物欲あんの?物持ちいいだろ」
「まあ、そうですね。でも初期投資が多めに必要なので」

試験前の、部活が休みになるこの期間。
いつも人気のない教室も食堂も自習室も人で溢れ、必然的にオレのアパートに入り浸るようになってしまった。

「はい、これでもうポケットに入れたまま洗濯機に放ることはない…と願います」
「ん、ありがと」

手触りのいいフワフワ。
それと並ぶプラタグは何度も洗濯機に入れた所為で傷だらけだし、中の紙はボロボロだし。

けれども何かを察するモモは、外せとも言わない。

これがあのひとの使っていた部室ロッカーの名残りだと、問われて白状するかと言われると…しないかもしれない。

「エアコン寒い?」
「寒かったらパーカー着るので大丈夫ですよ」

モモの基礎体温はオレより低いのだと思う。

ハンガーラックのパイプに、モモが来る度に詰襟をかけておいた。
帰った後には薄いパーカーが、自然と置いていかれるようになった。

「勉強したくないからゲームしよ」
「俺の存在意義が薄れちゃうので却下ですね」
「薄れるの?」
「…たぶん」
「こんな毎日来てて今更そんなことないよ」
「とか言いつつゲームに流れ持っていこうとするのはダメですよ、宿題は終わらせましょう」

モモがリュックから取り出した筆箱と、課題プリント。
一方のオレはと言えば。

「学校置いてきたかも…」
「このガサツが…!」
「提出は試験日じゃん、今日はもう無理、あそぼ」
「もう、そんなんでいいんですか」
「明日はがんばるから」
「俺いなくてもちゃんとできます?」

あ、そうか明日は水曜日だ。

「弟くんの迎えだったな…今からプリント取ってこようかな」
「サボる気でいましたね」
「モモいないと進まないし、買い物行かなきゃだし」

週末に実家に帰ったり、親が来たりで食料は満たされるけれど、日用品は思ったより早く減る。

モモが来ない曜日も固定であるし、一人だとベッドから離れられない。

「バイトしようかな、平日…」
「もう決まってるんですか?」
「まだ探してもないよ」
「そうですね…中3のカテキョします?」
「オレに務まると思う?こんな現状で。最終学歴中卒だぞ」

しかも情緒不安定。

「その子は手の付けられないアホなんですけど、内弁慶だから家族以外の大人の目が欲しいって…」
「よその子のことボロクソ言うなよ」
「事実なので。興味あれば聞いておきます、どうしましょうか?」
「実際めちゃくちゃ有難いから聞いてきて」

そこで気付く。
モモがやればいいんじゃね?

「俺?俺は三男の迎えあるから」
「てことは水曜ね」
「はい、それより今週末のハチさんちで勉強合宿の件ですが」
「朝から夜までいてもいいけど泊まりはナシ」
「なんでっ」

立ち上がったオレを恨めしそうに見てくるモモ。
2cm切って軽くなった前髪からは、眉間に寄せられた皺も何となく見える。

「布団ないから家で寝ろよ」
「バイト代はまだ残っているので…」
「余計なもん買うなよ、マジで。学校一回戻るから留守番してて」
「チャリ使います?」
「あんな細いタイヤ自信ないからやめとく」

犬みたいな狼を寄越してくるモモの手。
そういえばその手に触れられたのは、もう2週間以上も前のバイクが最後。

「気を付けて行ってらっしゃい、鍵は閉めてって下さいね」

冷たいキーリングを摘んだ長い指先は、差し出したオレの手に触れることなく、ポトリと鍵を落とす。

ほんの少しだけ期待してしまった自分を恥じる。

「…なんか買ってくる?」
「いらないので早く帰ってきて下さい」
「ん」

この狭い部屋と更に狭いキッチンを隔てる扉。
此処でこんなにも温度差があるのだから、玄関ドアを開けたらどうなってしまうのだろう。

申し訳程度の広さしかない土間に並ぶ、二足のスニーカー。
27.5cmという、自分より1cm大きいだけのそれを丁寧に洗ったあの夕方を思い出す。

「あっつ…」

適当に突っかけた靴を地面で鳴らしながら、鍵を差し込む。
チャリチャリと音を立てるプラタグとぬいぐるみ。

あのひとの手に収まっていた頃は、このプラタグより澄んだ青などないと、そう思っていたのだけど。

夏至を迎える前の17時。
今日はとても、よく晴れている。